2037年6月15日、PM12:35、百里基地駐車場
今日は晴れ。まだ気象庁による関東地方の梅雨入り宣言はない。朝見た天気予報では、ローガイが大好きそうなタイプの如何にも無害そうな"女子"天気予報士が「明後日までは雨が降らない」と高らかに宣言していた。
成人女性に対して"女子"と言うのは失礼に値しないものか、と思う。しかし、本人達はそれを喜んでいるらしいので、価値観の多様さが極まり過ぎだと溜息が漏れ出す。だったら、青少年保護条例は一体何歳までカバーすれば良いのか。そんな些細な事までも哲学者にお伺いを立てたくなる21世紀の昼時だった。
ここは、百里基地の駐車場。その端にブルー・シートを敷いて、シートの上に赤い細身のオートバイが止められている。銀色のトラス・フレームには、赤いカウルやタンクが中途半端に装着されている。
オードバイの車種を示すアルファベットや数字は見当たらなかったが、バックライトの上に辛うじて「YAMAHA」と言う白抜きの文字が残されていた。
その横で、昼休み中の自衛隊員がオートバイのタンクを上げて、インシュレーターも外して、キャブ周りを露出させていた。持参したマイ・ツールで愛車を整備中の様に見えた。
「くそっ! 落としちまった」
不機嫌極まりない声を出した直後に、航空自衛軍・戦術偵察機運用部隊・第501飛行隊のRF-15DJパイロット、TACネーム"ペック"は尻を突き上げて地に伏せた。
「をいをい。五体投地かよ? フリー・チベットってか?」
その様を見咎める様に、同じく第501飛行隊のRF-15DJパイロット、TACネーム"パイン"は、わざわざからかうために遠くから寄って来た。まさに威力偵察の真骨頂である。
「あほっ! 止まれ!」
「んだよ?」
「イモネジ落としたんだよっ! 踏むなっ!」
「マジかよ・・・」
これには流石に、冷やかしに来たパインも同情して、ペックを真似て四つん這いになって、シート上に視線を近づけてイモネジ探しに付き合うことにした。
「サイズは?」
「M2。色は黒だ」
イモネジとは・・・『虫ねじ』の事だ。『六角穴止めネジ』とか、『ホーローセット』、と言った方が通じやすいかも知れない。ネジ山が通常のネジよりも安定していることから、機械部品の固定/位置決めに多用される。
「だいたい、何でそんなもん落としたんだよ」
「夏じゃん? そろそろガスが濃い目になって来たからジェットニードル弄ろうかと思ってな」
「で、なんでイモネジなのよ? 自慢のFCR本体にあったか? そんなの」
「スロットル・ケーブルの上が弛み感じたからついでに、引っ張ろうかと思ったんだよ」
「で、落としたのかよ?」
「老眼じゃねえぞ。絶対に言うなよ!」
「で、ボコつくのか?」
「発進の時だけな。走り出しちまえば問題ないんだけどな。暑さで空気が膨張して酸素濃度下がっちまったから仕方ねえ」
「前、いろは坂でもボコってたろ?」
「あれも同じよ。気圧下がって酸素濃度下がっちまったから仕方ねえ」
「そろそろインジェクションにしろよ」
「お前、ロッシの前でも同じ事言えんの?」
「誰だよそれw」
二人で当たりを一通り見回してもイモネジが見つからない。
「エンジン周りに落ちてんじゃね?」
そこに、パイロットの苦悩を見かねた整備兵の空曹がマグネット・ロットを二本持参して来た。
「そう言うの、目で探しても時間の無駄ですよ。マグネット・ロットで引っかけた方が速いです。これ私物ですので終わったら、私の車の屋根にでも引っ付けといて下さい」
「すまんっ! 恩に着る!」
「じゃ、そう言うことで」
整備兵の空曹は、手助けはしてくれないらしく、その場を去ってしまった。そこで、残された二人は、オイルパンが無い構造の二気筒エンジンの上や、リアサス周りの隙間に、所構わずマグネット・ロットを突っ込んでは引き抜き、イモネジが付いてこないかどうかと確認し始めた。
「ところで、謎の女子高生の話は聞いたか?」
「基地内のセブンに通う金髪女子高生の話か?」
「半分当たりだ。例のUAVの式神を飛ばした女子高生と基地内のセブンに通う金髪女子高生は同一人物らしいぜ」
「マヂかよ」
「擬体だってよ」
「マヂかよ」
「松本の鴨田がナンパしたそうだぜ」
「マヂかよ」
「松本のアイダも関わってるってよ」
「マヂかよ」
「マヂだよ」
「・・・・・・」
「どうした?」
「イモネジあった。ドライサンプの瘤とシリンダーの間に落ちてた」
パインは無言でアクセルワイヤーの端のと太鼓状の瘤を左右の指を使って器用に固定した。ペックはその隙に。マグネットから摘まんで外したイモネジを六角レンチを使って太鼓をワイアーにキツく固定した。そして、そのまま、今では骨董品としか言い様の無い「京浜41パイFCRキャブレター」の右脇ある回転盤に二つの太鼓を押し込んだ。
これが一番厄介なのだ。ノーマルキャブはアクセルのオンとオフのワイヤーを取り付ける回転盤が左側に付いている。しかし、今取り付けてある社外キャブレターは右側に変更されている。だから、まず第一にメインハーネスと太い土管チューブが作業スペースを圧迫する。フレームもそれを考慮していないので、さらに作業スペースを圧迫する。「京浜41パイFCRキャブレター」の回転盤にあるバネを押しのけて太鼓を差し込む必要がある。トドメに、回転盤に後ろ方向から太鼓を落とし込む必要がある。
パインは指先と長いペンチだけで、10分格闘して落とし込みに成功した。って言うか、京浜さん・・・なんでそんな構造にしたの? と問い詰めたい気分に。アクセル・ワイヤーだって他機種の物を加工して使ってるくらいだし・・・。
「さんきゅー。これであとはニードルだけだ」
「右やってやるからドライバー寄越せ」
「助かる」
そう言って、大の男二人が、小さなドライバーを使ってキャブレターの蓋を開けた。
「同調チェックするか?」
「時間ねえ。大丈夫だろ」
「ほら、ニードルやれよ」
「もうすぐ左が終わる」
「なんでインシュレーター・ボックスなんか付けてんだよ? 男は直キャブだろ?」
「あほ。ヲクで今、キャブレターがいくらで落ちるか知ってんのか?」
「そこは根性だろ」
「そう言うのは太平洋戦争の先輩が絶対に無理、と証明してくれたろ。命懸けで残してくれた教訓をありがたがれよ」
「違いない」
ペックはニードルをかすかにズラして固定した。これで低速域でのガスの吸い込みを制限出来る筈。ただ、混合気のガスが薄くなり過ぎると、今度はシリンダーとピストンを焼き付かせてしまうので、基本は濃い目で攻める。
「おっけー」
「さっさと閉じるぞ」
そこで遠くの赤灯の回転が見えた。
「おい。スクランブルかよ」
「今日は誰が担当だろうな? 戦術偵察機運用部隊にはカンケーねーけど」
「その代わり、戦時下ではほぼ非武装で強行偵察させされるんだぞ。どっちが良い?」
「ロマンはオレ達の方に分があるぞ」
二人はキャブの蓋を閉じて、各種チューブ類を急いで装着した。終わると同時に、パインが無言でハンドルの所にあるメインキーを入れる。
「コンタクト!」
同じ機体の前後席を分かち合う、タッグを組むパイロットらしく、何事も以心伝心だ。阿吽でツーカー。こうでなければ、亜音速で地形に沿って飛びながら目標物をカメラに収める事は出来ない。特に彼らは、二人で四つの眼を共有していると陰口を叩かれるヤバイ二人だった。
セルを使って5回ほど回した後、直キャブ状態でエンジンが掛かる。
「アイドリング・・・調整不要か」
アイドリング付近では、FCRキャブレターお約束の"浮動バルブ"の音が、"カチャカチャ"と存在感を示す。
アクセルを煽って、チューブ内のエアを吐き出すべくレーシングする。凄まじい吸気音がまき散らされたが、遠慮無くスロットルを開けてスクランブル離陸する戦闘機の爆音が、それを完全に上書きしてくれた。だから、今だけは遠慮はいらなかった。
戦闘機の爆音が去ってから、キーをひねってエンジンを切る。そして、インシュレーター・ボックスをキャブレターに覆い被すように差し込む。
「二気筒で良かったな」
「ああ、四気筒じゃこんなに簡単には差し込めねえな」
そのまま、オートバイの燃料タンクを被せて、シートを差し込んで、作業を終える。
「終わった。昼休みの間に終わって良かったぜ」
「本当はこのまま、調子見に行きたいんじゃないか?」
オートバイを動かして、ブルー・シートを畳みながらペックが応えた。
「今晩、北関東自動車道でも行って来るさ。後ろに乗るか?」
パインは大げさに首を振った。
「お前の後ろはイーグルだけで十分だ。命あってのモノだからな」
「賢いな。後部座席はそうでないとな」
二人は、オートバイの作業を終えて、歩き出す。
「ところで、松本の鴨田が電話して来た」
「それでここまで来たのか」
「そうだ。例の"JK"をくれぐれもよろしく、だとさ」
「何だ、松本に引っ張るんじゃ無いのか?」
「いろいろ事情があるみたいだぜ。岐阜とか開発の連中まで動いてる。三菱までな」
それを聞いて、ペックは少し考えた。そして、訳が分からないので、問題解決への最善で最短の解決方法を選択すると言う戦略を選択した。
「今晩、常磐道ぶっとばして松本まで行ってくるわ」
それを聞いて、アホか、と言う表情でパインがペックと咎めた。しかし、ペックはこう返した。
「別に鴨田に会いに行くわけじゃない。キャブのセッティングを出しに行くだけさ」
それを聞いて、パインも覚悟を決めた。
「ナビシートは空けとけ。きちんと明日の朝までに北関東自動車道・茨城国際空港北出口までたどり着けるように誘導してやる」
そこで、二人は互いの拳骨をぶつけ合った。
「さすが相棒」
「こうでなければアホの相手は務まらねえ」
「言ってくれるじゃん」
そして、パインは整備兵の空曹が貸してくれたマグネット・ロッドを、駐車場に停めてあった持ち主の車の屋根に有り難そうに貼り付けた。




