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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第3話 テーベ――星の誓い
18/33

3-4



 満月を映して、その城は、白く荘厳に闇夜に浮かび上がる。

 その中の一室に、一人の男がいた。

 不思議な光を放つ水晶球の明かりの下、書物を広げた男は、豊かな金髪を背へおろし、ひだをつめた長衣(ローブ)をふうわりと纏う。貴族のごとく装いながら、左の肘までを覆う白銀の篭手ガントレットが、彼がまったく異質の存在であることを告げた。

 ふと、顔を上げる。


ねずみが一匹引っかかりましたか……」


 幾重にも城に張り巡らせた結界がさざなり、何者かの侵入を告げたのだ。

 動じるでもなく、男は紅唇こうしんに薄く笑みをかたどった。

 いかなる能力者(ヴィサード)であろうと、この結界内で能力(ヴィス)を行使することは不可能なのだ。

 おのれの能力に絶対の自信を持つ男は、悠然と、侵入者の正体を見届けに向かう。

 と。

 別の一室から、何やら騒がしい気配が起こった。

 無論、それは実際に耳にする音声ではない。超感覚というべき能力で事件を察した男は、舌打ちをした。


「今侵入してきたものを呪縛牢へ。わたしは、ゴダルのところへ行く」


 次の間で控える従僕に命じ、男は足音も立てず、長い廊下に身を滑らせる。

 暗闇の中で、ぽう…と明かりが灯った。誰もいない廊下で、壁にかかる燭台が次々と炎を上げ、男の行く先を照らしていく。

 男は迷わず謁見室に向かい、おろおろと歩き回る小柄な男に呼びかけた。


「ゴダル市長」


 高い帽子をかぶり、丈長の上着を着たその男は、まりが転がるように駆け寄ってきた。


「マリウス殿。これはちょうどよいところへ来られた」

「何事です?」

「今月の捧げ物に、ちょっと毛色の変わったのが紛れ込んでいましてね――」


 ゴダルは落ち着きなく、木の実のような小さな眼をしばたかせた。

 深い絨毯の敷きつめられた狭い部屋に、山と積まれた金銀財宝。

 その中で、ひとつだけ異様なものがある。

 きらびやかな地元の祭り衣装を着る、白い肌の異国の少年がそれであった。

 薬でも飲まされているのか、少年はぴくりともしない。

 男は、灰緑の双眸を興味深そうに輝かせた。


「……ほう」


 魔王への捧げ物に困り、子供や若い女を差し出す者は今までにもいた。特にここ数ヶ月は、その傾向が強いようである。

 だが、他国の人間を差し出してきた者はいない。

 ましてや――。


「たいした美形でしょう。その辺りの女なんて屑みたいなもんだよ、これは」


 八の字に伸ばした口髭の先を撫でつつ、ゴダルが感嘆する。荷物を運んできた衛兵へ問う。


「これは、どこからの捧げ物だね?」

「ラナン・シッダからとなっております。ジャン・ポルトのところの小作農です」

「ふうむ。娘の身代わりというわけか。一体シッダはどこからこの子を見つけてきたんだろうね……?」


 小首を傾げ、市長が独り言ちる。

 男は膝をつくと、少年の細い顎を掴んで上向けた。

 きらめく白銀の髪が、さらりと端正な顔にかかる。

 ゴダル市長は脇からそれを覗いて、さも嬉しげに両手をすり合わせた。


「こいつは極上品だ。少々もったいないような気もするが、さぞいい値で売れるだろうね」

「――ゴダル市長」


 金髪の男は、まだ眼を開けぬ少年を見つめたまま、うっすらと頬に笑いを刷いた。


「わたしにこの子を頂けませんか……?」

「も、もちろんマリウス殿がそうおっしゃるなら、どうぞご自由に。ですが、どうするおつもりです?」

「そう……この子なら、愉しみ方はいくらでもあるでしょう。違いますか……?」


 少年から眼を離さない男の微笑に、恐さが宿った。


「あ、ああ……なるほど」


 ゴダルはおどおどと頷き、


「ところで――しばらく姿を見ませんが、イサベラは元気にしておりますかね?」


 一瞬男の顔から表情が消え、石像のようになる。


「元気ですよ。今度顔を見せるように言っておきましょう」

「よ、よろしくお願いしますよ。妻もいない、たった一人の娘ですからね。どうもしばらく顔を見ないと落ち着かなくて……」


 気弱そうな笑顔でゴダルは言うと、いそいそと頭を下げて立ち去る。

 その後姿を見送る男の眼に、はっきりと軽侮けいぶの色が現われていた。


「酒と痲薬に溺れた娘を見て、腰を抜かすがいい……」


 ひっそりと呟く。そして衛兵に少年を担がせると、男は城の北東にある部屋へ向かった。

 石壁を塗り固めた何もない部屋には、先に運ばれた侵入者が意識を失って横たわっている。

 男は、その部屋に少年を下ろすよう命じ、満足そうに頷いた。


「これでしばらく愉しませてもらえるでしょう……」


 男の背後で、新たな人間の出現に反応して、青白い光が輝いた。

 肉眼では見えないその光が届いたところから、霜が壁を這い、大気が白く凍りついていく。

 だが、網のように部屋に張り巡らされた能力(ヴィス)に阻まれ、光が、男のもとへ達することはなかった。

 強固な戒めに力を制御されたそれは、低い呻き声を洩らす。

 男はそれを一瞥すると、かすかな笑いを残して、おのれの部屋に戻っていった。


   *


 深海のような眠りの中に沈んでいたレイは、流れ込む冷たい空気に眼を覚ました。

 異国の眠り薬が残る体に感覚が甦り、ゆっくりと意識が浮上する。

 上着は脱がされ、薄い長袖の襯衣(シャツ)洋袴(ズボン)、水色の腰帯(サッシュ)を巻いて、素足に皮鞋(サンダル)

 宿泊するはずだったシッダ家で意識を失ったときと、あまり変わらない服装だった。


 起き上がったレイは、寒さに震えながら辺りを見回す。

 がらんとした薄暗い部屋は、一体どこなのか、想像もつかない。

 どこからか入ってくる冷気に、レイはぶるりと身を縮こませた。砂漠より夜の気温が高いテーベではありえないほど、室内は冷え切っている。

 ようやく闇に慣れた眼が、ここが厳重に戸締りをされた留置所のようなところだと知った。

 ふと、何者かが近付いてくる。

 はっと身構えるレイの前に、闇から抜け出たように、黒装束の男が現われた。


「――気が付いたか」


 聞き覚えのある低声が言う。

 レイは、彼がテスで妖魔を助けた魔術師であることを直感した。後ずさり、


「貴様……玉兎石を盗んだ魔術師の仲間だな?!」


 敵意もあらわな詰問に、男が薄く笑う。


「そうだ。正確にはわたしは魔術師ではないが、な」

「では何者だ。ここは貴様たちの根城ねじろか?」

「落ち着け。ここは我々の根城でもなければ、聖宝もない」


 男は、ゆったりした動作で床に座ると、壁にもたれた。

 頭布(シェーシ)外套(マント)も黒い中、唯一見える瞳は月光のごとく薄い青色。

 レイは、緊張を緩めることなく、男と距離をとった。


「ここはどこだ。なぜ、おまえは私と共にいる?」

「話せば長くなる。簡単に言えば――非常に間抜けな話だが、おまえを亜空間から見張っている最中に、誤ってこの城の結界にはまり込んだのだ」

「城? やはりここは城の中なのか?」

「そうだ。ここはテーベのかつての王城、天鵞てんが城。今は市長の官邸だ。おまえ、自分がどんなことに巻き込まれたか知らないのか?」


 男が不思議そうに尋ねた。

 室内に充満する冷気に震えるレイは、言葉もなく頷く。

 気付いた男は、外套(マント)を脱いで、レイの足元に放り投げた。


「着ろ。次に会った時はおまえを殺すと言ったが、殺す前に凍死されてはかなわん」


 警戒した視線を向けるレイに、男の眼が細まる。


「安心しろ。おまえには分からんだろうが、城全体を包むこの結界内では、わたしは魔力を使うことができん。おまえ同様、無力なものだ」


 自嘲気味に言った。

 その言葉に嘘はないと見たレイは、外套を拾い上げ、体をくるむ。

 男は、外套の下も黒の上着と洋袴(ズボン)を着ていた。袖口から覗く腕は白い。

 声とわずかに見える容姿から判断すると、二十代後半というところか。


「事情を話してやろう。幸い見張っていたおかげで、おまえに関することは大体把握している」


 そう言って男は、一年前にテーベで起こった事件の概要から、レイが身代わりとして魔王の捧げ物にされるまでの経緯を語った。

 レイは、男とは反対側の壁に座り、それに聞き入った。

 意外な成り行きへの驚きを押し隠し、敵ながらなぜか親切な男に甘えて尋ねる。


「本当にその妖魔は魔王なのか?」

「分からんな。先程様子を探ってみたが、近くの大きな部屋に、確かに妖魔が捕らわれている。この冷気は、その封印から洩れる魔力の余波だ」

「では……」

「通常の妖魔よりも、かなり強力とみていいだろう。街やこの城を覆う結界も、何重にも張り巡らされた完璧なものだ。この中では、文字通り手も足も出せん」

「おまえよりも強いのか?」

「今の状態ではな。他人の張った結界内では魔力は使えん。俺の相棒が来れば状況は変わるだろうが、この結界では無理だ。その点、剣士のおまえの方が、まだ脱出できる可能性がある。黒髪の友達が助けに来てくれるだろう?」

「いや……来るはずがない。彼とはもう、友達でも何でもないのだから……」


 レイは、自分に言い聞かせるように呟いた。


「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」

みささぎだ」

「私は、レイファシェール・セジェウィク」


 男の頭布(シェーシ)に隠れた表情が、かすかに動いた。


「セジェウィク? 西の大神殿にある湖の名だな。……なるほど。あくまでも素性は明かさんというわけか」

「……」


 レイの返事はなかった。和らぎつつあった空気が、瞬時に元の硬度を帯びる。

 そこへ、新たな来訪者が現われた。

 壁と一体化した重い扉から、三人の衛兵を従え、華やかな長衣(ローブ)を纏った男がやってくる。

 金の巻き毛に白い肌。左の指先から肘までを覆う、金属の篭手ガントレット

 男は、紅唇を笑みの形に整え、柔らかな口調で名乗った。


「わたしはマリウス・ハーミオン。おまえたちの主人です」


 霧がかる湖のごとく瞳に、笑いはない。

 男の名を聞き、床に座った陵がわずかに顔を上げた。


「――なるほど。おまえが〝捕縛師〟マリウスか」

「ほう……。わたしの名を知っているとは、何者です?」

「貴様のような外道に教える名などない」


 マリウスと名乗った魔術師の目に、剣呑な光がよぎる。

 次の瞬間、陵の身体が浮かび上がり、勢いよく天井に激突した。


「……ぐはっ!」


 マリウスは、魔力で陵を天井に吊るしたまま、にこやかに告げる。


「歯向かうとどういうことになるか、しっかりと覚えておいてもらいましょう。しつけは、最初が肝心ですからね」


 魔力をしなやかな鞭のように使い、その身体を急降下させた。鈍い音をたて、陵が胸から床に叩きつけられる。


「陵!」


 思わずレイが立ち上がる。途端、レイの足は指先ひとつ動かなくなった。

 魔力で簡単にレイの自由を奪ったマリウスは、倒れる陵の元へ歩み寄った。観察するように見下ろし、


能力者(ヴィサード)のようですが、魔術師とはどこか違う。おまえは何者です?」

「……地獄へ()ちろ」


 うずくまりながら、陵は、なおも毒づく。

 こたえず、マリウスは篭手をはめた手で陵の頭を掴み上げ、黒い頭布(シェーシ)を取り払った。

 彫りの深いおもてに、後ろへ流したくせのある黒髪。その生え際にふたつ、ちょうど両目の上辺りに丸くえぐれた傷痕がある。

 マリウスの白い顔に、奇妙な笑いが浮かんだ。


「――これは面白い。角を失った鬼とは、思ってもみませんでしたよ」


 愉しげな口振りで言う。

 何気なく口にされた言葉に、レイは驚いて陵を見た。


 〝鬼〟とは、魔獣使いとも呼ばれる、妖魔狩人(ハンター)同様に世のことわりから外れて生きる原罪者の一種族である。

 種族とはいうものの、血縁関係があるわけではなく、同じ特殊な能力を備えたものたちが集まって暮らしているにすぎなかった。

 特殊な能力――彼らは、通常に言うところの魔力や法力ではなく、体内に魔を封印することのできる能力の持ち主であった。

 その証として角を持つ彼らは、封印した妖魔の魔力を我がものにできるという。

 また、魔を封じるために肉体の老化が早く、いずれも成人を迎える前に寿命が尽きるといわれた。

 二十歳を越え、さらに角を持たない魔獣使いとは、これまで考えられない存在であった。


 マリウスは、陵の顎を掴んで上向け、芝居がかった仕草で微笑む。


「思いもよらない収穫ですね。わたしの下僕に……ふさわしい」


 身動きのとれぬ陵は、その顔にぺっと唾を吐きかけた。

 マリウスの顔色が変わる。

 陵の身体が、反対の壁に弾け飛んだ。

 魔術師の右手に破壊力を秘めた光が宿る。同時に、レイから意識が逸れた。

 機を逃さず、レイは、たいひるがえして傍らの衛兵に踊りかかった。剣を奪い、瞬く間に二名を叩き伏せる。

 驚いて、マリウスが振り向いた。

 レイは剣を構え、怒りを押し殺した声で告げた。


「……そろそろ解放してもらおうか」


 金髪の魔術師は、床に倒れた二人の衛兵を一瞥し、


「子供にやられるとは情けない。ですが――甘いですよ」


 右手に魔力を集中させたまま、レイに向き直る。

 レイは、はっと蒼褪めた。

 凝縮する魔力が頂点を迎え、まばゆい光の玉となる。

 傍らの衛兵を気にも留めず、マリウスは光球を投げ放った。

 閃光と同時に、重い爆発音が部屋を駆け抜ける。衝撃に、びりびりと床が震えた。

 煙塵が薄れた後には、逃げ遅れた三名の衛兵が、黒焦げとなって床に横たわっていた。

 その側で、うずくまるひとつの影がある。

 マリウスの眉が、ぴくりと動いた。

 影は、レイに覆いかぶさるようにして魔力を正面から受け止めた、陵の姿だった。


「陵……!」

「無事、か……?」


 呻くように、陵が尋ねる。彼の口からは血が流れ、左肩は黒衣が燃え落ちて、剥き出しとなった素肌まで灼いている。


「なぜ……なぜ、こんな――」


 言葉にならぬことを口走りながら、レイは、陵の身体を抱えた。

 ふと、床に倒れた衛兵たちの姿が視界に入る。眼を見開いてうつぶせる彼らは、明らかに事切れていた。

 怒りとも哀しみともつかない何かが、レイの胸に熱い火を灯す。

 気がつくと、金髪の魔術師が、能面のような顔で二人を見下ろしていた。


「世話を焼かせる子たちですね。おとなしくわたしの言いなりになればよいものを……」


 口調とは裏腹に、その瞳は剣呑だ。

 マリウスは両手を組むと、呪言を唱え、二人の意志を捕らえにかかる。

 そのとき。

 ふわ、と窓のない室内に風が巻き起こった。


「なに……?!」


 顔色を変えるマリウスの目の前で、銀髪をなびかせて、レイが立ち上がった。

 蒼い双眸が、宇宙の輝きを帯びる。


「おまえは――許さない」


 告げる声は、遠い彼方から響いてくるようだった。

 印を組み続けることもままならず、魔術師が、一歩退さがる。

 マリウスは、まばゆい何かがレイの全身から溢れ出し、徐々に輝きと強さを拡大していくのを感じた。幾重にも張り巡らせたはずの結界が、きしきしと揺れる。

 目も眩むほどの圧倒的な光が室内を満たし、マリウスは顔を覆った。


   *


 明朝。太陽が地平から顔を覗かせて間もない頃、ディーンはシッダ家を出た。

 荷物は置いたまま、ディーンは、自分とレイの二本の剣を帯刀し、棒手裏剣を仕込んだ革の腕輪を巻く。頭布(シェーシ)は被らず、代わりに細くたたんで額に巻いた。外套をはおり、


「あんたたちに迷惑はかけないつもりだ。俺とあいつの繋がりは、いくら妖魔でも気付かねぇだろう」

「魔王様と戦う気?」

「それは行ってみないと分かんねぇな」


 不安げに訊くフィオナの髪を撫で、ディーンは微笑んでみせる。


「心配するな。これでも何匹も妖魔を倒したことがある。大丈夫。すぐにあいつを連れて戻ってくるさ」


 などと大見得を切って出てきたが、実際自信があるわけではなかった。

 多少奇妙な点があるものの、レイの追う魔術師たちが関係していないとは言い切れない。


 城の近くの広場まで来て、ディーンは溜め息をついた。

 外套の頭巾(フード)の下から、テーベの象徴である天鵞城を見上げる。築千二百年余りという城は、改築を重ね、まるで要塞のような様相を呈していた。頑強な石の壁は二重に巡らされ、門は正面にひとつ。


――警戒厳重って感じだな。


 門の両脇に立つ衛兵を眺め、ディーンはもう一度息を吐いた。


 歴史あるテーベは、かつて王国だったこともあり、都市としての資産はかなりのものと聞く。加えて、中に妖魔がいるのであれば、なお警備は厳しいに違いない。

 ディーンは、都市の守護聖人イドリース像の立つ噴水の縁に腰を下ろした。

 街を救ったという少年聖者は、短い巻き毛も愛らしく、あどけない顔立ちに強い意志を浮かべ、左手に杖、右手でソハト山を指して立っている。

 光明神教(ルクシオン)の布教以前に信じられていた商業神と同一視される聖イドリースは、テーベで篤い信仰の対象となっていた。

 噴水の底には、人々が願いを託した無数の硬貨が散り、モザイクとなって彩っている。


 少年聖者を仰ぎ、思いあぐねたディーンも、黄銅貨を一枚投げ入れようとした。

 ふいに、誰かが外套の裾をひっぱった。

 振り向いたディーンは、そこに立つ十歳ほどの少年と眼が合う。

 褐色の巻き毛と肌。印象的な黒い大きな眼が、にっこりと笑みを描いた。


「お兄さん。願い事の代わりに、それ僕にちょうだい。力になれると思うよ?」


 大人びた口調で言う。

 少年は、痩せてはいるが物乞いのようではなく、古い型のキトンも身綺麗だ。

 おそらく、ここへ来る旅人を捕まえて、道案内や使い走りで日銭を稼いでいるのだろう。噴水の底をさらわず、律儀に客を捕まえようとする真面目さに、ディーンは好感を持った。それでも、意地悪く問い返す。


「へえ。一体どんな力になってくれるんだ?」

「城に入りたいんでしょ? 僕いい方法知ってるんだ」


 ディーンは思わず真顔になって、少年の肩を掴んだ。声を潜めて問う。


「どうして分かった?」

「だって、さっきからずっと城の近くをうろうろしているんだもん。……あ、大丈夫。周りの大人たちは全然気がついてないよ。間抜けだから」


 ディーンは内心冷や汗をかいた。偵察には慣れているつもりだったが、こんな子供に見抜かれるとは、思っている以上に自分は動揺しているらしい。


「城に入る方法を聞きたい?」

「ああ、頼む」


 頷くディーンの前で、少年は右手を広げた。


「前払いね」

「ちゃっかりしてるな」


 苦笑してディーンは、少年の手のひらへ持っていた黄銅貨を押し付ける。


「ほら、さっさと教えろよ」

「……こっちに来て」


 少年は、ディーンを城の左側へと連れて行った。

 そこは、正門とは別にもうひとつ小さな通路が開いており、荷車が長い列を作って城の中に荷物を運び込んでいる。


「一日一回、食料を運んでいるんだよ。城と契約してる農家が毎日運ぶから、調べるのもいい加減なんだ」

「なるほど、それに紛れ込めばいいのか。……少しの間、止まってくれるとありがたいんだけどな」


 ディーンの呟きに、少年はきら、と大きな瞳を輝かせる。


「荷車を驢馬ろばがつまずいて転ぶって、よくあることだと思うけど?」


 その言わんとするところを悟り、ディーンは頷いた。

 短い巻き毛を撫でると、その手にもう一枚硬貨を握らせる。


「助かったよ。ありがとう」


 少年は、銀色に光るアルム硬貨を不思議そうに見た。


「いいの? こんなに」

「ああ。健闘を祈っていてくれ」


 言い、ディーンは、力強い笑顔を外套の頭巾(フード)に隠す。

 少年は二枚の硬貨を握り、彼を見上げた。その面差しに、ディーンはどこか見覚えのあるような気がする。


「気を付けてね。城で迷ったら、一番偉い人に聞くんだよ。一番偉い人が一番よく知っているから」

「覚えておくよ。おまえも、気をつけて帰れよ」


 そう言い残すと、ディーンは物陰に隠れながら、荷車の列に近付いていった。

 残された少年は、硬貨を握りしめたまま、それを見守る。

 幼いその顔が、ふと、何とも言えぬ深い悲哀を湛えた。


「――助けて。どうか……どうか、この街を助けて……――」


 万感の想いのこもる低い呟き。

 少年の姿はやがて、押し寄せる人の波にまぎれ、幻のようにかき消えた。




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