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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第二章「翔」
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2037年4月15日、AM10:30、茨城県、小美玉市下吉影、私立会津高校・小美玉校、体育館 〜その2


 朝間ナヲミと森葉子は、学校長の署名付きの書類を通じて、小美玉校への移動辞令を受けた。それは、入国管理局からの依頼があったからだ。本来なら宮城県の私立松島高校への編入を望んでいた二人だが、朝間ナヲミの滞在許可審査の佳境と言う事で、東京周辺に滞在して欲しいと暗に示されたのだ。どうやら、朝間医師へも最終的なインタビューが行われたらしい。彼の感触では早期に待ち望んだ結果が出そうだ、という事だった。


 小美玉校への移動は、朝間ナヲミにとっては実は結構な大冒険だった。日本に来てから始めて保護者の朝間医師の元から離れる事になるからだ。各部の調整は完全に終わっているので、おそらく擬体のメンテなどの問題は生じないだろう。


 精神的な負担はかなり大きかった様だ。魚沼に移った後でも、峠の向こうには朝間医師がいたので、何かあればすぐに会えるとい言う安心感があった。しかし、茨城県まで来てしまっては、電話くらいでしか連絡手段がなくなる。


 それでもこの先もずっと日本に居続けるために、朝間医師が離れる事が出来ない会津を後にして、茨城県県南までやって来たのだ。まさに「清水(きよみず)の舞台から飛び降りる」想いだった。ただし、森葉子が付いて来てくれるので、その点だけは心強かった。


 朝間ナヲミと森葉子が、新潟県魚沼市から茨城県小美玉市に到着した時の第一印象は「(ぬく)い!」だった。まだまだ雪が残る魚沼市は、それと比べればツンドラ地帯と思えるほどに寒かった。特に、朝間ナヲミは擬体を新調してから、寒さと暑さに弱くなった。


 特に気温が氷点下まで回ると、擬体のヒーターを使わないと皮下にある人口筋肉が、突然に不整脈を打ち始めてどうにも止まらなくなるのだ。その様子は、生身の人間が寒さで身体を震わせているのと、(まった)く見分けが付かなかった。


 しかし、茨城県小美玉市は杉花粉が飛び、春霞が遠くの山を見えなくしていた。もう春なんだなあと、驚かされた。そこら辺に(ふき)(とう)が顔を出している。雪なんてどこにも見えない。


 常磐道を挟んで向こう側になる真岡市や茂木市まで行けば、遠くの山の稜線(標高2000m超)に雪がたっぷり残っているのが見えるらしいが、ここからは春霞が邪魔してまったく見えない。そう、ここから見えるのは東にある筑波山くらいだ(条件が整えば、富士山が見える事もあるそうだけれど)。


「ここじゃ、折角編んでもらったマフラー、冬が来るまで使えないね」


 森葉子が残念そうに呟いた。朝間ナヲミが五指の関節モーターを潰してまで編み上げた力作だったのだが、学校の寮に保管していたので、震災で瓦礫の下敷きになってしまっていた。しかし、魚沼を発つ日に、朝間家のお手伝いさんの百合子さんが、わざわざ掘り起こして届けてくれたのだ。しかも、ドライ・クリーニングでキレイにしてくれた上で。


 森葉子としては、もう失ってしまったと諦めていた宝物が手の中に戻って来た事に大喜びだったが、使用する機会を失ってしまったのは残念でならなかった。


「いいよ。葉子ちゃんが一緒に居てくれるんだから、それ以上の事を願ったら贅沢過ぎる」


 朝間ナヲミは、約一ヶ月前に茨城国際空港でなく、百里基地の方に来た時の事を思い出していた。彼女はそこで、魔女としか形容しようのない恐ろしい女丈夫(じょじょうぶ)に出会った。一癖も二癖もある人形遣(パッペティアー)いで、目の前で、自分が追い求める擬体の有り様を、無遠慮に「それはこういうものだ」と実演して見せつけた。


 実は、彼女は擬体を人として美しく魅せる操り方は如何にあるべきかずっと悩んでいた。だが、漠然としていた理想が、具体的な結論として突然にもたらされてしまうのはショックだ。


 例え正しい結論だったとしても、それの探求中に完璧な解答例を一足飛(いっそくと)びで見せ付けられると戸惑わずにはいられない。


 何故なら、それが脳裏に焼き付いてしまって、その後はどうやってもオリジナリティーの無いコピー&ペーストに勤しみたいと言う誘惑に駆られてしまうからだ。


 稀代の人形遣(パッペティアー)い・朝霧和紗、という人は、残酷なまでに擬体操縦哲学面でも朝間ナヲミの遥か先を行っていた。そして、彼女に告げた。「自分が当到できなかった(いただき)まで辿り着いて彼岸を体験して欲しい」と。


 朝間ナヲミは、正直、「冗談では無い」と思った。何故なら、彼女にとって"今、朝霧和紗が居る高見"まで辿り着けるかどうかさえ怪しい。しかも、それが道半ばであり、まだ山の中腹だと言うのだから、ショックだった。


「朝霧和紗さん、キレイだったね」


 朝間ナヲミは、嫉妬と羨望と尊敬を束ねた溜息と一緒に、本音を吐き出した。


「そうだね。ナヲちゃんとは、また違う、何だろう・・・まるで御姿(みすかた)みたいな神々しさがあったね」


 森葉子には、一つ気になっている事があった。本人の人格が引っ込んで、仮想人格(アバター)が擬体の制御を引き継ぐ時、魂の揺らぎの枝葉みたいな何かに彼女の心を(なで)られた様な気がしたのだ。人形=擬体への魂の出入りは、朝間ナヲミを観察していたおかげで感知出来る様になった。


 しかし、朝霧和紗の魂は、あの時、"出入り"ではなく、霧が晴れるかの様に、まるで"四散"したかの様に感じられたのだ。これは朝間ナヲミからは感じた事のない、始めて経験した異質な気配だった。


 彼女は、それが一体何だったのか(・・・・・・)は見当が付かなかった。しかし、根拠もないと言うのに、とても恐ろしい事を見過ごしてしまった様な気がしてならないのだ。


「じゃあ、私は私の道を目指すよ。朝霧和紗さんが御姿(みすかた)なら、私は神姿(かみすかた)でも目指してみようかしら」


 朝間ナヲミの方は、朝霧和紗の魂の行方についていささかの疑問も抱いていなかった。ただ、自分が目指す道を、遥か先を歩く小憎らしい年長者、くらいにしか思っていなかった。つまり、大きすぎる存在感を克服すべき存在であると。


 御姿(みすかた)とは、神道の解釈では『神霊』を表す古語。神の出現する時に採る御神体を意味する。二人はあまりに神々しかった朝霧和紗が、地上に降りた神の様に感じられたのだ。


 神姿(かみすかた)とは、『人の肖像』を表す古語。それも神となった魂が人であった時の姿の肖像を意味する。朝間ナヲミは、決して朝霧和紗的な神懸かりな人形遣いになるのでは無く、人として人らしい自分のままであり続けたいと考えている様だった。


「神様にはなりたくないの?」


 森葉子は素朴な質問を投げかけてみた。


「ぜんぜん。葉子ちゃんを守るために仕方ないならなるかも知れないけど、そうでないなら(いや)


 朝間ナヲミはさっぱりとした口調で言い切った。微塵の迷いもないらしい。


「なんで?」

「葉子ちゃんの手を握れなくなるじゃん」


 それを聞いて森葉子は頬を少し赤く染めた。


「ナヲちゃんって天才?」

「かもね」


 朝間ナヲミは顔を在らぬ方に向けて、表情を決して森葉子に見せようとしなかった。身長差約15cmはその機密を完璧に守り抜いた。しかし、だからと言って漏れなかったという訳でも無さそうだ。何故なら、隠された方はそれ以上追求せずに、どういうわけか反応に十分満足した様な表情をしていたからだ。


「あ、教頭先生だ」

「始業式始まるね」

「しょーがない。並ぶか」

「順番は?」

「てきとーで良いのよ」

「生徒の数も減ったしねー」


 二年生に進級した二人が体育館の真ん中のライン近くに移動する。人混みの向こうに手を振る女の子がいた。


「あっ、あーちゃんだよ」

「旦那さんの実家から帰って来たんだね」


 そして、ここに朝間ナヲミと森葉子の、二年目の高校生活が始まる。




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