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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第3話 テーベ――星の誓い
16/33

3-2

 


 フィオナが二人の旅人を連れ帰ってすぐ、父親のラナン・シッダが帰宅した。

 地主のポルトの小麦畑に行っていたはずの彼は、泥酔し、足元もおぼつかない。

 ティーシャは、慌てて夫に駆け寄った。


「あんた、一体どうしたっていうんだい?!」

「うるせえ。放っといてくれ」


 ラナンは、ふらつく体を支えるティーシャの手を、煩わしそうに振り払った。


「こんなときはなぁ、飲まねぇとやってられねえんだよ」

「酒場に行っていたんだね。勝手に仕事を休んだりして、ポルトさんになんて言い訳する気だよ!」


 ひょろ長いラナンの顔に、嘲笑が浮かぶ。


「一家全員で首を括る準備をしていましたって言うのさ。あいつだって何も言いやしねぇよ」

「あんた! なんてことを言うんだい。子供たちがいるんだよ!」


 ティーシャが顔色を変えた。察したフィオナが、妹を外に連れ出す。

 ティーシャはラナンを椅子に座らせると、低い声で囁いた。


「今、上にお客が来てるんだよ。テスから来た旅の人で、街でルネを助けてくれたんだってさ。夕飯を一緒にって、フィオナが誘ったんだよ」


 充血したラナンの眼が、ぎらりと熱を帯びる。一瞬怒鳴られるのかと思ったティーシャは、彼の顔が笑いに歪むのを目にした。


「あんた……?」

「ティーシャ。神は俺たちをお見捨てにならなかったぞ」

「あんた、まさか――」


 その声に恐ろしいものを感じ取って、ティーシャの背筋を冷たいものがのぼった。


「やめておくれ。そんなことをしたら、地獄に落とされてしまうよ!」

「うるさいっ!」


 机の上で組んだラナンの両手が、ぶるぶると震えている。


「もう……俺たちに道は残されていないんだ」


 ラナンは、外で楽しげに遊ぶ二人の娘を思いつめた眼差しで見つめた。


「あの子たちのためなら、俺は地獄にだって堕ちてやるさ」


 妻の眼から噴きこぼれる涙も、ラナンの視界には入ってはいなかった。

 ティーシャが前掛けで口元を押さえ、台所に駆け込む。そこから洩れ聞こえる忍び泣きの声ですら、今のラナンにとって重要ではなかった。

 ラナンは、酔いの醒めた足取りで席を立つと、壁に掛けられた六芒星(ヘクサグラム)の聖布の裏から宝石箱を取り出した。ほとんど中身を失くした箱の中には、小さな紙包みがひとつ、取り残されている。

 震える指先で、紙包みを開けた。

 微妙な輝きを含んだ、一掬いほどの白い粉。

 褐色の顔が、苦悶に歪んだ。


「神よ。どうか、お許しを――」


 紙包みを握りしめ、ラナンは何かを飲み込むように、聖布の前で深く、深くうなだれた。


   *


 屋根裏部屋からディーンに続いてレイが降りてきて、シッダ一家は夕食の席に着いた。

 あれほどそっくりに思えた二人の旅人は、外套と頭布(シェーシ)を取って、腰の剣がなくともはっきり異なって見える。年令や体格が近いだけに、それは対照的なほどであった。


 左利きのディーンは、浅黒い肌に長い黒髪と暗い色の瞳。何人ともつかぬ、だがどこの国でも溶け込んでしまう容姿を派手に整えている。

 右利きのレイは、日に焼けているが紛れもない白い肌と蒼い瞳に、見たこともない白銀色の髪。線の細い美貌は、どこか近付きがたい雰囲気があった。


 家長のラナンが祈りを唱え、食事が始まる。

 港町らしい魚介類を中心とした汁物や炒め物に、この地方特産の小麦で作ったパン。

 いつになく豪華な食事に、ルネの眼がきらきらと輝く。両親と姉は、食卓にはそぐわぬ暗い眼差しで、はしゃぐ末娘を見守っていた。


「ところで――二人とも随分とお若いが、いくつだね?」


 娘を助けた旅人に、ラナンが尋ねる。黒髪のディーンが微笑して答えた。


「レイは十五、俺は十七です」

「おや、十七だったらフィオナと同じだねえ」


 ティーシャの言葉に、アルビオン人の娘は恥ずかしそうにうつむく。

 ティーシャが、大鍋から汁物を取り分けながら話を紡いだ。


「旅は長いのかい?」

「俺はもう一年以上になります。レイとは半月ほど前から一緒に」

「なぜ旅を?」


 フィオナの問いに、ディーンはやや言いよどんだ。銀髪のレイが口を挟む。


「人を探しているのです。彼はその手助けを」

「人?」

「実は……その、両親の敵を探す身なんです」

「まあ。若いのに大変ねえ」


 ティーシャが、人のよさそうな顔を曇らせる。

 ラナンはディーンに「君の御両親は?」と尋ねた。ディーンは困ったように頭をかいて、


「はあ……。俺はもらわれっ子なもんで、両親のことは何も。妹は一人いますが」

「それは悪いことを聞いたな」

「いいえ」

「旅は大変だろう?」

「最初のうちは。でも、慣れると結構楽しいものですよ」


 朗らかに返しながら食事を続けるディーンを、向かいの席からフィオナがじっと見つめている。熱い眼差し、というのではなく、それは何かもっと切実なものを帯びた視線だった。

 スープをすくったディーンは、フィオナの視線に気付いて笑いかけた。

 慌ててフィオナが、黒髪の陰に顔を隠す。

 同様に気がついたティーシャが、場を取り持つように立ち上がった。


「お茶を持ってこようかね」

「――ティーシャ。二人は疲れているだろうから、とっておきのエール水を出して差し上げなさい」


 ラナンの声にティーシャは一瞬動きを止め、だが何も言わず台所へ入ると、陶製の高杯ゴブレットと水瓶を盆に乗せて戻った。


「おまちどうさま。シッダ家特製のエール水は、飲んだら元気が出ること間違いなしだよ」


 エール水は、何種類かの香草(ハーブ)や薬草を煮出したものに砂糖、炭酸を加えて作る清涼飲料水である。大人はさらに発酵をすすませてエール酒として楽しむものも多い、広く庶民に親しまれている飲み物だ。

 各家庭や地域によって材料の配合が異なり、家庭の味としても代表される。

 シッダ家は、桂枝(カシア)の風味の利いた、少し辛口のエール水だった。

 ディーンとレイの前に置かれた高杯になみなみと注がれたその色は、澄んだ青磁色。

 かすかに弾ける泡から爽やかな香りが立ちのぼる。


「母さん、あたしにもエール水をちょうだい」


 ルネの催促に、ティーシャの笑顔がかたく強張った。


「だめだよ。エール水は特別な時にしか出せないんだよ」

「特別な日よ。ディーンとレイが来てくれたんだもの」


 無邪気に言うルネを、姉のフィオナがたしなめる。


「だめよ、ルネ。後で歌を歌ってあげるわ。だから今は我慢して、ね?」


 ルネはふくれっ面になりながら、黙って頷いた。

 家族へは豆の茶が出され、一同は改めて乾杯をする。しばらくして、


「じゃあ、俺たちはそろそろ失礼を――ごちそうさまでした」

「大変美味しかったです」


 ディーンとレイが口々に礼を言った。

 二人の前の食器は、先程のエール水の高杯ゴブレットを含め、すべて空になっている。

 ラナンは口元をほころばせ、


「いや、娘を助けてくれた方への心ばかりのお礼だよ。つかぬことを聞くようだが、お二人の宿はもう決まっているのかね?」

「いえ、これから探すところです」

「では、家に泊まるといい。今君たちが荷物を置いている部屋でよければ、喜んで貸そう」


 思いがけない申し出に、ディーンとレイは顔を見合わせた。

 同じく父の言葉に驚いた顔をしたフィオナも、すぐに笑って手を打ち合わせる。


「そうよ。それがいいわ。家へお泊りなさいな」


 ティーシャとルネにも笑顔で勧められ、二人は頷いた。


「ありがとうございます。じゃあ、一晩だけ御厄介になります」

「疲れているだろうから、早く休めるようにティーシャに寝台の用意をさせよう」

「すみません」

「気にしないで、今夜は自分の家だと思ってくつろぎなさい」

「はい、ありがとうございます」


 素直に頭を下げ、若い旅人たちは、二人の娘たちに習って食器を片付けはじめる。

 狭い台所でひしめき合いながら楽しげに談笑する彼らの様子に、シッダ夫妻は重い視線を交わし、どちらともなく眼を背けた。



 ディーンとレイが再び屋根裏部屋に上がると、ティーシャがしてくれたのだろうか、床の埃はきれいに掃除され、寝台ベッドの隣にもうひとつ簡易の寝台ベッドが用意されて、夜具が敷きのべられていた。

 部屋に戻った二人に会話はなく、気まずい空気が、テーベの宵闇の重さを増した。

 簡易寝台ベッドに腰かけ、ディーンは何やら荷物の大整理をはじめる。入り込んだ砂ごとひっくり返して荷物を広げる彼に、レイはためらいがちに話しかけた。


「――ディーン。この家の人たち、妙だったと思わないか?」


 返事はない。彼の背中が、固く会話を拒否していた。

 レイが続ける。


「やけに親切だし、私たちのことをいろいろと知りたがっていた。何か裏があるのかもしれない。気をつけたほうがいいぞ」

「――疑うことしか知らないのか、おまえは」


 手で触れられるほどのとげをまぶした言葉だった。柳眉を逆立てるレイを、紫の瞳が一瞥する。


「縁切りだと言っただろう。おまえとはもう友達でもなんでもない。おまえは勝手に疑っていろ。俺は、自分の好きなようにする」


 ディーンは手荒く荷物を詰め込むと、床で底を叩いて具合を直し、袋の口を縛った。


「出て行くのか?」

「明日まではいるさ。せっかくの厚意だからな。今晩一泊して、明日にはおさらばだ」


 詰め終えた荷物を壁際に置いて、ディーンは床の扉を開け、梯子を下ろす。


「どこへ行く気だ?」

「てめえの知ったことか」


 振り向きもせずに言い捨てると、ディーンは屋根裏部屋から出ていった。

 梯子を降りた先で、ディーンはフィオナと顔を合わせる。


「あら、お出かけ?」

「せっかくテーベに来たんだから、ちょっとその辺を見て回ろうかと思ってね」


 ディーンの返事にフィオナが笑う。


「あなたも歩いてきて知っていると思うけど、この辺りに遊ぶところは何もないわよ?」

「その何もないところを見に行くのさ」

「まあ。変な人ね」


 ディーンは悪戯っぽく片目をつむり、外へ出た。


 折しも満月の夜空は、砂漠で見るよりも、どことなく遠く感じられる。

 それは、大地に立つ自分より背の高いものが多くあるからかもしれない。

 ここぞとばかりに密集する木々や草花に触れ、みずみずしい匂いを嗅ぐ。どこからか聞こえる虫の音や家畜の声さえも、砂の荒野にいた彼にとっては懐かしく感じられた。

 風に乗って届くわずかな磯の香りが、ムーア大陸の反対側にいることを実感させる。


 出立したテス州が接するオーケイア海は、大陸の東側に位置した。テーベは、西の大海ティシス海に臨む都市である。

 統一世界(カナン)の中心セントゲア大陸と接するくびれた部分であるとはいえ、ムーア大陸を横断してきたのだ。


――ティシス海か……。


 東国カルディアロスから西へ西へと旅してきた彼は、まだニオゲア大陸はおろか、ティシス海すら見たことはない。

 新大陸といわれるニオゲアは人の歴史も浅く、最も古いエファイオス王国も、アルビオンなどと比べれば、まだ若い、活気に満ちた国だった。

 芋づる式に、エファイオスからやって来た人物を思い出し、ディーンは厭な気分になる。


「まったく……帝都貴族(アイテリアル)なんか信用した俺が馬鹿だったぜ」


 自嘲する彼の瞳に、怒りともつかぬ色が漂う。

 カルディアロスでも総督府に近い村に住んでいたこともあり、その卑劣さと横暴さは身に染みていた。

 それでもレイの旅に同行したのは、その他人を真っすぐに見つめる眼差しと、冷徹な美貌の下の炎のような精神を信じたからだ。

 しかし、信じて引き受けた役目を、レイはあっさり拒否した。それは、彼の存在そのものを否定したことに他ならない。


 帝都の人間を信じるという大きな賭け。だが彼は、それに負けたのだった。

 自分へのやり場のない怒りと奇妙な空虚さが、寒々と心を満たす。

 気晴らしに来たはずが、非常におもしろくない気分になって、ディーンは悔しまぎれに地面の小石を蹴った。


「――ディーン!」


 彼の名を呼んで、誰かがこちらへやってくる。

 はっとして振り返ったディーンは、明かりを持ったフィオナの姿に、太い息を吐いた。


――何を期待していたんだ、俺は……。


 だが、銀髪の連れが追いかけて来てくれることを心のどこかで望んでいたことは(いな)めない。ディーンは、予想もしなかった自分の心の動きに、少なからず動揺した。

 それを打ち消すように、つとめて明るく声をかける。


「やあ、フィオナ。君も驢馬や鶏と遊びに来たのかい?」


 フィオナは笑って首を振り、少し真面目な顔をした。


「こんな夜遅くに、一人で出歩くなんて危険だわ」

「それで君がわざわざ守りに?」

「以前あんな事件があったせいで、用心深くなっているの。あなたも気をつけて」


 上着を開け、腰帯(ベルト)に手挟んだ短刀を見せる。

 ディーンは、一年前にこの街が妖魔に襲われたことを思い起こした。


「俺には、もう平和そのものに見えるけど?」


 フィオナの顔から一瞬、笑みが消えた。


「あ……あのあとから、みんな知らない人間に対して警戒心が強くなっているのよ。あなたもあんまりうろうろしていると警史に捕まったり、下手をするとその場で襲われるわよ?」

「それは恐い。もう帰ろうかな」


 丸腰のディーンは、大げさに身を震わせた。小さく笑って、フィオナが帰り路を(うなが)す。

 淡い月明かりと、フィオナの持つ燭台がほんのりと足元を照らす中、二人はゆっくりと並んで歩いた。ディーンは、さり気なく話を振った。


「一年前の事件、俺は街が半壊したってくらいにしか聞いてなかったけど、(ひど)かったみたいだな」

「酷いなんてものじゃないわ。あれは……悪夢よ」


 フィオナが濃い眉を寄せる。


「街が半壊したって言ったわね。その通りよ。この街は――都市の半分以上が、妖魔に凍りづけにされたの」

「……」


 驚きで言葉もないディーンの隣で、フィオナは昏い笑みを浮かべた。


「雪や氷なんて、ソハト山の頂上にしかないものだと思っていたわ。……皮肉な話ね。産まれて初めて見た雪が、その時だなんて……。吹雪は三日三晩続いて、やんだ時は人口の六分の一が死んでいたわ」

「魔術師が助けてくれたんじゃなかったのか?」

「ええ、そう……そうね。あれ以上吹雪が続いていたら、この街は全滅していたでしょうね。本当に……幸運なことだわ」


 フィオナは、なかば自分に言い聞かせるように呟く。

 重い雰囲気を感じ取り、ディーンは頭をかいた。


「なんだか、悪いこと聞いちまったな」

「気にしないで。隣接する街は遠いし、噂なんて当てにならないもの。知りたいのは当然だわ」


 フィオナは振り向き、するりとディーンの脇へ片腕を差し込んだ。


「ねぇ。じゃあ、今度はあなたの話を聞かせて」

「俺の? 聞いたってつまんないだけだぜ」

「いいのよ。わたし、テーベを出たことがないの。よその国の話が聞きたいわ……あなたの国のことも」


 顔を寄せ、黒い瞳を輝かせて囁く。


「わたしの部屋で、ね?」

「――いいよ」


 ディーンは笑って、彼女の手を取った。



 同じ頃、部屋に残ったレイは、机に向かってノアに宛てた手紙を書いていた。

 首都パルミラならば、総督府があるので連絡は容易だが、テーベでは誰かに頼んで帝都まで手紙を届けてもらわなければならない。

 権力を誇示するのは嫌いだが、本名を使い、自分である証拠の指輪を同封する。

 こうすれば、早く確実にノアの元に届くだろう。


 日位にちいの剣士の証である金の指輪は、裏面に認定番号が彫ってあり、旅行符がないときの身分証明代わりにもなった。

 レイの指輪には、まだ番号はない。公で日位に剣士を倒したことから特別に与えられた指輪は、成人した暁に番号が彫られることになっていた。

 未成年が日位になった前例は、今までにない。

 日位を取った時、我がことのように喜んでくれた兄は、今どうしているのだろうか。


 兄ルークシェストは数少ない天位の剣士の一人で、法術に至っては聖母に次ぐ能力(ヴィス)の持ち主である。感情豊かであたたかく、妾腹のレイを誰よりもかわいがっていた。

 その甘やかしぶりは、イリヤから説教を受けたほどである。


『――今日から私が君の兄さんだね』


 そう言って兄弟のあかしとしてくれた護り石を、レイは片時も体から離したことはない。

 いや、一度だけあった。

 空間移動(トランスフェーズ)をして、テスへやって来た日のことである。

 連鎖的にそこで出会った人物を思い出し、レイは憂鬱になった。


――ディーン……。


 彼は今頃ふてくされて、どこかをうろついているのだろう。

 こうなることは予想していたものの、やはり心を許した相手からなじられるのは辛かった。

 レイも、ディーンと共に戦えたら、どんなに心強いかと思う。

 だが、相手が魔王となれば話は別だった。


――これ以上、彼を巻き込むわけにはいかない。


 その一念が、レイに別離を言い渡す決心をさせた。

 自分が死ぬ覚悟は、聖宝奪回を引き受けた時からできている。

 しかし、いくら薄情者と責められようと、彼の命まで危険に晒すわけにはいかなかった。


 ふいに人の気配を感じ、レイのおもてに緊張が走った。

 床にある扉の向こうで、何者かがこちらの様子を窺っているようだ。梯子はディーンが出て行ったときに、外に置いたままになっている。

 部屋を見回したレイは、荷物と一緒に置いていた剣が、鞘を残してなくなっていることに気付き、顔色を変えた。

 ひそひそと話し声が洩れ聞こえる。


「……まだ起きているようだよ」

「変だな。量を間違えたんじゃないか?」

「あたしはあんたの言うとおりにちゃんと入れたよ!」

「しぃっ! こっちへ来る」


 レイは、近くの棚からほうきを取って構えつつ、扉へ近付いた。

 唐突に、視界がぼやける。


「な……に……?」


 自然にもたらされたものとは違う、急激なだるさが全身を襲った。足がもつれ、箒が手から(すべ)り落ちる。

 数歩と歩かぬうちに、レイはばったりと床に倒れた。

 遠退いていく意識の中で、連れの名を叫ぶ。


――ディーン……!


   *


 その頃、帰り道を歩いていたディーンは、誰かに呼ばれたような気がして、ふと足を止めた。


「どうしたの?」


 唐突な話の中断に、フィオナが首を傾げる。


「いいや。なんでもないよ」


 ディーンは笑って首を振り、話を続けた。

 草原の国スワブの話で盛り上がりながら、二人は家へ到着する。

 フィオナは扉を開けてディーンを部屋へ招き入れ、


「だけど、あなたってすごいのね。いろんな国へ行って」

「感心されるほどでもないよ」


 言い、部屋へ足を踏み入れたディーンは、ぐらりと床が揺れるのを感じた。


「どうかしたの、ディーン?」


 不思議そうに尋ねるフィオナの声が、奇妙にこだまする。

 ディーンは壁に手をつき、懸命に遠ざかる意識を呼び戻そうとするが、思うようにいかない。


「一体……な……にを――?」

「ディーン?」


 くずおれながら、ディーンは戸口に立つフィオナの姿を見た。




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