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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第4話 エデン――この夜(よ)の果て
27/33

4-5



 レイとディーン、九曜の三人が神殿から出ると、村の様子がどこか違っていた。

 後からきた火人の娘たちもそれに気付き、顔色を変える。共に南西を見つめ、苦々しく、炎の鳥が呟いた。


妖魅ようみか……!」

 

 レイとディーンには理解できなかったが、すべてを見抜く天眼の持ち主である彼女らの眼には、村の異変がはっきりと視えているのだろう。

 それとはまた別の能力で事態を察知した九曜が、小声で教える。


「畑の外れで十数匹の妖魅が暴れてる。村の人も応戦してるみたいだけど……」


 赤銅色の娘が彼らを振り向いた。


「申し訳ないことですが、急用のためお送りすることができなくなりました。後は白い篝火がお世話をいたします」


 炎の鳥の言葉に訪問者たちは驚く。


「俺たちは構わないけど、君たちは避難しなくて大丈夫なのか?」

「我ら火人の女は、すべて有能な戦士です。妖魅ごときに大した手間は要しません」


 ディーンの問いに、炎の鳥は揺るぎない口調で答えた。

 まだ二十代半ばに見える若い女は、一礼すると、炎にも見える豊かな頭髪をなびかせ、足早に去っていく。

 それを見送る白い篝火の眼差しが、わずかに曇った。

 レイが、不思議そうに尋ねた。


「妖魅は確か、気の澱んだ場所に生きる脆弱な存在のはず。なぜこんな平和な村に、妖魅が湧くのだ?」


 白い篝火は、巨大な黒曜石の壇上で燃え上がる炎を見上げた。


「我らは罪深き原罪者の一族。その償いとして、七度ななたび炎が消える時まで、妖魔を狩り続けることを宿命づけられました。そして――魔王の封印を護ることをも」


 三人は、はっと息を飲んだ。

 白い篝火は、村を覆う緑が途絶える南西の方角を指差し、変わらぬ静かな口調で続ける。


「あの向こう――あなた方の目指す、この世ならぬ者たちが住まう大地の彼方――死霊の谷の奥底に、魔王は眠っています」


 蒼褪めるレイの背後で、ディーンと九曜は沈んだ眼差しを交わし合った。


「では、すでに魔王が……?」

「いいえ、星よ。ですが、強力な力が働いて封印がゆるんでおり、数日前からその波がこちらにも押し寄せてきているのです」


 レイの問いに、白い篝火は澱みなく答える。

 レイは少し安堵し、ふと、先刻からの疑問を口にした。


「なぜあなた方は、私のことを〝星〟と呼ぶのだ?」


 白い篝火は、褐色の頬を和ませ、レイを見た。


「あなたはアステリオン――。我らを深き罪の闇から救い、この世界を新たな約束の地に導く、希望の星なれば――」

「それは一体……?」


 だが白い篝火は、それ以上何も言わず、微笑んで彼らを促した。

 先程別々に案内されていたディーンは、途中レイたちと別れ、一人で荷物を置いている家に戻った。気が立っているのか、頭布(シェーシ)を脱ぎ捨て、早くも戦闘の身支度を整えはじめる。

 距離はあるようだが、九曜の足では遅くとも明日の午後には敵の城に到着できるだろう。

 ディーンは鼻息も荒く、乱暴に荷物を探る。

 ぽい、と投げた小鍋が風を切って飛び、勢いよく木の壁にめりこんだ。


「わわわわ」


 右腕の加減をするのを忘れていたディーンは、慌てて、ぐしゃりと潰れた鍋を壁から引きはがす。二人の連れにばれないように、とへこんだ部分を指で直し、ふとやめた。

 この戦いが終われば、もうレイと旅をすることはないのだ。


「……」


 死の右手が、青銅の小鍋を握り潰す。金屑かなくずとなった鍋が、力なく床に落ちた。

 レイのことを思えば、無事に宝を取り戻せるように協力するのが仲間というものだろう。

 だが彼は、心から喜んで協力する気持ちにはなれなかった。

 広げたままの荷物を放り出し、ディーンは苦い表情で床に座り込む。

 幾多の危機を共に乗り越えてきた、腰の大刀を手に取る。それは、十三の折、剣の道に進みたいと育て親である剣の師匠に申し出たときに貰った、初めての剣だった。そのときは長すぎた剣も、今はもうしっくりと手に馴染んでいる。

 深い紫の双眸が揺らぐ。

 彼の想いを破るように、家の戸が叩かれた。


「どうぞ」


 現われたのは、白い篝火だった。

 最初にディーンを案内したこの娘は、村の畑を襲撃した妖魅の討伐に赴いた炎の鳥の代わりに、レイたちの世話に向かったはずである。


「もう妖魅は片付いたのか?」

「はい」


 白い篝火は、にこりともせず頷いた。穏やかだが、その態度が戦いに対する慣れを感じさせる。


「火人の女はすべて戦士、と言っていたよな。白い篝火、君もそうなのか?」

「わたしは、長の世話をする巫女。ですが、必要とあれば戦います。他の火人の女と同じく、戦うことを恐れはしません」

「そうか……」


 白い篝火は何かを言いかけてやめ、床に散乱する荷物に目を留めた。


かれるのですね」

「――ああ」


 その答えにわずかな間があったのを、娘は聞きのがさなかった。

 だが何も問わず、代わりに床へ両手をついて、頭を下げる。


「先程は、弟の無事を報せていただいて、ありがとうございました」


 怪訝な顔となったディーンは、先刻自分が口にした、妖魔狩人(ハンター)の男のことを思い出した。


「じゃあ、君はあいつの……」

「はい。魔剣に選ばれ、精霊と同化した狩人は村から出、親や兄弟の縁をも切らねばならぬのが定め。本来ならば消息を聞くことなど許されぬことですが、あなたのおかげで思いがけず弟の無事を知ることができました。ありがとうございました」


 白い篝火の瞳には、光るものが浮かんでいる。


「姉の無礼をお許し下さい。村を出た者のことは、名すら口にすることを(はばか)られます。姉は長の補佐役ゆえ、戒律には人一倍厳しいのです。ですが、きっと姉も、弟の無事を聞いて喜んでいると思います」


 ディーンは半分困った顔で、白い篝火に顔を上げるように、手を添えた。


「もういいよ。俺も、自分の知ってることが役に立つって分かって嬉しいから」


 悪戯っぽく笑って、


「あいつとはしばらく一緒だったから、いろいろ話題(ネタ)があるけど?」

「あ、いえ。そんなつもりは……!」

「今は無理だけど、帰ってきたら、いろいろとゆっくり話して聞かせるよ」


 ディーンの言葉に、娘は顔を赤らめた。


「すいません。余計なお時間を取らせてしまいましたね」

「いや、いいんだ。――そうだ。魔王の居場所なんだけど、どういうところか知ってるか?」

「よくは存じませんが、魔王が眠る死霊の谷の周辺は、谷底から吹き出る瘴気のために草一本生えぬ不毛の地となっていると聞きます。我々はそこを〝白骨砂海はっこつさかい〟と呼んで、立ち入ることは勿論、滅多に近付くことすらありません」

「白骨砂海、か……」


 その名が示す不吉な印象に、ディーンは眉をひそめた。


「お気をつけ下さい。かの地の瘴気は、生けるものに害を及ぼすと言います。外見は何ともなくとも、体内に悪しき気が溜まるとか……」

「そうか……ありがとう」


 膝をついたまま一礼し、白い篝火は出ていった。

 ディーンは、しばらく身動ぎひとつしなかったが、やがて居ずまいを正すと、傍らに置いた大刀をすらりと抜き放った。

 息を殺し、刀身を柄から外すと、拭紙で丁寧に拭いをかけてゆく。

 青ざめて見える刀身が、鋭い光を放った。

 木造の家屋を、ごう…と音を立てて、風が吹き過ぎていった。


   *


 獅子となった九曜の背に三度みたび乗り、レイとディーンは魔術師の居城へ向かった。

 エデンを出発してから八時間余り。

 銀色に光る砂漠の入り口に着いた時はもう、空には月が昇っていた。


 聖宝奪回の期限まであと四日。魔術師にこちらの動向を知られてしまったこともあり、事は急を要したが、連日飛び続ける九曜にも、さすがに疲れが見えはじめていた。

 火人たちが白骨砂海と呼ぶ砂漠を前にして、一行は束の間の休息を取る。

 これが嵐の前の静けさであることは、誰もが知っていた。

 だがそれを口にする者はなく、三人は、火人たちが用意してくれた弁当で夕食をとる。

 エニという穀物で作った薄手のパンに、野菜や甘辛く煮た魚をはさむ。ぴりっと辛味のきいたたれをかけて食べるのが火人流のようだ。

 軽めの夕食を済ませ、三人は早々に寝床に就く。

 九曜は万が一に備え、獅子の姿のまま、焚火の側で丸くなった。

 天幕(テント)を持参しなかったため、レイとディーンは毛布一枚を巻き付け、地面に寝そべる。

 艶やかなまでに黒い夜空に、ひとつ星が流れて落ちた。

 それを目で追ったレイは、深いため息をついて、横を向いた。


「――眠れないのか?」


 隣から、ディーンが声をかける。


「ああ」


 レイはディーンの方に向き直り、片肘で頭を支えた。


「なんだか寝付けなくて……」

「明日のことが気になるのか?」


 同じく寝転んだまま頬杖をつき、ディーンが尋ねる。

 レイは黙り、荒れ狂う感情の波を鎮めるかのように、一瞬固く眼を閉ざした。


「おまえは……恐くないのか?」

「恐いさ」


 あっさりと、ディーンは答えた。


「いつだったか、初めて真剣で戦うってことになった時は、三日くらい眠れなくてな。結局その前に、食べてないのと睡眠不足で寝込んじまった」

「それで、無事だったのか?」

「このとおり五体満足に、な。寝込んだ後、妙に気持ちが落ち着いてさ。もう死のうが生きようがどっちだっていい、やるだけやってやれって気分になってさ」

「今はどうなんだ?」


 レイの問いに、ディーンはにやりとした。


「内緒」

「今さら隠すことはないだろう。こら、白状しろ」


 レイがふざけて、彼の襟元を掴む。その腕を取り、ディーンは穏やかな声で言った。


「俺たちはこれまで、二人でいろんなことを切り抜けてきた。今回も大丈夫さ」

「……うん」


 いつにない素直さで、レイが頷く。大事な決戦を明日に控え、相当な緊張をいられていたのだろう。蒼い瞳がわずかに潤む。

 顔をそらして見せまいとするレイの冷たい手を、ディーンは無言で握っていた。

 うつむいたまま、レイが小さく呟く。


「あれから……初めて会ったときから、随分いろんなことがあったな」

「ああ。しょっぱなからハディルの屋敷に殴り込みかけたもんな」

「留置所にも入れられたし」

「貴重な経験だぞ。なかなか入れないからな」

「あのときの作戦は、おまえが立てたんだぞ。まったく酷い目にあった」

「まあまあ。旅に出てからは順調じゃないか」

「まあ、な。襲撃や砂嵐で足止めされたときを除いたら、一応順調と言えば言えなくもない」

「そらみろ。俺の計画は完璧」


 威張るディーンに、レイはさり気なく釘を刺す。


「だが、幽霊に街まで連れて行ってもらうように頼んでいたのは、どこの誰だ?」

「あー、いやそれは……」


 狼狽するディーンに、レイが笑った。

 思い出というほどの昔ではない、しかし二人にとっては十年にも二十年にも思える旅を振り返り、その晩遅くまで話が尽きることはなかった。

 やがて喋り疲れた二人は、冷え込んできた夜気に、黙って毛布を被り直した。向かい合わせに横になったまま、


「レイファス。その、言っておきたいことがあるんだけど……」


 突然、ディーンがためらいがちに切り出して、言葉を濁した。

 彼らしくないその様子に、レイははっとなる。


――まさか、私が女だということに気がついて……?


 慌てて起き上がりかけ、レイは息を詰めた。

 かつてないほど真剣な顔をして、ディーンがこちらを見つめていた。

 身体が、動かない。

 紫の瞳に縛られたように凍りつくレイに、低い、囁きほどの声が告げる。


「おまえが、好きだ」


 予想もしなかった言葉に、レイは我が耳を疑った。

 驚きと混乱と、同時に熱いものが胸の奥から込み上げてくる。

 声もないレイに、ディーンは赤くなりながら、もう一度はっきりと言った。


「おまえが……男でも構わない。好きだ」


 レイの表情が固まった。


――男でも……?


 どうやら、二十六日間も寝食を共にしてきて、なおディーンは自分を男だと信じているらしい。

 急速に、心が冷えていく。

 しかも言うにことをかいて、好きだ、ときたものである。

 レイはなぜか、はらの底から、ふつふつと怒りが湧きあがってくるのを感じた。

 理由の分からないやるせなさに、涙が滲む。握り拳に力が入った。


――この、史上最低の鈍感男!!


「レイ……?」


 うつむくレイを、不安げにディーンが覗き込む。

 その顔目がけ、レイは、渾身の力を込めて拳を叩きつけた。


「馬鹿っ!!」


 大声で怒鳴ると、毛布を持って憤然と去る。

 ディーンは呆気に取られて、焚火の反対側で寝床を敷くレイを眺めた。


「俺、なんか怒らせるようなこと言ったかな……?」


 頬を押さえたまま呟く。

 盗み聞いていた九曜が、思わず苦笑を洩らす。獅子はなかば呆れ、同情しつつも、長い毛に笑いを隠し、知らないふりをして二人に背中を向けた。

 またひとつ、夜空を星が流れていった。





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