2036年9月7日、私立会津高校乗馬クラブ
「ナヲちゃん、緊張してる?」
「葉子ちゃんこそ緊張してる?」
私は葉子ちゃんと学校の乗馬クラブに帰って来ていた。
ここは夏休み前に酷い目にあった悪夢の乗馬場だ。擬体になって初めて地面に叩き付けられて、事もあろうか生まれて初めて砂利の味まで覚えさせられた因縁の場所なのだ!
私達は上下しっかりと乗馬スタイルで完全武装している。私の両手にはアサマ先生からプレゼントしてもあった乗馬用のグローブがしっかりとはめられている。さあ、ウェストファーレン種、どこからでも掛かってこい。今の私に死角はない。
本当は乗馬で危ない目に遭うのは私一人で良かったんだけれど、心配だからと超インドア派のはずの葉子ちゃんまで付いてきてくれた。そしたらセンパイ達に襲われてそのまま私と一緒に入部体験する羽目に。ごめんねー。
私がこれから挑戦するのは前回私を4度も払い落としてくれたウェストファーレン種の『ハナコ』だ。同じ女同士なんだから今度こそ上手くやろうよ。目に見える位置から驚かせないようにゆっくりと近づいて、話しかけて様子を見る。
前回と違って興奮している気配はない。どうやらアクチュエーターの交換は正しい選択だったようだ。これなら大丈夫そうだとセンパイが馬の背に上がるのを許可してくれた。でも手綱はしっかりと抑えてくれている。
私は念のために第二小脳にハナコの首と腹回りにしがみつくための情報アンカーを打った。暴れ出した時に私が視覚で確認できなくても、加速度センサーから逆算してしがみつく位置や踏ん張る方向をアシストしてくれるだろう。擬体のせいで大変な目に遭ったんだから、擬体の機能をフルで活用するのは賢い選択であるはずだ。
鐙に脚をかけて、そこを力点にゆっくりとハナコのサドル、じゃない、鞍に跨った。ハナコはまだ落ち着いている。私も手綱を握る。センパイとアイコンタクトする。センパイが頷いて私が乗ったままのハナコの手綱を引いてゆっくりと馬場の周回を始めた。
今日は大人しいものだ。前回は上半身を持ち上げて私を振り落とそうとしていたくせに。
形状記憶合金利用アクチュエーターは、電源供給を切ると『まっすぐ』に曲がった状態に戻る(制御に直線という概念はないらしい)。そして加える電流を上げると曲がっている角度が『くの字』に近づくというとてもシンプルな仕組みで動くアクチュエーターだ。それだけに押すよりも引く方が電力消費的には効率が良い。
それは馬に跨って身体を義肢で固定しようとしている時は常に通電状態ということを意味する(通電用電力一時保存キャパシタの方は最初から電流の平滑・安定化さているだけでなく、使用電力が極めて小さい。だから対ノイズ性能は高く超音波領域でも変な音は出さない)。だとすると跨っている時点で暴れないということは、馬が嫌う高周波音や振動や発生していないのだろう。
馬の背の上下運動と上半身の揺れを膝と腰で合わせながら、第二小脳を使って加速度センサーからフルに情報を集める。取得される三次元座標での動きと最大から最低の加速度が視覚的に送られて来ると、なんとなくコツがつかめてきた。
馬の動きと一体化するための最適値を計算して、補正を重ねて、追随性を徐々に上げていく。乗馬場を三周したあたりで、センパイが馬任せで自力でコースを回ってみる気はあるかと尋ねた。答えはもちろん「Yes.」だ。
葉子ちゃんが手に汗握って見守ってくれていることも忘れて、私はハナコの腹を踵で軽く叩いた。するとハナコはすんなりと動き出した。ナミアシでゆっくり、ゆっくりとだ。軽く伝わってくる前後の揺れがリズミカルで気持ち良い。
ハナコは気をよくしたのか二週目で勝手に微加速してアンブルに入る。どうやら馬の揺れに上半身合わす数値の最適化に成功した様で、私の騎乗があまり負担に感じていない様だ。
異変はハヤアシに移る気配を見せた時に起こった。センパイが減速する様に指示を出した。そこで手綱を引いた。すると指に内蔵されていたボイスコイルモーター関節が動き出す。やはりボイスコイルモーターもまた、馬の嫌う高周波音を出すらしい。
ハナコが暴れ出す。手綱を引っ張り返して私を前方に浮き上がらせて、尻を鞍から引きはがそうとする。前回の様に振り落とそうとしているのだろう。しかし、今回は十分な対策を事前に施してある。
私は指のボイスコイルモーターの制御を完全にマニュアルに変える。そのために徹夜で組んだオリジナルのプロファイルを噛ませたドライバーをロードしておいたのだ。
電圧・電流をVVVFチップを使って小刻みに調整・変更しながら、馬を刺激しないセッティングを100通り以上試す。音を停めるわけじゃない。好きな音を出すように振動を変えるのだ。すぐに馬に対して避けるべき帯域の特定に成功する。
この間は約0.5秒。センパイや葉子ちゃんには馬がちょっとおかしな動きをしただけで、そのまま収まった様に見えたことだろう。私は落ち着いたハナコの首筋を撫でて、そのままスタート地点まで戻って馬を完全に停止させた。
センパイが手綱を抑えてくれている間に、ハナコから降りる。地上に降りると少し眩暈がした。思った以上にハードでタフな一瞬を体験したらしい。事前にある程度はどの帯域が馬を刺激するのか想定はしていたのだが、やはり実際に試して初めて分かることが多い。事実、馬を刺激しない帯域は想定していた範囲からかなりずれていた。
ハナコから離れようとするとずっとこちらを見ている。歯をむき出して笑っている様に見えた。なんか馬鹿にされてるのかな、と。するとセンパイが言うにはこれは親愛の情で、どうやらハナコは私のことを気に入ってくれたらしい。
両目でアイコンタクトして来たので、こちらも返す。私の機械の目でもハナコは見詰め返してくれた。そして顔や口を巧みに動かして何かアピールしている。きっとこれが日本語の『ウマがアウ』に相当する事象に違いない。
休憩場に戻るとあまりに気怠く感じたので椅子に座って、姿勢制御を自動にセットして脳をリラックスさせることにした。隣に座った葉子ちゃんが尋ねてきた。
「ねー、ナヲちゃん、今・・・擬体を自分で動かしてる?」
「分かるの?」
ちょっと驚いた。葉子ちゃんにはマニュアルとオートの仕草の違いを区別して見せたのだ。
「うん。分かる。今のナヲちゃん、すごく擬体の人みたい」
「そっかー」
私は疲れていても『人間たる者は常に身体を付き合わなければならない』と言う原則を思い出した。だから、姿勢制御をマニュアルに戻した。うんしょ、っと座り直すと葉子ちゃんは生ぬるい目でこっちを見ている。どうやら、マニュアルに戻したのもバレでいるらしい。
隙を突いて何が恥ずかしいことをしている所を悟られ様な気がした。生体脳が妙な挙動を見せたらしく、ちょっと心拍数が上げられたらしい。ずっと嬉しそうに私を眺めている葉子ちゃんを見詰め返すことができずに、椅子から立ち上がって、照れ隠しにこう言い放った。
「さー。今度は葉子ちゃんの番だよ」
「えー、私はいーよー。見るだけ見るだけ」
仕返しにちょっとだけ葉子ちゃんの恥ずかしい所を見てやろうとイタズラすることにした。
「センパーイ。葉子ちゃんも乗馬体験したいそうでーす!」
葉子ちゃんはセンパイに拉致されて恨めしそうな目でこちらを振り返りながらスタート地点へと向かった。でも、帰ってきたときは満面の笑みを見せてくれた。
「馬って可愛いーねー」
「そうだねー」
私たちはお互いの顔を見て笑った。どちらも必死で乗馬してたらしく、すごい顔になっていたことに気付いたからだ。
なお、この時に収拾したデータで再修正してから製作した擬体用乗馬アプリ『歌うリニアモーター』が公開されたのは、二週間後。アプリはすぐにオークションにかけられて、激しい入札合戦の末に日本の中規模企業に買収されることとなる。そして、その後は更にバージョンが14までアップデートされる息の長い製品となる。最終的には買収した企業がまるごと擬体市場最大大手のジャパン・メガテク社に買い取られてアプリも同社が販売する擬体に標準搭載されることなる。
『歌うリニアモーター』の名称の由来は私のドライバーでリニアモーターの高周波音を制御すると、何故か非可聴域で特殊なリズムを奏でることが判明したからだ(共振や打ち消し作用の操作で発生する音波に指向性を持たせることも可能な様だ)。一部の動物はそのリズムを好むことも判明している。つまり、ウェストファーレン種中型馬の『ハナコ』は私ではなく、私の擬体が奏でるリズムとウマが合ったというのが話のオチだ。




