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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第二章「翔」
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2037年6月7日(日)、AM0:40、私立会津高校小美玉校、学生寮118号室、ユニットバス内

 取りあえず、ナヲちゃんの全身を、頭から爪先まで大きなタオルで揉み下して雨水を拭き取った。そして、前もって湯を張っておいたお風呂に入ってもらった。


 擬体にも生身の交感神経/副交感神経に代替するシステム(※)が、2030年に1月に発表された「AK系かぐら式擬体gen.02」から搭載されているはずだ。今は少しスティーミュラント系ホルモン分泌を敢えて抑えて、デプレッサント系ホルモン分泌を促して、もう少し落ち着かせたい。


 今、ナヲちゃんにここでパニックになられたら、私だけでは対処出来なくなるかも知れない。会津の天叢雲会病院で、震災被災によるダメージで意識を失っていた擬体保持者が何かの拍子で、多分接続端子などの接点不良の突然の回復やショートなどで、突然に目を覚ますのを何度か見た。


 そう言う場合は、擬体は意識を失う直前の記憶に沿った行動を継続して採る場合が多い。そして、十中八九、生体脳の方はパニックによる心神喪失状態に陥っていた。意識の覚醒レベルもどの程度か測れなかった。そう言う状態で、私達が一番恐れたのは擬体が通常なら掛けられているリミッターが外れた状態で義肢を暴走される事だった。


 考えても見て欲しい。トルク面では生身の筋肉を超えるパワーを持つアクチュエーターを搭載する義手や義足が無作為に暴れ出す様を。それに直面した者としては、正直怖い。実際、四人がかり取りかかっても取り押さえられなかった。


 実際、新潟市の方面に直接搬送された擬体保持者の患者さんは、対応したERの人員が不慣れだった事もあって、擬体がパニックを起こして、激しく暴れて、看護師に重傷を負わせてしまったと聞いてる(公の情報としては伏せられている。伝聞によれば、その時は消防用の斧をハンマーとして使用する"擬体破壊"によって強制停止させたらしい。"終了"ではなく機能喪失による"停止"だったのだ)。


 その後は、意識のない擬体保持者の患者さんは例外なく、会津の天叢雲会病院へ搬送される様になった。どれほど時間が掛かろうと、だ。おそらく新潟の一件が原因に違いない、と会津では皆か感じていた(敢えて口には出さないけれど)。


「カサンドラ獄長(由来は知らない)」と称されて恐れ、崇め奉られている看護婦長さんは、そう言う時に即座にかなり乱暴な手段で擬体の強制終了を実行した(強制停止させなければならない可能性があるなら、どんな方法であれ強制終了を選んだ方が生体脳へのダメージは想定範囲内に収められる)。


 彼女としては、そこで手駒であるスタッフまでが被災者に続いて看護室送りにされてしまっては、次から次へと運ばれて来る代替器官保持患者を捌けなくなるという判断がある。そうしないと総体的に、助けられる命や身体の数が少なくなってしまう。大量の患者が送られてくる震災時の緊急治療は、長距離走(マラソン)と同じで、どこかの一瞬だけ良いところを見せれば様と言う物では無い。ゆっくりとでも良いから、最後の一人の処置が終わるまで、一定の質で治療を続けて行く采配が必要なのだ(看護婦長さんはそれをやり遂げた)。


 おそらく、あの怖い看護婦長さんに相談すれば、今日のナヲちゃんの場合でも、即座に擬体の強制終了させて治療者の安全を確保した上で、第二小脳との対話から治療を始める様に、と応えるだろう。


 しかし、私には、ナヲちゃんに対してそれは出来ない。被災による死の恐怖と強制停止後(強制終了後ではない)の生体記憶と機械記憶のズレは、大抵の場合は深い心の傷として残される。それが原因で心を病んでしまう人も多いと聞く。実際、会津大震災後に問題となっているのは、擬体保持者の生存性の高さと比例する心因性の代替器官不調症だ。


 同じ状況で被災した人達の中で、擬体保有者の生存率は極めて高かった。しかし、その後の心のトラブルは擬体保有者の方がより深刻化する例が多かった。


 だから、私は、ナヲちゃんを身体を張ってでも最低限の心の損傷で復活させたい。私にはそれが出来る筈だ。何故なら、今の私にはそれが出来るはずだからだ。会津の街や天叢雲会病院のERで本物の地獄を体験して来た後だからだ。


 湯船に入ったナヲちゃんは、段ボールに入れて捨てられた子犬が雨の中で保護を求める様な視線で私に訴える。その場を離れないで欲しいと。


 学生寮の全てが震災被災者用の仮設住宅なので、独立した風呂が常備さえているのは助かる。しかし、かなり小さなユニットバスの湯船なので二人で一緒に入るには非現実的でもある。だから、私は湯船の横に座って、彼女に髪の毛を洗うから後ろ向いて、とお願いした。


 そう言うと金髪の少女は素直に従った。どうやら、身体の一部に触れていると心が落ち着くらしい。擬体介護士の勉強をした時、宇留島さんから「赤ちゃんは母との触れ合いを維持する事によって、未知の惑星を探検する勇気と動機を持てる」と習ったのを思い出した。


 猿の赤ちゃんを使った実験だったな。代理母(サロゲート・マザー)実験とか言ってたかな。針金で形状だけ猿の母親に設えた模型と、毛皮で覆った猿の母親に設えた模型を用意した。そして、それぞれの状況に猿の赤ちゃんを投入して、その状態で怖い人形と猿の赤ちゃんに近づける事で、猿の赤ちゃんの反応を見ると言う内容だった。


 結果は、毛皮で覆った猿の母親に設えた模型と猿の赤ちゃんの組み合わせの方が、怖い人形の正体を見極める勇気と動機を持てるケースが圧倒的に多いと言う実験結果が出た。


 つまり、今はスキンシップが必要なのだろう、とナヲちゃんの彼女である私ではなく、擬体介護士としての私が判断した。


 擬体用のシャンプーをシャワーのお湯で流しながら、そんな行動方針を立てた。そのまま、擬体用ではなく、生身用のトリートメントで長い髪をケアする。少しずつ染みこませて、雨で痛んだ髪の肌地の回復を即す。


 何でも、生え替わる代替毛なので、コーティングを主体する従来の擬体用のトリートメントの使用は好ましくないと指示を受けている。専用のトリートメントの素材配合を、今調合中なんだとか。新しい何かはいつも古い常識を覆し続けるらしい。社会も、人も、価値観もそうやって有無を言わす事無く更新されて行くのだ。そう、ナヲちゃんの新しい、生え替わる、成長する代替毛の有り様よろしく。


 やっぱり、今のナヲちゃんは違う。いつもならトリートメント中にこんなに大人しくしてない。早く終わらせたいと文句を言ったり、何か趣味を始めてしまったりする。


 もしかしたら、「良い子であろう」と努めているのだろうか?


 親に怒られて、親に嫌われたくない子供が採る自己防衛本能の発露、みたいなものだろうか?


 私はそれほどこの()の心の中で大きな存在になっていたのだろうか?


 そんな「If」を検討すると、心臓が今度こそ万力で押しつぶされそうになる。違うな。心臓をガンバレル形状のプロトニウム式核分裂爆弾の中央部に配置して、バレル根元に配置された起爆用TNTを同時一斉に反応させるみたいな苦しさだ。


 ああ、私、死んだ。


 アーちゃんに言ったのとは違う意味で死にたい。


 とは言え、それならこの()を残して一人で死に逝くわけにも行くまい。それはあまりに無責任が過ぎる。


 ナヲちゃんを風呂から上げて、お気に入りらしいジャージの上下を着せた。私も、ナヲちゃんも少し落ち着いた様だ。真正面から、ナヲちゃんの義眼を観察すると、きちんと視線軸が合っている。ピントも合焦している。さっきみたいに、視線軸が泳ぎ出す事も無く、こちらへ視線を真っ直ぐ戻して来る。


 しかし、擬体と言う技術は、一体何時からここまで果敢にパートナーに対して帰属欲発露を、視線を逸らしがたいほどの表現力を身に付けたのだろう。場合によっては生身よりも雄弁なんじゃないだろうか? 朝霧和紗さんが初期に多用した、最先端の「萌え誘導技術」によるものなんだろうか?


 いや、違うな。これは擬体のデフォルトの機能じゃなくて、宿り主であるナヲちゃんの能力なのだろう。もしかしたら、今のナヲちゃんなら、歴史に残る擬体起源に当たる「朝霧和紗専用初期ボディ(2022年製、現在の技術と比較為れば、表現能力はまだまだ発展途上だった)」であっても、十分な表現力を発揮出来るんじゃないだろうか?


 20世紀後半に発見された常識らしいが、人間は精神と身体が相互依存・影響下にあるそうだ。精神(こころ)が病めばどれほど健全な身体(にくたい)であってもやがて病む。健全な身体(にくたい)が病めばどれほど健全な精神(こころ)であってもやがて病む。つまり、身体共に健全でなければ、長期間の健康は維持できない、という事だ。


 もし、精神(こころ)は高い位置にあれば、身体(にくたい)もまたその域に高められる。そして、その身体は肉体に限らないのかも知れない。つまり、身体(きかいのからだ)()いては擬体であっても、精神(こころ)はそれを同じ高みまで昇華させるのではないだろうか?


 どうやら、心の傷はある程度回復して来ているとは言え、ナヲちゃんは第一声を発する勇気と動機の確保は難しいらしい。当然だ。だって、傷付けた加害者の私でさえ、それが恐ろしい。しかし、それは私がやるべき事、払うべき代償の一部だ。


 私はナヲちゃんに、鼻先と鼻先で軽くキスして、ゆっくりと脚を組み直して正座した。そして、二本並べた太股をポンポン、と叩いて膝枕を(うなが)した。


「はい、ナヲちゃん、どうぞ。いらっしゃい」


 ナヲちゃんの反応は顕著だった。すぐに動き始めた。しかし、私の予想とは少し反してもいた。膝枕って言うものは普通は後頭部を太股に持って来て、顔はこっちに向けてくれるものじゃなっかったっけ?


 ナヲちゃんは顔を私の太股に顔を埋めて、両手を私の腰に回してガッチリとホールドして来た。まるで、レスリングの決め技だ。私は決してそこから逃れる事は許されないらしい。


「ねえ、こっち向いてよ。お話したい事があるの」

「いや」

「ねえ・・・」

「いやっ」


 (らち)があかない。このままでも良いか。兎に角、話を始めよう。



※一般的に「生体脳」と呼ばれる事が多い、擬体ユーザーにとって唯一残された生身部分は、チタン製外殻で覆われたユニットとして成立している。チタン製外殻内には「生体脳」「第二小脳」「非常用生体バックアップ・ユニット」だけで構成されていると思われがちだが、実際には初期の段階から生身全身の仮想現実空間での認識方法が模索されて来た。

2033年1月に発表・販売開始された「AK系かぐら式擬体gen.07」からは明確な形で小腸、大腸、肝臓などの一般的な臓器、さらに(ふく)(はぎ)などの送血機関などを摸倣(エミュレート)するチップも埋め込まれている。それによって、擬体保持者(ユーザー)の心因性・物理起因のストレスが大幅に減少した。それらは擬体の操縦や生体の維持には直接的に関与するものではないが、経験則では擬体保持者の生体パーツや精神状態のストレス低減に大きく寄与している事は間違い無い、と言う仮設が現場では支配的だ。これは人の魂は「どこで思考するか?」と言う哲学的命題は、貴族による暇つぶしの思考実験ではなく、人類の尊厳は人間の部位の何処に求められるかと言う理化学や精神学をも内包する人間を対象とする「地学的な学問分野」の様な"総合学問"の定義・設立にまで発展する可能性を帯びている。

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