2037年6月6日、PM15:40、百里基地南エプロン、私立松本大学所属C-130Rキャビン
ーーー空路は視覚情報にコントラストで浮き上がるように表示されてる?
はい、分かります。あのアプリと同じですね。
ーーーそう。そして管制官から許可が下りている空路は緑色のラインが通っている。
はい。
ーーーもし、逸れようとすると触覚への第一種レベルの介入で警告サインが出る。
第二小脳の強制介入メッセージの様なものですか?
ーーーあれほど強烈ではない。しかし、何度か無視すると表面意識への強制介入が行われる点では同じ。
納得しました。
ーーー理解じゃないんだ?
はい。理解は無理や共感は無理でも納得は難易度が低いので。
ーーー現在地は?
太平洋、茨城県沖、回廊を抜けて自衛軍高高度訓練空域"D"に進入済み。高度26000フィート、進路真東。
ーーーここは制限空域だから無茶しても良い。ただし、下限高度は23000フィート。それ以上下は民間航路だから気を付けて。最高地形標高、△の障害物情報は気にしなくて良い。今はこの空域は専有してるけど、もし空域内に他機が入って来たら警告を出す。
はい。
ーーー森さん、朝間さんを借りるよ。
『はい。どうぞ』
ーーー朝間さん、You have control.
はい。I have control.
今、相田つかさの指導下で、朝間ナヲミが無人航空機「天鳥船」の操縦権を継承した。相田つかさと朝間ナヲミは無人航空機をフル・ダイブ操縦中。
相田つかさと朝間ナヲミの身体は、百里基地南エプロンに駐機中の私立松本大学所属C-130Rキャビンにある。朝間ナヲミは森葉子に留守になる身体のサポートを依頼して、初飛行体験中だ。擬体保持者が、自宅や対応施設以外でフルダイブを行う場合、出来る限り、三等親までの家族の監視を付ける事が推奨されている(森葉子は、朝間ナヲミの第二小脳のキー保持者でもあるので、法的に有資格者として認められていた)。
ーーー朝間さん、まずは飛行機の操作系の感覚的な把握に努めて下さい。
はい。
ーーー森さん、もし乗り物酔いや空間失調を少しでも感じたらグラスを外して下さい。
『わかりました。』
空練空位域の往復も含めれば2時間以上掛かるので、相田つかさは気を効かせて、朝間ナヲミの視覚に同調させた仮想空間グラスを森葉子の為に用意した。今回のフライトで朝間ナヲミの体験を、視覚だけでも共有できる様に、との心遣いだった。
じゃあ、葉子ちゃん、ちょっと集中するね。
『うん、分かった。気を付けて』
無人航空機は、百里基地を飛び立って茨城県沖の自衛軍高高度訓練空域"D"を航行中。気象条件は周辺に雲一つない快晴、弱い南風。周りには何の障害物もないので、相田つかさは、初飛行のペーパー・パイロットであっても直ちに飛行機を墜落させる事は無いと踏んでいた(失敗があれば正規パイロットが即座に機体の立て直しが可能な高度と言う意味でも)。
通常ならこの空域で航空自衛軍の戦闘機達が訓練を行っている。しかし、今は合衆国海兵隊の飛行隊達と硫黄島周辺の訓練空域"S"へ遠出中なので、松本大学登録機へと開放して貰えた。
私立松本大学所属の無人航空機「天鳥船」とは、航空自衛軍と海上自衛軍が試験運用中のRFQ-2 "Shiki-Kami"の民間登録版だ。表向き火器管制システムなど武装要素は皆無とされている。だが、少なくともエンジン、機体制御、パッシブセンサー類など統合要素は全く共通とされている。また、ファームウェアやドライバーなどは、こちらの方がより新しいバージョンがインストールされている(その分、マイナー・トラブルも多い)。
無人航空機(UAV)は朝間ナヲミの手足となった。補助翼、昇降舵、方向舵、もすべてが指や肘の様に微妙な感覚で追従する。
翼の後部に付いている補助翼でゆっくりと右旋回して見る。右の補助翼が上に上がり、左の補助翼が下がる。時計方向にロールが掛かる。そこで補助翼を正位置に戻すと反時計方向にロールが掛かり、機体は水平に戻った。
朝間ナヲミは補助翼に当たる風圧や、寒さまでをも触覚で捉えていた。これは(これで)重要なアドバンスだ。GPSや加速度センサーに頼る事なく、自分の感覚で体感速度(風圧の強弱)に対して的確な翼の動きを直感的に判断できるからだ。逆風であっても、追い風であっても、計器飛行しなくても、自分の感覚でそれを把握できる利点は凄まじく大きい。特に、何か都合が悪い事が起こった場合への対処方向を判断する上で、かなりの時間短縮になる。
次は昇降舵だ。迎角を大きくしない様に、水平尾翼の昇降舵を可能な限りゆっくりと上げる。すると機首が微妙に反時計方向に上がる。ピッチ上げに成功した様だ。同時に、翼の揚力が変わり、高度が上がる。その分だけ速度が下がる。エンジンのスロットを微妙に上げて補正してから、昇降舵とスロットルを同時に下げていく。すると、機首が水平に戻った。
ーーー良い勘してる。まさにそれで正解。
良かった。
最後につい直尾翼に付いている方向舵を右に動かす。すると機首が南側に向く。さっきの補助翼操作でも進路は右方向に変化した。しかし、機首は在らぬ方向を向いたまま右方向に変化した。しかし、今度は違う。機首の向きと進行方向が一致している。
無人機は大きなカーブを描く、旋回飛行に入った。風圧、空気の流れの対機速度に影響されるので、全く同じ所をクルクル回るのは無理な様だ。それでも上手に操作出来る様になれば、推力を使って意図的に同じ場所を旋回させる事も出来そうだ。今はまだ、どの位の推力などで補正してやれば良いのか分からなかったけれど、やがてその解が導き出せる様になると踏んだ。
本当の最後に、方向舵と補助翼の同時操作を試した。すると、驚かされる。方向舵操作した時には、大きな車の内輪差の様な・・・飛行軌跡にズレが生じていた。方向舵だけだと、飛行軌跡がオーバーステア気味になった。飛行機の中心線から内側にズレていた。しかし、補助翼を併用すると、飛行軌跡がどんどん飛行機の真芯へと近づいて行く。機首の向きと進行方向も一致している。
その辺りの操作を統括制御するのが運動能力向上機、CCV=Control Configured Vehicleで、ありえない方向を向いたまま直進したり旋回する事も可能だった。
いや、実際には飛行経路変更なする事なく姿勢制御すら可能だった。それはその時の朝間ナヲミには想像も付かない事だったが、自由に武器管制レーダーを当てたり、武装を直進に近い進路で射出する事も可能と言う事も示唆していた。
朝間ナヲミは、その技術は上下遷移飛行にも適応出来る事を予感した。彼女が気に入ったのは、そういう事ではなく、機械が積極的に機体姿勢に関与する"Relaxed stability technology"によって、人間には不可能な飛行判断をも可能としたと言う点だった。
ともかく、朝間ナヲミはそういう知識を一つ一つ、実感を伴う経験へと昇華させて行った。知っている事とやった事がある事の間には大きな隔たりがある。そう言う意味で、彼女はバランスの取れた正しく取れた成長を始めていた。
機体操作系で生じる反作用=全ての翼に掛かる圧力を体感出来るメリットのおかげので、適当に飛ぶだけならすぐに何も考えずに操縦できる様になるだろう。朝間ナヲミはそう判断した。
とは言え、錐揉み状態とかに陥った場合は、機体が搭載する自動復元プログラムに任せた方が良さそうだ、とも思った。自分の状態を完全に把握出来ていない状態なら、直観的判断ではバッドエンド以外のゲームオーバーを想像出来なかったからだ。
これは水流のあるプールで泳いでいる感覚に似ているな、と考えた。自分の力で御せる程度の水流なら直感だけで目的地へ泳いでいけるけれど、そうでないなら流される方向や速度を頭に入れて泳がないといけない。そして、そう言った補正が出来ない場面に直面したら、早々に機械に任してしまうのだ。「餅は餅屋に」と言う日本の格言に従うべきだ、との結論に達した。
こんなに簡単に飛行出来るのも、すべてはフライバイワイア技術の御陰だ。飛行機の姿勢制御はすべて機械が自動で行っていて、人間は飛行機の進行方向の判断にだけ集中すれば良いというのが、最近の飛行機の常識だ。昔は、人間が人間の手足だけで姿勢制御させながら飛行機の進行方向の判断していた。
それを思い出すと、朝間ナヲミは「果たして擬体による旧型飛行機の操縦は可能だろうか?」という疑問に捕らわれてしまった。擬体は生身と比べて対G特性などには優れているけれど、特に過去に経験の無い不慣れな分野での感覚的な取得情報の評価では劣っている。
飛行機全体に配置されたセンサーを使わず、擬体に搭載されているセンサーだけを使用した状態で、私は旧型飛行機を自在に扱うだけの情報判断をできるのだろうか? もし、訓練を受ければ、擬体の潜在能力的には可能なのだろうか? と、言うまだ公式には試された記録のない問は、サイボーグの可能性を論じる上でのパラドックスを生み出しかねない根の深い追求テーマとなり得た。
彼女は、しかし・・・と考え直した。
今そんな突拍子のないアイデアを披露しても笑われるだけだ、という社会的判断を下す程度の余裕は、初飛行の真っ最中でも捻出するだけの余裕があった訳だ。もちろん、まだ空を自力で飛べないヒヨコが、空を自由に飛べる親鳥に倒して哲学的問を投げかけるほど滑稽な事はない、とも理解出来る程度の賢さを発揮する程度の冷静さも。
ーーー大丈夫そうだね。それじゃ、マックループみたいにハデに行って良いよ。
はい。それじゃ・・・葉子ちゃん、行くよ。
『分かった。駄目ならグラス外しちゃうから遠慮しないで良いよ』
ありがとう。それじゃっ!
朝間ナヲミは、直ちにIHI F-11-10ターボファンエンジンをフルスロットにする。4段高圧軸流式圧縮機と2段ファンで構成される圧縮機が、通過するだけで焼け焦げるほどに空気を縮退させてから、2段高圧と3段低圧で構成されるタービンへと押し込む。ケロシンをものすごい勢いで酸化させて、機体後方へと透明な爆発炎の排気を線状に吐き出す。それに押されて、機体は弾け飛ぶ様に加速して行く。機体が通った後には、真水に食塩を勢いよく溶かした時に生じる靄のような像の揺れが表れ、すぐに解消される。
周りに速度を比較する目安となる静止物体が無いので、視覚からどれほどの加速をしてるのか、どれほどの速度に到達しているのか分からない。無人機なので加速や旋回で生じるGはあくまで数値としてしか分からない。出来れば、これも機体の隅々まで、頭の先から爪先まで、詳細に感じるべきだと思う。過重圧力に耐えきれなくなって翼が折れるなら、その前に痛みがあれば、自然に空中分解を回避出来る。痛みを避けることで、機体に負担の少ない効率的な機動が出来る、様になるかも知れないと閃く。少なくとも、第二小脳保有者ならばなのだろうが。
彼女は感じる。考えるので無く。まるで誰かが、そのアイデアを授けているかの如く、自然に閃くのだ。もしかして、それは誰かが意図的に、自分をその様に誘導しているのかも知れない、とも感じる。しかし、その新しいアイデアの出所が何であれ、自分の血や肉となるなら、由来など大した問題ではない、とも立て続けに閃いた。
朝間ナヲミは加速しながら、推力が少し左にズレている様な気がした。推力軸とも違う。何かコンフリクト起こしてる様だ? CCVを司るシステムはそれを無視しているが、繋がっているパイロットとしては、気になって仕方ない。それで右尾翼で対流を少し引きずって補正した。それで直進軸は安定した、しかし、その対処では真っ直ぐと部分には問題無いけれど、次の機動操作に戸惑う。
どうしようか、相田つかさに相談するべきか、と迷ってると、肌に妙なムズムズ感を捉える。機体表面に耐圧、温度、だけでなく何かセンサーっぽいのがある。痒い。しかし、今は身体が飛行機だから、翼はあるけれど手が無いから掻けない(天使じゃないから仕方ない)。だから、筋で圧したり引っ張ったりして気を紛らわす。すると、歪んだ鉄板に一発ハンマーを上手に入れたみたいに、ズレが上手に修正された。
これは具合は良い。朝間ナヲミは、その補正具合の精密データをを自分のIDログイン時のデフォルト設定に書き加えた。
さて、これで良い。折角だからあの仮想現実ゲームみたいにキツいの一発試してみようと、朝間ナヲミは気合いを入れる。
昇降舵を下げて上昇を始める。所々、風で進路が揺らされるので、方向舵と補助翼でも修正しながら十分に速度が上がったのを確認して、突然にピッチアップに入って180度ループと180度ロールを同時に完了させる。
それを3度繰り返したところで、速度が相当に低下したので止めた。それ以上続けると失速するだけでなく、ただでさえ薄くなった空気を加重の重い翼が捉えられなくなるかも知れない。高度計は43000フィートを示している。ボーイング787などの旅客機が利用する航路はすでにかなり下方。そこが航空自衛軍に空練空域でなければ、足下に旅客機が見えていたかも知れない。
ただし、巡航速度はマッハ1にちょっと足りない亜音速で飛ぶ旅客機の方が高速だ。無人航空機「天鳥船」の通常モードでの最高速度が丁度、旅客機の巡航速度に相当する。さすがに、コスト面の問題もあって、IHI F-11-10ターボファンエンジンでスーパークルーズさせる余裕はない。だいたい、そんなエンジンなら整備予算がネックなって私立大学で運用できる筈もない。
ーーーインメルマン旋回、3連続とは気張ったね。
一度、リアルでやってみたかったので。
『何やったのかさっぱり分からないよ』
ーーー視覚だけでは分からないと思う。今、一瞬の間に雲の中から雲の遥か上に昇り詰めたんだ。速度と引き替えに高さを稼いだってイメージ。速度エネルギーを位置エネルギーにこのすごく効率良く変換したんだけど、とても初めての飛行とは思えないくらい華麗だったよ。
『すごいじゃない、ナヲちゃん。褒められてるよ』
でも、燃料使い過ぎちゃった。ちょっとだけ余裕はあるけど、そろそろ帰投に入った方が良いみたい。
朝間ナヲミは調子に乗ってスロットルと開け過ぎた。やはり、素人らしく燃費効率はすこぶる悪いと言う結果が出た。しかし、そこに助け船が出た。
ーーー大丈夫。その高度を活かして、訓練空域から滑空っぽく回廊へ入れば燃料の消費はかなり節約できる。見本を示すから、機体の制御をくれる?
はい。アイダさん、You have control.
ーーーI have control. ありがとう。それじゃ、行こうか。
よろしくお願いします。
森葉子は、そこで仮想現実グラスを外した。そして、C-130Rキャビン内のダイブ用簡易台に擬体を固定している朝間ナヲミへ視線を移した。
「早く私の所に帰って来てね」
そう言って手を握る。すると、握り返してくる。ただし、反射でなく意志を込めてだ。どうやら、ある程度の感覚は擬体の方に残しているらしい。
森葉子としては、ある素朴な疑問が気になってしかたがない。フルダイブ中にもよおしてトイレ行きたくなったりしないの?
その答えは簡単だ。排泄物などの出力系は処理と感覚が停止するので、生理的欲求に関する感覚的な問題は生じない(胎内タンクで発生した余剰ガスが規定圧力に達した場合は、バルブ開放で排出されるかも知れないが)。しかし、摂取物などの入力系はそうはいかない。あまりに長時間ダイブし過ぎて、胎内の栄養/水分タンクが空になってしまった場合は、ダイブ中の意識に空腹や喉の渇きが強く反映される事になる。
もちろん、どうしてもそれが避けられない場合は、出/入力系のチューブを擬体に繋いで物理的なサポートを受ける事も出来る。ただし、そういうのは医療現場ではなく、軍の長期作戦やブラック企業の大規模サーバー管理などの現場でなければ行われない悪徳である。




