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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第4話 エデン――この夜(よ)の果て
29/33

4-7



「城内に来たようだな」


 そう言ってみささぎは、玉座に座る男を見た。

 褐色の肌に金髪碧眼という、混血にしてもめずらしい容姿の男は、ふわりと笑った。

 冷たい笑いであった。


「ライガをこれへ」


 男――ユダ・ネ=イ・ザンが言うと、目前の空間が歪み、黒い影をひとつ産み落とした。

 現われたのは、黒髪の痩せた青年だった。

 橄欖(オリーブ)色の肌はくすみ、生気のない表情の中、左眼だけが灯火のごとく輝いている。

 その様子に陵は、どこか不自然なものを覚えた。


「侵入者を排除しろ。だが、深追いはするな。――行け」


 ユダの命令を雷呀は表情ひとつ動かさずに聞くと、再び空間に消えた。


「ユダ。ライガの気が妙だ。何かあったのか?」

「気にすることはない。ライガが聖剣にやられて魔力が落ちていたようなのでな。奴の心臓にもうひとつ、サミの心臓を加えてやったまでよ。思いのほか、うまくいったようだな」


 薄い唇に、笑みが漂う。


「さすがに……恐るべきは、神の聖宝よ」


 ユダは満足そうに、おのが傍らで浮遊する、涙形の宝石を見た。

 陵は絶句した。


――狂っている……!


 全身が総毛立つ。今の生と引き換えに角を失った魔獣使いの自分も世の道理から外れた存在ではあったが、この男の行動は、そんな彼から見ても常軌を逸していた。

 神をも恐れぬ男は、長い金髪を指先で玩びながら語を紡ぐ。


「もうじき奴らは回廊に入るだろう。ライガの他にも多少仕掛けをしてあるのでな……。私の予想が正しければ、あの小娘だけが通り抜けるはず。その時こそ――陵。おまえの出番だ」


 青い瞳が、黒衣の男を鋭く射抜いた。


「仕損じるな。今度こそ、奴を血祭りにあげてこい」


 その頃、城門を抜けたレイとディーン、九曜の三人は、鬼巖城の内部へと進んでいた。

 空気の澱みようは今までの比ではなく、城内は瘴気から生まれる妖魅の巣窟と化していた。

 灯明の代わりに、深部へ続く長い廊下を青白い鬼火がぼんやりと照らし、何のものか分からぬ眼があちらこちらで光っている。

 もはや個としての形も定かでない妖魅を輝破矢かぐはやで斬り払いつつ、レイがぼやく。


「まったく……切りのない」

「どうした。もうばてちまったのか?」


 反対側の通路から、ディーンが陽気に声をかけてきた。


「まさか。おまえこそ、ペースが落ちてきているぞ」

「馬鹿言ってんじゃねーよ。だけど……」


 ディーンは、三匹の食屍鬼(グール)の頭を続けざまに斬り落とすと、後ろの一匹を死の右手で殴り飛ばした。吹き飛んだ巨体に、妖魅がまとめて押し潰される。


「確かにこのままじゃ、いくらやっても前に進まねぇな」


 呟いた。と、そのとき。

 辺りを生臭い風が吹きつけ、巨大な影が出現した。

 空間の歪みに巻き込まれ、群れていた妖魅が散り散りとなる。


「面倒なのが現われやがったな」


 剣を揮う手を休めぬまま、ディーンが独りごちた。

 黒鉄のごとく硬い毛皮に覆われた生き物は、鬣を逆立て、地響きに似た咆哮をあげた。真紅の眼に殺意が宿る。

 漆黒の妖魔、雷呀であった。

 レイが、ち、と舌打ちをする。


「厄介な……」

「――おい、レイファス」


 乱暴に、ディーンが声を投げてきた。


「先に行け。こいつにかかずらわってると時間の無駄だ。俺と九曜で食い止める」

「だが……」

「うだうだ言ってんじゃねぇよ。お宝、取り戻すんだろーが!」


 にやり、と笑いを浮かべて、


「先に行ってろ」


 黒髪の少年は、もう一度明るく命じた。その向こうで、蒼白の獅子も目顔で促す。

 レイは頷いた。


「分かった。二人とも、後から必ず来るのだぞ!」

「遅刻しないように、せいぜい努力するよ」


 相変わらずの軽口で応え、それでも真剣な眼差しで、ディーンは大刀を構えた。

 わずかに反った片刃の刀身には、神呪が輝いて浮かび上がっている。


っ!!」


 気合いと共に、青白い気の奔流が切っ先から迸った。

 辺りの妖魅を消し飛ばすその輝きを、雷呀は天井すれすれまで跳躍してかわし、そのままディーンに襲いかかる。

 雷呀が地面を離れた瞬間、レイは神剣を手にしたまま、回廊を走り抜けた。

 気付いた雷呀が、さらに壁を蹴って向きを変える――と。


《グオッ!?》


 横腹に妖魅を数匹叩きつけられて、雷呀は体勢を崩した。かろうじて回転し、足から床に着くと、張り付いた妖魅の死骸を獅子へと投げ返す。

 その頃にはもう、獲物は回廊を過ぎて城の奥に消えていた。

 憎憎しげに九曜を睨む雷呀の前に、人影が立ちふさがった。


「――待ちな。てめえの相手は、この俺だ」


 挑発的な微笑を浮かべ、ディーンは隻眼の妖魔に大刀を向ける。


「テスでの決着をつけようぜ……!」


   *


 妖魅たちを蹴散らして回廊を抜けたレイは、行く手を阻むように立ち塞がる大扉に辿り着いた。

 レイは、輝破矢を一振りして鞘に納めると、そっと扉に右手をかけた。

 分厚い扉がゆっくりと内側に開き、がらんとした暗い部屋に、淡い光が帯となって広がる。

 光の帯が差し込む先に、二つの影が佇んでいる。

 レイの双眸が曇った。

 影は、角のない魔獣使い・陵とその魔獣リュカオンであった。


「よく来たな」


 深みのある重低音が、室内に響く。

 凝然と立ち尽くすレイに、陵は静かに歩み寄った。

 レイは、苦しげな表情で、右手で輝破矢の柄を握りしめる。

 この時が来ることは分かっていた。それは、数日前に奇襲を受けた夜にも覚悟を決めたはずであった。


――戦いたくはない。だが戦わなければ、世界は滅亡するかもしれない。


 どちらを優先すべきかは、明白。

 しかし、あっさりとそれに従うには、レイは甘すぎた。

 時間がないことをひしひしと感じながらも、輝破矢を掴んだまま、レイは胸中で和平の道を模索した。


「陵、リュカオン――」


 必死の想いをこめて、彼らの名を呼ぶ。

 黒衣からのぞく月光色の瞳が、わずかに細められた。


「行け」

「――え?!」


 思いもかけない言葉に、レイは一瞬、我が耳を疑った。


「行け、と言ったのだ。わたしの目的は魔王の復活であって、聖宝には何の興味もない」


 表情の見えぬ陵の顔が、ふ、と動く。


「わたしはここで――見守らせてもらう」


 冷たく整ったレイのおもてに驚きが走り、やがて、安堵へ溶けていった。


「……そうか」


 よかった、の一言を飲み込んで、レイは右手を下ろした。

 鈍色の狼が立ち上がり、部屋の中央から使い手の右端へ移動する。

 促されるように、レイは一歩踏み出した。

 傍らを歩み去る少女へ、陵は、背を向けたまま告げた。


「奴は……ユダは、まだ完全に聖宝を手に入れたわけではない。だが、目的のためなら手段を選ばぬ奴だ。気をつけるがいい」

「目的?」

「私怨を晴らすことだ。帝都と、それの支配するものすべてにな」


 レイが立ち止まる。顧みた陵は、はっと言葉を失った。

 何の気負いもない、穏やかな表情で、少女はこちらを見ていた。


「――ありがとう」


 真っ直ぐな、清涼な微笑。

 知らず眼を奪われた陵が我に返ったときはもう、少女は足音を残して消えていた。

 足元の狼の眼に、皮肉な色が浮かんだ。


《ほーお。とうとう情が移ったか。あんたも甘くなったものだな》

「馬鹿を言うな。奴の血生臭さに飽き飽きしただけだ。もう充分義理は果たしただろう。わたしの役目はここまでだ」

《後は高みの見物ってわけだな。やれやれ、やっと肩の荷が下りたぜ》


 ユダを嫌うリュカオンは、大げさにため息をつく。ふさり、と尻尾を揺らして、


《だが、気に食わん奴とはいえ、腕だけは確かだ。あの子の応援はしてやりたいが、勝ち目があるとは思えんぞ》

「どうかな」


 その言葉に、鈍色の魔獣は使い手を見上げた。


 陵は、少女の去った暗闇を見つめたまま、立ち尽くしていた。


「おまえも気がついたのだろう?」

《……ああ》


 見張っていた当初からずっと、彼女を護るように包んでいた黄金の光が消えている。

 好機の到来か、災厄の訪れか――。

 二人は、暗黙のうちにお互いの想いを読み取り、それぞれの思惑に沈んだ。



 一方レイは、玉間を目指して再び走りはじめていた。

 魔術師の魔力なのか、いくつも続く部屋の戸を次々と開けては、湧き出る妖魅を輝破矢で斬り払いながら前へと進む。

 そうして十数部屋を通過したとき、さすがに違和感を覚えた。


――これは……。


 手元の輝破矢に目をやると、澄んだ刀身には、実際の部屋ではなく、弓形のはりをもつ天井が映し出されている。


――やはり幻覚か……。


 レイは、輝破矢をかざして辺りを見回した。すると、右側の壁のある位置に大きな木の扉が映っている。

 群れかかる食屍鬼(グール)の胴を薙ぎ払い、


「せいっ!」


 勢いざま、壁に向かって輝破矢を叩きつけた。

 奇妙な破裂音が響き、辺りに、高い梁が天井を支える長い廊下が現われた。

 どこまでも黒々と続く闇の先に、ぽつんとわずかな明かりが灯っている。


――あそこか……!


 レイはわずかに唇を引き結ぶと、輝破矢を手に、一気に暗黒の道を駆け抜けた。

 明かりの洩れる闇色の扉に、そっと手をかける。

 まばゆいばかりの光。

 思わず眼を覆ったレイの耳を、豊かな低声が打った。


「待っていたぞ、銀の処女おとめよ」


 忘れようとしても忘れられない、その声。

 レイはゆっくりと瞼を開いて、声の主を見上げた。


「貴様の言ったとおり、聖宝を取り戻しに来たぞ。ユダ・ネ=イ・ザン!!」


   *


「だ―――――っ!!」


 妖魅たちを飛び石にして、器用にひょいひょいと飛び回りつつ、ディーンは怒鳴った。

 巻いていた頭布(シェーシ)は、すでにどこかへ飛んでいってしまっている。

 ディーンは、剥き出しの黒髪を重そうになびかせ、雷呀の背後へと降り立った。

 と、息をついたのも束の間、咆哮をあげて雷呀の爪が襲いかかる。


「あーもーっ」


 ディーンは、うんざりした顔でわめいた。


「しつこいっつーの!」


 傍らを飛びぬけざま、大刀を一閃する。

 ごとり、と重い音がして、巨獣の右の前足が落ちた。肘辺りから切断された足は、たちどころに塵となって崩れる。

 だが、灰色熊(グリズリー)に似た妖魔は痛手を受けた様子もなく、不安定に三本足で立ち上がった。


「はあ~」


 ディーンは肩を落とした。

 劣勢、というわけではない。

 以前に比べ、ディーンの剣の腕は冴え、しかも刃には破邪の呪文が書き加えられていた。対して雷呀は、神剣に傷つけられて右眼を失っている。状況的には有利なのだ。

 しかし。

 斬っても斬っても、一向に雷呀には通用しないのである。

 気の剣法を遣うディーンの太刀筋は、過たず雷呀の急所を突いていた。さすがに三本の角は落とせないものの、普通の妖魔であれば、もはや動くことのできる傷ではない。

 戦闘形態(バトルフォーム)となった妖魔の治癒能力は、非常に高い。だが、それにも限界はあった。

 現に雷呀は、右足の他に頬、肩、脇腹などに傷を負ったままだった。


「一体どうなってんだよ」


 呟くディーンの額を、ひとすじの汗が伝う。

 その彼に、妖魅たちの相手をする九曜が、呑気に声をかけてきた。


《自分で相手するって言ったの、誰だったっけ~?》

「うるせぇっ。言われなくたって分かってらあっ!」


 なかば自棄やけ気味に怒鳴り返し、ディーンはまたも雷呀に斬りかかった。

 早く決着をつけようと魔力を操る角を狙うが、黒い巨体に体当たりされ、壁に押し付けられる。ディーンは雷呀の鼻先を蹴り上げて、鎌のような牙の並ぶ顎門あぎとから逃がれると、その腹の下を潜り抜け、今度は青白い巨体とぶつかった。


「――よお、九曜」

《なにやってるの?》

「ちょっと休憩」


 さすがに荒い呼吸を整え、ディーンは苦い笑いを浮かべた。


「あいつときたら、いくらやってもキリがねーもんでよ」

《そのことなんだけど、ディーン》


 九曜は、獅子の前足で妖魅たちをお手玉のようにちぎっては投げつつ、少年に囁いた。


《あいつ、ちょっと変なんだよね。これだけ暴れ回ってるのに、さっきから少しも生の波動が感じられない》

「もうちょっと分かりやすく言えよ」

《生きているようには思えないってこと。その代わり……》


 九曜は、虹色の双眸をすっと細めた。


《心臓は、ふたつ動いているけどね》

「は?!」


 ディーンが顔をしかめた。


「どういうことだよ、それ?」

《何者かがこいつに手を加えて、得体の知れない化け物を創りあげた、と考えるのが無難だろうね》


 忌々いまいましげに、九曜は言った。敵とはいえ、同胞をこんな姿にした人間に、冷たい怒りが込み上げる。

 話の合間に服の裾で大刀を拭いつつ、ディーンは、あることを思いつく。


「ちょっと待てよ。こいつに手が加わってるいうんなら、ひょっとしてここは――」


 退治したはずの妖魅たちが再び叢雲となって集まり、黒い巨獣が、新たな前足を生やしてゆっくりと迫る。

 追い詰められたディーンと九曜は、壁際に隣り合わせに立った。


「やばいんじゃねぇのか、おいっ!」


 不安を口にした、その時。背後の壁が、ぐぼりと盛り上がった。

 そこから子供の腕ほどの触手が現われ、ディーンの足に巻き付く。

 少年が下を見た瞬間、黒い巨獣が踊りかかった。

 だが、獣の爪が届く直前、獅子の前足が巨獣を吹き飛ばす。

 獅子の爪は雷呀の胸元にがっちりとくらい込み、その不自然な生命を確実に断った。が、しかし。

 黒い巨体は塵に還ることなく、逆に大きく伸張すると、獅子の前足をすっぽりと包み込んだ。

 その姿は、もはや獣ですらない。


《なにっ?!》

「九曜!」


 叫ぶディーンも、続々と壁から現われる太い触手に、腕や胴を絡めとられる。


「ち……っ!」


 舌打ちした彼は、ふいに、自分を引きずり込もうとする壁が、無数の妖魅で出来ていることに気が付いた――否。


「畜生ぉっ!!」


 ここだけではない。目の前の壁や床、天井にいたるまで、この回廊はすべて妖魅たち自身の肉体が組み合わさって出来た、生きた罠だったのだ。

 全身が粟立つ。

 だが、もがけばもがくほど、触手は身体に食い込んでいく。

 九曜は、手を伸ばしてくる触手を次々に食いちぎるが、効果があるようには見えなかった。


 果たして。

 天井の一部が砕け、雨のごとく降り注いだ触手が、二人の姿を封じ込める。

 懸命に抵抗しつも、ディーンは、次第に思考が途切れるのを感じた。

 触手に歯向かう動きが、徐々に緩慢になっていく。

 やがて、充分に侵入者たちの動きを奪った罠たちは、最後の仕上げとばかりに、周囲で動いていた妖魅たちと結び付きはじめた。

 もはや、ぴくりともしないディーンの体が、妖魅の檻に吊るされる。

 眠るように、少年の瞼が閉じてゆく。左の手から大刀が力なく滑り落ち、小さく一跳ねして、ことりと床に転がった。




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