インターミッション*〜● 07
「連邦裁判所の判断が出るって訳か。やっと」
「ああ、しかし、第五区のミスシッピン州裁判所だ」
「どうなると思う?」
「カルフォルニアじゃなく、南部だ。認められるわけないだろう」
「惨敗か?」
「間違いなく」
「陪審員は?」
「陪審員達の半分は認めない。残り半分はどうでも良いけれど、それを認めたら実生活に不都合が多くなる」
かつて、日本の私立会津高校小美玉校へ送り込まれた時は"ハリー・ブライアント"と名乗った男は、ダイエットコークが詰められた巨大なペットボトルに手を伸ばす。
そして、ややマシなジャンクフード・フランチャイズ店「ジャック・イン・ザ・ボックス※」で貰って来た3Lサイズのプラスティック容器に、炭酸が抜け掛けた人工甘味料の塊の様なドス黒い液体を流し込んだ。
※ライス・ボールを取り扱っている事で有名。ただし、自慢の疑似日本料理はボールでなく四角い紙パックで提供される。
その容器の表面には、戯けるクッキー・モンスターがプリントされている。しかし、CMYKのYがややズレているので、間抜けさが強調され過ぎて、逆にユーザーやオーナーを小馬鹿にしている印象を与えかねなかった。
彼は完全にラフな装いだった。スーパーボールを観戦する「伝統的な合衆国人」の様に、カウチに沈み込んで、TVを食い入るように見入っている。しかし、TVプログラムはスポーツではなくニュースだった。放送局は"進歩的"であることと"資本主義的"であることの矛盾を両立している断言している、ニュース専門局「CNB」だった。ま、FOX系とは犬猿の仲の局と言えば分かると思う。
ハリー・ブライアントの横には同じくラフな装いの、大柄の白人がバドワイザー片手にあきらめ顔でTVを眺めている。
二人には妙で、正反対の共通点があった。いずれも服装はラフだ。しかし、ハリー・ブライアントは下半身を。バドワイザー片手の方は上半身を、肌がまったく見えないくらいに着込んでいた。それらの外観的印象は少しばかりバランスが悪かった。
合衆国の沿岸地帯ではない南東部では、そう言った装いを好む人は、服で隠されて見えない身体部位が機械化されている場合が多かった。南東部であっても地域によって多少の違いはあるが、彼らが滞在中のミスシッピン全域では機械化身体への依存は、神への冒涜とする憤慨する過激嗜好の住人が多かった。最近では、合法サイボーグは、進化論支持者よりも不快な存在となりつつあった。
(しかし、少なくとも素直で判り易いのは良い。一人が笑顔で握手してサイボーグの気を引き付けている間に、もう一人とかもう二人とかが、不意に後ろから襲って来る、みたいな偽善で武装した悪意を警戒する必要はないのだから。)
この地の"華"である伝統的な秘密結社"QUKK"は、公民権運動に身を投じる黒人革命家達を襲っていた。しかし、2037年の常識では、"QUKK"も万人に開かれた"親しみやすい組織"へと変身しつつあった。驚いたことに、以前は襲撃対象だった黒人がQUKKへ入信を許される様になっていた。
しかし、その一方で、そんな新メンバー達が白人の手先となって、機械化身体依存者をリンチする事件が報道ではなく、SNS上の投稿などで知られるようになっていた。それは、深刻なもので、ニューヨーク州など東部の経済的に恵まれた地域に住む人々が眉を顰めるくらいの急上昇な増加率を記録しつつあった(実際には報告されていない事件も多かったので、統計グラフは実際の流血惨事の報告としてはやや過小のきらいがあった)。
世も末である。かつて差別されていた者が、新しい差別対象者に対する攻撃の最前線に立つ事で、それまで拒絶されていた秘儀結社内での地位を固めつつあるのだから。
おそらく、二人は海兵隊の実働部隊上がりなので、やる気ばかりが先行する腰砕けな差別主義者が襲って来ても、ジョン・ランボー氏がちょっとだけ本気を出した時の様に、襲撃者を軽く撃退出来るだろう。しかし、その後の対応がとても厄介になるので、出来れば揉め事は避けたかった(かつての上司に出張られて説教されたくなかったのだ)。
二人が態々、サイボーグ嫌いで有名なミスシッピンのモーテルまでやって来て、揃ってTVを眺めているのには事情があった。
第五区のミスシッピン州裁判所で、全米が注目している裁判の判決が出ることになっているのだ。
その裁判の内容は、極めて奇妙なものだった。何故、裁判になるのか分からないと言うのは、サイレントマジョリティーの本音だろう。きっと、日本人には本当に訳が分からないに決まっている。
ーーーサイボーグ同士のカップルによる幼児の養子縁組が合法であるかどうか。ーーー
これが論点だった。病気を克服する過程や、事故などで少なくない四肢などを失った男女が出会って結婚した。しかし、不幸な事に、お互いがそれまでの不運を克服する過程で生殖機能を失ってしまっていた。そこで、孤児を養子縁組して、理想的なステイツ・ファミリーを作ろうと決心した。
正直、合衆国ではよくある話だ。それが、サイボーグ同士のカップルだと条件さえ除けば。
なお、ここは合衆国である。日本と違って、全身サイボーグはそうありふれていない。つまり、身体のかなりの部分が生身のまま、俗に言う合衆国式の「合法サイボーグ」による養子縁組なのだ。
文化の違いは摩擦を必ず産む。価値観の違いは強弱や大小で、卑劣なビジネスに発展する場合が多々有る。
文化や価値観のちょっとした差違。それが彼らの不幸の始まりだった。孤児を引き取り、養子縁組の法的手続きを始めたところで、作業は暗礁に乗り上げた。運悪く、食いっぱぐれの悪徳弁護士に幼児保護に関する"取り組み"を察知されて、紳士的に脅されたのだ。曰く、相応の金をドネートしなければ、下級裁判所に訴えたり、児童相談所に駆け込むと伝えられたのだ。
そのサイボーグ夫婦は、「正義は勝つ」と愚かにも信じて、悪徳弁護士からの挑戦を正面から受けた。もし、そこで幾ばくかの金を無駄にしておけば、彼らの家族計画は頓挫する事無く直ちに始まっていたことだろう。
悪徳弁護士からの告発で、サイボーグ夫婦が立てた"大それた計画"はマスコミの皆さんが知る所となってしまった。彼らは広告目当てで、すぐに騒ぎ出し、広告代理店が便乗して来ると、完全に羽目を外した。その話題が全米規模のお茶の間で認知されると、その裁判は頻繁にエクスクルーシブ・ニュースとしてTV画面に登場する様になった。
世間の感覚としては、20世紀に起こった合衆国司法の汚点「O・J・シンプソン事件」なみの一大娯楽へと昇華させられた。職場の会話、バス停での待ち時間、SNSでのお気に入り稼ぎ、などに実に有効なシンボルとなった。
金儲けが何よりも尊い行為、または美徳とされる、今時の「資本主義教」の司祭と信者達は、そんな娯楽を見逃すのは、神の人類への配慮を無視するくらいに罪深いと判断した。需要と供給はそこに完全に一致した。それはあくまで情報の需要と供給であって、情報源の都合(例えばプライベートなど)は神の遠大な配慮によって覆い隠された。
まるで、配慮の主が「我が子らよ、今は存分に楽しめ!」と言っているかの様に感じられた。
(多分、その神も、アダムとイブが追い出された楽園に生える大木を切り倒して作られたフレームのカウチに身を沈めて、右手にコーラ、左手にはポテト・チップを山盛りに盛ったバケツを抱えて、地上の子等によるドラマの展開を、固唾を呑んで見守っている事だろう。神は常に貴方と共に居る、という説教はそう言う意味でなら、きっと全面的に正しい。なお、大木は、いくら切り倒しても問題ない。何故なら、楽園の生き物は植物も含めて、全ての生命が不死であるからだ。ん? 絶対に死なないって・・・それは果たして生命なのか?)
悪徳弁護士とTV業界のプロデューサーは、この件で間違い無く一山当てたのだ。もちろん、彼らは人の不幸に気付くほどの多感なセンスを両親から受け継いでいなかったらしく(彼らの両親もそれを持ち合わせていなかった可能性も指摘される。ならば、進歩的観念で量れば彼らもまた被害者なんだとか。罪を憎んで人を憎まず!)、活動の苛烈さは鬼畜道を極めた。サイボーグ夫婦は、サイボーグであると言う事さえ除けば、極普通の良き合衆国人であり、どこにでも居るありふれた隣人であったと言うのにだ。
悪徳弁護士と、その支持者曰く「サイボーグ夫婦の様なあまりに一般常識から掛け離れた人物で構成される家庭で育てられては、養子の精神の発育面で大きな障害を抱えかねない。それは幼児虐待よりも罪深い」うんぬん。
それは、20世紀末期に、LGBT家庭への養子縁組を制限しようと法廷で、保守派と進歩派が血と血を洗う闘争を繰り返したテーマと同じ構図だ。つまり、合衆国的価値観から外れる、HENTHAIが子供を育てる事など罷り通らん! と言う一定の価値観を寄り所とする闘争だった。
20世紀末期の闘争の結果は、合衆国における伝統的価値観を持ち合わせると信じていた人々が、HENTHAIと罵っていた人々への全面敗北で終結した。それは、数の正義の前に「古き良き合衆国」と言う価値観が無力である事を示した。
それによって、キリスト教的価値観を信じて生きる人々にとって「冬の時代」が到来した。単に彼らが本音を一瞬漏らしてしまっただけで、それまで築いてきた社会的成果を全て失いかねないリスクに満ちた世界に包囲されていのだ。
社会的に成功すればするほどに、足を引っ張ろうとする業者への注意を密にする必要性が"高く"なった。「差別的」であると誰かが騒ぐだけで、それが虚構の訴求であったとしても、無視出来ない被害を受ける・・・防御不能な攻撃となった。
それは矛がありふれながら、盾が不足する世界だ。誰もが矛を持っているから攻撃出来る。しかし、誰も楯を持っていないから身を守れない。攻撃は最大の防御と言うが、そうそう好戦的日常に徹することが出来る人間も多くない。
そんな状況で、好戦的エリートが突き立てる矛は猛威を振るう。まるで無差別通り魔による被害の様だ。いや、ちょっとだけ違う。無差別通り魔、交通事故、落雷事故などの被害は、ランダムな被害者選びの結果として被る不幸の当たりくじの様なシステムだ。ビクテム選びは純粋に数学的に保証された確率論の世界だ。ある筈だ。本来は。
しかし、業者の握る矛の攻撃先は、極めて恣意的な、資産の有無と言う単純な理由で決められる(無資産階級に対して振るう矛は無いのだ)。それは、極めて恣意的な被害者選びと言うビジネスの世界である事の証明だ。
潜在的な被害者もバカではない。だから、「差別的認定」の被害を避けるための「保険代」として、LGBT支持団体(後援団体ではない)から定期的にお願いされる"高い"寄付金の供出に応じた方が安いと分析して、それを実行している。
寄付金の拠出に応じ、さらにその組織が販売している"薄い本"を買うと、不思議と一定期間はいちゃもんを付けられなくなる傾向があるのだ。その、薄くて高い本は、日本の某即売会でお馴染みのアレより薄い。しかし、目玉が飛び出るくらいに高価だ。そして、表紙のタイトルは毎回変わるが、内容の方は過去のモノがループ状態で掲載されている。まさに、聖書と同じくらいに時代に左右されない不変な出来栄えだ。
もちろん、キリスト教的価値観を信じて生きる人々は、表の舞台で敗北したからと言って、敗者がそう簡単に過去の価値観を捨てて勝者にひれ伏すわけもない。勝てないから表向きは従うが、実は不服従と言う、かつての敵の攻撃手法を自らも採用するに至った。文化的に屈服させられない限り、敗者側の勝者に対する戦意は絶対に削げない。そして、この場合、敗者にとって勝者の文化は劣悪で下劣すぎるという印象が持たれていた。そりゃ、即時和解は無理である。
それは結果的に、合衆国社会全体に長期にわたる機能不全(=混乱)を巻き起こした。富の流動が緩慢化しただけで無く、富の再生産の効率を著しく落とした。富の再生可能サイクルに異常を来し、合衆国が保有する富の目減りが始まったのだ(正確には、富の増加率の低下。資産の海外移転だけでなく、海外からの投資も減少した模様)。
社会の機能不全は、万人の財布を薄くしたり軽くしたりする。社会保障も破綻させる。革命家は「他人が時間を掛けて作った物」を壊すのは得意だが、自分で直したり、新しい秩序を創造したりするのは大の苦手だ。たまに、成功すると「旧☆ソ連式密告社会」とかが出来ちゃうので、別に不得意なままで良いですから。
だから、一部の先鋭的な勢力を除いて、大多数の勝者と大多数の敗者は共に事態を収拾する手段を探していた。可及的速やかな争いの先延ばしでも良かった。「イデオロギーよりも金目」と断言できる賢者は、社会には常に一定数存在している。また、賢者でない有象無象は、娯楽は十二分に楽しみ尽くしたので、次は空腹の胃を満たす方が重要であると気付ける"賢者タイム"を迎えていた。
ぶっちゃけ・・・飽きたのだ。新しい娯楽が必要な時期に差し掛かっていた。
しかし、腰掛けの娯楽気分で参加した有象無象と違って、それを崇高な使命と信仰する一部の先鋭的な勢力は、戦略的撤退する胆力を持たない。間違いを認めるのではなく、単に無かった事にすれば良いのに、そんな器用な真似が出来ない。
だから、戦略的転進する大義を与えてやらなければならない。大義とは「新たな生き甲斐」と同異義語だ。自分で発見してこそ大義と言うんじゃないかと思うのだけれど、彼らはそれを与えて貰うモノを勘違いしていた。だから、使命の信仰と書いたのだ。
攻撃力を持て余した彼らである。間違って、飽きて遊びから撤退しようとする自分達の事を叩くことを「新たな生き甲斐」として認識してしまったら大変だ。だから、キチンと叩くべき相手を生け贄として定めておいてあげる配慮が不可欠となる。
だったら、社会的に混乱しない程度の戦いで済む、緩めの"敵"を「生け贄」として定めておくのが正しい。しかし、誰を新たな生け贄とするべきか?
そんな切迫した事情で、合衆国における勝者と敗者のマジョリティー達が、一方的な都合で作り出した「無意識の集合体」は、いつの間にか新しい社会の敵を求めていた。ガチガチに二分化された合衆国を再び一つにまとめ上げるために。強い合衆国をもう一度作り上げるのためだ。
書きづらい事なのだが、不幸、不況、不具合、不興、不愉快、不信などの全てネガティブを責任転嫁させてくれる、新しい誰かを探していた訳だ。
誰もが同じ方向を見る、"清浄なる世界"を精製する為には、悪魔に生け贄を捧げるのが手っ取り早い(神に祈りを捧げるよりも効果的だ。悪魔は神より働き者であるらしい)。生け贄は誰もが知っている知名度を持ちながら、最低限の抵抗力しか持ち合わせない勢力である必要がある。それと合衆国を二分するほどの大きな勢力であってもいけない。
生け贄にするは、弱いけれど強い、少なすぎても多すぎてもいけない、という相反する絶妙なバランスの持ち主を炙り出す事が不可欠された。蠅やゴキブリの様に、ハタキ一つで死滅してしまっては敵として祭り上げて、長期に渡って締め上げるには不適当だ。
2010年後半から合衆国で始まったポリティカル・コレクト運動は、20世紀末期の価値観闘争の流れの延長上にあった。それまでは悪とされていたLGBTの人々が、逆に正義とされた。そして、それまでは伝統的な価値観の持ち主を悪とする事で、復讐を開始した。
しかし、それは明らかに浅はかな選択だった。ポリ・コレも極めてヒステリックな運動となった。すぐに誰にも制御出来ないモンスター化した。その様は、1960年代にハリウッドを襲った反共運動や、どこかの大陸で大流行していた、躍進したり文化をどうにかする運動なみに激しくなった。
革命と言う薬は総じて、副作用が苛烈だ。服用者が死ぬなんてのは珍しい事ではない。服用者が社会であれば、なおさらだ。過去の歴史書を紐解けば馬や鹿でも判る。ソ連もそれで消滅したし。
サイボーグ夫婦の裁判に話を戻す。
その裁判はすぐに、世紀の裁判へと合衆国での認識が変わった。手段を選ばずに社会的安定を早急に実現したい人達にとって、それが絶好のタイミングで始まったからだ(夫婦にとっては最悪のタイミングとなった)。
サイボーグ夫婦が示した勇気は、合衆国における無意識の集合体にとって、格好の「燃料投下」となってしまったのだ。ネットでもリアルでも、不満が一杯に詰められていた善男善女とそれ以外のitやtheyな良き市民達の胸の内に"新しい戦い"への炎が盛り始めた。そして、自分達が狩りの対象である「敵」として認定されていないと確信すると、最初に心が落ち着き、続いて何かを護ろうとする強固な信念が根付いた。
何と言うか・・・"正しそうな"事をしたくてたまらなくなった(それが"正しい"ことでなければいけないと一言も言ってはいない)のだ。"小人閑居して不善をなす"って言うでしょ?
正直、こう言うものは戦いではなく、一方的な「狩り」なのだが、それは駆り立てる人々のロマンティシズムには到底受け入れ難たかった。現実では檻に閉じこめた年老いたチワワを棒で突いて虐待する様な活動である。しかし、ロマンの共有者達は共有意識の中では自らの愚行を、「巨大な邪悪マンモス」に、無力な「槍一本を握りしめて」立ち向かう、小さく、か弱い無謀な勇者による、「必死で挑戦的な使命」であると勘違いしていた。
それは、所謂、認知・認知障害の症状と思われる。DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)がそう言っているかは知らないけれど。でも、かなり重篤な程度だと思うよ。
圧倒的に有利にありながら、自らが圧倒的に不利な素振りを楽しんでいるという自覚がない。
"父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは何をやっているのか、自分で解ってないんです。〜ルカ福音書23章34節。"
そう言って神に人類の赦免を請うてくれる御子は、現代合衆国には居ないと言うのに。残念。
その頃、進歩的メディア、進歩的文化人、進歩的聖職者、進歩的ロックスター、進歩的ハリウッド俳優、進歩的な映画監督は、どう言うわけかこの件を無視した。特に進歩的メディアは、報道しない自由の行使という形でもホスタイルな無視だった。
奇妙なのは、LGBT系の強力なロビー活動組織が、揃って"進歩的戦略判断"で"保守派"を全面的に支持した事だ。かつて、差別の対象だった現在の模範的合衆国人の面々は、残念な事に機械化身体を持つ弱者達を自分達の仲間とは認めなかった。むしろ、機械化することで、より理想的な性の形を手に入れた裏切り者として考えていた。
この理論は説明が厄介だ。LGTの一部の人々は、神の教えに従って、生身を利用して望む性の形を手に入れるのが模範的と考えていた(全員でないのがミソ)。しかし、そこに機械化身体で、Lが見た目完全な男性体、Gが見た目完全な女性体を手に入れるのを見せ付けられると、それはすさまじく「Unfair」と感じるのだそうだ(これもまた、そうでない人も多い)。Tもまた然りだ(そうでないのも然り)。
人間の感性は千差万別。LGTの中でも万人が納得出来る「良く出来たStandard」が成立していなかったので、運動に客観的に見て、まとまりや一貫性が足りていなかった。だいたい、女性体になるより、男性体のままの方が100倍も"美しい"と感じるGだっているんだから。人間、一括りにまとめられない生き物なのだ。
だいたい、マイノリティーの方々は「お前はこうだ」と定義されたく無い人が多い。だから、一つ旗の下に集まって長期間、一丸となって戦うと言うのは、ちょっと・・・本当にマイノリティーな方々でしょうか? とちょっと不安になる。
なお、件のサイボーグ夫婦はLGBTのどれにもあたらない! 単なる異性愛者同士のサイボーグ市民だ。しかし、それでも何故か怒りの対象となっていた。多分、みんな苛ついていたのだろう。しかし、何に苛ついているのか分からなかったみたいだ。
新たな娯楽を求めていた、怒れるたくさんの市民としては、実に丁度良いタイミングで目立つ標的が自分から名乗りを上げた。だから、取り敢えずストレスをぶつけてスッキリしようぜ! と言う類の同時多発性のガス抜き運動だったのかも知れない。
本来なら、LGBT+C(=Cyber)となって然るべき反差別運動が、C(=Cyber)だけ切り離された。つまり、LGBTが新参者であるC(=Cyber)を差別したのだ(公式には区別しているだけらしい。何時か何処かで聞いた主張である)。
「おい、酒寄越せ!」
ハリーはダイエットコークでは我慢出来なくなってアルコールを要求した。
「ドライバーだろ。ミスシッピン州の法律じゃ義手は車運転出来ないんだ。おとなしくソフトドリンクでも飲んでろ」
"バドワイザー"は遠慮無く、二缶目のプル(・・)リングを押した。
「で、どうなると思う?」
"バドワイザー"は苦い顔をして答えた。
「早々にカナダへ逃がす事になるな。トランスポーターはもう用意してある。車はお馴染みの"黒の「BMW735i E38」"だ。アウディーじゃねえ。このままミスシッピンに置いておいたらシャレにならん。この街に住んでちゃ、月のある夜だって安心できねえぞ」
「リンチか?」
そこで、部屋の扉の前から人の気配が伝わって来た。
"バドワイザー"は左脇の下が定位置のホルスターから、22口径のコルト・ウッズマンを抜く(義手への悪影響を考慮して反動の小さな22口径を選択している)。音を立てずに扉の蝶番の側に移動する。明らかに訓練された動きだった。おそらく、気付いたら身体が動いていた、と言うヤツだろう。
理想的な位置に付いた、とバドワイザーがハリーに目で伝える。ハリーもOK、と目で合図をしてカウチから立ち上がった。
「Who is it?」
「It's Pizza time. Double pepperoni and cheese pizza. 2 pc of L size?」
本当にビザのデリバリーかどうかは、扉を開けてみるまで分からない。いや、ピザボックスの中に入った爆弾で天国の門まで魂ごとふっとばされた同僚までいた。だから、決して気は抜けない。
ハリーはゆっくりと扉を開ける。バドワイザーからは、22口径の弾丸でも容易く打ち抜けるほどに薄いベニア板一枚挟んだ向こうに、中南米の辺りからやって来たとしか思えない、違和感たっぷりの英語を話す、十中八九で不法入国者である事が疑われる男が立っていた。
扉の前に駐車場があるオープン形式のモーテルだったため、管理人が配達人に敷地内へ入れる許可をしたのだろう。ハリーはピザを受け取り、20ドル紙幣を三枚重ねて配達人に渡した。
「Thank you. Keep change.」
ピザ代は43.5ドル(州間接税込み)だから、16.5ドルのチップだ。それで十分だろうと考えていたら、英語の怪しい不法入国者は不満だったらしい。去り際に嫌な一言を残していった。それだけは一人前の合衆国人らしい、確かな英語の発音になっていたのが笑えた。
「Take care. Beat-less!」
どうやらハリーの足が義足出ある事に気付いて、21世紀版の「You're a mother fucker!」的な何かをほざいて去ったと言う訳だ。
ハリーと、警戒の為に扉の死角で銃を構えていたバドワイザーが、ものすごく情けない気分になった。自分達は、合衆国市民権を持ち、合衆国の安全ために戦場で腕や足を失った傷痍軍人だった。それが、つい最近に国境をパスポート・コントロール無しで越えて来た違法滞在者に、「ごきげんよう。このロボット野郎!」とからかわれたのだ。
「世も末だな」
「撃っちまった方がスッキリしたか?」
「いや、おそらくオレ達は郡(地元)警察にマークされてる。やっぱり、問題は避けたい」
ハリーが扉を閉めると、バドワイザーは銃を定位置に戻して、再びカウチに潜り込んだ。そして、配達されたピザを食べ始めた。
「何かヤバイもの混ざってるんじゃ無いか?」
「いや、大丈夫」
「なんで?」
それに対して、バドワイザーは当然だろ、と言う感じで答えた。
「あのバカがお前がサイボーグと気付いたのは、これ作った後、配達中だ。悪戯する暇なんか無かったろ?」
それにはハリーも納得した。
そして、二人はTVを見ながら、不機嫌極まりない判決の要約が伝えられるのを待ち続けた。
〜次回から本編の戻ります。




