表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第4話 エデン――この夜(よ)の果て
25/33

4-3



 ムーア大陸の中程、小国ウィセンからラ・カスパ村に至る道なき道の途中で、三人の旅人が休息をとっていた。

 この辺りはアル・リマール砂漠も終盤に差しかかったところで、草や木もまばらに生える。北部の黄色い砂の大地とはまた異なった、白い岩肌と砂の荒野だった。

 夜空を飾る星々も、今までのものとは違う。

 姿の異なる星座たちが見守る下、若い旅人たちは荷を解き、野営の準備に取りかかった。

 一見すると、彼らは一体どんな繋がりがあるのか分からない。

 奇妙な成り行きから銀髪の少年――実は少女だが、の聖宝奪回に協力することになった黒髪の少年は、限られた材料を使って器用に夕飯を作っていた。

 慣れた手つきで、小刀で乾燥肉に切れ込みを入れる。

 いつも陽気な彼だが、テーベを出てから少し様子が変だった。


「はぁ~」


 珍しく、口から長いため息が洩れる。

 手は休めぬまま、ディーンはちらりと、少年姿の妖魔と一緒に天幕(テント)を設営する銀髪の連れを盗み見た。

 テーベで耳にして以来、レイが女かもしれないという一事が、どうしても頭から離れてくれない。

 思い切って本人に尋ねてみたが、笑ってかわされてしまったので、改めて問いただすのも気が引ける。


――あいつが女でも、俺には関係ない。


 強がってみるものの、必要以上に存在を意識していることは(いな)めなかった。

 背丈の割に華奢な体付きをしたレイの、細い手首やしなやかな首筋などがやけに目につき、いくどか触れた身体の感触が生々しく思い出されてならない。

 相手の些細な態度や仕草にさえ過敏に反応してしまう自分を、彼は止められないでいた。

 また息を吐いたディーンは、ふと、切れ目を入れた乾燥肉が手元に山積みになっていることに気付く。


「あわわわ」


 慌てて片付ける彼の姿を遠くから見て、妖魔の少年も、ひとつため息をついた。

 それからしばらくして、いつもより少し余計に時間がかかって、夕食が出来上がった。

 ファバ豆のパンに乾燥肉のスープといういつもの献立を、レイが笑顔で受け取る。


「すまないな」


 久しぶりの満面の笑みに、ディーンは思わず見惚れてしまった。


――あ~も~。こいつ、本当にどっちなんだ……っ!


 心の中でわめく。

 男とも女ともつかない美貌のレイの腰には、いつのまにか光り輝くつるぎが掛けられていた。

 帝都からの連絡が来たとしか聞かされていないが、奪回の期限が迫って元気のなかったレイが笑顔を取り戻したという一点に重きを置いた彼は、問い詰める気など毛頭ない。

 和やかに食事をはじめる二人を傍らで眺め、妖魔の少年が、ぽつりと呟いた。


「僕も食べたい」


 意外な発言に、二人の食事の手が止まる。

 生き物の精気をかてとする妖魔である九曜は、今まで一度も〝食欲〟を見せたことはなく、ましてや人間の食べ物に興味を示したこともなかった。


「ほら。じゃあ、一口」


 ディーンが自分の皿からスープをすくって、九曜に食べさせる。

 九曜は、不思議そうにしばらく口をもぐもぐと動かすと、目を丸くして飲み込んだ。


「……おいし」

「そりゃそうだろ。この俺が作ったんだぜ」


 得意顔でディーンが言い切る。レイは、苦笑しつも頷いた。


「確かに、料理の腕はいいな」

「料理の腕だけかよ」


 ディーンが不服そうに言い返す。だが笑顔になり、


「まあ、やっとこいつにも慣れたってことだな」


 しみじみと自分の右腕を眺めた。

 アルビオン王国の一都市テーベで、九曜を捕えていた魔力のいましめを破ったために重傷を負ったその腕は、九曜の分身と同化することで蘇生したが、代わりに常人の数千倍の力を持つ〝死の腕〟となったのだ。

 九曜が記憶を失っているために、戻し方どころか力の制御方法も分からず、ディーンは握っただけで石を粉々にするその力にもてあそばれてきたが、ここへきてようやく統制のコツを掴んだようだ。


「もっとないの?」


 九曜の催促に、ディーンが別の皿にスープをよそって手渡した。

 レイが怪訝な顔になる。


「栄養になるのか?」

「うん。栄養を摂取する原理は人間と同じなんだ。ただ方法が違うだけ。人間の方が非効率的だと思うけどね」


 でもおいしいからいいや、と九曜は皿を両手で抱えて笑う。

 テーベを凍りづけにしたほどの魔力をもつ妖魔でありながら、どこか人間(くさ)い九曜は、外見が七、八歳の少年ということもあって、ともすれば暗くなりがちな旅の場を和ませる存在だった。

 教えられてふうふうとスープを息で冷ましつつ、九曜が考え深げに言う。


「だけどディーン、よく僕を助けようって気になったよね」

「おまえが夜中に現われて、助けてくれって頼んだんじゃないか」


 ディーンが顰め面をした。


「それはそうなんだけど。だって……あれは能力(ヴィス)の強い人間にしか伝わるはずがなかったんだよ?」

「だからなんだよ」

「僕を捕えていた〝魔の鎖〟は、煉獄の業火で鍛えられた特殊な武器で、一般には能力(ヴィス)を介して用いられるものなんだ。僕が呼んでいたのは、声が聞こえるほどの能力者(ヴィサード)――つまりその解除方法を知っている人。法術師で言えば、金位きんいだね」

「――は?」

「だから、あのいましめは、法術や魔術を使って簡単に解けるものなんだよ。ディーンみたいに、こともあろうに素手で引きちぎるなんて、普通はしないの。だいたいあれに一分でも触れていたら、人間なら全身骨まで黒焦げになるのが当たり前だよ。掴んだのが数秒、しかも右手でよかったね」


 左手だったら即心臓やられちゃってるからね~と、九曜はしみじみ言った。

 その話にレイは、呆れつつも納得をする。


「なるほど。それで本来ならばすみやかに解除されるところが、無理矢理封印を破ったために、城まで崩壊したということか」

「そ。まさかあんなことになるなんて、僕おどろいちゃった」

「人騒がせなやつだ」


 レイがため息をついて、黒髪の少年を見やる。ディーンが真っ赤になった。


「解除方法なんて知るかっ! 第一俺は、能力者(ヴィサード)じゃねえっての」

「それが不思議なんだよねぇ。素質は悪くないと思うんだけど……」


 九曜はそろそろとスープをすすりながら、口の中で小さく独りごちる。

 よく聞こえなかった二人は首を傾げたが、それきり九曜は黙り込んでしまい、レイが別の話題を切り出した。


「ところで、原罪者の村の位置は分かったか?」


 ディーンが無作法にパンをくわえたまま、荷物から地図を引っぱり出す。三人の前へ見えるように広げ、


「護り石が指した方角は、南東だったな」


 頷いて、レイは地図を覗き込んだ。しかし、砂漠が大部分を占めるムーア大陸では、ほとんどの集落は東西の海岸沿いに並んでいる。護り石の示した南東域は、多少の緑が広がるものの荒野と山の連なる未開の地だった。

 レイは重い息を吐いた。


「これでは分からないな」

「小さな村のひとつひとつが全部知られているわけじゃない。それに大体原罪者の村を訪ねる奴なんて、いるわけないだろーが。載っていなくて当然だ。近くの村の人間なら、何か知ってるかもしれない」


 楽天的な口調でディーンは言い切る。


「方角をもう一度きちんと調べておこうぜ。護り石、まだ生きてるか?」


 レイは、不遜ふそんな発言に眉を寄せた。


「生きている、とは何という言い草だ。一時的に霊力を授かったのだぞ」


 はいはい、とディーンが生返事をする。

 連れの粗暴さにあきらめ加減のレイは、彼を一睨みして、上着の下から青い貴石のついた首飾りを取り出した。

 ほのかに輝きを帯びて見えるその石は、外気に触れた瞬間、青白い光芒を放った。

 真っすぐにある一点を指して伸びるその光に、二人の少年は改めて驚きの眼差しを注いだ。

 慌ててディーンが、その方向を星の位置と照らし合わせ、地図に書き込む。

 しばらくすると、護り石は静かに光を収め、ただの石に戻った。

 だが以前ディーンが、光が閉じ込められているようだと評した青い宝石は、どこか不思議な輝きを放って、レイの胸元にぶら下がっていた。

 九曜が興味津々な顔で、護り石を見つめる。


「ね、ちょっと触ってもいい?」

「ああ」


 レイは止め具を外すと、鎖ごと九曜に手渡した。

 聖母の霊力を受けた神秘の石を妖魔の少年はこだわりもなく指でつまみ、焚火の明かりに透かしてみる。


「きれーい。ねえ、これ何ていう石?」

青金剛石(ブルー・ダイヤモンド)と聞いたが、人からもらったものなので、よくは分からないな」

「誰から?」


 ディーンが素早く口を挟んだ。


「シェス――腹違いの兄からだ」


 答えるレイの表情が、いつになくやわらぐ。


「彼の代わりに、私を災いから護ってくれるように、と……」

気障きざな野郎だぜ。よっぽど自分で護る自信がないんだな」

「会ったこともないのにそういう言い方はよしてくれ。大体兄は、剣は天位、法術に至っては金位の中でも一、二を争う実力者だぞ。護り石は法力を持たない私の身を案じてのことだ」

「あ、そ」


 ディーンは気のない返事をした。九曜がちら、とそれを見て、


「妬いてるの、ディーン?」

「誰がだっ!」


 怒鳴ってディーンは、傍らにあった焚火用の小枝を投げつけた。

 妖魔の少年は難なくそれを避けると、護り石をレイに返す。


「まあ、確かに霊力の強い石ではあるけどね」


 外見とは裏腹に強力な魔力を持つ少年の言葉に、レイは驚く。


「それは、この石がもともと霊力を備えているということか?」

「当然でしょ。護る、という性質とは少し違うようだけど……。ま、人間の考えることだから僕には分かんないな」


 レイは首に掛け直した護り石に指を触れ、改めて兄の心遣いを嬉しく思った。


「何にせよ、これが私のたった一つの宝物だ」


 微笑みとともに呟く。

 九曜が、ディーンの首に掛けられている、いくつか貴石のついた革紐の首環(ネックレス)を指差し、「ディーンのも、宝物?」と()いた。

 おもしろくなさそうに二人の会話を聞いていたディーンは、今までの戦闘や事故から残った数少ない装身具アクセサリーのひとつを指で引っぱる。


「宝ってほどのもんじゃねえよ。適当に自分で拾った石を磨いて作ったんだ」

「おまえには、大切にしているものはないのか?」


 珍しくレイも好奇心をみせる。


「大切なもの? そんなのあったっけなー」

「何かあるだろう。誰かからもらったものだとか」


 ディーンは顎に手を当てて考えていたが、そのうちごそごそと荷物を探り、一本の細長い棒のようなものを出してきた。


「――あった」

「何だ、それは?」

「見て分かんねぇのかよ。笛だよ、笛」

「ああ、横笛か」


 大人の指ほどの太さの円筒は、腕の半分程度の長さで、九つの小さな穴が一列に開けられている。松の木を削り、両端に雲紋を掘り込んだだけの材質の風合いそのままの素朴なものだ。


「右腕を怪我した時に能力者(ヴィサード)に助けられたって言っただろう? その人は吟遊詩人で、初めて会った時しばらく一緒に旅をしたんだ。こいつはその時もらったものさ」


 ディーンは懐かしむように、横笛を手で撫でた。

 砂鬼(オーグル)と妖魔の襲撃と砂嵐で荷物の大半を失った時も、真っ先に掘り出したものである。

 濃い紫の瞳が翳る。


「もう……随分吹いてないな」

「吹けるの?」


 九曜の疑問に、ディーンはにやりと笑った。


「バーカ。物心ついたときから怪我をする十三まで、俺は優秀な舞楽師だったんだぞ」


 芸能が盛んなカルディアロス王国では、絵師や楽師などの地位が高く、その育成にも力を注いでいた。

 外れとはいえ、首都ラサで生まれ育ったディーンが技芸をたしなんでいても不思議ではない。しかし、粗雑な彼は、優雅な舞踏や音楽などとは遠くかけ離れているように思える。

 疑わしげな二人の視線をものともせず、ディーンはおもむろに横笛を構えた。


「ヒュル――――――!」


 想像もしなかった力強い高音が、夜空を貫く。それは一瞬、耳を殴られたような、心地よい衝撃であった。

 聞いたこともない、だが不思議と懐かしい深い音色が、うち寄せる波のごとくゆったりとした旋律を奏でる。

 一節を吹き終え、ディーンは横笛を下ろした。目を丸くしている二人に、余裕に満ちた態度で笑う。


「――どうだ。ちゃんと吹けただろう?」


 夢から醒めたような顔で、レイは素直に驚きを口にした。


「驚いたな。おまえ、料理以外にも特技があったんだな」

「本当びっくり。曲、よく覚えてたね」


 褒めているのだかけなしているのだか分からない二人の感想に、ディーンの笑顔が苦笑に変わった。


「まあ、実は最近吹いてなかったから、あんまり自信はなかったんだけどな。右腕も元に戻ったことだし、いっちょ本格的に吹いてみるか」


 ディーンは、記憶を呼び覚ますように目を閉じ、指を組み、何度かうち振った。慣れた仕草で横笛を構える。そして、かつて妖魔のために不自由となり、今また妖魔によって自由と強大な力を手に入れた右手をそっと添えた。


「では……〝月下夜曲〟を」


 言い、ディーンは再び笛に息をこめる。

 異国の楽器が奏でるのびやかな旋律が、夜の砂漠に遠く澄んで響きわたる。

 砂漠に住まう虫や木や風や、星々までも声を潜めて聞き入っているかのような静寂の中、その音色は、聞いている二人の胸にも深く、沁み込んでいった。


   *


 ラ・カスパ村に到着した三人は、早速村人に原罪者の村の場所を尋ねて回った。

 だが、光明神教(ルクシオン)の浸透する村では、その名を口にするだけで村人は皆逃げ、話を聞くどころか会話すら成り立たない有様だった。

 神から見放された存在である原罪者は、信者たちにとって人間という概念になく、妖魔と並ぶ悪しき種族であった。


「まいったな」


 ジュラの大木に背をもたれ、レイはため息をついた。

 足元に座り込んだディーンから昼食用のパンを受け取るが、食欲は湧かない。

 もう一度ため息をつくレイを、見上げぬまま、ディーンが声をかける。


「食えよ。もたねえぞ」

「ああ」


 口ではそう答えたものの、手の中のパンは、レイのぼんやりとした視線を受けるだけだった。その視線の行く先が、残り少ない聖宝奪回の余日へと向けられていることは、明らかだった。

 ディーンは、ごそごそと懐をまさぐり、トゥーバの実を取り出した。


「とっておきだぞ」


 村の入り口で野生のトゥーバの木を見つけたときに取った残りだろう。好物を差し出す彼に、レイは少し微笑んで、隣に座った。

 パンと交換にトゥーバの実を取り、固い茶色の皮をむく。甘い芳香に誘われるように、レイは、果汁のしたたる白い果肉に小さく歯を立てた。

 黙々と質素な昼食をとる二人の前で、九曜が村の飼い犬と遊んでいる。

 金髪碧眼に容姿を変えた九曜は、表向きはレイと兄弟という名目だ。

 長命な妖魔の身ながら、白と黒のぶち犬をからかって跳び回る九曜は、人間の男の子にしか見えない。

 妖魔の少年を眺めたまま、レイは口を開いた。


「おまえ、よく九曜を一緒に連れて行くことを承知したな」

「おまえもだろ」


 ディーンが切り返す。レイはそうだな、と言って笑った。

 ディーンは、傘のように頭上で腕を広げる巨大なジュラの木を見上げ、呟くように言う。


「俺……気にしてないように見えるけど、あいつ結構不安なんだと思うんだ」

「……」

「記憶を無くした経験はないけど、自分が何者か分からないって不安は、よく分かる」


 レイは、テーベで両親のことを聞かれたとき、ディーンが自分のことをもらい子だと言っていたのを思い出した。

 ディーンは、不可思議な色の瞳を木漏れ日に細めると、頭布(シェシ)を引き下げる。何気なく、


「――俺、捨て子なんだよ」


 レイは黙って、またトゥーバの実をかじった。


「俺を拾ってくれた人たちも六つのときに死んで、それから妹と二人で生きてきた。捨て子だって知ったのはその後で、その頃にはもう、実の両親がどこの誰か知る人なんていなかったよ」

「この旅は、両親を探すためなのか?」


 レイの問いに、ディーンは低く笑ってうつむいた。


「まさか。どこかで便りでも聞ければいいけど、探そうなんて思っちゃいねえよ。だけど、どんな人かは知りたいと思うよ。それが分かれば――」


 紫の双眸が、深い光を湛える。


「俺の生きてる意味みたいなものも分かるような気がするんだ」


 レイには、彼の想いが痛いほど分かった。

 ずっとエファイオスの神殿で孤児として育てられてきたレイは、自分の生がどこか不安定で不確かなものだと感じていた。

 三年前に父の生存を知り、一度に父と兄弟ができたものの、その不安感はいまだ消え去ることはなかった。

 レイは、反発しながらも、ディーンを近しく感じていた理由に今さらながら気が付いた。


――似ているのだ。


 境遇は違っても、その胸の奥にしこりのようにある不安は、同じものだろう。

 それは、妖魔である九曜であっても、変わらないに違いない。

 おのれが何者か分からない不安と孤独――まったく異なって見える三者は、この一点で深く繋がっているのだ。

 その事実は、レイの胸に、より確かな絆となって浮かび上がった。

 やわらかな笑みがこぼれる。


「お互い……探しているものが見つかるといいな」


 様々な含みのこもる言葉に、ディーンも微笑んだ。


「ああ、そうだな」


 あたたかい眼差しを交わす二人の傍で、犬をからかっていた九曜が、ついに逆襲された。

 犬に編み上げ靴の紐をくわえられ、取り戻そうとして、盛大に転ぶ。前のめりに大地に挨拶した九曜は、座り込んで半べそをかいた。


「いったぁ~い」


 思わず失笑したディーンとレイは、


「馬鹿」

「おまえがあんまりからかうからだ」


 口々に言いつつ、救出に向かった。

 感応者シャマンのレイが、犬をなだめる。声を発しない語り掛けに、興奮していた犬は、みるみる落ち着きを取り戻し、レイの足元に座って尻尾を振った。

 その間に、ディーンが九曜の様子を見に行く。少年の前にしゃがんで、


「どれ。見せてみな」


 九曜が涙目で、擦りむいた右の手のひらを差し出す。


「ああ。こりゃ痛そうだ」


 そう言ってディーンは、傷口をぺろりと舐めた。

 九曜が小さな悲鳴をあげる。


「痛ぁい」

「傷口はきれいにしないと、悪い風が入るからな」

「舐めて治るの?」

「勿論。俺の唾は特効薬だ」


 ディーンは、腰から手拭を外し、歯を使って細く裂いた。傷から砂をきれいに拭い、裂いた布で手のひらをぐるぐると巻いて結ぶ。


「これでよし。あとは怪我ないか?」

「……うん」


 素直に、九曜は頷いた。ディーンは、少年の頭を指先で乱暴に撫でて笑った。


「ったく、世話やかせんなよ。馬鹿」


 九曜が立てるのを確かめ、荷物を取りに行くレイを追う。

 そのさほど背の高くない少年の背中を、九曜は黙って見送った。


――なんだろう……この感じ。


 自分に問いかける。

 いつか、どこかで見たことのある笑顔。

 妖魔の自分を蔑むことなく、対等な友人として共に苦楽を分かち合った人――。


「……っ!」


 激しい痛みが、こめかみを貫く。

 咄嗟に頭を抱えた九曜は、ふと、簡易の包帯を巻いた右手を見た。

 魔力を使えばこんな傷など、ものの数秒で治癒できる。

 だが――。

 なぜか、九曜はそうしようとは思わなかった。傷はしくしく痛むけれど、心はなぜかふんわり温かかった。

 銀髪の連れと談笑しながら、黒髪の少年は荷物を片付けている。


――この人についていこう。僕が探している何かを持っているのは、きっと……。


 ふいに、ディーンが手を振った。


「おい、何してんだ。早く来いよ!」


 九曜は、包帯を巻いた手をきゅっと握り、


「すぐ行くよ!」


 大声で返事をすると、自分を待つ二人の人間のもとへ走り出した。


   *


 その日の昼すぎ、三人はようやく一人の村人と会話をする機会を得た。

 きっかけは、その村人の娘が崖に落ちているところを助けたことである。

 娘のことを彼らに報せたのは、他でもない、九曜と遊んでいたあの斑犬ぶちいぬであった。


《ひとのひとのひとの、こどもいるの。いるの……いるのこども》

「子供? それはどこなのだ?」

《みどりのき。きのした、したしたしたあなあなあな。きのしたした》


 犬の思考は単純だが、表現に乏しい。感応者シャマンであるレイは、なんとかできるだけの情報を聞き出そうと質問を繰り返した。


「どうして子供がそんなところに?」

《おちたおちたおちた……こどもおちたあなあな。すべった》

「無事でいるのか?」

《しらしら、しらない。しらないしらない》

「そうか。ありがとう」


 後は、九曜の出番である。鋭敏な五感で少女の居場所を嗅ぎわけ、魔力を持って場所を突き止めるのに、それほど時間はかからなかった。

 今しも朽ちようとするパムの老木が、浅く大地を掴みしめてできた窪地に、少女はいた。

 ところでディーンは、といえば、もっぱらその娘のなぐさめ役である。


「成人未満は俺の管轄外だ」


 などと言いつつ、産まれたときから妹の面倒をみてきたという彼は、五つくらいの少女の機嫌を上手に取る。

 どうやら、好奇心旺盛な年頃の少女は、歩き回っているうちに足を滑らせて、窪みへ落ちてしまったらしい。幸い怪我もなく、無事なようだ。

 集落へ向かったディーンたちは、ほどなく、姿の見えなくなった娘を探す親に出会った。


 我が子を助けてくれて、恩を感じない親はいない。

 まだ若い、二十代半ばのアバドという名の父親が事情を知り、ディーンたちの質問に答えてくれた。

 自治州でもなく、旅人も多くないこの辺りでは、統一言語(アリンガム)よりも古サヴァ国に起源を由来する南方公語(メリディアン)が主流である。また、同じアルビオン人でも部族によって言語が異なるため、会話は難航した。

 それでも、九曜が魔力を使って、アバドの言わんとするところを二人にこっそり教えてくれたため、何とか理解することができる。

 テーベのような大都市ならまだしも、このような田舎では能力者(ヴィサード)などはまだ異端視する傾向が強い。ましてや、九曜は妖魔。それが知れると、せっかく重い口を開いてくれたアバドも、他の村人と同じく貝になってしまうだろう。

 話が洩れまいとする配慮か、何者からか隠れるように重い板戸を閉めきった室内で、会話は行なわれた。

 ディーンが、知っている南方公語(メリディアン)をつなげながら質問する。


『原罪者の村を知っているか?』

『エデンね。知っている』


 アバドは、声をひそめて言った。


『奴らの眼は見たものの全部を視る。産まれて死ぬまでみんな分かるね……恐いよ』


 それを九曜から聞いて、レイはディーンに囁く。


「やはりそうだ。すべてを見抜く眼――。間違いない」


 ディーンは頷いて、


『その村は、この近くか?』

『いいや。六百公里(ミール)はあるよ』

「六百公里(ミール)!」


 統一言語(アリンガム)で復唱されたディーンの言葉に、レイも驚いた。


「駱駝で十日はかかるね。遠いし危険よ」


 ディーンが出した地図で場所を示して、アバドは、やめた方がいいというように首を振る。

 親切なアルビオン人に礼を言い、三人は彼の家を後にした。


「あと五日か――」


 先程まで見せていた明るさとはうってかわり、レイは、沈んだ様子で呟いた。

 もう少しで魔術師の居所を突き止められるというところだ。落ち込むのも無理はない。

 一人九曜は、魔力を使って小さな吹雪を作って涼みつつ、他人事のような顔をしている。

 それを苦い顔で見たディーンが、突然、妖魔の少年を後ろから羽交い絞めにした。生暖かい人の熱に、暑いのが苦手な九曜が、手足をばたつかせて暴れる。

 だが、ふざける二人を見ても、いつものようにレイは笑わなかった。


「……なあ。こうなったら、駱駝で思いっきり飛ばすっきゃねぇよ。尻が擦り切れる前には、エデンに着けるぜ、きっと」


 ディーンの軽口にようやくレイは微笑んだが、それもすぐに消える。


「エデンが魔術師の居所なわけではない。そこからまた移動しなければならないだろう」


 そうなれば、絶対に時間は足りない。

 無言の台詞は、ディーンにも重くのしかかった。

 再び暑さから逃げた九曜が、暗い面持ちの二人を眺め、感心したように言った。


「人間は大変だねー。足で歩くんだもん。僕らだとそんな効率の悪い作業できないもんな」


 その言葉に、ディーンとレイは、同時に九曜を振り向いた。


「待てよ。おまえなら、どれくらいで着けるんだ?」

「六百公里(ミール)なら一日だよ」


 思わずディーンが、九曜の襟首を掴む。


「てめえ、今まで隠してやがったな」

「そんな恐い顔しないでよ。人間のふりしてろって言ったのは、そっちでしょ」


 妖魔の少年は、あくまでも悪怯れない。


「送って欲しい?」

「――できるのか?」


 レイが尋ねる。九曜は、少年の姿のまま、非人間的な笑顔を浮かべた。


「誰にそれを聞いてるの? 僕に勝てる妖魔はいないって言ったでしょ」

「相手が魔王でもか?」


 その問いに、九曜は不敵な表情で応え、一気に魔力を高めた。

 青白い燐光が身体を包む。

 色を変えていた両眼が虹色の光を灯し、髪は本来の深く青い、氷の白へと戻る。

 瞬間、光の柱と化した九曜が縦横へ伸び、気がつくとそこには、一頭の幻想的な獅子が立っていた。


《僕の背中に乗って。この辺りには結界が張られていて、空間移動(トランスフェーズ)ができないんだ。多分、例の魔術師のせいだと思うけどね》


 二人の頭に、九曜の声が飛び込んでくる。

 違和感に戸惑うレイとディーンを、獅子形の妖魔がきたてた。


《ほら、早く。急ぐんでしょ?》

「あ……ああ」


 二人は、腹這いとなった獅子の背中によじ登った。

 馬の二倍はあろうかという広い背中は、長い毛に覆われて柔らかく、力強い。

 二人は、各々荷物を左右に振り分け、獅子の頭頂から背の中程へ続くゆたかなたてがみに、くくり付けて固定した。


《飛ばすから、しっかり掴まってよ》


 二人の人間がまたがったのを確認し、九曜が立ち上がる。

 その高さは、さながら小さな二階屋から見る景色であった。

 ばさ、と重い羽音がして、レイとディーンの足元から、羽毛に包まれた一対の翼が生える。

 振り落とされないように二人が鬣を握った瞬間、翼をはばたかせ、獅子は猛烈な勢いで走り出した。

 尋常ならざるその光景に、見送りに出てきたアバドが、目を剥いた。

 同じく目撃した村の女が、野菜籠を放り投げて逃げ出し、別の一人は地面に平伏して神に祈る。

 白い獅子は、土煙をあげて大地を加速すると、一気に太陽に向かって駆け昇った。

 アバドは、天空高く消えていく異邦の旅人たちを、茫然と見上げた。


「彼らは、神の使いか――?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ