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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第3話 テーベ――星の誓い
22/33

3-8



 魔術師マリウスに捕えられる以前の過去を覚えていないと言った妖魔は、岩に腰かけて、二人の質問に少しずつ答えた。


「では、名前も知らないのか?」

《うん。分身たちのことは何となく知ってるけど、自分のことは――。自分が何者なのかも分からないんだ》


 レイの問いに、虹色の瞳を曇らせて、少年は答える。

 さすがにディーンも、あぐねきった様子で頭をかいた。


「まいったな……。じゃあ、俺はずっとこのままかよ」

「力を制御できるような方法はないのか?」

《ううん》


 妖魔の少年は、首を横に振った。


《だけど、いい考えがあるよ》

「考え?」


 ディーンを見上げ、妖魔の少年は、にっこり笑う。


《僕を一緒に連れて行ってよ》

「旅へ、か……?」

《だって、一緒にいるうちに記憶が戻るかもしれないでしょう? それに、僕もなるべく分身の傍にいたほうが便利だし……》


 ディーンは困惑して、レイを見た。

 レイは肩をすくめ、気軽な口ぶりで言った。


「連れて行ってやってはどうだ。一人旅では寂しかろう」


 その言葉に、紫の双眸が鋭さを帯びる。


「――おまえは、どうなんだよ?」


 そこに含まれる意味に気付いて、レイは黙って視線をそらした。

 その前へ、ディーンは懐から、一通の手紙を取り出す。

 まだ封蝋の押されていないそれが何であるかを知り、レイは声を上げた。


「なぜ、それを――」


 言いかけるレイを遮るように、ディーンは、手紙の中の剣士の指輪を投げ返す。

 それからおもむろに、多額の礼金の授受についてしたためられた手紙を引き裂いた。

 ばっと白い紙屑が、夜空に舞う。


「こんなものは、必要ない」


 一片(いっぺん)の笑みも浮かべずに、ディーンは低く断じた。

 レイは、手の中の指輪を握りしめた。


「――相手は魔術師と妖魔、それに魔獣使いだぞ」

「分かってる」

「もしかしたら、魔王が復活するやもしれん。そうなれば……生きて帰る保障はできんぞ」

「最初から、死んで帰るなんて言って行くやつがあるかよ」


 ディーンが、鼻で笑って言い返す。


「辛い旅だ。それでも、おまえは私と共に来てくれるか?」


 ディーンは、無言で砂地に片膝をついた。事情を知らない妖魔の少年も、その真摯な眼差しに、固唾を呑んで成り行きを見守っている。

 ディーンは剣帯から大刀を鞘ごと外すと、その柄をレイに差し出した。


「――俺は剣士じゃない。だが、それにふさわしい働きができるだろう。必ず、おまえを護ると約束する」


 深い紫の瞳が、静かな、それでいて強い光を湛える。


「受け取ってくれ。生涯で初めて捧げる俺の剣を――」


 わずかに日に焼けた白い、細い手が、黒い菱巻きの柄を掴んだ。

 レイは大刀を抜き払うと、ひざまずくディーンの肩を左右、刀身でゆっくりと打ち据える。おごそかに宣言をおこなう。


「セレスディーン・グラティアス。ここに今、おまえを我が家臣と認めよう。――立て」


 レイは大刀をディーンに向け返した。吹っ切れたように大きく微笑んで、


「これから先、よろしく頼む」

「こっちこそな」


 大刀を納め、ディーンも笑顔で受けた。

 確かな眼差しを交わす二人の間に、ぴょん、と妖魔の少年が飛び込む。


《僕も忘れないでよ》


 ディーンは破顔して、白い巻き毛を撫でた。


「おう、もちろんだ。おまえは俺の家来にしてやる」

《家来ぃ?》


 妖魔は嫌そうに、かわいい顔をしかめた。

 ディーンはふわふわと散る巻き毛を、ちょいと摘まんで、


「そういえば、おまえには名前がないんだったな」

《うん》

「じゃあ、俺がつけてやろう」


 ディーンは腕組みをしてしばし考え、にやりと笑った。


「〝九曜〟ってのはどうだ?」

《くよう?》

「それは、そういう意味があるのだ?」


 レイの問いに、ディーンは人差し指を天へ掲げた。つられて、二人も空を仰ぐ。

 無限の暗さを秘めた夜空に輝く、幾億の天の燈明。


「これさ。天を司る――星だよ」


 そう告げるディーンの声が、夜の砂漠の静寂に響く。

 それは、見上げる星の彼方まで届き、そうして宇宙に吸い込まれた。


   *


 翌日、荷物をまとめたディーンとレイは、シッダ家を後にした。

 昨夜、まさか自分たちが生け贄として差し出したレイまでもが無事に戻ってくるとは想像していなかったラナンたちは、市長と魔術師の企てによるこの一件の真相を知り、怒るやら安心するやら喜ぶやらで、大変な騒ぎとなった。

 ディーンとレイは、今度こそ本当に客として、またテーベを救った立役者として一家に手厚くもてなされる。細を尽くした彼らのもてなしは、二人が恐縮するほどだった。

 その礼として二人は、異国の話を披露することとなった。ディーンとお話の約束をしていたルネは、特に眼を輝かせてその内容に聞き入ったものである。


 旅の先を急ぐ二人が、滞在を望むラナンたちを説き伏せて出立したのは、昼を回っていた。市の外れまで見送るという彼らの強い申し出を断るのに、手間取ったためである。

 サン・マルシェ広場へ向かう道すがら、レイが尋ねる。


「ディーン、おまえ本当に残らなくていいのか?」

「当たり前だろう。今さら何言ってんだよ」

「いや。テーベに未練があるのではないかと思ってな」


 意地の悪いレイの言い方に、ディーンの顔が赤くなる。


「ば……馬鹿言ってんじゃねぇ」


 別れを惜しみ、すがりついたフィオナの涙の跡が、ディーンの外套にまだ滲んでいた。ディーンは照れ隠しか、ぶっきらぼうに言い返す。


「女なんざ、うざったくて構ってられるかよ」


 レイは外套の襟を寄せ、笑いを隠した。


「まあ……そういうことにしておこう」

「何だよ、気持ち悪ぃな。はっきり言いやがれ」


 ディーンがつっかかる。

 ぶつぶつと口論しながら、二人は城の前にある広場へとやってきた。


 天鵞城は、完全とはいかないまでも傾いて崩れ、かつての面影を失っている。

 あれから、逃げ出したゴダル市長も、城の裏門から出ようとしたところを衛兵に見咎みとがめられて捕まっていた。夜のこととはいえ、大勢の子供たちが突然広場に現われたことや、城の崩壊は、もはや結界のなくなった街で市民に隠しおおせられるわけもなく、魔術師の一件は白日はくじつの下に晒された。

 しかしその頃にはもう、レイとディーンはシッダ家に帰り着いて、安眠をむさぼっており、詳しい経過をその眼に確かめてはいない。人々の会話の端々から、様子を垣間聞くのみである。


 捧げ物は、市長がほとんどを使い込んでいたものの、残りは各人に返される手筈てはずとなった。

 地下にいた生け贄の子供たちは、事情を知らずに売る手配を任された役人の一人が、可哀相に思ってかくまっていたもので、全員無事に親元へ戻ることとなったようだ。


 思いもよらぬ大団円の中で、唯一不幸だったのは、市長の娘イサベラである。

 テーベ掌握の足がかりとして魔術師に眼をつけられた彼女は、すべてを承知して彼の妻となっていたという。父同様贅沢三昧を極めていたが、すぐに魔術師に飽きられ、孤独の中で酒と痲薬に心身を蝕まれて、真相が発覚したときはすでに廃人同様となっていた。

 だが事件の共犯として裁かれるよりも、一生を病院の中で過ごすほうが、彼女にとっては重い贖罪となるのかもしれない。

 帝都やアルビオン本国からの援助もあり、市議会を中心に、テーベはまた新たな歴史を記すことになりそうだ。


 崩れた城の代わりに平穏の訪れたテーベは、明るい活気と喧騒に溢れていた。

 広場の噴水の前に立つ少年が、二人を見て、大きく手を振る。小走りに駆け寄り、


「よかった。約束忘れてなかったんだね」

「忘れはせん。それにしてもよく化けたな、九曜」


 レイは感心して、少年をつくづくと眺めた。

 妖魔の九曜は、白い肌に茶色の髪と瞳。袖なしの紺の胴着に臙脂の腰帯(サッシュ)を締め、灰色の洋袴(ズボン)に編み上げ靴を履く。頭には青い頭布(シェーシ)まで巻いて、しっかり旅の少年の格好になっていた。


「似合う?」

「ああ、ぴったりだ」


 レイの褒め言葉に、九曜はうれしそうに笑った。

 名付け親のディーンが、心配顔で念を入れる。


「ちゃんと、やった金で全部買えたか?」


 見た目は十才足らずだが、精神年令は大人並みの妖魔の少年は、しかし人間社会の常識にはてんで疎い。

 ディーンは昨夜、九曜とここで待ち合わせることを約束して旅の支度金を渡し、その内容をとくとくと話して聞かせてから別れたのだった。

 九曜は、三枚の白銅貨を懐中から出して、


「これだけ残った」

「おまえにやるよ。小遣いだ」


 ディーンに言われ、九曜は不思議そうに、手の中の小遣いなるものを見やる。どうしたものか眺め、一枚に歯を立てた。

 レイが慌てて止める。


「九曜。噴水の中に投げて、願い事をしてはどうだ?」


 その勧めにディーンは妙な顔になったが、九曜はレイに教わりながら、慎重に水の中に硬貨を投げ入れ、手を合わせた。


「何をお願いしたんだ?」

「内緒」


 噴水の端に立って、九曜がにっこり笑う。その顔に、ディーンはどこか見覚えのある気がした。


「おまえ……前に城門のところに出てきたよな?」

「うん。無意識だけど、なんとなく覚えてるよ」

「――何の話だ?」


〝幽霊〟のことを知らなかったレイは、ディーンから一昨昨日の夜の出来事を聞き、呆れ顔になる。


「まったくおまえは、妙なものばかりに出会って……」

「言われると思ったぜ。だから教えたくなかったんだよな」


 ディーンが不機嫌そうに口を尖らせる。


「だけど、なんで俺にだけ見えたんだ? こいつなんて、いくら起こしても起きなかったぜ」

「僕にもわかんない。僕の声を聞いてくれたのはディーンが初めてっていうのは確かだけど」

「波長が人間離れしているのだろう」


 冷たくレイが言った。

 あはは、と無責任に九曜が笑う。

 ディーンはむくれたが、ふ、と思いついたように九曜に尋ねる。


「なあ……おまえ、昨日の朝もここで俺と会わなかったか?」

「ううん。だって、他人の結界内では魔力は無効化するもん。あの夜のは、結界の外にいたから見えたんだよ」


 確かに、妖魔すなわち九曜ではなく、魔術師マリウスによって街には結界が張られていた。助けを求める九曜の姿が見えたのは、城門の外。つまり結界外である。

 結界の中にあるこの広場で、九曜の魔力が形を成すことはほとんど不可能といってよかった。

 考え込んだディーンは、倒れた城を背にして立つ、守護聖人の少年像へ眼を向けた。


――あ……。


 巻き毛に覆われた、意志の強い幼い顔立ち。

 力強く彼方を指差すその手には、銀と黄銅の二枚の硬貨が光っている。


「まさか――」


 はっとしたディーンは、明るい陽光を受けて立つ聖者の少年が、やさしく微笑んだように見えた。


《ありがとう……》


 さわやかなあの少年の声が、海風に乗って、かすかに彼の耳に響く。


「ディーン、どうかしたのか?」


 黙りこくる彼に、レイが声をかける。


「……いや。何でもないよ」


 わずかに首を振り、ディーンは、年下の剣の主人と新たにできた仲間を振り返った。

 荷物を背負い直し、笑ってうながす。


「行こう」

 

 一年ぶりの平和を満喫する街は、あたたかく賑やかで、どこかやさしかった。

 真昼の太陽に輝きを増して見えるそれらをまぶしげに眺め、ディーンは、頭布(シェーシ)の上から頭巾を被った。


「そういえば、レイファス――」


 ディーンは、ほとんど体格の変わらぬ銀髪の連れを返り見ると、


「おまえ、男女どっちだ?」


 一昨日からの疑問を尋ねた。

 濃紺の頭布(シェーシ)のレイは、外套に手をかけたまま、しばし黙る。


「さて――どちらだろうな」


 鮮やかな微笑を投げた。

 男とも女ともつかぬ、ただ美しい笑顔に、ディーンは一瞬目を奪われる。

 レイは頭巾を被ると、茫然とする少年の脇をすたすたと通り抜けた。

 九曜がきょとんとして、二人を見比べた。困ったように、少年の洋袴(ズボン)を引っ張る。


「ディーン、置いてかれちゃうよ?」


 ディーンはがっくりとうなだれると、長い、長いため息を吐いた。

 がりがり、と頭をかき、


「……ま、いっか」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 先を行くレイが振り返った。


「二人とも何をしている? 早く来い」

「はぁい」


 元気に返事をして、九曜が駆け出す。

 ディーンはもう一度息をつくと、少し微笑んで二人の仲間を追いかけた。

 和やかに会話する三人の姿が、見る間に人の波に呑まれていく。

 聖イドリースが見守るテーベの街を後にし、三人は、新たな一歩となる砂漠の旅へと足を踏み出したのだった。


   *


「陵め……」


 亜空間を裂いて創られた窓から、遠く離れた市街の様子をうち眺め、玉座の男は鋭い舌打ちを洩らした。


「奴らを片付ける機会をみすみす逃したな。やはり、外れ者では役に立たぬか――」


 男の言葉に反応するように、亜空間の窓がゆら、と揺らぐ。そして、悲鳴に似た音を立てたかと思うと、弾け飛んだ。

 能力(ヴィス)が光片となって舞い落ちる中、男は苛立ちもせず、嫣然えんぜんと微笑んで背後を振り返る。


「まだ逆らうか……おまえは」


 宙を漂いながらそれは、男を威圧するように輝きを増した。すると、どこからか現われた黒い霧が、蛇のように忍び寄り、その光に絡みついた。

 音声にならぬ叫びが、男の頭に響き渡る。

 その強烈な叫びすら、男は嘲笑った。


「無駄だと言っているだろう。おまえはもう、私から逃れられぬ」


 囁いて、男はそれに手を伸ばす。

 瞬間、男は罵声ばせいを発して、手を引き戻した。

 男に対する最後の抵抗か、()()の輝きが、彼の手のひらを激しくいたのだ。


「貴様……」


 男は、糜爛びらんした右手を掴み、神の意志を宿す()()を睨めつけた。

 まるで天が流した涙のように、()()は穢れなく、清らかだった。


――この美しさを我が物にするには、力ずくでしかない。


「最後の封印など解くまでもない。今ここで、おまえを私のものにしてみせる……!」


 男は立ち上がると、突然()()を両手に掴み取った。

 神の輝きが、男の手を灼く。


「ぬおおおぉ……」


 男は、それでも両手を離さなかった。

 手のひらから受ける苦痛とは別に、聖なる意志が彼の精神をむしばんでいく。

 目に見えぬ聖と邪の能力が拮抗し、空間がぎりぎりときしんだ。

 無言の戦い。そして――神は、残酷な運命を選択した。

 力尽きたように、光が、鮮烈なひとひらを残して消える。

 男の口唇に笑みが宿った。

 だがそれは、決して美しいものではなかった。

 魂の奥底までけがれつくすような、暗く澱んだ微笑。

 それは、変わり果てた神の聖宝と同じ、深い、狂気の闇をはらんでいた。






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