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その時。
一条の光芒が、塔の先端から天へと立ち昇った。
視覚ではなく心で感じる光は、次第に強烈な輝きを帯びる。黄金の煌きを放ちながら、それは流星のごとく弧を描き、まっすぐに南に向かった。
光の架け橋は、目的地に達した瞬間、出発地側から見る見る消えていく。
無限とも呼べる白い砂のうねりの中に一人の人物を残し、光は、人々の知らぬ間になくなった。
光の放たれたそこ――帝都は、まだなお深い暁の眠りに沈んでいる。
それは、聖宝盗難から二十三日目の出来事であった。
*
白い砂の山が、寄せては返す波のごとく果てなくつらなり、漆黒の夜空まで続く。
その景色をぼんやりと眺めながら、レイ・セジェウィクは、焚火に小枝を投げ入れた。
テーベを出立してから、すでに十日余りが過ぎようとしている。
未知の生き物が現われたと聞いて訪れた村々には、いずれも妖魔の姿はなく、徒労に終わった。もう、聖宝を取り戻す期限が迫っている。
だが依然として、聖宝を盗んだ魔術師の居所は不明のままだった。
不安と苛立ちがつのる。
聖宝奪回の協力者である東国の少年と人間の姿をした妖魔は、傍らの天幕からはみ出、折り重なって熟睡していた。
見張り番であるレイは、苛立ちをぶつけるように、小枝で乱暴に焚火をつついた。
ばち…と木が爆ぜ、炎が揺れる。静かな砂漠に、それは思いもよらぬ大きさで響き、消えた。
静寂を壊すのを恐れるように、風さえも音を立てずに去っていく。
ふと。
星空の一画が輝きを増し、きらきらと黄金の欠片となって舞い落ちた、と思うと。
目も眩むような光の渦が、辺りを包み込んだ。
レイは思わず腰を浮かせ、強烈な輝きに顔を覆った。
――これは……!
それが肉眼に届くものではないと気付いたレイは、立ち上がり、魅せられたように光を見つめる。
真昼のような、というより太陽にいるごとくの光の中で、レイは黄金の微粒子が一人の人物を形作るのを見た。
「あ……」
声を上げ、慌ててひざまずく。
光の欠片を纏って漂うその人は、美しい面立ちにふさわしい笑みを浮かべた。
《――レイファシェール……》
やわらかな女の声音が、レイの名を呼ぶ。
レイは顔を上げ、滅多に対面の叶わぬその人を仰いだ。
「お久しぶりにございます、聖母」
ほのかな光を帯びる白磁の肌。黄金の睫毛に煙る紫水晶の双眸。
白い額は星を宿したようにまばゆい光を放ち、丈なす黄金の髪が渦を巻いて、その体を包み込んで浮遊する。
法力でその姿だけを飛ばす聖母は、優雅に首肯した。
《変わりなきようで何よりです》
「もったいないお言葉でございます」
《剣を失ってしまったのですね――》
破邪の祝福を受けた剣をテーベでの戦いで砕かれたレイは、代わりに購入した中剣を腰に帯びていた。
「面目次第もございません。私の未熟さから、妖魔に剣を折られてしまいました」
《あの妖魔ならば、致し方もないことでしょう。彼が味方についてくれて、幸運でした》
その言葉に驚いて、レイは光る女性を見上げる。
「御存知でいらっしゃるのですか……?」
世界を抱くと称される法力の持ち主である聖母は、黙って口元に笑みを含ませると、おのれの胸の前に両手を差し伸べた。
すると、彼女を取り巻いていた光の粒子が、急速に掌の中に集まりはじめた。否が応でも輝きを増す光は、水平に細く長く伸びてゆき、明確な形へと変貌を遂げる。
しんと冴える細い両刃。光はさらに凝って、うずくまる一羽の鳥にも似た、優美な護拳と一体となった柄と優美な鞘をその身に纏わせた。
まるで光の結晶で創られたかのようなそれが何であるか、一度も目にしたことのないレイにすら、明らかだった。
「これは……神剣〝輝破矢〟――!!」
一切の魔を断つ神剣は、統一世界創世の時代、神が聖母を助けるために賜ったとされる伝説の剱であった。
《これを貴方に委ねましょう》
ふわり、と光が揺れ動いて、レイの両手に白く輝く神剣が降りてくる。
熱い。
剣は、燃えさかる太陽を掴んだごとく体の芯がしびれるほど熱く、ずっしりと重かった。
それは、剣だけでなく、世界そのものを受け取った重みであった。
《貴方ならば、その剣と共に戦うことができるはず――》
「……はい」
《これから貴方がたは、大変な困難に立ち向かわなければなりません。それは、命を死の淵に晒すほどの危険を招くこともあるでしょう》
光に形作られた女性は、漂いながら静かに言葉を紡ぐ。
《万が一そのような事態に陥ったときは、玉兎石の封印を解くのです。その術を貴方に授けましょう》
言葉が終わるや、聖母の全身から光が黄金の波となって立ち昇った。
同時にレイの中に、言語にならない何かが、煌めいて降り積もる。
やがて、光の粒子は再び人の形に戻り、レイの前で浮遊した。しかしその姿は、さらに光の割合を強め、一層現実から遊離して見えた。
《――もはや時間がありません。聖宝を盗んだ魔術師の手がかりは、この先にあります》
聖母は、右手を南の方角へ差し伸べた。実体のない指先から光芒が走り出、一点を差す。
思わず立ち上がったレイの胸元から、呼応するように、青い輝きが重なって伸びた。
「これは――!」
《これより先は、私ももう見守ることはできません。レイファシェール、貴方がたの力のみが頼りです。その護り石が導いてくれるでしょう》
紫の瞳が、人知を超えた輝きを宿して見つめる。
《原罪者の村に行きなさい。そこで、すべてを見抜く眼に出会えるでしょう。その者こそが、真実の鍵を握っています》
ふ…と黄金の光が揺らぐ。
法力の尽きてきた聖母は、苦しげに、だが微笑んで言葉を紡いだ。
《おのれを信じなさい。心が向かうほうへ疑いなく突き進むのです。そこにこそ道は開けるでしょう……――》
次の瞬間、光は急速にその輝きを失いはじめた。
聖母の姿が徐々に遠退き、淡く薄くなっていく。
一片の微笑みを残し、聖母は光の粒子に戻った。光は訪れた時と同様に、急激に膨張し、そして消えた。
砂漠に残されたのは、神剣を手にしたレイの姿だけであった。
レイは、淡い光を帯びる護り石を服の下から取り出した。
途端、青い光が夜空の一点を指し示し、ゆっくりとかき消えた。
レイはまだ現実に立ち戻ることのできぬ面持ちで佇んでいたが、息をつくと、護り石を襯衣の下に納めた。
天幕で眠る二人の連れを振り返り、静かに声をかける。
「――寝たふりはやめたらどうだ、九曜」
その呼びかけに、白い巻き毛の少年の眼が、ぱっちりと開いた。
「なーんだ。バレてたの」
「人の話を盗み聞くとは、行儀の悪い」
再び焚火の傍に腰を下ろしたレイは、怒るでもなく言う。
九曜は、あきらかに熟睡していたとは思えぬ身軽さで起き上がると、レイの前に座った。面倒だから、と人間の色彩を纏うのをやめた妖魔の少年は、悪怯れる様子もない。
「だって、あんな強烈な能力、眠ってたって起きるよ」
虹色の虹彩を持つ青い瞳が、きらりと輝いた。
「それにしても、大変なことになってるみたいだね――いろいろと」
妖魔の少年の当てこすりに、レイは苦笑するよりなかった。
「ディーンはどこまで知ってるの?」
「帝都から委託され、一月の期限で宝を探しているという程度だ」
「まあ、知ったところで普通の人間がどこまでその重要さに気付くかはさておき、余計な重圧は加えないほうがいいもんね」
聖母とのあの短い対話で、正確に事態を把握した妖魔は、天を仰いで嘆息した。
「やれやれ。魔の鎖につながれている間に世界が滅亡寸前になっているなんて、想像もしなかったよ。ま、つながれたまま滅亡を迎えるよりはいいけど」
妙に明るい妖魔の発言に、レイは銀色の眉をひそめた。髪よりも色の濃いそれは、角度によっては灰色にも見える。
「滅亡、などと軽く言わないでくれ。まるで聖宝奪回が失敗するみたいではないか」
「失敗はしないと思うよ。間に合うかどうかはともかく、僕もいるし、その剣だってあるし」
レイが意外な顔になった。
「おまえ、私に協力する気なのか? 光明神の賜り物である聖宝は、妖魔にとってあまり好ましいものではないのだろう?」
「好ましくないどころか、仇敵だよ。だけど、馬鹿な人間のために世界が滅びるのを見るのは忍びないし。それに僕はディーンについてきてるわけだから、協力しないわけないでしょう」
「同じ妖魔と戦うことになってもか?」
「それを言うならレイも同じでしょ? 人間同士戦うわけだから。血縁や主従の繋がりは人間よりも濃いけど、考え方の対立は妖魔にもある。まあ――」
九曜は、幼い顔立ちに不敵な笑みを浮かべた。
「僕に勝てる妖魔はいないだろうけどね」
「だが……魔王が復活すれば、勝つ見込みは薄いだろう」
暗い表情で言ったレイを、怪訝そうに九曜が見やる。
「魔王が復活って……まさか、それが狙いじゃ……?」
「ああ。そのようだ」
沈鬱なレイの答えに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした九曜は、一瞬黙り、弾けるように笑い出した。
驚いたレイは、それでも冷静に少年をたしなめる。
「九曜、静かに。ディーンが起きる」
九曜は両手で口をふさぎつつも、肩を震わせて、なおも笑った。
「――すごい。文句なしにすごい。聖宝で魔王を復活させようなんて、誰も思いつかなかったよ。これだから、人間はおもしろい」
握り拳を作って笑いに耐える。
「すごいなー。絶対に間違いなく魔王は甦るだろうけど……面白い。おもしろすぎる」
「何がだ?」
不審そうに首を傾げるレイに、九曜はまだ笑いの余韻を残しながら、
「そのうち分かるよ。もうじき六百年目。聖戦が行なわれるからね」
「聖戦……?」
「そ。まあ今回は心配いらないよ、大丈夫。問題はむしろ、そんなとんでもないことを考える魔術師の方だね」
九曜は、記憶を失っていることが嘘のように自信に満ちた態度で、断言した。
「ところで、レイ。素性は明かしてないの?」
ちらり、と背後の天幕で安眠を貪る、黒髪の少年を盗み見る。
レイは、重い息をひとつ吐いて、憂鬱そうに言った。
「一応、親が帝都人だということは言ってあるが……」
九曜の大きな眼がさらに丸くなる。
「本当に何も言ってないの?」
「ああ」
「へえ。じゃあ、あれは本気だったんだ。僕、冗談かと思ってた」
レイの表情が、一段と不機嫌に曇った。
「最初に倒れていた私を助けて、もう二十日以上も共に旅をしているのだぞ。確かに、隠さなければならない身ではあるが、いい加減そろそろ気付いてもよさそうなものを……」
「表彰すべき鈍感ぶりだね。そう思うんなら、打ち明けちゃえば? ディーンのことだから、全然気にしないと思うけど」
あっさりと言う九曜に、レイはうつむく。
「だが、今さら言うのも変ではないか……」
言いよどみ、蒼い双眸を伏せた。
「私が……女だなんて――」
*
巨岩から削り出されたごとく、荒々しき異形の城――鬼巖城。その城の一画で、二人の男が話をしていた。
一人は真っすぐの金髪を胸先で揃え、襟の詰まった服に、外套を長く裾引く。
いま一人は、頭から足の先まで黒一色の衣服に身を固めていた。
彼らを追う少年たちの動向を見張っていた黒衣の男の話に、金髪の男は、わずかに眉根を寄せる。
「何? それは確かか、陵」
「ああ。テーベを出てから今まで見てきたが、奴らが別れる気配はない。おそらく何らかの取引があったのだろうが……。いずれにせよ奴が味方するとなれば、我々とて勝つのは難しい」
金髪の男の眼に、苛立ちの色が漂う。
「馬鹿な……妖魔を味方につけただと……?」
言い差した時。
突然、ムーア大陸を覆う魔力の網がさざめいた。
蜘蛛の巣さながら、極細の魔力で紡がれた結界の網の目を擦り抜けて、何者かの意識が侵入したのだ。
魔力の糸ひとつ断ち切らず訪れることのできる能力の持ち主は、統一世界広しといえど、たった一人しかいない。
金髪の男の唇が、苦々しげにその名を紡いだ。
「――聖母め……」
聖宝を得て魔力の拡大した男は、聖母が追っ手の少年らに何らかの手助けをしたことを視てとる。だが、空間移動力のできぬ彼は、直接攻撃をする術を欠いていた。
わずかな後に、聖母は訪れた時と同様、すみやかに立ち去った。
男は、すぐさま陵に命じる。
「行け! 行って今すぐ、奴らの息の根を止めてくるのだ」
「急くな、ユダ。今行ったところで勝ち目があるとは思えん。聖母が奴らにどのような手助けをしたのか分からんのだぞ」
ユダと呼ばれた男の口元が、ふてぶてしく歪んだ。
「ならばこそ、今ここで潰しておくのだ。これ以上聖母に介入されぬうちにな。それとも、陵――奴らに情でも移ったのか?」
男の皮肉に、影に沈んだ陵の両眼が鈍く光る。
「テーベでは奴らと顔を合わせたようだな。殺す機会はいくらでもあったものを、なぜ見逃した?」
「結界で魔力を封じられ、そのうえわたしは傷を負っていた。その場で殺さずとも、力が回復してから殺すほうがよいと判断したからだ」
男は疑いの色を消さぬまま、
「ふ……。まあ、そういうことにしておこう。おまえは大事な仲間だからな。だが、覚えておくがいい」
褐色の頬に切れるような笑みを浮かべた。
「魔王を復活させたくば、二度とあのような真似はするな。――行け」
無言のまま、陵は一歩退がった。漆黒の風が渦を巻く。
冷ややかな一瞥を残し、黒衣の魔獣使いは虚空に消えた。




