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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第2話 砂上幻想
10/33

2-3

 


 翌日。予定通り、夜明けと共に出立した二人は、順調に旅を進めていた。

 手首の痛みもとれ、倒れたことが嘘のように顔色の良くなったレイは、斜め前をゆく駱駝に声をかける。


「ディーン!」

「んあ?」


 欠伸あくびを噛み殺して、ディーンが振り返った。彼は昨夜、見張りと看病のために一晩中起きていたのである。


「大分日が高くなってきた。休憩にしないか?」

「そうだな。一息入れるか」


 めずらしいレイの方からの提案に、睡眠不足のディーンは笑顔で受けた。

 砂丘の陰となる場所を探し、天幕(テント)を設営する。駱駝たちはつないでいないが、人に慣れているせいか逃げようとはせず、天幕の陰で座って休んでいた。

 二人は火を起こし、簡単な昼食をとった。食後のお茶の後で、レイは、用心のために薬湯を飲むようディーンに命じられる。


「だが、もうなんともないぞ?」

「だから用心しろって言ってんだろ。何事においても、体が第一。男は体力が資本だからな」


 ディーンは最初に会った時と同じようなことを言って、茶碗に注いだ薬湯をレイに渡す。

 甘いような臭いような香りは、何度飲もうが慣れない。

 鼻にしわを寄せつつ薬湯を口に運んだレイは、視界の隅で、再びディーンが欠伸するのを目にした。そういえば、心なしか顔色が優れない気もする。


「ディーン。身体はもういいようだし、私が見張りをするから、夕刻の出発までしばらく休んではどうだ?」


 なみなみと薬湯の入った茶碗を両手で抱えるレイを、ディーンが、ちら、と見た。

 その視線に、レイは赤くなって否定する。


「べ……別に飲みたくないから言っているのではないぞ。おまえ、昨日から一睡もしていないのだろう? だから――」


 慌てて言い訳をするレイに、ディーンはくす、と笑いを洩らした。


「実は進みながら少し寝てたんだけどな。やっぱ、あの駱駝の上じゃ寝た気がしなくってさ。ちょっとキツいかなーと思ってたところなんだ。助かるよ」


 顔色の悪さを自覚していたらしいディーンは、意外なほどあっさり従った。外套を片手に、天幕(テント)へ向かう。


「じゃ、遠慮なくお言葉に甘えて。後、頼むな」

「ああ、お休み」


 レイは、彼が天幕に入ったのを見計らって、薬湯の椀を地面に置いた。頭布(シェシ)の端に水を少し含ませ、日に焼けた頬に当てる。


「……っ!」


 顔を顰め、レイは声を押し殺した。

 雪と白さを競うほどだったレイの肌は、強い太陽光に晒され、見る影もなく真っ赤に腫れあがっている。特に外套で覆いきれない顔や手などは、やわらかな布が触れたときですら、無数の透明な針で刺されたように痛んだ。

 砂漠の旅も今日で三日目なので、多少慣れてきてはいたが、先のことを考えると、これ以上悪化するようでは体力的にも支障が出る可能性がある。

 レイは、足手纏いに思われぬよう、水で冷やして痛みをごまかした。


 ふいに天幕(テント)が開き、ディーンが顔を覗かせた。慌ててレイは、当てていた布を背中に隠す。


「――受け取れ」


 声をかけ、ディーンが小さい何かを投げる。

 片手でそれを掴んだレイは、手のひら大の陶製の瓶に怪訝な眼差しを注いだ。瓶の口は紙と紐で厳重に封をされ、液体が入っている音がする。


「傷薬だ。日焼けにも効果がある。塗っとけ」

「あ……ああ」

「それから――見張りってのは、周りに気を配るのが仕事で、座るのは仕事じゃないからな。この暑さじゃ、座ってるだけでも相当体力を消耗するぞ」


 遠回しな彼の気遣いに、レイは戸惑いつつも頷いた。


「お休み。無理するなよ」


 再び閉じられた天幕から、ディーンの声だけが届く。

 レイは、しばらく黙って手の中の小瓶を見つめ、薬湯の椀を取ると、一息に飲み干した。


   *


 深い眠りの中にいたディーンは、奇妙な感覚に目を覚ました。


――地面が……動いている?


 敷布(シート)の下はきめ細かな砂地だが、時間をかけて風に動かされることはあっても、こんなに早い動きをすることなどないはずだった。

 まるで、地面の下で、何か大きな生き物でも蠢いているかのような感覚だった。


――まさか……!


 瞬時にディーンは起き上がり、荷物を掴んで、天幕(テント)の外へ飛び出した。


「ディーンッ!」


 同時に、異変に気付いたレイが叫ぶ。

 ディーンが天幕を出た直後、その布を突き破るように、地面から巨大な柱が現われた。

 恐慌状態となった駱駝たちが、悲鳴をあげて逃げ出す。

 だが、その先にも二本の柱が地面から伸び、彼らの進路を断った。

 抜刀したレイは、柱と見えたその物体が、大顎おおあごをいただき、よろいを連ねたごとく長い節状の体をもった、巨大な生き物であることに気が付いた。


砂鬼(オーグル)……!」


 砂中に住まうこの生き物は、知能が低く、凶暴な肉食動物だ。主に砂漠の動物などを餌としているが、時には群れて旅の隊商やオアシスを襲い、食べ尽くすこともあるという。

 本の知識でしかなかった生き物を目前にして立ち竦むレイに、砂鬼(オーグル)が、その名の由来となった二本の角に似た大顎を向けてきた。


「危ないっ!」


 ディーンが、レイの体を攫うようにして、地面に伏せる。

 二人の足先を、髪一筋の差で砂鬼(オーグル)の牙が擦り抜けていった。長い体は、金属的な煌めきをみせながら、再び砂中に没していく。


「ぼさっとすんな、馬鹿野郎っ!! 死にたいのか!!」


 ディーンが叱り飛ばした。

 我に返ったレイの耳に、鋭い悲鳴が突き刺さる。逃げ出した駱駝たちが、別の砂鬼(オーグル) に捕まったのだ。

 脚を喰いちぎられた一頭が、泡を吹きながら空を駆った。黄砂がみるみる深紅に染まっていく。


「嗚呼、(ルシア)よ……!」


 呻いて、レイは凄惨な光景から目を逸らした。その腕を掴み、ディーンが口早に告げる。


「神様に頼ってる場合じゃないぞ。あいつらが終われば、次は俺たちだ」


 レイを引きずり立たせ、辺りに気を配りつつ、無事な荷物を選んでまとめる。

 そうしているうちに、三頭の駱駝を喰らい尽くした砂鬼(オーグル) が、砂の中に帰っていった。

 ディーンとレイは、剣を構え、油断なく四方に眼を()らす。

 太陽はいつしか天頂を越え、じりじりと大地を()がしながら西へ傾いていた。

 砂地から熱気が、陽炎(かげろう)となって立ち昇る。

 駱駝たちの血で濡れた地面は早くも乾き、不気味な黒い染みとなって残った。

 外套の下の二人の顔に、熱気と緊張で、ふつふつと汗が吹き出す。


――去ったか……?


 三頭の駱駝を(にえ)として、砂鬼(オーグル)たちはこの場から立ち去ったのだろうか。

 二人が緊張を解こうとした瞬間。それは現われた。


「……っ!!」


 粉塵と共に巻き上げられるようにして、レイが飛び退()く。だがすぐに、(かぎ)(つめ)のついた脚に、構えた剣を弾き飛ばされた。

 地面に転がったレイを、再度砂鬼(オーグル)が狙う。


「伏せろっ!!」


 鋭い声が飛び、レイが腹這(はらば)いとなるや否や。


「キシャアアア……ッ!」


 突如砂鬼(オーグル)が攻撃を止め、狂ったように身悶(みもだ)えはじめた。

 黒光りする突き出た眼の間、人で言うちょうど眉間(みけん)の辺りに、一本の細い棒が突き立っている。勢いよく青い体液が()き出、辺りに迸った。

 ディーンが放った棒手裏剣を急所に受けた砂鬼(オーグル)は、悲鳴ともつかぬ声を震わせて、長い体を地中へ潜り込ませる。それきり姿を現わさず、奇妙なまでの静けさがその場を包んだ。

 やがて、


「大丈夫か?」


 声をかけて駆け寄るディーンに、レイが頷いて、上体を起こした。

 刹那。

 砂鬼(オーグル)の角の生えた尻尾が、二人の目の前で躍り上がった。


「!」


 足元を掬われ、ディーンが倒れる。

 痛みにもがく砂鬼(オーグル)の尻尾は、倒れた少年の肩を掠め、大きく地面を叩いて、そのまま地中の奥深くへと沈んでいった。


「ディーンッ!」


 走り寄ったレイは、黄色い砂塵の中で手を振る人影に、胸を撫で下ろした。


「無事か?」

「……なんとか生きてるよ」


 咳き込みながら、ディーンが答える。その彼へ、レイが手を差し伸べた。

 ディーンは少し戸惑った顔をしたが、左手を伸ばして、その手を掴んだ。


「悪ぃな」

「礼を言うのはこちらだ。さっきは助かった」


 同じほどの体格の少年を引き上げながら、素直にレイが口にする。


「たいしたことじゃない。あれも役目のうちだ」


 照れたようにそう言って、ディーンが身を起こした、瞬間。地鳴りに似た音を立てて、大地が震えはじめた。

 体勢を保てず、二人は膝をつく。


「何だ?!」

「さあな。だけど、物凄く厭な予感がするぜ……!」


 答えながら、ディーンは、全身が総毛立つほどの殺気を感じた。


――何かが、来る……!


 徐々に強さを増す揺れの波が、まさに大地が張り裂けるほどの激しさを迎えた、その時。

 二人の前に、巨大な砂柱が突き立った。


砂鬼(オーグル)……?!」

「いや、違うぞ。こいつは――」


 ディーンは、的中した予感に、昏い笑みを浮かべた。


「あいつらより、もっと性質が悪い」


 金色に輝く鱗が全身を覆い、三日月のごとく縦長の瞳孔をもつ黄金の双眸。先の割れた青い舌と二本の毒牙。

 そして額に生える、一本の角――。

 レイの震える唇が、その名を紡ぐ。


「……妖魔――!!」




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