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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第3話 テーベ――星の誓い
19/33

3-5



 外套を破り、引き裂いて何本もの包帯を作ると、レイはそれらをつなぎ合わせ、陵の左肩から胸にかけて巻きつけて、固定する。

 敵の若者に身を預けた陵が、低く笑い声を洩らす。


「なかなか器用な腕前だ」

「応急処置だ。生きていくのに必要最低限のことは神殿で教え込まれた。これも、そのひとつだ」


 言い、レイは黒い頭布(シェーシ)を袋状にして、陵の左腕を肩から吊るした。


「まさかこういう形で役に立つとは思いもよらなかったが……気分はどうだ?」

「まあまあだ」


 どことなく割り切った明るささえ漂う二人の前には、遺体となった三名の衛兵が片隅に寄せられ、布をかけられていた。

 魔術師は、いない。二人を捕らえ、我がものにしようとしたマリウスは、急激に目覚めたレイの能力(ヴィス)に恐れをなして逃げ去っていた。

 それでも、依然二人は、何もないこの一室に閉じ込められたままであった。

 レイの能力(ヴィス)も、あの後すぐに消えてしまっている。


能力(ヴィス)を持っているが、不安定なのだろう。結界内であれだけ発揮できただけでも、奇跡のようなものだ」


 陵は、そう指摘した。

 本来は敵同士のはずなのだが、陵はなぜかマリウスの魔力から身を(てい)してレイを庇い、重傷を負っていた。

 妖魔を封印する魔獣使いである彼は、その証の角を持っていない。

 代わりに、丸く抉れたような二つの傷痕が、額に残されていた。

 体内に魔を封じると、肉体は極度に疲労する。妖魔が、宿主の精気を吸い取ってしまうからだ。

 通常の魔獣使いよりも長く生きる青年に、苦痛が黒髪の生え際を白く変え、深いしわを刻む。

 静かな佇まいを見せる彼は、三十を過ぎて見えた。


「寒くはないか?」


 手当てを終えたレイに、陵は、落ち着いた声音で尋ねる。部屋には、いまだ妖魔の封印から洩れる魔力の冷気が色濃く漂っていた。

 レイは、外套(マント)の残りを身体に巻きつける。


「私はこれで充分だ。おまえの方こそ大丈夫なのか? 肋骨も折れているようだが……」

「気にするな。わたしは簡単には死ねん身体だ。魔力が使えれば、すぐに治る」

「――なぜ、私を助けた?」


 その問いに、陵は、眼差しを遠くへ向けた。


「おまえ……年はいくつだ?」

「十五だ」

「そうか……」


 壁にもたれ、陵は固く眼を閉じた。


「わたしの妻は十三で子を産み――死んだ」


 月光色の瞳が、微笑む。


「おまえは、妻に似ている」


 レイはなぜか、微笑んでいるはずなのに、陵が泣いているように見えた。せつなくなり、ふい、と眼を逸らす。

 陵はそれを怒ったととったのか、言い訳をするように言を継ぐ。


「悪気はない。ただ……亜空間から見るのと実際に会うのとでは、おまえは随分印象が違う」

「違う、とは?」

「おまえは一見大人だが、人と接することも会話することも、怒るのも泣くのも笑うのさえ、みんな知らない幼子のようだ。だから真っすぐすぎて、時には他人も自分も傷つけてしまう」


 陵は、子供を諭す親のように言った。


「人を受け入れることの大切さを、そろそろ学ぶべきだ。同じ傷つくにしても、心が通い合うためならば、癒えるのも早い」


 敵とは思えない台詞に、レイは戸惑いを隠せなかった。少しためらい、思い切って尋ねる。


「なぜ……聖宝を盗んだのだ? 世界の均衡が崩れ、人々が苦しんでもいいというのか?」

「魔王を復活させるためだ。わたしだとて、人々の苦しむ姿を望んでいるわけではない。だが――」

「では、なぜだ? 一体何のために……!」


 やるせなさをぶつけるように声を荒げ、レイは陵に掴みかかった。

 瞬間、レイの息が止まる。

 血のごとく紅い、六芒星(ヘクサグラム)

 彼の白い胸元にそれは、人の手によるものとは思えぬ鮮やかさで、刻み込まれていた。


「聖痕――! なぜ……どうして原罪者が、神の御印を持っているのだ?!」

「おまえには関係ないことだ」


 瞬時にそれまでの和やかさを払拭し、陵はレイの手を払いのけた。

 束の間の沈黙の後、低く尋ねる。


「おまえは、なぜ聖宝を取り戻したい?」


 レイは黙った。陵は、揶揄するわけでもなく、静かに問い重ねた。


「聖母の命だからか? それとも……世界を救うためか?」

「分からない。名誉でも責任でもなく、本当は……自分のためなのかもしれない。大切な人たちを失いたくないから」

「――わたしも、そうだ」


 レイは、はっと陵を顧みた。

 俯いたまま、魔獣使いは胸元の服を握りしめ、ひっそりと呟いた。


「この命よりも、大切な者のためだ」


 絶望よりも、昏い眼差し。

 その眼差しに打たれたように、レイは言葉を失った。黙って眼を背け、気が抜けたように壁にもたれてうずくまる。

 詳しい事情は聞かなくとも、魔王復活に賭ける彼の想いが、痛いほど分かってしまった。


――敵として彼を憎むことができるだろうか……。


 自問する傍から無理だと悟る。

 思いがけない出会いは、レイの心に複雑な想いを投げかけた。

 それが陵にとっても同様であることを、レイは気付かなかった。


   *


 城に忍び込んだディーンは、その予想以上の広さと複雑な構造に、途方に暮れていた。

 幸い、黒髪に浅黒い肌というこの地方ではよくある容姿なので、洗濯場から盗んだ侍従の服を着た彼を怪しむ者はいない。

 もともと芝居気のあるディーンは、外からの荷物を運び込むふりをして、巧みに城の中核へと近付いていた。だが、いくら聞き耳を立ててみても、一向に魔術師や魔王、生け贄といった単語にすら出くわさない。

 下男のような格好で大理石の柱にもたれ、付け髭を直しながら、ディーンは考えた。

 魔王の存在は、テーベの存亡を左右する重大な秘密である。

 その辺の侍従や官僚たちが、詳しいことを知っているはずがない。


――誰が一番確実に、正確な情報を握ってるんだ……?


 思案を巡らせ、ディーンは、城への侵入方法を教えてくれた少年の言葉を思い出す。


――一番詳しいのは一番偉い人……そうか!


 にやりと笑う。ディーンは唾をつけて、おもむろに口髭を整えると、足早に市長の部屋を目指した。


 城の一階、奥に設けられた一室。

 細密画のごとく美麗な絨毯の上で、数人の女に囲まれ、小さな男が座っている。

 男は、背丈の半分はあろうかという高い円柱状の帽子をかぶり、宝石を散りばめた丈の長い上着を着ていた。

 男の前には、銀の食器に盛り付けられた山海の幸が彩りも華やかに並び、傍らには半裸の女たちが侍る。焚きしめられた乳香より甘く妖美な女たちは、競って男にまとわりついた。

 その光景は、市長の執務室とは到底思えない。

 とろけきった笑顔を浮かべた男は、指輪をはめた手で葡萄をつまむと、右脇の女の口に入れ、豊満な胸をつついた。


「こんないい暮らしができるとは、魔王様々だねえ」


 女が媚態をみせて、その手を払う。

 壁掛け(タペストリ)で仕切られた部屋の奥から、薄布(ヴェール)を被った女が、金の酒器を持って現われた。

 長い腰布の間から、引き締まった褐色の脚が、妖艶に見え隠れする。

 思わず男は、鼻の下を伸ばして、手招きをした。

 女は酒器を持ったまま、男の傍らへ座る。長い黒髪を飾り紐や硝子玉(ビーズ)でとめ、化粧気もない顔は、まだ若かった。

 決して美形というのではない、どこかぞくぞくする色気の漂う女は、持ってきた火酒をなみなみと男の玉杯に注いだ。


「いい女だねえ。名前はなんていうんだい?」


 話しかけつつ、男は片手を女の脚に滑らせる。

 女が微笑んで、その手を取った。


「う?!」


 腕を掴む意外な握力に、男の顔色が変わる。


「な……何をする?!」


 うわずった声をあげる男の喉元へ、腰布の影から現われた長く光るものが、するりと突きつけられた。女たちに、悲鳴が巻き起こる。

 大刀を持った女は艶やかに笑い、


「ゴダル市長だな。せっかく褒めてもらったのに悪いが、おとなしく言うことを聞いてもらおうか」


 よく響く男の低声で言った。

 市長は目顔で周囲に助けを求めたが、女たちは皆、すでに背を向けて逃げ出していた。

 侵入者が、呆れたような嘆息をつく。


「大した人徳だな。仕事がこれじゃ、無理もないが」

「お……おまえは何者だ? 何が望みだ。金か? 地位か?」

「そんなものに興味はねえ。あるのは、魔王の生け贄にされた人間の居場所だ」


 市長の顔から、一層血の気が引いた。


「それから、この贅沢な暮らしについても聞かせてもらおうか。ゆっくりと――二人きりでな」


 剣を握る男の右腕には、一条の大きな白い傷痕が刻まれている。

 美女とならともかく、野蛮な男と二人きりになるのは、いくらなんでも御免だ。

 想像しうる限りの状況を考え、その壮絶な光景に、ゴダルは白目を剥いた。

 へなへなと床に崩れる小男を見やり、


「……やれやれ。先が思いやられるぜ」


 薄布(ヴェール)を取って、ディーン・グラティアスは呟いた。


   *


 拘留されておよそ半日。レイは、明かり取りの窓ひとつない部屋を丹念に調べ、その強固な造りにため息をついた。

 光明神(ルシア)の祈りと共に外套をかけて並べられた三名の衛兵の遺体は、さすがに傷み、異臭を放ち始めている。室温が低いことが救いだ。

 レイは胸の前で聖印を切り、死者への聖句を呟くと、残された彼らの剣の一振りを選んだ。

 押して斬るための両刃の剣は、幅広で重い。

 腕力に優れているとは言えないレイは普段、斬り払い、突き刺すことを目的とした細身の剣を使っていた。


――仕方ない。これでなんとか切り抜けるか……。


 慣れない剣を腰に差し、レイは心中で舌打ちをした。

 魔術師マリウスの魔力に直撃された目の前の壁は、黒く煤けているものの、ひびひとつ入ってはいなかった。


「この部屋は特別に魔力を吸収する造りになっているようだ」


 壁向かいに座した陵が声を投げる。血の乾いた傷も生々しい顔に、皮肉な笑いが刻まれた。


「……あの男もなかなかやる」

「そういえば、知っているようなことを言っていたな?」

「こちらの世界で九年も生きると、いろんな噂が耳に入る。〝捕縛師〟マリウス――煉獄の炎で鍛えた〝魔の鎖〟を使う、冷酷かつ残忍なことで有名な男だ」

「随分若いように見えたが?」


 レイの言葉に、陵はふ、と笑う。


「法術師もそうだが、能力(ヴィス)の強い魔術師は時と共に老化速度が遅くなる。能力の強いものほどそれは顕著で、実際年令は見た目の三倍程度と考えていいだろう」

「三倍……? では、ゆうに七十歳は越えているということか!」


 レイは、思わず声を上げた。いつもながら神秘の世界の妙には驚かされる。


「そのような敵相手にどう戦うというのだ……」

「やってみるしかなかろう。おまえは感応者シャマンと言っていたな。何か感じられるか?」


 レイは両眼を伏せ、大気と交信を試みる。しばらくして瞼を開け、首を横に振った。


「無理だ。空気が澱みすぎている」

「やはりな」


 陵が頷く。


「テーベ全体だけでなく、城とこの部屋にも、二重三重に結界が張られている。空気が澱むどころか、下手をすると妖魅ようみまで湧いてきているに違いない」


 妖魅とは、妖魔の気に惹かれて集まる下等な物怪もののけあやかしである。少数ではさしたる害はないそれらも、数が集まると妖魔と同じく、人の生命を脅かす存在となった。


「妖魔が結界を張ったという話だが、あの男の仕業であることは間違いない。この結界といい妖魔といい、奴は何かとんでもないことを企んでいそうだ」

「ああ。なんとしても、あの魔術師に人形にされる前にここから出なければ……」

「この中にいる限り、それは不可能だ。外からの応援を待つよりない」


 陵の台詞に、レイは気難しげに眉を寄せる。


「外からの応援? ――ディーンのことなら来ないぞ。今頃テーベを出ているはずだ」


 投げやりに言うレイを、薄い青の瞳が可笑おかしそうに見た。


「誰も奴だとは言っていないが……そうだな。あの少年ならば、必ずおまえを助けに来るだろうな」

「馬鹿なことを」

「わたしは、おまえがテスに来てからほとんどを見ているのだぞ。奴が金ずくでおまえの旅についてきたのではないことくらい、すぐに分かることだ。信じろ。きっと来る」

「……」

「素直に認めてはどうだ。他人を必要だと想う心を恥じることはない。どんなに強くとも……人はひとりでは生きていけぬ」


 言葉の最後に重い響きが宿る。レイはふと、陵が妻を亡くしていることを思い起こした。


「……妻女は、なぜ亡くなられたのだ?」

「事故だ。魔王が――いや、わたしが殺したのも同然だ」


 幾筋も顔に刻み込まれた皺が、一瞬、闇よりも深い陰影をその横顔に与えた。

 命よりも大切なもののために魔王を復活させなければならないという彼――その背負う過去がわずかに覗く。

 そのとき。

 鼓膜を突き刺す大音響が、扉の向こうで鳴り響いた。


 はっと表情を引き締めたレイは、陵を部屋の奥に連れていくと、剣を構えた。扉には鉄製の大きな錠だけでなく魔力による封印もかけられ、簡単に破られる代物(しろもの)ではない。

 レイの注視する中、物音は執拗(しつよう)なまでに激しく、幾度目かの大音と共に、ついに扉が内側から弾け飛んだ。

 反射的に斬りかかろうとしたレイは、そこから現われた人物を見て、動きを止めた。

 袖のない上着と洋袴(ズボン)。黒い革の手袋。

 長い黒髪を腰まで伸ばし、額に赤い布を巻く。

 左手に持つのは、反り身の大刀。

 地味なようで派手ないでたちの少年は、レイを見て、に、と笑った。


「よう。生きてるか?」

「――ディーン……!」




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