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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第2話 砂上幻想
11/33

2-4

 


 妖魔とは、広くは人間や家畜を襲う正体不明の生物全体を指すが、本来は、この世界とは別の次元の魔界に属する住人のことをいう。

 妖魔は、魔力を有して人々に害を与え、その精気を奪い取ってかてとする。寿命は長く、数百年を生き、場合によっては不死を得るものもあるといわれる。その形態は様々だが、一般に角が多いほど魔力が強く、また賢いとされた。

 妖魔の特徴であるところの魔力。それは、増幅器である角を得、戦闘形態(バトルフォーム)へ変身することによって数倍の力を発揮する。


 砂巳(サミ)は、通常の少年に似た基本形態(ベースフォーム)から黄金の蛇形へと変身を遂げ、帝都の追っ手である少年たちを襲った。

 大地の気を操る砂巳にとって、逃げ場のない砂漠にいる人間など、罠にかかった獲物のようなものだった。

 砂鬼(オーグル)とは比較にならない速度と破壊力で、砂巳は、確実に二人を射程内に追い込んでいく。


 右から来たかと思うと前に現われ、遠くで砂煙が上がった次にはもう、足元に迫る――。

 なぶるごとくの変幻自在な妖魔の攻撃に、ディーンとレイは逃げ惑うほか、為すすべを知らなかった。

 幾度か剣で斬りつけても、いたずらに煙を裂き、砂をえぐるだけで、妖魔の片影すら掴めない。まるで砂の大地そのものが、形を変えて襲って来ているような錯覚にさえ陥る。

 外套を脱ぎ捨て、赤い頭布(シェーシ)をなびかせたディーンが、大刀を振り回しながら毒づいた。


「畜生っ。どこから来るか分かんねーんじゃ、手も足も出せねえ……っ!」


 同じく外套を脱いだレイは、中剣を手に、彼の背後に回りこんだ。背中合わせに立つ。


「――ディーン」

「何だよ」

「どこから来るのか分かれば、奴を倒せるか?」


 周囲に眼を向けたまま、レイが尋ねる。ディーンも振り向くことなく、頷いた。


「ああ。来る方向さえ分かればな……!」

「分かった」


 そう言うとレイは、何を思ったか突然、剣を鞘に納めた。横目でそれと見たディーンが、蒼褪める。


「お、おい。何をする気だ?」


 その声には答えず、レイは片膝を付き、熱い砂地に右手を当てて瞑目した。

 ざあっと煙を撒き散らして、後方で砂柱が上がる。

 次第に西へ傾く太陽が、大地を黄金に燃やした。

 舞いあがる砂塵、灼熱の太陽、流れ落ちる汗。

 そのすべてへの意識を断ち、レイは、この大地を感じていた。

 どくん、どくん、どくん……。

 心臓の鼓動が、大地の脈拍と同化する。

 熱く灼けた地表と冷たく沈む地中。さらさらと流れる砂、砂、砂――。

 何かが、その流れを急速に変えて――来る。


「ディーン、右だ。二時の方角から来る」

「よし」


 ディーンは迷わず応じると、刀身に右手をかざし、眼を閉じた。心を鎮め、全身の気を大刀へ注ぎ込む。神術を施された刀身が、青白く輝く文字を浮かび上がらせた。


「もう少しだ。秒読み(カウント)する。……三、二、一。――今だ!!」


 レイの掛け声と同時に、ディーンは、一気に跳躍した。

 黄砂が天高く立ち昇り、黄金の妖魔がその姿を現わす。毒牙を避け、その長い体を蹴って弾みをつけたディーンは、渾身の気を込めて大刀を一閃した。

 赤と黒が蒼天に映え、軽やかに着地する。


「ディーン!」


 立ち上がって、レイが叫んだ。

 鮮やかな色を纏った少年が、振り返る。その背後で、蛇形の妖魔が大気を引き裂く悲鳴を上げた。


《ギャアアアア……ッ!!》


 円錐形の何かが日輪まで飛び、地面に突き立つ。

 妖魔のあかしである角を斬り落とされた砂巳は、魔力を失い、急速に形を変えていった。

 その様子を見守っていたレイとディーンは、妖魔が最後に行き着いた姿を見て、眼を瞠る。


 褐色の肌と金色の巻き毛の幼い少年。褐色の瞳さえ縦長でなかったら、十二、三歳の人間の男の子と、なんら変わりがない。

 妖魔の少年が全身に手傷を負っているのは、一閃と見えたディーンの攻撃が、十数回におよぶ業の連続であったためだ。

 血に塗れた砂巳が、魔力を失いながらもふらふらと立ち上がるのを見、ディーンは大刀を構え直す。


「やめろ!」


 意外にも、レイが大刀を持つ手を押し止めた。

 ディーンが冷ややかな視線を返す。


「見てくれにごまかされるな。姿はガキでも、こいつは妖魔だ」

「そんなことは承知している。だが、私たちは殺し合いに来たのではない。目的は、盗まれた宝を取り戻すことだ」


 きっぱりと断言するレイに、ディーンは肩をすくめ、大刀を納めた。


「だったら好きにしろ。俺は、あんたさえ無事でいてくれればいいからな」


 レイは一人、ゆっくりと距離を測りつつ、妖魔の少年へ歩み寄った。


「おまえは、妖魔だな?」

《……》

「答えろ!」

《……そうだ》


 砂巳は、わずかに嘲笑した。幼い顔立ちに、ふてぶてしい、老成した光が浮かぶ。

 レイは負けないように睨み返し、慎重に質問を選んだ。


「おまえは、なぜ私たちを襲った?」

『教える義務などない』


 レイの背後で、ディーンが剣の鯉口を切った。レイは後ろ手にそれを制し、


「私の連れは気が短くてな。素直に質問に答えないと、生きてここから戻れんぞ? ――私たちを襲ったのはなぜだ?」

御主人様(マスター)の命令だ》

主人(マスター)とは、玉兎石を奪った魔術師か?」

《そうだ》

「その魔術師とは何者だ?」


 砂巳は、痛みに息を荒げながら、薄く笑った。


《知らん。我々の封印を解き、甦らせてくれた。だから仕えている》


 妖魔は、人をだままどわすことはできても、嘘をつくことだけはできないと聞く。

 レイは舌打ちをした。


「では、目的はなんだ?」

《――我らが王の復活》


 瞬時にレイの顔色が変わった。灰のように蒼褪めたかと思うと、みるみる顔面に血の色がのぼる。


「馬鹿な!! そのようなことが許されるとでも思うのか!!」

《許すも許さんもない。我々は、もうじきそれをやり遂げる》

「何だと……? 答えろ。おまえの主人はどこにいるのだ!!」

《この世の……果てだ》


 呻くように答え、砂巳はがっくりと両膝を付いた。左肩から胸にかけての深い傷から大量の血が流れ、大地を染めている。

 レイは、少しためらい、妖魔の傍に近づいた。

 うずくまったまま砂巳が歯を剥き、鋭い威嚇いかくの声を上げる。

 レイは、数歩手前で身を屈めると、頭に巻いていた橄欖(オリーブ)色の頭布(シェーシ)をほどいた。


「これで血を止めるがいい。妖魔も人と同じで、血を多量に失うと死に至ると聞いたことがある。――さあ」


 砂巳は、朦朧とする意識の中で、白銀の髪をなびかせるレイと差し出された頭布(シェーシ)とを見比べた。間近にいる敵を攻撃しようにも、指先すらぴくりともしない。


 砂巳が動けないと悟ったレイは、頭布(シェーシ)を細く折りたたむと、傷を押さえるようにしっかりと妖魔の肩と胸へ巻きつけて縛った。

 深い蒼の双眸がなごむ。


「この傷では、もはや私たちを襲えまい。帰って主人に、私たちが必ず玉兎石を取り戻しに行くと、伝えるがいい」


 穏やかに、レイは告げた。

 砂巳は、弱々しく人間の手を払うと、残り少ない魔力を振り絞って、空間を転移した。

 砂巳の魔力に、大地がきりきりと軋んで揺れる。

 砂漠に残されたレイは、剣を納める鍔鳴つばなりの音に、後ろを振り返った。


「どうなるかと思って、冷や冷やしたぜ」


 苦笑いをして、ディーンが額の汗を拭う。

 妖魔の少年が気圧されたのは、ディーンが抜刀して睨みをきかせてくれていたせいもあったのだろう。


「すまない。心配をかけたな」

「まったく無茶するな、あんたも。妖魔を追いかけて一緒に空間移動(トランスフェーズ)した奴だってこと、忘れてたよ」


 これじゃ守るのも一苦労だぜ、とぼやくディーンに、レイも苦笑する。

 いつの間にか、西の空が朱を差したように、夕暮れに染まっていた。

 ほんのりと黄昏る空に、一箇所だけ異様に灰色の雲が集まっている。


「……あれ? あそこなんか変じゃないか?」


 同様に気が付いたらしいディーンが、眉根を寄せた。

 次第に黒ずむ雲が下へ伸び、同時に、大地から湧き上がったもやのようなものと溶け合って、ゆっくりと膨張を始める。

 レイが、ぽつりと呟いた。


「……砂嵐だ」

「ああ。しかも、こっちに向かって来やがる……!」


   *


 砂嵐がもうもうと立ちのぼる塵埃を残して去ったのを見計らい、ディーンは、被っていた外套を重い砂と共に、体から払いのけた。


「はー。酷い目にあったぜ」


 ばたばたと服をはたく。


「おい、レイ。あんたも無事か?」


 その呼びかけに、隣の砂山が崩れる。砂をかきわけ、同じく外套を被って腹這いとなっていたレイが、姿を現わした。

 まだ色濃く大気に残る砂埃に咳き込み、レイは顔をしかめる。


「……ひどい砂だ」


 素直な感想に、ディーンが破願した。


「ここには、それしかないからな」

「まったく、恨めしい限りだ」


 珍しくレイが愚痴めいたことを言って、服の隅々にまで入り込んだ砂を払った。

 妖魔の少年に頭布(シェーシ)を渡してしまったため、むき出しの銀の髪は、見るも無残むざんな状態だ。旅装はしても、常に貴公子然としていたレイの面影は、そこにはない。

 レイだけではなかった。ディーンも服は乱れ、飾りたてていた装身具アクセサリーも、戦闘と砂嵐とで八割がたどこかへ消えてしまっている。

 全身砂まみれの二人は、まるで初めて出会ったように顔を見合わせ、そして笑い出した。


「ひっでー格好」

「おまえもな」


 立て続けに起こった事件の解放感からか、息もつかせぬ大爆笑が、夕闇の迫る砂漠に響く。

 ひとしきり笑った後、笑い疲れてへたりこんだディーンは、まだ笑いの残るレイをふと見つめた。


「何だ?」

「――いや。あんたの笑う顔って、初めて見たなーと思ってさ」


 ディーンの言葉に、レイは笑いをおさめる。

 五日前に聖宝が盗まれて以来、自分では分からないが、気を張り詰めていたのだろう。だが、それ以前からレイは、人前で滅多に笑顔を見せることはなかった。それは、貴族社会の中で早くから大人として振舞うことを余儀なくされた結果でもあった。


「そういえば、こんなに笑ったのは久しぶりだな」


 砂地に座り込み、呟くレイに、ディーンはまた笑った。


「笑うのが久しぶりって奴があるかよ。変な野郎だぜ」

「変、かな?」

「俺の基準から言わせてもらえれば、変だな。それに、魚を食ったことがない、海を知らないって奴はいるかもしんねーけど、金をもったことがないって奴は、普通あんまいないぞ」

「普通か……。私は――」

「そう、それ! その〝私〟って言い方」


 言葉を遮り、ディーンが声を上げる。


「あんたの喋り方、なんか固いんだよな。もう少しくだけて話せないか? 話してるとまるで貴族のお偉いさんといるみたいだぜ。――あ」


 ディーンは、慌てて口を押さえた。レイの頬に、冷たい笑いが浮かぶ。


「そう、私は確かに貴族だ。だが、望んで貴族に生まれたわけでも、そういう生活を送っているわけでもない」

「悪い。俺、時々人の気持ちを考えないでしゃべっちまうんだ。今のは忘れてくれ」


 ディーンはすぐに謝ったが、二人の間には、重苦しい沈黙が漂った。

 乾いた風が大地を吹き抜ける中、再びディーンが口を開く。


「……今までに一人だけ、友達と呼べる貴族がいる。そいつは遊び方ひとつ知らない奴だったけど、たくさんの大人たちの知らない、いろんなことを知ってた。そして、こう教えてくれた――世界中の人の数だけ、ふさわしい役目と生き方がある、とね。それを理解できなくて、人はしばしばいさかいを起こすけど……」


 当時を思い起こしたのか、ディーンはやわらかな表情になる。


「やっと今、その人の言った言葉の意味が分かったよ。……すまなかった。あんたの立場も考えずに」


 レイは首を振って、その謝罪を受け入れた。


「いや。私も普通の生活の仕方が分からなくて、知らないうちに傲慢な態度をとっていたのかもしれない。二人きりの旅だ。こんなことでいがみ合うのはやめよう」

「こんなところで喧嘩別れ、なんてなったら、洒落しゃれにならないからな」


 冗談混じりに同意し、ディーンが肩をすくめる。レイが、くすり、と笑いをもらした。

 大きく伸びをして、ディーンは腰を上げる。


「さあて。暗くならないうちに、荷物を掘り出すか」

「そうだな」


 頷くと、レイも立ち上がって、手についた砂を払った。




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