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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第二章「翔」
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2037年6月13日(土)、PM2:00、アクアワールド茨城県大洗水族館、深海ゾーン中型水槽前ソファー

「もう10分良い?」

「良いよ」


 ナヲちゃんの延長工作。これが何度目になったのか、もう数えるのは諦めたよ。


 私とナヲちゃんは、土曜の休みを利用して、アクアワールド茨城県大洗水族館までやって来た。最初は順調だったのだ。じゃばんじゃばんと宙を舞うイルカ達のショーやぺちぺちと敷地内を行進するペンギン達に夢中になって二つの義眼を輝かせる彼女の表情を真横で眺めるのは、私にとって何物にも代えがたい喜びだった。


 あー本当癒やされたわ。


 しかし、地下にある深海ゾーンに到達したところで完全にスタックしてしまった。ナヲちゃんが、中水槽(ちゅうすいそう)の中でライトアップされた海月(くらげ)の大群を視界に収めた瞬間に完全に足を止めてしまったからだ。


 彼女はそのまま、水の中を漂う様に及ぶ海月(くらげ)の大群に完全に魅入られてしまった。微動もせずに中水槽前に張り付いた。それこそ、脚から根が生えてしまったかの様に。


 30分経ってもフリーズしたままだったので、私は中水槽の真ん前にあったソファーにナヲちゃんを誘導した。彼女は従った。しかし、腰が抜けた様にソファーに腰を下ろすと今度こそ完全に擱座(かくざ)してしまった。


 その様は、ガス欠になった合衆国陸軍が世界に誇るM1A3戦車の様だ。ああ言うヘビー級の重機は自力以外の方法で移動させるには、分解するしかない。


 その時のナヲちゃんもそんな感じだ。時々、こっち側に帰って来て、でも水槽から目を逸らす事なく「もう10分良い?」を単発的に繰り返す。おそらく、私達はここでもう二時間も海月(くらげ)まみれになっている。


 その間に私は知った。


 海月(くらげ)と言っても実はまったく別物っぽい二系統ある事を。それらは「刺胞(しほう)動物門」と「有櫛(ゆうしつ)動物門」。お盆過ぎの海に現れて私達の柔肌を刺しまくるのが「刺胞(しほう)動物門」だって。ユラユラとヒダヒダとぶら下げてるのもこっちだ。


 そして、時々だけど食卓で口にする「クラゲ」って本当に海に居る海月(くらげ)だった事を知った。今までは、どこかの陸上で収穫されるキノコとか、何かの球根に澱粉とかを固めた加工品だと、何の根拠もなく適当に考えていた。日本で食べられてるのは、エチゼンクラゲ、ヒゼンクラゲ、ビゼンクラゲ、の三種類。海外ではキャノンボールクラゲ、チラチャップクラゲ、ホワイトクラゲとかも食べられてるとか。そんなに美味しい物じゃないから、食卓に上らなくても良いけど。


 私は"ナヲちゃん姫"が海月(くらげ)に飽きるまでの時間を利用して、そんな勉強をしてしまった。で、その"姫"の視線を釘付けにしているのは、ミズクラゲ(有櫛(ゆうしつ)動物門)だ。どこにでもいそうな地味な、ヒラヒラとかブルブルっぽいのも少ないヤツだ。ただ、その漂う軌道に何らかの規則性がありそうだ。水槽の中の水の流れに乗っているだけでは無さそうだ。


 暗闇で、ライトアップされた海月(くらげ)が水槽の中を漂う姿は確かに美しい。本当に幻想的だ。眺めているだけで、とても心が癒やされる。ナヲちゃんの横顔ほどではないにしても効果的。


 しかし、それも最初の30分間までが限界と言う所だろう。そこから先は折角受け取った癒やし効果を、一方的に奪い取られる耐久レースへと転じる。そろそろ、タツノオトシゴ見に行きたい。本音では。


 それでも、心が擦り切れてる我が"姫"を癒やしてあげたいし、甘やかしてもあげたいし、少し罪滅ぼしもしたい。この間、()っぺた()っちゃったから。


「模様、脈動・・・それか・・・解った・・・」


 突然に、ナヲちゃんが意味不明の言葉を呟いた。それが何かの合図だったのだろうか? 彼女が私の側に無事に帰還した。その横顔は妙にスッキリとした感じで、長年の懸案がやっと解決したかの様な、何かの憑き物が落ちたみたいな気配すら漂わせていた。


 まあ、今、彼女の心中で何が起こったのは解っていないけれど、それは私達二人にとって良い事であるには違いない。私はそれを信じようと思う。実はそれは私にとって大きな心の負担になるけれど、そうやって好きな人の全てを知って、理解して、支配しようとするのは傲慢だったと、この間のケンカで遅ればせながら気付いた。


 もちろん、そう言う人の業に起因する(つみ)は、無意識で無自覚なものだった。しかし、だからと言って許されるものでもない。いや、無自覚な心の(やいば)ほど危険な暴力はあるまい。さらに被害者が無痛覚だったりもする場合すらある。これは本当にヤバイ。


 もし、いずれかでも痛みの存在を自覚してさえいれば、悲劇的な結果をもたらす前にお互いで何とか落とし所を探し出すと言う、交渉の余地が生まれる条件が成立するだから。


 で、私はとうとう、それを自覚させられた。だから、破滅回避に向けた交渉を始める事が出来たのだ。


 天才なら最初から間違いは犯さない、努力家なら最初は間違うけれど二度目は惨事を避けるか被害を減らす、阿呆は同じ間違いを何度でも無限に繰り返す。


 私は、天才になるのは無理でも、せめて努力家にはなって見せようと、あれ以来自らを律し始めた。


 兎に角、彼女の"兆し"さえ察する事で出来ればそれで良いのだ。何か変化が起こるというなら、それを初期段階で捉えて対処するなど、こちらのペースでバッドエンド回避の準備を始められる。


「良かったじゃない。何かスッキリしたみたいで」

 私は平静を装って、声に非難の抑揚が入り込まない様に努力しながら応えた。


「うん、もう5分ね」

「いーよーー」


 そう告げると、ナヲちゃんは今度は意識と魂をここに残したまま、仮想現実へフル・ダイブした。ハリー先生からもらったサイバー用コンタクトレンズを通じて、物凄いデーター通信がナヲちゃんが送信されている事が判った。


 サイバー用コンタクトレンズ、それは身体にマイクロ・マシンをインジェクトする事なく、擬似的に「疑似プラグイン」を体験できる生身用のギアだ。変な説明だ。擬似的な疑似とかいかに?


 それはかなり簡易的で、限定的ではあるが、生体脳と機械を物理接続する事なく、仮想現実と拡張現実の両方に対応出来る事を意味している。


 ずいぶん、都合が良いギアに聞こえるが落とし穴はしっかりと用意されている。連続装着と連続待機時間は6時間、連続使用(1時間)と言う電源の弱さだ。


 だから日本では普及しない。太平洋のこちら側では、マイクロ・マシンをインジェクトして常時使用可能な状態を作るのが一般的だ。しかし、宗教的な禁忌や、道徳的な縛りや、文化的な障壁の多い合衆国では、こう言う簡単に「取り返し」が付く(効く)サイバー系ギアの市場も確実にあるそうだ。


 コンタクトの方も、人間の熱や何やらを直流電気に変改する物質で通電回路を作って発電に努めているらしいけれど、その程度では全電力を賄えないので微量とは言え補助電源が必要なのだ。なお、補助電源は二次電池。それでもレンズ本体に生じがちな傷などのダメージの問題もあって、最大限にケアしても数回の使用が限界とされている。表面に付着したり増殖する雑菌とか病原菌、完全消毒・除去は難しいらしいんだ。


 メガネ形式のギアもかつてはあった様だ。しかし、それは「撮影されている」という印象を無差別に周囲の人間に与えてしまうので、ユーザーの行動範囲を著しく制限してしまったと言う失敗の過去がある。おかげで、継続的に健全な商売をしようとする組織は、製造・販売しなくなってしまった。


 思うに、メガネ形式だと搭載出来る機能が多種多様で高性能化するので、監視社会が極まったデストピア的風評被害を起こしかねない。だから、社会に歓迎されないんだと思う。機能でなく道具が持つ印象が不適格という意味。


 で、小型薄型と言う縛りで低性能に間違い無いおかげで、そこそこ普及したサイバー用コンタクトレンズ。それはハリー先生が帰国する直前に、私に直接未開封状態のボックスで渡してくれたものだ。「友達からもらったけれどボクには要らないモノだからね」と良いながら。


 先生が搭乗ゲートを潜ってからどういうモノなのか検索してみて驚いた。実はこれ、ものすごく高価な商品だったのだ。一ボックス、未開封のまま専門買い取り店に持ち込めば、普通自動車一台買ってもお釣りが来るくらいの資産に換金出来る程にだ。


 私は困ってしまったが、ナヲちゃん曰く「先生も友達からもらったモノなんだから、葉子ちゃんも先生からもらっておけば良いんじゃない?」。ナヲちゃんにも何か思うところがあったらしく、そのくらいは甘えても良いんじゃないか、と判断したみたい。


「おまたせ。終わった」

 気が付くとナヲちゃんが私の前に立って、手を差し伸べている。まるで王子様みたい。良いね。私が手を取ると、引き上げてくれる。


「ごめんね。ちょっと海月(くらげ)に魅入ちゃって。そして、見詰めていたら、何か(ひらめ)いちゃった」

「いいよ。私はナヲちゃんに魅入っていたから」


 ナヲちゃん、「あら、意外」と言う反応を示す。

「小言の一つくらい覚悟してたのに」


「少し放任主義を取り入れました。ナヲちゃんが私が擬態介護士の免許取る時に許してくれた様に、ね」


 ナヲちゃん、吹き出す。文字通り「( ´,_ゝ`)∵:.プッ」って言う感じで。

「・・・いや、うん。ありがとう。広い心に感謝する」


「人と人ってのは難しいね」

 私は素直な想いを伝えた。


「どの様に?」

 ナヲちゃんが興味深そうに、二つの義眼でこちらを覗き込んでくる。第一群に取り込まれた、ライトブルーの保護レンズが美しい。


「私とナヲちゃんのすれ違いの原因は、きっと生身と擬態だからって訳じゃなかったんだ」

「ふんふん」


「育った国と国が違う、年齢が違う、性別が違う、好きな色が違う、とか、とにかく「違う」って言う事が原因なんだと思ったんだ」

「ふんふん」


「仮に私とナヲちゃんが、生身同士だったり、擬態同士で身体が同じでも、きっとケンカは絶えないんだ。だって、そう言う時は、きっと新しい「違う」を見つけて争う事になるから」

「哲学的ね」


「そうね。私はパスカルよりニーチェの方が人間的と思うわ。友達になるならパスカルの方が好ましいけれど」

「では、ナヲミ・パスカル・アサマに君の結論を伝え給え」


「人は二人居れば必ず、いつの日にかはケンカする。ケンカが無くならないなら、発生回数を減らしたり、被害の低減に努めるのがもっとも前向きと思うに至った(わけ)

「・・・」


 ナヲちゃん、久しぶりにフリーズ。さっきの中水槽前のは意図的なフリーズだからノー・カウント。


「私は、今後想定されるナヲミ・パスカル・アサマさんとの意志と意志のぶつけ合いのやり取りを「取り返しの付く範囲」で済ませる方法を模索中なのだよ」


「驚いた」

「何が?」


 ナヲちゃんは穏やかな笑顔になって、私に耳打ちした。

「葉子ちゃんが、そんな難しい事考える人って知らなかったから」


「ひどいっ!」

 私の抗議を無視して、ナヲちゃんは私の腕を取って強引に歩き出した。


「でも今知った」

 こちらに視線を寄越さずにそのまま言葉続ける。

「私は愛されている。そう自覚させてくれてありがとう」


「え?」

 意外な感謝の言葉に驚く。あんまり驚いたから、最後の方を聞き逃した。

「ごめん、聞き逃した。もう一回お願い」


「駄目」

「なんで?」


「言葉は伝えるとき以外に振る舞うべきじゃあない。だって、言霊を浪費すると凶事が起こるらしいから」

「・・・」


 この()は・・・日本人よりずっと日本の事よく知ってるわ。


 そこで思い付いた。道教だか、密教にある「魂魄(こんぱく)」の概念。(たましい)(からだ)は双曲の一対だ。死ねば。(たましい)(からだ)が分離して、魂は天へ昇り、魄は地に残り鬼になり果てる。


 それが本当なら、ナヲちゃんの魂が時々居なくなるのは魄に全く縛られていないからなんだ。彼女は天寿を全うしても、鬼とは無縁。


 しかし、それは縛られないだけでなく、魂が休む場所もなく、永遠に歩き続ける必要に曝されていると言う事にはならないだろうか? 神様は良い。だって、全国に建立された鳥居でその羽を休めれば良いんだから。でも、ナヲちゃんにはそれが用意されていない。


 でも、ナヲちゃんと私の二人で魂魄を形成できれば、ナヲちゃんの魂を私の魄が受け入れられれば、私の腕の中で安らぎを得る事も出来るかも知れない。


「私解った」

「何を解ったの? 葉子ちゃん」


(えっち)しよう。今すぐっ!」

「へ?」


「私がナヲちゃんの魂を受け入れる事が出来れば、ナヲちゃんはきっと何があっても人でいられるんだよ」

「ちょっと待って。話飛躍し過ぎ。もう少し解る様に説明してっ!」


 それが既に思い出となり、過去の事実であると確定後である遥か未来から、この時の出来事を振り返ってみれば、思い出の顛末は本当に赤面の至りとしか言いようがない。そして、子供らしく実に安直な思考で導き出した結論だった事は否定できない。しかし、若かったからこそ、純粋で純血な想いを臆することなく、あの()に向けて発露出来たのだ。


 ばつが悪いのは、直感で思い付いたそのアイデアこそが、実は、唯一の正しい答えの"本質"だった事を今では立証・証明済みである事だ。ずいぶんと遠回りしてしまったのだ。結論はすぐそこにあったと言うのに。


 人間は私が思う程に複雑なモノではなかった。しかし、私が思わない程に複雑なモノだった、と言う事だ。


 全てを知りたい。全てを知らない。全てを知ると言う事は全てを知らないと言う事を知ると言う事。


 何も知らないって事は何でも知ってるって事?


 ーーーんなワケないじゃんっ!


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