世界の広さはどれぐらいなのか?
ネットの世界は広くともその世界を生きるものはいまだに狭い世界に生きている。
そう、私は狭い世界と広い世界の狭間を生きる愚か者にして“無意味”で“無価値”な悪魔だ。
どうか私の過去が誰かの心に新たな希望の光を灯してくれることを願いたい。
だからこれは私の身勝手で、愚かな回想録だ。
戦場の過去を平和な現代に持ち出す愚か者だ。
だが戦場を知らぬ賢者にものを申す愚か者だ。
どうか、どうか、いつの日か私の願いが、彼らの願いが、本当の意味で叶うことを信じている。
さ、世界の平和を望もう。
そのために平和を望むものに戦いを挑もう。
彼らが最後までそれを貫き平和を成し遂げたならば、そのときに私の全ては満たされるだろう。
世界は広い。だが同時に狭い。
このように世界といった場合、二つの意味がある。
自分が認識できる範囲の世界と自分が存在できる世界。
この二つだ。
広い世界は自分が存在できる世界。
狭い世界は認識できる範囲の世界。
狭い世界の中に閉じこもっていると、どうしてもこういう人になる。
「いい加減認めろよ! おまえは論破されたの!」
ネットの海は広大であるが、その中に泳ぐ魚は狭いところしか知らないようだ。
「そろそろ、こちらの質問に答えてください」
このやり取りはすでに十回を数えている。
彼の“戦争はいけない。なにが何でもしてはいけない”という主張と、私の”戦争を避けるために武力を持つべきだ”と言う主張の論戦だ。
「だから、あんたの質問には答えたよ!」
「ふむ、いつ答えておられますか。私の質問内容をもう一度確認しましょう」
隣でメモを取っていた友人に頼んで、私の発言を読み上げる。
別に忘れているわけではない。証拠として彼のメモを確認しているのだ。
ちなみに彼は友人ではあるが、今日初めて顔を合わせた人物だ。
私と政治的主張としては真反対。その彼に今回の証人を頼んだのだ。
「え~。私の質問は“貴方の主張する方法で戦争を避けることができるか”ですが」
「戦争はダメだってみんな分かってるんだから! 戦争なんて起きないの! だから武力なんて必要ないの!」
答えになっていない。
それと主張するたびに机を叩くのは何の意味があるのだろうか。
「では聞き方を変えましょうか。戦争は何故起きているんですか?」
「だから!」
再び同じ答を言おうとする彼を遮る。
「同じことは繰り返さなくて結構です。今現在起こっている戦争は何故起こっているのか教えてください」
「それは!……」
すぐに言葉は出てこない。ここで畳み掛けるべきだろう。
「誰かの陰謀であるのならば、その誰かは戦争が悪いことであると知っていてもそれを起こしていることになります。それでは貴方の主張はすでに破綻している」
反論は即座に出てこない。どうやらこれで終わりのようだ、と思ったがそうでもなかったらしい。
「いや! そんなことはない! みんな平和を望んでいる! 戦争は根絶できる」
「そんなことは聞いていません。何故戦争は起きるのですか? お答えください」
静かにゆっくりと相手の表情を確認しながら告げる。
相手の視線が泳いでいる。どうやら旗色が悪いことは分かっているようだ。
今回の発端はSNSでのやり取りである。
私の発言に対して目の前のハンドルネーム”平和を望むじじい”氏が噛み付いてきたのが始まりだ。
「SNS上でも書きましたが、私は戦争を望んでいるわけではありません。皆が平和を望んでいるというのは否定しません」
「だったら!」
「ですが、貴方の発言を許容はできません」
彼は名前に反してそれなりに若い。多く見積もっても私と同じぐらい、30代半ばぐらいであろう。
本名は聞いていない。だが直接、会って話をしたいと思ったのだ。
彼の考え方は私と相容れない。戦力を放棄し、戦闘を放棄すれば戦争は起きないなどという無抵抗主義は私には許容できないのだ。
「再度言います。貴方の発言を許容できません」
「何でそこまで突っかかってくる! 私のいっていることは正しいんだぞ!」
「正しくないから言っています」
「どこが間違っているのか証明しろよ!」
「証明ですか。いいですよ」
そう言って立ち上がり、右袖をめくり上げる。
そこにあるのは生身の腕ではない。薄い膜の張った金属と合成樹脂の塊だ。
「戦いを知らない世代と貴方は私を定義しましたが、私はその戦いを経験しています。確かにここ数十年日本では戦争はありません」
息を呑む音が隣から聞こえた。
ああ、そういえば彼にも言っていなかったなと、心の中で彼に謝罪する。
本当に申し訳ないが、じじい氏に認めさせるためにも無視させてもらう。
「二十歳ぐらいの頃、私は中東にいましてね。妻と共に平和活動に従事していました。人間の壁って奴です」
周囲の音が遠い。
補聴器が壊れたわけではない。元よりほとんど音など聞こえていないのだ。
私は五感の内、聴覚が極めて悪くなっている。触角も大部分が異常な状態だ。
視覚は奇跡的に無事だが、いつ失明してもおかしくない爆弾を抱えている。
「そのときの怪我が元で、私の両腕は義手です。両足は一応生ものですが、それもまともに歩くことができないのでこのように補助具がついています」
両足の裾をまくり軽く機器を見せる。
動きを補助する機器は物々しい。まるで武装のように見える。日本に帰ってきた当時に親しい友人にサイボーグになって帰ってきたとからかわれて安堵した覚えがある。ああ、この国はまだ平和なんだと。
「戦争したい人間などいない。私もそう考えていたし、今でもそう考えています」
卑怯だとは思う。匿名だからこそSNS上では自由に発言できよう。
だがこうやって相手を目の前にして、その相手が戦争の被害にあった人間で、なおかつそれによって多くを失い、多くを得た場合、説得する言葉を語れる人間は多くはないだろう。
「だけれど、戦争を否定する気もないのです。戦争は起きる」
「何故断言できるんだ! お前のその怪我が戦争のものか証明できるのか! 戦争が必ず起きるなんてどうやって証明する!」
攻撃できそうなものを見つければ攻撃してくる。なかなかに好戦的だ。
彼らは感情によって動く。だから論拠などない。
そして、それを利用するのが合理主義者だ。反感感情をもつものを扇動し、理ではなく利を生み出す。
ここで言う合理とは即ち、自分の理を通し、利益を追求する考え方だ。
「貴方の存在がそれを証明しています」
「バカを言うな! 俺は戦争なんか望んじゃいない!」
「では何故今私と“言い争って”おられるのですか?」
隣の彼がフードの奥で目を瞬かせる。
そうなのだ。じじい氏は戦争は誰も望まないといいながら、その実、こうやって私と“言い争い”をしているのだ。
「お前が! 私の言葉を曲解し! 私が争いのない世界を実現しようとするのを邪魔するから!」
「では、貴方は自分と相容れないものと争うことを辞さないわけですね。ではここに争いをしにきたわけだ。それが武力になることに何の不思議がありますか?」
合い争うことの本質は同じ。
互いを認められないからこそ争うのだ。競うのではなく争うのだ。
競って決められることなら、人は争う必要がないのだ。だから死ぬようなことはない。
だから群れの中で争いが起こっても、動物の中で死はほとんどないのだ。
「何で武力に直結してるんだ! 言論と武力は」
「同じですよ。相手を傷つけるという意味では同じです。そして、優しい力である言葉で相手を屈服させることができないと知れば、必ず武力に訴える。今の貴方そのものではないですか?」
静かに目を閉じる。
蘇るのは悪夢の光景。
奴らにそそのかされ、妻と二人で参加した人間の壁。
結果は見るも無残な屍の山。そこに佇む私たちを、武装勢力は容赦なく掃討した。
彼らにとっては守ろうとした私たちも、敵国の兵士も違いなかったのだ。
「世界には争いが生まれるものです。自分が正しいと思うから争いが生まれる」
「そんなことはない! 戦争をしないことは正しいことなんだから、俺らは戦争をしないし、戦争は起きないんだ!」
凝り固まった考え方は最早直らない。だが知っていて欲しいのだ、それこそが過ちを生むのだと。
「では、少々論旨から離れますが、少し語りましょうか」
すっとじじい氏の目前に一冊の本を差し出す。
描かれているのは私が撮影した戦場の写真と日記風に記された戦場録である。
「貴方が送られたメッセージに“戦場を知らない若者”とありましたので、証明として持参しました」
人間の壁として戦場へ向かい、そこで見たものを記録した私的なものだ。
昨日まで談笑していた地元の気のいいおじさん。ついさっき買い物をした商店のおばさん。
学校へ向かう少年少女たち。客にチップをねだる青年。そんな普通に接することのできた人たちが、屍となった姿。
それらが余すことなく記され、刻まれている私の日記帳だ。
「38ページ目を見てください。そこに写っているのは妻の遺体です」
ぎょっと驚く雰囲気を隣から感じつつも私は話を進める。
「貴方は私のことを戦争も知らない若者が戦争をしたいがために政府を支持して法律を変えようとしていると仰いました」
静かに静かに、感情的にならずに、ゆっくりと、そして、意志を込めて。
「ですが、証拠の通り、私は“戦争を知らない若者”ではない。そしてひどい思いをしたので戦争はもうこりごりです。なので“戦争をしたい”わけでもありません」
「わ、分からないじゃないか! じつはこれで変態資質に目覚めて」
ため息をつき。そして、彼の目を見て告げる。
「ではそれを証明してください。論理とは証明によって成り立ちます。論拠、根拠とは原因です。そして、議論という過程を経て、初めて論理という結果に辿り着きます」
「そんなのは今は関係ない!」
半眼で睨みつけ、語気を荒げて立ち上がろうとした相手を威嚇する。
無言で座るように促し、隣に座る彼にも視線を送る。
彼が立ち上がって、じじい氏を抑えようとする動きが見て取れたからだ。
「まずは話を最後までお聞きなさい。貴方の展開した論理は、論拠提示がされていません。そして、論拠がなければ議論は成り立ちません。根本的に前提条件から破綻している。結論ありきで話をするからこじれるのです」
「ふざけるな! 人間は生まれた時から善なんだよ! だから戦争なんて望まない!」
一応私自身は40近い年である。まあ、そう見えないとは言われるが。
「性善説ですね。ですが性善説は人間の性は善である、しかして、努力を怠れば悪になる。ゆめゆめ努力を忘るることなかれです。戦争など望まなくてもその後の成長や、考え方次第でいくらでも変わる。証明にはなりません。これは性悪説でも善であるために努力するという部分に関しては変わりません」
一言一言を強く思う。決して枉げてはならない。決して歪めてはならない。
それをした瞬間に自分が対峙すべき最も醜悪な自分になってしまう。
「ですから。貴方はまず論拠を示さねばならない。そして、貴方は現状その論拠をまたく提示できずにいる。それは何故ですか」
「私の提出した論拠にお前が納得しないだけだ! 私はすでに論拠を」
「提示した論拠はすべて私に論拠としては不十分だと断ぜられ、またそれはすべて証明して見せています。結果、貴方は私の提示した論を破れていらっしゃらない。それはなぜか分かりますか」
口を固く結んで歯が砕けんばかりに力をこめているのが見て取れる。
悔しいのだろう、口惜しいのだろう。だがそんなものは生きていなければ感じられないものだ。
「貴方が自分が攻撃される覚悟もなく、相手を攻撃してきたからです。そして、自分の主張は完璧だと盲信したからです」
「私の主張は間違いない! だから戦争は!」
すっと右手を上げる。
「では、今すぐにそれを戦場で証明してください。未だ世界には数多の戦場があります。そこにいっしょに行きましょう」
私は過去の経験・体験から彼の言を否定した。では同じように彼も経験・体験から私の論を否定してほしい。
むしろ私は戦争を根絶する方法を持つ人がいるのならば論破してほしいのだ。戦争などなくなってほしいと、自らの命を掛けて祈っている。
「貴方が私に証明を求めたのだから、私も求めます。一つの証明につき一つの証明を。私の証明した事実は二つ[戦争を知っていること]と[戦争を望んでいないこと]です。私から貴方に求める証明は二つ。貴方が戦争を誰も望んでおらず止められるというのなら、まずはそうですねとある半島の北に行きましょうか。そこで戦争はやめろ。停戦、休戦ではなく終戦宣言をしろと国主にお伝えください。それで終戦協定が結ばれ、終戦が迎えられれば貴方の論が証明されたと認めましょう」
隣の彼も、目の前の彼も驚愕に目を見開いている。
「もうひとつは、戦争は根絶できるというのならばその方法を用いて戦争を根絶することが可能であると証明してください。私には方法が分かりませんので証明不能です。貴方は自説を証明する義務ではなく、私の証明の対価として自説を証明する義務を負っていただきたい」
これは契約であり、前提条件だ。これが果たされなければ証明は不能であり、よって私を論破することはできない。
つまりこの論争は私の勝ちである。
また証明できると主張するのであれば彼はその方法で世界から戦争を根絶しなければならない。故に彼は私の提示した行動を起こす以外に方法がなく、それ以外の勝利条件をすべて一瞬で排除した形になる。
「当然でしょう? 私は過去の“体験”から証明を行いました。では貴方は同等の体験を持って否定しなければならない。そうでなければ私以上の説得力など生み出せない」
完全に硬直している。それはそうだろう。死にに行けと言っているも同然だ。だが、私はその口車に乗って戦地に向かった口だ。
「私は多くの人に支援されて戦地に赴きました。そして、貴方が支持を表明している組織はその当時に私を支援して戦地に向かうように仕向けた組織に援助をしていました」
「そんなバカなことがあるか!」
「事実です。私もその組織の一員だったのですよ? 今でも彼らは言っているじゃありませんか。「ミサイルは随分都合よく飛ぶ。だから首相が撃たないように交渉してこい」と」
じじい氏の言葉には厚みがない。説得力がない。
言葉には意味がある。だが発言には意味が無い場合のほうが多い。
これは納得できる人が少ないだろうが、発言とは感情の発露以上の意味はほとんどないのだ。
私の反論ですら基本的には感情の発露でしかない。
戦争を憎む心と、それを無くすことができない無力感。そして、愛するものを失った虚無感それらの発露に過ぎないのだ。
「貴方は戦争を誰も望んでいないといった。貴方は本当に戦争を望みませんか? もし望まないと答えられるのであれば、先ほどの私の疑問への回答をお願いいたします」
彼の主張に私が何者であるかは関係ない。だから、素性を明かし体験を話すことはある意味卑怯だ。
だが同時に思う。顔も見ず、素性も知らず、何の情報もない相手の言葉をどうやって信ずればいいのかと。
根拠も何も提示せずただ情報だけを垂れ流す。これほど卑怯なことが他にあるだろうか? 人の善の感情を利用するような情報を流す卑劣な人間に対抗するには最早これで対抗する以外にない。
それが私の結論だ。
「さあ、解答をお願いします」
私の言葉にじじい氏が初めて目を合わせた。
今まで彼はあくまで私のほうを見ているだけで、視線を合わせて会話しようとはしなかった。それが初めて視線が交わったのだ。
「解答など必要なものか! 主張は自由だ! あんたに否定されるいわれはない!」
「ありがとうございます。漸く必要な言葉を引き出せました」
ここが最後の落とし所だ。これしか彼らの譲歩を引き出す手段などない。
「その通り。表現の自由、いい言葉です。だから自由に貴方が発言するのを私は止めることはできない。ならあなたが戦争を止めないのも私は見過ごすことしかできない。できるにも関わらずあなたはやらない。私はそう判断せざるを得ない。だからこれで決着です。貴方の発信している情報は正しいかもしれない。だが、貴方はその情報で行動を起こすことは決してしないのだとこれで証明されました」
言動よりも行動。それはどんな場合でも必然だ。
「そんな」
「否定は許しません。貴方は今言われました。自分の発言は私に関係なく自由だと。私も認めました。である以上逆もまた真。私の発言を貴方が否定するいわれはない」
ぐっと息を呑むじじい氏の顔を見て吐き気がした。
これはあの時、私達を人間の壁として送り出した人間を論破したときと同じだ。
忘れたいと思っても忘れることのできない、虚無感と絶望感。
結局、今ここで言ったことは私の自己満足でしかないのだ。世間一般に影響を与えるようなものではない。
ここで行われたものは密室での論争だ。ここでのことは誰にも知られないし、誰にも知らせてはいけない。
そういう条件のもと行われるものは、世間では信用されない。
「さて、これで閉幕といたしますか。何かまだ議論するべきことはございますか?」
私の問いかけに、視線をはずさずこちらを見つめるじじい氏。
そして出た言葉は再びの問いかけだった。
「あんたはなぜ私と直接会おうと思ったんだ? こんなSNSで好き勝手呟いている奴なんか無視すればいいじゃないか」
至極ご尤もな意見だが、理由など決まりきっている。
私は知っているし、彼ももう理解しているだろう。
「簡単ですよ。私は戦争を憎んでいる。だからこそ、戦争を始める要因になりそうなところに片っ端から喧嘩を売っているだけです。ご愁傷様です。私の目に留まらなければまだもう少し主張を続けられたのでしょう。今後は私は貴方の主張を見つめ続けます。ブロックしようと、二度と発信しなかろうと同じです。私は貴方が発言するのを見て、必ず反論しましょう。これが抑止力というものです」
抑止力と聞いてどれだけの人が同等の力と力の拮抗という答を出せるだろうか。
自分と相手が同等だと認めさせることが、まず第一段階。互いが互いに知識を披露し、互いの知識が拮抗している状態を作ること。
「さて、彼と私は拮抗しました。立会人として証明をお願いします」
もうすでにネット上では数年来の付き合いであるが、顔を合わせるのははじめての友人に声をかける。
彼は今まで一度も声を発していない。なぜかは知らない。私にとってはどうでもいいことだ。
彼が高速でノートPCのキーボードを叩く。そして、二人のスマートフォンに同時に通知が届く。
[“平和を望むじじい”と“戦争を憎む悪魔”の論争の終了を確認。内容を公開]
と題した呟きが表示されている。
「では、“狼を愛した嘘つき少年”さん。お願いしますね」
彼は頷くと、猛然とキーボードを叩き始める。
今まで入力していた議論内容を、ブログに纏めて公開しているのだろう。
これも抑止力の一つ。彼の情報を広く流し、それを持って彼の行動を阻害する。
「それではごきげんよう。私はこれで失礼しますよ」
立ち上がろうとして、自分のスマホにポップアップが上がっていることに気づく。
さらりと内容を確認して、愕然とする。
[“狼を愛した嘘つき少年”さんよりメッセージ “平和をのぞむじじい”の反撃に注意]
彼を振り返ったが、視線を上げない。当然だ、というよりも今の行動は私が軽率だった。
戦場帰りのくせにやはり日本暮らしが長いせいか平和ボケは相変わらずだ。これでは先立った彼らに申し訳が立たない。
「ありがとうございます。では失礼しますね」
私は足早にその場を離れた。
この物語はフィクションです。
私は戦場を知らないし、平和を望んで行動もしません。ですが平和を望んでいるのは確かです。
どうかこの物語が、皆様の心に何かを残せたら幸いです。