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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第二章「翔」
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2038年6月、AM3:00(JST)、合衆国、ワシントン州、ピュージェット・サウンド、シンクレア海峡のネイビー・ヤード、航空/宇宙軍・環太平洋方面基地、前部甲板付近

〜ちょっとだけ時系列乱れます。

「P stands for Pretty? ("P"は"Pretty"を意味する?)」


 シャノン・イリーナ・パターソンは、どう見積もっても4Fの建築物くらいの高さにある甲板に腰掛けて、遥か下の方で(かす)かに波打つ水面に向けて、一見、スラリと伸びた健康的な両足を投げ出していた。


 膝関節から下の脚部が2本が揃って大地や床に支えられていない。今、彼女をその高さに繋ぎ付けている(かせ)は、尻部、臀部、太股周辺の摩擦と、それに掛けられた腰から上の質量だけだった。もし、油などによって摩擦がキャンセルされてしまえば、水面まで一気に叩き付けられる惨事は防ぎ様が無かった。


 彼女が無造作に垂らす(ふく)(はぎ)は、持ち主の年齢が、第二次性徴期の末期に差し掛かっている事を示す、独得な膨らみ具合を適度に摸倣して作られていた。


 少女ならほんの一時期、サイボーグなら永遠に現世に(とど)める事が出来る脚線美が無造作に、空中に放置されていた。それを作り上げた芸術家や職人がたった今、自分の作品が甘受している粗末な扱いを知ったなら、少し残念に思ったかも知れない。


 脹ら脛の反対側は、(すね)。日本では"弁慶の泣き所"と呼ばれると言う"急所"にもなる。もし、この他文化の知恵を今、彼女に告げられさえすれば、今ひとつ感情起伏に乏しそうな鉄壁の表情を一気に崩す・・・破顔一笑と言う希有な現象を拝む事ができたかも知れない。


 もし、常識と言う価値観に囚われた誰かが少女が楽しんでいる様子を目にしたなら、自殺志願者のデモンストレーションと確信して、直ちに「911」へ通報せずにはいられないだろう。


 しかし、自殺志願者のデモンストレーションと言う受け取り方は、明らかな誤解だった。


 シャノン・イリーナ・パターソンは、別に死にたくなかった。逆に生きたくもなかったが。


 実のところ、自分が死んでいるのが生きているのかも良く分からなかった。そう言う事の全てが些事で、正直どうでも良いと考えていた。


 ゾンビになって、二度目の人生を。とか、今の自分を(かんが)みて、自虐的に考えて気を紛らわせられるほどに逆境慣れしていなかったし。ただ、現状を"半"目を開けるように、"半"分だけ受け入れて、深い事情(こと)を考えずに与えられる義務だけ果たしながら、もしかしたらサイボーグの自分には来てくれないかも知れない天使のお迎えの日、または大天使ミカエルが最後のラッパを吹く日を、心待ちにしていた。


 ーーー天国に行けるなら、そこではみんな身体が無いんだから、生身とサイボーグの差も無くなる筈。


 死後の世界に多大な期待を抱いている、シャノン・イリーナ・パターソンの神から与えられた大切な身体の方は、困った事にほとんどの部分が"生きて"はいなかった。細胞レベルで微生物に分解されてしまっていて、すでに影も形もない。


 しかし、彼女は微生物達の鞭毛(ミトコンドリア・モーター)が憎いとまでは思い付いてはいなかった。


 その多細胞の集まりで作られていた生身は、何年か前にちょっとした事故に遭い、両親や兄弟達と一緒に死んでしまっていた。


 彼女の場合は、他の家族と違って、生体脳だけが生き残っていた。元々、数学に強い異能(ギフテッド)持ちとして州政府から注目されていた。そのため、州政府高官は、国家の資産を減らさないために、事故を感知すると同時に州軍を送って、彼女とその家族の破格の救助作業とを敢行した。


 しかし、事故現場がカルフォルニア州とオレゴン州の間に広がる広大な峠エリアを横断するインターステイツ五号線の大カーブ付近であった事や、自動車がガードレールを突き破って谷底に落ちて火災を引き起こした事もあって、結果は惨憺たる悲劇となり覆すことはできなかった。


 他のパターソン一家の状況はすでに手の付けられない状況で、最先端救急治療の無制限実行の甲斐もなく、決して"即死状態"から回復する事はなかった。


 一方、シャノン・イリーナ・パターソンの場合は、運良く(悪く?)マイクロ・マシンによる血小板代行と電気刺激が功を奏して、生体脳だけは壊死から救い出された。


 その後、サイボーグ精神学業界(学会)で独自の解釈によって数々の業績を記していた、日系人三世の森本教授がワシントン州タコマのフォート(McChord)・ルイス(Air )空軍基地(Force Base)から事故現場に近いカルフォルニアの"どこか"にまでデリバーされた。そして、彼のプログラム(メソッド)によって、外傷が全て回復しながらも昏睡状態を維持し続ける「シャノン・イリーナ・パターソンの残存部位」を目覚めさせる事に成功した。


 日系人三世の森本教授は、患者の状態を知らされた時に、人としての尊厳が(いちじる)しく蹂躙されている点を怒りと共に指摘した。本人の同意無しで、生体脳を摘出し、さらにサイボーグ用の脳核ケースに収納するなど、連邦法では明らかな犯罪行為だった。


 彼を「デリバー」させた合衆国航空/宇宙軍・情報空間作戦部の"男"は、それが国益を左右する事案である事の理解と自発的な配慮を教授に求めた。そして、教授には今後の行動に選択の余地がない事を、極めて紳士的に悟る様に強要した。


 それでも、シャノン・イリーナ・パターソンが未成年である事を楯に、教授は事の責任の所在を明らかにするようにと抵抗した。しかし、それも長くは保たなかった。


 彼の妹はDV傾向が顕著なアジア系男性と結婚して、一人息子を出産し、離婚が成立し、その後も失踪した元パートナーからの度重なる銃器などを使用した襲撃を体験していた。"男"は、その件の"不可逆的(・・・・)検証(・・)不可能(・・・)解決(・・)"の手助けが出来ると申し出て来た。


 もちろん、それは彼が"男"の依頼を受諾すればと言う話である事は明白だった。


 妹の元パートナーのストーカー行為は、ローカル・ポリスや(カウンティー)の養育支援機関も真剣に対処していたが、神出鬼没で常に襲撃後に対処するくらいしか出来ていなかった。


 森本教授は、その脅迫であり、同時に救いの手とも言える申し出を受諾するしかなかった。


 シャノン・イリーナ・パターソンは、想定外にすんなりと目覚めてしまった。そして、そこから先は合衆国航空/宇宙軍・情報空間作戦部の出番となった。


 彼らは、シャノンの容体と意識の安定を森本教授に確認してから、今度は生体部位担当医者とサイボーグ技師と共に、「彼女が現在、生身を失って脳だけが残されて水槽に浮かんだ状態」にあって、水槽から解放される為に「機械の身体を求めるなら即時に提供する用意がある」こと、そしてそれの代償に「合衆国航空/宇宙軍・情報空間作戦部の活動に従事する」必要がある事。もし、拒否した場合、全身の代替身体を求めるなら、議会決議19389条に基づき「国外へ退去する必要」がある事を直接に通知した。


 合衆国内で全身の代替身体を利用したければ、司法取引として、軍務への参加が要求されたと言う事だ。森本教授は、その強引な手法に驚くよりも、軍務に従事する最低期間が開示されていない事に悪魔的な邪気を感じた。


 日本であれば、いや欧州であっても、基本的に代替身体化施術後であれば、最初の覚醒は絶対に代替身体換装後という鉄則があった。それは、従来の身体を失っても新しい身体で世界と再び繋がる事が出来る事を納得させるための「情け」だった。


 しかし、合衆国航空/宇宙軍・情報空間作戦部はそう言った「憐憫」は持ち合わせていなかった。不運という、自らの責任で全身を失った少女に、ムチを打ち、心の骨幹を完全に砕く事で、自主性の無い絶対服従の精神を擦り込む。それも彼らが何より重要と言う「ルールを守りながら」行う正統な交渉であるそうだ。それは現行法ではどうやら、あからさまに合法であったらしい。


 教授は、合衆国のそう言う所が大嫌いだった。もちろん、母国に見切りを付けて、他国へと亡命する程に深刻な大嫌いではなかったが。


 シャノン・イリーナ・パターソンの幼い精神は、突きつけられた衝撃的な真実には堪えられなかった。答える事も当然できなかった。ただちに、パニックに陥り、ヒステリーで気絶して、その後さらに一週間目覚めなかった。


 その様を見て、誰かが「計画通り」と呟いたとか呟かなかったとか。


 森本教授は、その後の顛末を知らない。覚醒はなった=依頼は果たされた、としてお役御免となった。直後に、強制的にフォート・ルイス空軍基地へと連れ戻されて、駐車場で完全にバッテリーの上がった時代物のポンティアック・フィエロと対面させられて頭を抱えた。


 彼は、その後ずっと、おそらく2036年に大往生するまの間、この件に関して、ずっと激しい罪悪感に曝されいたらしい。そして、シャノン・イリーナ・パターソンと直接会って許しを請いたいと願い続けていたそうだ。


 実は、森本教授とシャノン・イリーナ・パターソンは、お互い知ることはなかったが、かなり近くにずっといた。


 森本教授は、ワシントン州内のインターステイツ五号線から東のピュアラップ方面に逸れた大学に。シャノン・イリーナ・パターソンは、最終的にワシントン州内のインターステイツ五号線から西のピュージェット・サウンド方面に逸れた海峡に配属されていた。


 車でなら30分運転すれば、お互いの生活エリアに到着出来るほどだった。


 しかし、シャノン・イリーナ・パターソンは代替身体を得て、思考伝達がデジタル化して以降、持ち前の数学的センスを完全に爆発させた。その功績に依ってその存在は、国防インフラのマターへと転じた。その身柄は、本人の意志を無視して国有財産として取り扱われる様になった。


 今では、シャノン・イリーナ・パターソンは「業界」では、数少ないエリートにだけ与えられる巫女(メイデン)の称号持ちとなっていた。


 そんな彼女は、港の沖に錨を降ろしたままで、絶対に接岸される事の無い、改フォレスタル級一番艦「USS Kitty Hawk CV63」の甲板の端にいた。甲板に置かれる機体はない。ただ、だだっ広い滑走路が広がっているだけだ。ベトナム戦争や湾岸戦争の頃は、この甲板(プレーン)の上を忙しく飛行機が離発着を繰り返した事だろう。


 今はとても静かだ。たまにヘリコプターが降りて来る。しかし、その時以外は、喧騒とはまったく無縁なゴースト・タウン的な気配だ。しかし、シャノン・イリーナ・パターソンはそれを好んだ。それは、この艦が自分と同じ様に、死んでいるのか生きているのか分からない仲間同士、という錯覚を得られるから、なのかも知れない。


 甲板(プレーン)から足下から海面までは、どう見ても四階建てビル以上の高さがある。もし、ここから落下したら生身ならまず助からないだろう。水面の表面張力に弾き飛ばされて、全身の骨が砕ける筈だ。それは重力係数で考えれば、計算するまでもない常識だ。


 しかし、自分の機械の身体ならボロボロになっても、脳核ユニットだけ取り出されて、足下の艦内の何処かに用意されている代替ボディーに換装されて、すぐに現場復帰させられるに違いないと、と自覚していた。


「P stands for Pretty? ("P"は"Pretty"を意味する?)」


 そこで、彼女はクラスメートよりも低年齢な高校生だった頃に、偶然に出会った日本人の若者の事を思い出していた。若者と言うのは的確ではないだろう。自分はまだ、その若者の当時の年齢にまでも達していないと言う自覚があった。


 しかし、彼は童顔だった。ドラッグ・ストアーでビールを買う時に、いつもIDの提示を要求されていた事を覚えている。


 彼は日本から来た交換留学生。学年スキップを繰り返していたシャノンは、翌年から通う予定だった大学の夏季のオープンカレッジ・コースで偶然に出会った。彼は本科の大学生、シャノンは正規受講者と言う学生証の色的な違いはあったが、クラスや寮内では何の区別もなかった(本科生はライト・ブルーの学生証だった。彼女の臨時学生証は薄ピンク色だった)。


 彼は、早く卒業するための単位取得目的で、国外留学生にしては珍しく、年度終了後の夏休みにも故郷へ帰国せずにオープンカレッジ・コースに参加していた。一方、シャノンは、フレッシュマンになる前に、高校の卒業後の休暇を利用して、試しに単位を獲得出来ると機会を活かすつもりでの参加だった。


 シャノンは、通常の学生がほとんと採らない、その非正規のサマー・セメスターの期間だけ、大学内の学生寮の空き部屋に入寮した。たしか、あれは"Hong"とか言う白い三階建ての寮だったな、と思い出した。その日本人の若者は、その寮の男性ウイングに入寮していた。日本人はシャイと聞いていたが、彼だけはそんな事はなかった。寮の住人達に混じって狂った様に勉強して遊んでいた。文武両道と言う日本的価値観の実践者だったんだろう、と呆れずにはいられなかった。


 シャノンは、すぐに彼と親しくなった。その最初の想い出が「P stands for Pretty? 」だった。その時、寮にはシャノンが二人いた。それで、解り易くするために彼女は、パターソンの頭文字の「P」を取って、「シャノンP」と公式に割り振られた。それには今ひとつ嫌だな、と感じていただが、真横に居た彼が直後にシャノンに尋ねたのだ。


「"P"は"Pretty"を意味する?」のか、と。


 おそらく、ジョークだったのだろう。しかし、それは彼女の心に強く刻まれる事となった。もちろん、「シャノンP」である事に不満を感じる事はなくなった。寮の企画でホールで催された「スタートレック上映マラソン」に一緒に参加した時、彼のことが好きだと気付いた。しかし、彼の感覚では、当時の私はまだ15才の幼女に過ぎなかったので、私が神から贈られた一夏の淡い恋心は、結局は最後まで気付いて貰えなかった。


「あの人の名前は何と言っただろうか?」


 サイボーグとなってから、シャノンはその彼の名前を、どうしても思い出せなくなっていた。しかし、それで良いとも思った。何故なら、こんな身体になって、どうやって探し出して会う勇気を持てと言うのだ。


 実際、「USS Kitty Hawk CV63」へ配属される前の彼女には、幾人かの親しい男の子の友達がいた。しかし、ボーイフレンドという関係までに進むことはなかった。それは、半分は男の子達の責任ではない。彼らは両親から、サイボーグとインティマシーな関係性を築く事を諫められたのだ。


 それは人非人であると宣告され、自覚した瞬間でもあった。そして、その認識は今も変わっていなかった。


 今や、「シャノンP」の想い出は、心を支える重要な柱となっている。もし、彼と再会して、「期待値を下回る感想を伝えられる」などの攻撃(・・)で、その柱をへし折られる様な事があれば、二度と立ち上がれない程に凹む気がしていた。


「あれは良い日日だった。もう一度・・・」


「戻りたい」と呟く寸前に、オペレーション・オペレーターから出頭が求める無線指示が脳内に直接に伝えられた。どうやら、次の作戦への従事が決まったらしい。どうも大型案件で、長期間の準備が求められると捕捉情報が添付されていた。


「さて、今度は何処へ行くんだか? インド? アフリカ? もう深宇宙でも良いさ」


 シャノン・イリーナ・パターソンは、高所恐怖症など皆無と言う感じで、宙でぶらぶらしていた足をそのまま、甲板に着いて立ち上がった。


 その作業の途中で、上半身が甲板の上から海面上にはみ出た。身体の重心が明らかに宙に浮く寸前だった。しかし、恐れを感じる事無く反動で重心を甲板上に戻し、もっとも少ない労力(出力)で、甲板上で立ち上がったのだ。


 たった一つの僅かなミスで、バランスを崩した身体が、甲板からはるか下方にある海面を目指して落下した事は間違い無い。その様子はあまりに自分の安全に対して無責任に感じられた。


 しかし、そんな破れかぶれの身の振る舞いは、合衆国に於ける、特に情報活動に従事する全身サイボーグ達にとっては、どこででも見られる無茶だった。つまり、シャノン・イリーナ・パターソンの振る舞い方は、決して珍しくない例と言う事だ。


 我が身を顧みぬ兵士は最強である事が出来るだろうか?  我が身を顧みぬ兵士で固められた組織は最強である事が出来るだろうか? おそらく、その真価は遠くない未来に試される事となる。


 誰も生還しない兵士で構成させる軍隊。それは生き残った者が持ち帰る貴重な経験を共有しない、自ら状況の克服する意志を持たない「ゾンビの大軍」に等しい高価な自爆兵器(・・・・)に他ならない。

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