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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第3話 テーベ――星の誓い
20/33

3-6



 魔力には魔力を、という発想からか、レイが魔術師に捕えられていると知ったディーンは、市長から聞き出したマリウスの部屋からいくつかの呪具を持ち出し、封印の施された扉を強引に叩き壊した。

 彼の足元には、扉と戦いつくしたほこや杖が、残骸となって散らばっている。

 ディーンは大刀を引っ提げたまま、驚くレイを一瞥した。


「もう腕の一本や二本喰われちまったかと思ったが、どうやら無事らしいな」

「おまえ……どうしてここに?」

「決まってんだろ。助けに来たんだよ」


 抜き身の大刀を肩に乗せ、ふふんと鼻を鳴らす。


「どうだ。これで俺の必要性が分かったか?」

「あ……ああ」


 状況がうまく呑み込めないのか、戸惑いながらも頷くレイに、ディーンは満足そうに笑う。


「分かればよろしい」


 実に偉そうな態度で言った。

 それからようやくやって来た目的を思い出したのか、背負っていた中剣を外してレイに手渡す。ラナン・シッダが盗んだ護り石も返して、


「さっさとここからトンズラしようぜ。ぐずぐずして魔術師と鉢合わせなんて御免だ」

「待ってくれ。中にもう一人いる」


 言い置いて、レイは薄暗い室内へ引き返した。

 奥で壁にもたれて休んでいた陵が、やつれた微笑をレイに向ける。


「……わたしの言ったとおりになったな」

「そうらしい。――さあ、ここから出よう。立てるか?」


 レイは、動けない陵を右側から支え、入り口まで連れていった。

 待っていたディーンは、レイと共に現われた男を見て、顔色を変える。

 気を操る彼が、その正体を見誤るはずがない。


「レイファス、おまえ何を考えてるんだ。そいつは敵だぞ!」

「分かっている」

「だったら……!」


 言いつのろうとするディーンを、蒼い瞳が制した。


「彼は私を助けてくれた。だから、今度は私が彼を助ける番だ」

「なんだって?!」

「嫌ならおまえは助けなくてもいい。私一人で彼をここから助け出す」


 レイは、一回り体格の大きい陵を下から支えるようにして、部屋を出た。

 ち、と舌打ちをして、ディーンが後を追う。

 足元のおぼつかない二人の、空いている陵の左側に肩を貸す。


「しょうがねえな。一つ貸しだぞ」

「すまん」


 レイが微笑む。


「それにしても、よくここが分かったな」

「ちょっと市長に聞いてみた。あの野郎、隙をみて逃げやがってよ」


 ディーンは乱暴に答え、思いついたように付け加える。


「――そうだ。魔王の正体が分かったぜ」


 そして、ゴダル市長を脅して得た情報を二人に語って聞かせた。

 それは、想像だにしなかった驚くべき内容であった。

 一年前の襲撃から今までの妖魔に関する一連の事件はすべて、人の悪癖と呼べる限りない物欲がもたらした人災であったのだ。


 十年もの間テーベ市長の座にあったゴダルは、長年の交易都市としての財政がもたらす裕福な暮らしに、髭の先までどっぷりと浸かってしまっていた。

 テーベは市政であるから、当然市長の座はいつか降りなくてはならない。だが、贅沢な暮らしは手放したくはない。できるなら永続的に、なおかつもっと豊かに暮らせることができれば一番良い。

 悩むゴダルの前に、一人の魔術師が現われた。


『その望み、叶えて差し上げましょう』


 魔術師マリウス・ハーミオンは、見返りとして富の半分とゴダルの娘を要求してきた。

 迷うゴダルに、マリウスは一体の妖魔を引き合わせる。


『これはかなり強力な妖魔で、わたしの魔力をもってしても完全に捕えることはできていません。わたしならばこうして動きを封じられていますが、通常の魔術師、法術師といった奴ばらには到底かなう相手ではないのです』

『これを……どうするのです?』


 きらきらと光る魔力の戒めに縛られた白い巨獣を、ゴダルは怖々こわごわと見上げた。


『簡単なことです。妖魔に街を襲わせ、それをわたしが助ける。だが妖魔は完全に封じられることはなく、封印を護るために市民は月に一度の捧げ物をしなくてはならない。勿論、市民は妖魔から街を救った市長を交代させようなどとは考えないでしょう。あなたはこれまででもっとも長くテーベの市長を勤めた者として名を残し、わたしは富を手にする――筋書きとしては悪くないと思いますよ。もっとも……代償は高くつきますが』

『なるほど……』


 ゴダルは頷いた。

 そうして――さいは投げられたのである。

 気がつくと、吹雪に包まれた都市では四万人の死者が出、家畜も畑も全滅。

 妖魔出現の噂で市外から訪れる人口は激減し、テーベ経済は危機に瀕した。

 ディーンに脅されたゴダルは、火に晒された氷が溶けるよりも早く、ぺらぺらと真相をしゃべった。


「そろそろ限界かなと思っていたんだよ。いやあ、もう捧げ物の内容も最近はひどくってねえ。まいっていたところなんだ」


 悪びれた様子もない。ディーンは怒りを堪え、さらに問いただす。


「他にも子供を差し出した者がいただろう。その子たちはどうした?」

「あ……ああ、生け贄ね。あれは――売った」

「売った、だと?!」

「見目がいいとか労働力になりそうだとかいう子が少なくてね。いやあ、さばけなくて苦労したよ。まったく、生け贄なら、シッダのようにきれいな子を差し出してくれなくちゃ困るんだよねえ」


 そこまで聞いて、ディーンの我慢も限界に達した。怒り心頭に発した一撃が、ゴダルの顔面を見舞う。鼻血を流し、小男は昏倒した。

 しかし、ディーンが魔術師の部屋を捜索している間に、ゴダルの姿は見えなくなっていた。いつの間にか気がついて、逃走したらしい。

 レイは、絨毯の敷いた廊下を歩きながら話を聞き、表情を険しくした。


「何という身勝手なことを……!」

「ああ。魔術師もろくなもんじゃねえが、それに乗る方も乗る方だぜ。類は友を呼ぶっつーが、今回は最悪だな。二人揃って大馬鹿――」


 調子よく悪態を並べていたディーンは、ふと、口を閉ざした。

 目の前に、見慣れぬ男が立っている。


「よく回る口ですね。続きはあの世でおしゃべりなさい」


 魔術師マリウスは、白い顔に冷笑を浮かべ、彼らの行く手を塞いだ。

 以前よりも覇気に欠けるのは、レイの能力ヴィスによる衝撃がまだ尾を引いているのだろう。

 魔術師の右の人差し指に、光が集まる。

 三人が左右へ飛ぶと同時に、先程でいた床が砕け散った。

 すぐさま抜刀するディーンを、陵が制止する。


「よせ! おまえの勝てる相手ではない。それよりも、この結界を解くのだ。これだけの結界を長期に渡って保持するには、何か仕掛けがしてあるはずだ。それを探せ!」

「……分かった。死ぬなよ」


 剣を納めると、ディーンは、ためらいもなくその場から走り去った。

 陵は、傷を庇いつつ立ち上がり、傍らのレイへも命じる。


「おまえも行け。ここは、わたしが食い止める」

「だが――」

「奴一人では心許こころもとない。行って早く結界を解くのだ――行け!」


 レイは無言で陵の傍から離れると、魔術師の脇を掠めるようにして、ディーンの後を追った。

 マリウスは何もせずにそれを見逃し、むしろ愉しそうに陵を見やる。


「随分と自信があるようですね。それとも……そんなに死に急ぎたいのですか?」


 土気色の顔色のまま、陵は、低く笑った。


「ほざくのも今のうちだ」


 マリウスの双眸が、鋼鉄の煌めきを帯びる。

 次の瞬間、魔術師と魔獣使いの戦いは、火蓋を切って落とされた。


   *


 魔術師の部屋に舞い戻ったディーンは、見慣れない呪具に埋め尽くされた室内を眺め、途方に暮れた。


「ディーン!」


 声をかけて、後ろからレイがやってくる。


「ここは?」

「あの魔術師の部屋だよ。何がどうなっているのか、俺にはさっぱりだぜ」


 ディーンは、大きな息を吐いた。

 レイは、部屋を見渡して、書物の上に置かれた大きな紙の筒を手に取った。

 机の上に紙を広げ、首を傾げる。


「なんだ、これは?」


 いくつもの線で区切られた空間と記号。ディーンが横から覗き込む。


「この城の見取り図じゃねえのか?」

「見取り図?」

「ほら、これが最上階で、ここがさっきおまえのいた部屋。今はここだ」

「随分と端に来てしまっているのだな」


 指で差し示され、レイはすぐに飲み込んだ。図面を凝視したまま、自問するように尋ねる。


「城を包む結界――。ディーン、おまえならどこにかなめを置く?」

「そりゃあ、城のど真ん中だろう」


 答えてディーンは、図面の中央にある、二階と三階を吹き抜ける大広間に視線を止めた。

 同じところを見ていたレイと、ぴたりと眼が合う。

 頷くや、二人は部屋を飛び出していった。

 レイたちの脱走が知られたのか、目立たぬよう隠れながら進んでいた二人は、すぐに騒ぎを聞きつけた衛兵に見つかる。


「仕方ない。強行突破しよう」

「はぐれんなよ」


 不敵な笑みをかわすと、二人は、剣を振りかざして広間に通じる大廊下の真ん中を走り抜けた。

 水瓶を運んでいた侍女が、悲鳴をあげて腰を抜かす。

 無鉄砲な少年たちの勢いに、一瞬攻撃を忘れた衛兵は、慌てて気を取り直した。


「追え! 追うんだっ!」


 鎧に身を固めた男たちが、重い響きを立て、少年たちの後を追いかける。

 一足早く広間に辿り着いた二人は、無言で再び顔を見合わせた。

 八角形の室内はきらびやかな彩色が施され、大理石の部屋の中央には、聖イドリースの青銅像がひとつ置かれているのみである。

 結界を保持できそうな怪しげなものなど、どこにも見当たらない。


「外したか……?」

「いや。ここの空気の澱みようは尋常ではない。簡単には見つからぬよう、どこかに隠してあるはずだ」


 確信をもってレイは言い、剣を納めると、壁や床を調べはじめた。

 気勢を削がれたディーンは、大刀のむねで肩をとんとんと叩く。


「あーあ。もう昼すぎだぜ。つっかれたー」


 不心得にも、聖イドリース像の足に腕をついてもたれる。

 と。がくん、と像が動いた。


「わわわ?」


 思わぬことに、よろめいてディーンが転ぶ。青銅像はそのまま床へ沈み、代わりに入口正面の壁がせり上がった。

 その下から、壁一面に描かれた見慣れぬ文字が現われる。


「呪符……?」


 レイが呟いた。

 それは、太古の文字で書かれた、まじないの呪法であった。

 用途によって様々な呪が存在し、使い方次第では、善きも悪しきも数十倍の効果がもたらされるという。

 レイが壁に手を近づけると、鋭い音をたて、緑色の火花が飛んだ。

 火花は弾けながら、網の目のように壁全体を這って消える。

 背後からディーンが、皮肉な声を投げた。


「大正解、だな」

「ああ」

「じゃ、さっさとやっちまおうぜ」


 陽気にディーンが言った瞬間。

 知覚にならぬ何かが壊れる音が響き、空気が弾けた。

 足元を強い冷気が吹き抜け、息が白く凍りつく。

 二人を追ってきた衛兵が、広間に入るなり、後ずさって逃げた。

 突如広間に出現した()()から、低い唸り声が洩れる。


「妖魔……?!」


 ディーンは、眉を顰めた。

 他を圧倒する凄まじい存在感。能力者(ヴィサード)でなくとも知れる、その魔力。

 雪の白というよりも、北の果てにある氷山のような、深い青さを秘めた白い体躯。

 額には、意志を統御する呪が浮かび上がる。

 長い毛に覆われたその姿は、想像上の生物の獅子に酷似していた。

 これが妖魔でなくて、なんであろう。

 だが――。


「角が……ない」


 茫然と、レイが言った。

 完全な戦闘態勢にあるこの獣は、しかし、妖魔の証である角を持っていなかった。

 いや、逆をいえば、角を持った戦闘形態(バトルフォーム)に変身することなしに、これだけの魔力を行使できる存在ということになる。

 魔王――恐ろしい響きを持つ二文字が、二人の頭をよぎる。

 だが、魔王であれば、人間ごときに捕らわれるような不様なことは、決して有り得まい。

 レイは勿論、ディーンでさえ初めて出会う最強の妖魔に、一瞬身が竦む。

 恐怖だけではない。

 人外の生き物の壮絶な美しさが、二人の動きを奪った。

 意志のない光を宿す虹色の双眸が、殺意を帯びる。

 咆哮と共に、凍気を巻いて、弓形の爪が二人に襲いかかった。

 きらきらと氷片が舞う。

 左右へ飛び退いた二人は、妖魔を挟んで対峙した。レイが叫ぶ。


「ディーン。私が妖魔を引きつけている間に、結界を解け!」

「なんだって? 馬鹿言ってんじゃねーぞ!」

「よく聞け。この妖魔も、あの魔術師に捕らわれている。結界を解けば、陵が魔術師を倒してくれるだろう。勝算は、そこにしかない!」

「なんだか回りくどい方法だな。あいつが魔術師を倒す保障はあるのかよ?!」


 気品のある美貌が、艶やかに微笑む。


「私を信じろ」


 ディーンは、白く凍る空気の向こうの蒼い瞳を見つめた。

 一度は壊された信頼。それでも、ディーンはこうしてレイを助けに来た。


「……られんなよ」

「なるべく早く頼む」


 頷き、ディーンは大刀に気を注ぎ込んだ。

 神呪が青白い輝きを放って、刀身に浮かび上がる。

 刹那、一陣の吹雪がディーンを襲った。

 少年は軽々と吹き飛び、広間の隅に叩きつけられた。大刀が手を離れ、床に突き立つ。


「ディーン!」


 レイが蒼褪める。

 氷の粒に肌を裂かれた褐色の指が動いた。無事だ。


「貴様っ!」


 レイは怒りをこめて、妖魔に剣を向けた。斬りかかるレイを、凍気の渦が(はば)む。

 その隙に起き上がったディーンが、飛び込むようにして大刀を掴んだ。

 刀身に軽く口付け、


「頼んだぜ……相棒」


 凄く微笑わらう。そして、思い切り床を蹴った。

 妖魔がディーンを振り向く。その背中へ、レイが剣を突き入れた。

 何ともいえぬ澄んだ音が響く。

 妖魔の牙が、神術を施したレイの剣を粉々に砕いたのだ。


「!!」


 その間に、宙高く跳躍したディーンは、一気に大刀を振り下ろした。

 青白い軌跡が、呪符を縦に引き裂く。それは導火線となり、目に見えぬ網全体に光となって広がるや、他の壁や天井までも伝い輝いた。

 それらが城全体を包む壮麗な光の洪水と化した瞬間、結界は緑色の炎を吹いて燃え上がった。

 ド……ンという鈍い衝撃。

 新たな呼吸をするがごとく、閉じ込め、澱んでいた空気が、急速に膨張して出てゆく。

 光が、時が、正しい流れへと戻っていく。

 西日が、ふいに強く差し込んだ。

 ディーンの一閃に呪符ごと真っ二つにされた壁は、やがて、音を立てて崩れはじめた。




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