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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第二章「翔」
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2037年6月30日(火)、PM5:00、私立会津高校小美玉校、学生寮118号室、居間

 朝霧和紗さんがお亡くなりになられた。私はあの人に一度しか会った事がない。しかし、それでも脳裏にその存在感をものすごく鮮明に焼き付けられた。きっと、この先もずっと忘れる事はないだろう。


 まずは、美しかった。海外では本名よりも、「日本人形」として知られる。その容姿は、最初に機械化されてから、お亡くなりになられる直前まで、弛まぬアップデートが行われていたと言う(それが商売と、本人は割り切っていた様だ。しかも、満更(まんがら)でもなかったようで)。


 続いて、彼女こそが、精神的にも物理的にも、サイボーグ界の実質的な全ての起源(シンボル)だった。少なくとも世界中に散らばっている"擬体(ぎたい)"、つまりすべての日本式機械化身体(トロンヒューマンインタフェースのきせき)達は、彼女の子供達であり、彼女によって育てられ、国境だけで無く、価値観的文化圏の壁を容易く乗り越えて世界中で普及するに至った。


 それはすべての普及型擬体が「AK式」と呼ばれる事でも解る。AKは「Asagiri Kazusa」のイニシャルだ。彼女が育んだ「AK式フレーム」は民用であれば、評議会の賛助会員になるだけで、全情報が無限大に解放される。


 それは、デジタルカメラでオリンパスが提唱した「フォーサーズ規格」ほどの大盤振る舞いだった。それは、普及だけを念頭に置いた、来る者を決して拒まない超拡大主義だった(オリンパスの方はビジネス的に成功したとは言いがたいが)。


 評議会の存在は、ソ連時代のTsAGI(ツアギ)「中央流体力学研究所」と各戦闘機メーカーの関係に近いかも知れない。TsAGI(ツアギ)の様なイデオロギー的強制力は無かったが、評議会は定期的に「AK式フレーム」と「OS」のアップデートを行って公開した。富士見重工や川崎重工の様な主要擬体メーカーでは、それを利用・参考にして自社製品のアップデートを繰り返して来た。


 擬体開発促進のために、朝霧和紗さんは、生体部位への負担を考慮せずに、幾度となく擬体を乗り換えて来た。そして、たった10年で機械化身体を、実用面だけでなく風評面まで含めて、実用レベルまで高めて世界に普及させた。


 今の技術レベルから振り返れば、最初の擬体の動きは、まだ拙く、ぎごちなかったかも知れない。それでも最初から、機械化身体を普及させる上でもっとも顕著な懸念材料になると予想されていた「不気味の谷」を軽々と一跨ぎで越えていた。


 最後に、仮想世界にまで活躍の場を広げていた。そこから先は詳しい事は判らない。公式には何も残されていない。しかし、どうやら軍需産業の世界に片足を突っ込んでいた様だ。あの「アバター」とか言う謎技術もそれの一面なのだろう。


 朝霧和紗さんがいなくなってから、ナヲちゃんに付きまとっていた人達が突然に姿を消したらしい。今までも見える事はなく、何処からか電波通信などでちょっかいを出していた。しかし、それらの干渉がさっぱりと消えてしまったと言う。


 朝間先生は、この先、機械化身体関連の世界は大混乱するだろうと予想した。きっと、その混乱はもう始まっているんだろう。ナヲちゃんの周りから見えない人が消えたのも、今後に何をしたら良いのか統括者にも判らなくなっているからじゃないだろうか?


 今では朝霧和紗さん一人を籠絡させられれば、すべて上手く行くと思われていた。しかし、今後、彼女の知的成果はバラバラに散る。そして、それ以上に新たな技術が何処から沸いてくるのか、さっぱり判らない。もしかしたら、沸いてこないかも知れないし。


 そんな事を考えながら、私はボールとホイッシャーを左右の手で握って、スポンジ生地を手動でぐるぐるとかき混ぜている。非日常は突然に訪れて、そのくせ勝手に去って行った。で、私達はまた新たに日常を始めるしかない。ドラマだってそうでしょ。


 この間、チーちゃんがパスを送ってくれた20世紀ドラマ「東京ラブストーリー」だって、小田和正(故人)の歌声で「ラブストーリーは突然に」にサビの部分が流れると、物語は盛り上がる。しかし、歌が止まれば持ち上げられていたテンションは一気に下がる。


 物語ならそれで良い。良いところでエンディングと言うのも退き際だ。しかし、私達に退き際なんて用意されていない。どれほどテンションが下がってもお腹は空いて、トイレにも行きたくなる。とどめに、月に一度のお客様までこちらの都合も考慮せずにいらっしゃる。


 ん。兎に角、言いたいのは、テンションとか関係なく、私達は前に進むしかないんだ。二人居ればどっちかが無理矢理に牽引してでも。


 本日は、朝間ナヲミの誕生日だ。去年はお付き合いを始めたばかりだったので、要らない情報ばかりが錯綜して、必要な情報が得られなかった。誕生日のお祝いが出来なかったのは痛い事故である。だから、今年は用意周到に材料を調達しておいた(さんきゅー、通販サイト)。


 ケーキを焼いてイチゴショートにする予定である(黒焦げになってしまったらチョコレートでコートして誤魔化す)。オーブンは陶芸のオートクレープ機を借りた。ちゃんと100Vで使えるインバーター仕様だ。これは会津に帰った百合子さんが手配してくれた。明後日には、業者が引き取りにまた来てくれる手筈になっている。


 コタツ(布団はない)で、自動攪拌機(オートミキサー)を使って生クリームを作っている筈のナヲちゃんをチェックすると、ボールに自動攪拌機(オートミキサー)の先っぽのホイッシャー部分を突っ込んだまま呆けている。先日、朝霧和紗さんの死を知らされてから、ずっとああだ。学校の授業も完全に上の空だ。


 ショックだったのは判る。でも、学校以外、例の飛行機の開発にだけは妙に本気モードに入っていて怖い。埼玉県の三郷から戻った翌日から、学校が終わるとそのまま百里基地に出向いて、あの無人飛行機の運転をしている。ずっと毎日だ。


 完全意識が飛行機に乗り移ってるフル・ダイブ中のお役目で、私も一緒に擬体管理のためにお邪魔している。入り口の兵隊さん達も、「歩哨」って言うらしい、人が代わっても私達の事は知らされているみたいで、すぐに通してくれる。


 飛行機は夕方に飛行場を離陸して、夜になると帰って来る。夜の着陸は難しいんじゃないかと思っていたら、画像配信システム(EO-DAS)とか言う何かがあるから、昼夜関係なく見えるんだって。で、帰って来ると基地のオジサン達が、飛行機を修理して翌日のフライトに備えてくれる。そして、私達を学校まで車で送ってくれる。まるで部活みたいだ。朝練はないけど。


 そんな毎日の連続だ。私とナヲちゃんの会話もあまりない。これは良くない。そこで、私は敢えて癇癪を爆発させた。敢えてだ。


 これじゃ、このままじゃ駄目だと思ったからだ。で、今日だけは部活(おつとめ)をサボってもらった。


 だって、自分の誕生日も忘れてるなんて、普通じゃ無いでしょう。


 そう言うわけで、彼女は今、ケーキに塗りたくる生クリームを作っている。二重のボールにして、間に氷水を入れてある。そうすると脂肪分が早く凝化してくれる。生クリームが、擬体用でなく植物性の生身用だ。


 朝間先生から使用許可が出たのだ。新しい擬体の消化器官の解析が進んで、そのくらいなら通常の処理が出来ると言ってくれた。失敗しても下痢化させないで、未処理のまま早急に圧縮処理出来る仕組みにアップデートされているのが確認出来たんだって(代替消化器官管理セッティング・マップのアップデートもあったらしいし)。


 ただし、イチゴだけは念のために擬体/生身共用の代替物を使う事にした。正体はグミなんだけれど、今では見た目も本物にしか見えない。ただし、歯触りはまだ発展の余地ありかな。


 ケーキの生地の方は、擬体用小麦粉。正体は薄力粉と浮き粉を1:1で混ぜた物。グルテンの量を減らすため。それと植物性生クリーム。チューブから出したバターや卵は代替物質。早く、私と同じ物を食べられる様になると良いね。


 規格外の物食べると、器官が不調になるとかでなく、胎内でガスが発生して異臭などが漏れたりするとか。閉じこめると胎内のタンク割ったりするそうだからバルブ、と言うか弁を完全に閉じられない。本当に生物を人工物で再現するのって難しいね。


 私は、丸い型紙を底に敷いて、側面にバターを塗って、温めておいたオーブンにケーキの生地を突っ込んだ。これで、後は自動でイケるはず。普通のオーブンは趣味性の高さもあって、200V電源で使うのが当然になっていた。だから、この仮設寮の電源では使用できない。


 そこで、陶芸や銀細工などを自宅でひっそりとたしなむオヤジ用のオートクレープを使わせてもらった。こちらは100V電源があるのだ。そして、肩身の狭いオヤジ達が怖い嫁の手前、「パンやケーキも焼けます」と言い訳しながら買うために、簡易オーブンとしての料理機能も備え付けられていた。私はそっちの方を利用している(さんきゅー、世のオヤジ。貴方たちの苦労に哀悼の意を)。


 ただ、オープンのスペースが小さい。Lサイズのピザと同じ直径のケーキなんて無理。せいぜい、Sサイズかな。まあ、これは象徴的なものだから、あれば良いんだ。


 一段落したので、ナヲちゃんの相手をしよう。


「生クリーム出来た?」

「・・・」

「出来た?」

「あ・・・うん・・・もう少しかな」


 ナヲちゃん、こちら側に帰って来た。目の前のボールに集中し始めた。本当なら自分で開発したアプリで、半自動で生クリームを作る事も出来る筈だ。でも、彼女はそれを自力でやってくれている。まあ、それで許してやろうと言う気にもなれる(擬体が新しくなって、標準型かぐら擬体では問題なく動いてたアプリが上手く動作しないって言う事情もあるかも)。


 しばらく待つと、ナヲちゃんがコタツから立ち上がってボールを大切そうに運んで来る。


「出来た」

「ありがとうー。えらいねー」


 頭を撫でてからボールを受け取った。下のボールを外して、氷水を流し台に捨てて、生クリームの入ったボールを冷蔵庫に入れた。冷やせばもう少し角が立つ様になる筈。ここら辺、植物性クリームの泣き所だ。だからと言って、凝固を促進するヤバイ化学薬品は混ぜたくないし。


 オートクレープの方を見ると、スポンジケーキの焼き上がりまで残り20分。粗熱取りにさらに20分かかるらしい。"イチゴ"の用意も出来てるし、あとは生クリームと混ぜてデコレートするだけ。しばらく、他にする事もなし。


 コタツの所に戻って来て、座って、テレビでも見ようかとリモコンを探していると・・・ナヲちゃんが匍匐前進でズルズルと近付いて来た。そして、私の手前で、物欲しそうな顔をこっちに向ける。


「どうぞ」


 そう言って、膝を伸ばして、自分の太股を軽く叩いてみせる。ナヲちゃんは、待ってましたと、無言で私の膝の上に頭を乗せて来た。この間の夜以来、これが気に入ってしまったらしい。


 する事も無いので、TVのスイッチを入れるタイミングも逸したし。だからと言うわけじゃ無いけれど、ナヲちゃんの頭を撫でていた。小美玉に来た頃と比べると、髪、だいぶ伸びたな、と感じられた。来週の休みは・・・常磐線か、鉾田の辺りまでカットに誘ってみようかな、と言う気になった。


「あの人さ・・・」


 ナヲちゃんは突然に朝霧和紗さんの話を始めた。あの人、なんて私達の間には彼女しかいないから。


「私に、後を継いで欲しいって言ったんだよ」


 私はこの話を始めて聞いた。でも驚かなかった。多分、そう言う事だったんだろう、と推測は付いていたから。


「擬体の発展? それとも機械化身体界のリーダーとして?」


敢えて尋ねてみた。答えは分かっている。でも、それをナヲちゃんに吐き出させてあげたい。


「両方だって。冗談じゃ無い。いつになったらあの域に達する事が出来るかだって判らないってのに」


 ナヲちゃんが当惑しているのが良く分かる。そして、朝霧和紗さんのために、そうしてあげたいと思っているのに、どうしたらそれが出来るのか判らなくて困っているんだ。解るよ。あの人はそれほどに大きな人だったんだね。


「闇雲に、どんな事にでも挑戦してみるしかないんだ。今は」

「それがあの飛行機なの?」


「うん。あの飛行機のコードは、多分三代前のあの人の擬体から出力されてる」

「そうなんだ」


「間違ってると思って修正した。そしたらもっと悪くなった。調べた。そしたら、同じ問題にあの人も直面して何とか辻褄合わせたのか今の仕様だった」

「そうか。悔しいね」


「うん。何事も先を行っていて、そしてもし追い付けたとしても、それはあの人が今から先に進まなくなったから」

「付け焼き刃じゃダメなんだ?」


「うん。最初から作り直すしかないかも。でも、それじゃ今有る物にも適いそうもない」

「それで毎日、頑張っていたの?」


「それもある」

「それ以外は?」


「早く、有人飛行機の方に乗りたい」

「そんなに急がなくても良いじゃ無い?」


「来年の三月には間に合わせたい」

「何かあるの?」


「誰かの誕生日。出来れば、その日は教官付でも良いから遊覧飛行で操縦桿を握りたいの」

「え?」


「葉子ちゃんの誕生日。今年は引っ越しとか色々あって何も出来なかったから。私も、新しい擬体のセットアップに必死だったから忘れていた。ごめん」


 それを聞いて、久しぶりに思い出した。そう言えばそうだった。私は気が付かない中に1つ年を取っていたんだ。


「ううん。私もすっかり忘れた。まあ今はお互い生きてるだけで十分過ぎるから」

「でも、葉子ちゃんは私の誕生日覚えててくれたし」


 ああ、この()は私の事は良く考えていてくれるんだな。自分の事は今ひとつ疎かになりがちなくせに。それを意識すると、この間のお墓参り以来、凍り付いていた心の芯が、ちょっとだけ温もった。と言うか、そう言う温もりが大切だった事をやっと思い出せた。


「ナヲちゃん、今日は一段と男前(ハンサム)に見えるね」

「私、年上だからね。年下の子をリードしてあげないといけないんだよ」


「そう、今は一才年上なんだね」

「うん。今日から17歳なんだよ」


 今の端にあるキッチンの方でチン、と言う鐘の音が一度だけなった。


「あ、ケーキ焼けた」

「すぐ食べられるの?」


「ううん。これから20分かけて冷ます。ほら、送風機の音聞こえるでしょ?」

「甘い香りも一緒にね。葉子ちゃんからも同じ香りがするよ」


「あーーー、バニラエッセンス、服にかかっちゃったかな?」

「でも、この香り好き。落ち着く」


 これが幸せな日常と言うものだ。そこでふと、考える。朝霧和紗さんには、こう言う時間を持てていたのだろうか? と。最後に男の人と一緒に逝けた、と朝間先生は言った。でも同時にってのは心中でもない限りない。って事はどちらかが相手を見送ったって事だ。


 出来れば、私がこの()を見送ってあげたいな、と思った。この太股の上で寛ぐ寂しがり屋、一人残してなんて逝けない。


 あ、朝霧和紗さんの仮想人格(アバター)さん・・・彼女は一体何処に行ってしまったんだろう? まさか・・・、まさか・・・ね?


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