2037年6月7日(日)、AM1:40、私立会津高校小美玉校、学生寮118号室、居間
ナヲちゃんは顔を私の太股に顔を埋めて、両手を私の腰に回してガッチリとホールドし続ける。さっきまで見せていた「やや意識が希薄な表情」とは、かなり対照的。今度は一歩も譲らないと言う、「強目の意志が宿った表情」を見せ始めた。
その、何と言うか、決して逃がさない、と主張するかの様な、切羽詰まった様な、その気迫にはこちらの意識が呑まれそうになる。何となく、ものすごく抵抗し辛い。まるで、泣き腫らした後に拗ねている小さな女の子の様の様に、勝ち目のない相手に勝負を挑まれた気もする。
もしかしたら、だけど・・・。
生身を失って、擬体で生まれ変わったとも言えるナヲちゃんは、今、文字通りに「人として、もう一度生き直している」のかも知れないな。
それはさっき始まった事ではなく、きっと朝間先生が見守る中で初めて覚醒した瞬間に始まった事なのかも知れない。
それは私と出会うずっと以前のこと。私が知らないナヲちゃんの経験だ。
今まで、すごく大人だと思わせていた身の振り方は、生まれたばかりの子供が誰にも負けにないとして、ものすごく背伸びし過ぎた「身の丈に合わない振る舞い」だったのかも知れない。
そんな事を思い付いてみると何となく、思い当たる節がある。しかし、それを当人に尋ねてみるのは酷な事だろう。無意識でやっていたのかも知れないし、そうしないと心と体のバランスを取る方法がなかったのかも知れないし。
それでも、と反語したくなる。揶揄や皮肉を言いたいのではない。私の前でだけは、素の儘でいられる空間を提供してあげたいと、ナヲちゃんの側の面子を立てた形で伝えたいのだ。できれば忖度で、私が押し殺せない想いを受け止めて、出来れば何かしらの方法で果たさせてあげたい。
何、それが何時までも続く訳でもあるまい。それはきっと、この娘が機械の身体という後天的に与えられたインフラ上で、自我をもう一度確立し終えるまでの、せいぜい数年程度の短い期間だろう。
もしかしたら、こういう風に私にべったりと懐いてくれるのも、その時までの期間限定大バーゲンなのかも知れない。その時が来たら、この娘は私の膝の上から躊躇する事なく離れて行ってしまうのかも知れない。
それはきっと寂しい事だろう。しかし、それでもこの娘が何者にも熟れないまま一生を終えるよりはずっと良い。私の膝の上で飼い殺しにされるよりずっと良い。
そう思えば私は、その時の衝撃に絶える事ができるだろう。そう、この事はずっと思えておこう。その日が突然に訪れても狼狽しなくて済むように。
さて、話を始めようか。
「ねえ、ナヲちゃん」
「ん?」
「ごめんね」
「んー」
「打ちゃった事もうそうだけど、私はもっと思っている事を話すべきだったと今は思うの」
「ん」
「痛かった?」
「ん」
「私は、ナヲちゃんが人形以外の擬体の中に宿っていると、人でなくなってしまう気がして怖くてしかたないの」
「ん」
「私はフルダイブ出来ないから解らないんだけど、人は人の形をしていて初めて、人と共感できると想像してるの」
「ん」
「私は相田さんが怖いの。だって、あの人は人でない価値観の世界に、片足の重心を移してしまっている様に思えて仕方ないの」
「ん」
「私は好きな人を抱きしめたいと思う。今はナヲちゃんもそれに共感していてくる。でも、相田さんみたいに人形に宿るというアイデンティティーを捨ててしまったら、何時の日かそれを忘れてしまう気がするの」
「ん」
「私はナヲちゃんに私の理想から逸脱して欲しくない、と言う我が儘を押しつけてた事に気付いたの」
「ん」
「だから。ごめんね」
「ん」
「これからは、私の我が儘で、何か何でも貴女を、雁字搦めにするの止めるよう努力する」
「ん?」
「最初は上手く出来ないかも知れないけれど、きっといつか自分の我が儘を御せるようになりたい」
「ん・・・」
「それまで私と一緒に居てくれる? また悪い事しちゃかも知れないけれど、そんな私を受け入れてくれる?」
「うん」
ナヲちゃんの両腕に込められる力が少し強くなった。少し脚が痺れて来た。膝の関節も痛い。しかし、今この時こそ踏ん張り所だ。人生には、そう言う瞬間がこれからも繰り返されるだろう。大切なのは、その瞬間にそうであると自覚できる事だ。そうすれば、大抵の障害は乗り越えられる。きっと。
「許してくれる?」
「・・・うん」
ナヲちゃんが、振り返った。さっきまで私の太股に顔を埋めて隠していた顔を見せてくれた。
「天岩戸が開いた」
「・・・うん」
鼻の上に埋まっている義眼に大きな変化はない。しかし、義眼を取り巻く目蓋などの周辺部が少し、赤くなって膨張している。これは「泣き腫れた」と言う状態なのだろうか? やっぱり、今度の新しい擬体はすごい。いや、ナヲちゃんの人形遣いとしての資質は群を抜いている。
私は一目で、魅了されてしまった。私は思う。こんな泣き顔見せられて、落ちない強固な心の城壁を持つ人なんかいるんだろうか? と。
私は、今、この瞬間、この刹那、ナヲちゃんとの恋に落ちた。
それが何度目になるのか、もうすっかり忘れてしまったけれどね。
改めて、私をよろしくお願いしたい。




