2037年6月7日(日)、AM10:00、私立会津高校小美玉校、学生寮901号室、居間
鴨田三佐はコーヒーカップ持参で、公安の"山田先生"は不機嫌な顔付きで、学生寮901号室に入って来た。
「悪いね、淹れ立てなんだ。冷ますのも勿体ないから持って来ちゃったよ」
「構いませんよ。インド産のアラビカ種ですか?」
「良く分かるね。飲むかい?」
「いえ、そう言う生身を摸倣する趣味は持ち合わせていないので。だいたい、高いんでしょ? もったいないじゃないですか」
「いや、アラビア海とインド洋を回って来た海自の友達にもらったんだよ」
相田つかさは、山田先生をテーブルに誘導して、まだ湯気の立つコーヒーとメープルシロップの小瓶を差し出した。それを見ると、さっきまで膨れっ面だった山田の顔が一瞬で笑顔に変わる。
「コーヒーの方はネスカフェですけど、メープル・シロップの方は本物ですよ。合衆国、ペンシルバジア州のワイオルシングという町の森から採取されたものだそうです」
「さすが、相田。良く分かってるじゃないかよ」
「この件がつつがなく終わったら、今度はパンケーキ付きでサーブしますよ」
「おう。良い心がけだ」
相田つかさのクラスメートと言う設定の斎田一條は、ただ黙って自分以外のやり取りを観察していた。この男は、特に必要が無ければ口を開かない。これは他人を嫌っているわけでなく全く必要がないと思っているからだ。
彼はかなり特殊な特技を持っている。それは、視覚情報を収集するだけで、生身の人間の考えている内容が手に取る様に判ると言うものだった。それは推察のレベルを遥かに超え、航空自衛軍からも特殊技能者として認められ予備役として登録されている。
それでも、ウイング・マークまで保持している相田つかさとは、明らかに異なるタイプの擬体保持者な様だ。相田つかさほど、首までどっぷりと軍に漬かっている訳ででもないし、さらに他人に積極的に関わって行く事もなさそうだ。
おそらく、オフェンスではなくデフェンスで活躍するタイプと思われる。その辺りは適材適所で人材を統括できるリーダーさえ居ればデメリットよりメリットが多いものだ。そんな組織でもパフォーマンスの肯定は「頭」次第と言う事だ。
実は、意外なことに相田つかさは、(これでも、あれでも)生身の人間とのコミュニケーションにもっとも慣れている擬体保持者の一人だ。ただし、低年齢の段階で擬体に宿った者達の中では、という注釈が付くのだが。だから、朝間ナヲミに対して興味を持つほどに余裕を持て余したのだろう。
低年齢期(または自己認識するかしないかの幼児期)から擬体に宿った者達の多くは、既に公の場では既に使われなくなった言葉だが、広汎性発達障害(PDD)またはアスペルガー症候群(ADHD)のいずれかに傾向に該当する。しかも先天的なものでなく、あくまで後天的な要素によって誘導される、健康的な行動形態の発露だ。
まだ仮説ではあるが、おそらく、擬体と言う世界と接する唯一のツールが、興味や趣味の方向へ費やすリソース配分を過多にさせる傾向があるのではないか、と最近では推論されている。また、仮説として提唱された「ミラーニューロンの機能不全」の行動とかなり重複する点も認められている。
それは別の言い方をすると、擬体の五感センサーの情報量が生身と比べて圧倒的に少ないために、外へ向かうべき膨大な好奇心が内側へ向かった結果ではないか? などこれまで検討されて来なかった懸案が持ち上がりつつあるという事でもある。
擬体と言う技術は実用化されたばかりで、そこにどんな落とし穴があるのか誰も知らない。もちろん、それでも手探りで進歩を試み、問題を克服して行くしかないのだが。
「さて、相田君、斎田君、どっちでも良いから、昨日判ったことを報告してくれ」
「では、三佐、私から報告させていただきます」
「相田君。ここでは三佐は止めてくれ」
「すみません。先生」
「じゃ、進めようか」
山田はメープルシロップを入れコーヒーを、小さじでゆっくりとかき混ぜながら三人のやり取りを眺めている。まずはお手並み拝見という所なのだろう。
「朝間ナヲミの飛行スキルは"単独飛行可能レベル"ですが、戦闘機動が出来るレベルには遠く及ばない、と言う所です」
「相田君としては、それをどう評価する?」
「初飛行で、まったく縁のゆかりもないUAVのRFQ-2を使用してそれです。末恐ろしい資質の持ち主か、と」
「どの点でそう感じた?」
「すぐに全ての操作系を完全に自分の手足として把握しました。センサー系もすんなりと知覚センサーの延長として支配下に置きました。無意識でしょうが、開発中のドルフィン・スキンを勝手にアクティベートして利用していた形跡もあります」
「システムをハックして全容を把握したのか?」
これには鴨田三佐も驚いて身を乗り出してきた。
「いえ」
相田つかさはそれをやんわりと否定した。
「直感でそこにあるものと知った、としか。そうでないと色々と辻褄が合わないのです」
「続けてくれ」
「彼女はRFQ-2の飛行制御の要であるフライバイライトの泣き所に直ちに気付きました」
「確か、電子光学分散開口システム(EO DAS)と併用すると微妙に右に曲がるってアレか?」
「はい。ヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)用に開発されたシステムを流用したせいか、他にも粗が出ています。ともかく、彼女はそれ気付きました。それを補正するために、右尾翼を使ったんですが、実はそれだけでは不規則に生じる右ロールを抑えきれないんです。で、どうしたかと言うと、左側面のドルフィン・スキンを連動する様に個人アカウントのカスタム設定に書き加えたんです」
「本当に彼女はドルフィン・スキンに気付いていないのか?」
鴨田三佐はさっきから黙ったままだった斎田に尋ねた。
「はい。肯定です」
「根拠は?」
「私は先日、朝間ナヲミを擬体保持者ではなく、生身として分類しました。普通、擬体は生身と違って無意識に本音を語りません。生身は群れの中でコミュニケーションを円滑化するために、言葉以外でも外に向かって色々な手段を使って多くを語ります。それは手話と同じ様に、かなり正確な情報伝達手段です。多くの人はその事実を無視していますが。私はそれを観察して、生身の本音を把握できます。長くなりますが続けて宜しいですか?」
「続けてくれ」
「あの擬体は、擬体としては多くを語り過ぎます。異常です。生身と同じ様に情報がダダ漏れです。何の意味があって、あれほど多くの処理力リソースをそんな無意味なことに配分しているのか理解に苦しみます。彼女のボディ・ランゲージ、ボディ・サイン、視線誘導、すべてを生身のそれらを的確に摸倣しています。だから、生身と同じ様に、私は本音を把握出来ます。その私の前で、相田の質問に対して彼女が嘘で応えれば、直ちに私はそれを知覚するでしょう」
「彼女が本音を隠すために、あくまで生身を摸倣して意図的に混乱を引き起こしていると言う可能性は?」
「不可能とは言いませんが非現実的と判断します」
「相田君はどうだ?」
「斎田に同意します。おそらく、ドルフィン・スキンの件は無意識です。次の搭乗でも利用するでしょうが、自分では特別な事をしているとは全く自覚していない、と言う印象を得ました。彼女は知覚、とくに察知能力は天然ですが抜群です。本人は無意識で利用できるモノを発見してとことん利用しています。そうでなければ、擬体を保持して一ヶ月であの妙なアプリ群を開発出来たはずがない・・・。さらに、会津震災で下準備もなく、まさに即興で構築したネットワークを利用出来たはずがない、と私は考えます」
鴨田三佐は、自分のカップに入れたコーヒーが冷めてしまった事に気付いた。そして、考える。果たしてこれを電子レンジに入れて温め直すべきか、それともこのまま飲み干すべきか。
ーーー電子レンジを利用すれば暖かいコーヒーを飲めると言うメリットがある。しかし、風味は完全に飛んでしまう。
ーーーこのままコーヒーを飲めば冷めたままだ。だが、風味だけはまだ味わえるというメリットがある。
ーーーおそらく、朝間ナヲミの件も同じだ。どちらのメリットを採るかで、RFQ-2の未来が決まる。
鴨田三佐はそこで自分の中では判断を下した。しかし、それはあくまで生身の人間が必死で考えて下した決定だ。それは経験上、将来に禍根を残すことになりかねない短慮だ。
「相田君、斎田君に問う。それぞれの印象に基づく意見で構わない」
「はい」
「はい」
「果たして、朝間ナヲミにはRFQ-2を貸与するに足りる人材であると思うか?」
「はい」
「はい」
相田つかさと斎田一條は、完全に同時に、ハモって応えた。驚いてお互いに顔を見合わせる。その様を見ていて、鴨田三佐は安心した。どうやら自分の判断に間違いは今のところ無さそうだ、と。
「それでは斎田君、百里基地の担当者と整備と保管の打ち合わせを始めろ」
「解りました。直ちに」
「良し、退出を許可する」
「はい」
斎田は、学生寮901号室を後にした。早足で校門を抜けて行く。どうやら、百里基地に駐機してあるC-130Rへ向かうらしい。学校と言う環境が、おそらく大量のデータ通信を行うのに適さないと判断したのだろう。




