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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第一章「起」
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2047年3月13日、PM2:39、浙江省温州市平陽県、南ジ列島、人民解放軍空軍・南ジ基地周辺海上

 人民解放軍・空軍・張上尉は、浙江省温州市平陽県、南ジ列島、人民解放軍・空軍・南ジ基地への緊急着陸を試みていた。


 ハード・ランディングに備えて、航空燃料はほとんど空中放出済みなので、着陸作業に再挑戦の余地はない。燃料タンクが空になった事で機体の反応はやや良くなったが、その分挙動に落ち着きも無くなって来た。しかも、機体各部の軋みは収まるどころか、強まった気配だ。


ーーー無理なマニューバをかけ過ぎた。

ーーーおそらくフレームに深刻な皺が寄っているに決まっている。

ーーーこの機はおそらく二度と飛び立てまい。

ーーーだったらここで空中脱出してしまうべきか?


 右横を見守るように平行して飛ぶ僚機が彼の視界の片隅に入った。一応、義務として彼の機体の観察を続けているが・・・

「どうせアイツの頭の中は、どうやって今回の失態の責任を回避するか、この失態をオレになすりつけるか、言い訳を発明する事で頭がいっぱいなんだろうよ」

 とマイクを切って呟く。


 聞かせるわけにはいかなかった。役に立たない相棒であっても、そのクソだけが彼が昇進の為に手にできた唯一のコマだったのだから。


「なんたって奴は太子党(とっけんかいきゅう)のお坊ちゃまだからな。オレの手柄はアイツの手柄。アイツのミスはオレのミス。くそったれが」


 張上尉は怒りを抑えながら機体操縦に集中しようとした。「金のクジャク」と呼ばれ今でも称えられている英雄の余旭上尉の様に祭壇に挙げられるのだけはご免だ。彼女は女性として始めて人民解放軍・空軍の制空戦闘機の正規パイロットとなった逸材だった。容姿の美しさだけで出世したのでは無く、本当に優秀だったらしい。しかし、機体トラブル(?)が原因で、両親に死体も見せられないほどに「全身を強く打つ」という非業の死を遂げた。


 それは人民共和国で教育を受けたパイロットなら誰でも知っている裏話だった。しかし、彼らはそれでも飛ぶしか無かった。国を守るため、海の向こうの鬼子達を退治するためには払うべき犠牲としては安い代償と教育されていた。そして、少なくとも現場に出て来ない指導者達だけは「そうである」と固く信じていた。


 犠牲の伴わない信念ほど強固で、時の流れに対して揺るぎない物はない。後世でなく前世の歴史家にだってそのくらいの真理の初歩は悟られていたはずだ。ただ、賢かったがために、それを書き記さなかっただけなのだ。


 最終着陸態勢に入ろうとした張上尉は、その時に表示された機体警告サインに絶望した。


ーーー嘘だろ!

ーーーランディング・ギアが出ない!


 機体を反射的に揺すってみたが、ギア展開用途の油圧用サーボの唸る振動が足下に伝わって来るだけだ。どうやら、機体の歪みと軋みの被害程度は彼が思っていた以上の様だ。むしろ、ここまで飛んで帰って来れた幸運に感謝すべきかも知れない。おかげで、彼らが「鬼子」と蔑む蛮族共に祖国の宝であり、機密だらけの機体を回収されたり、領空侵犯した彼が救助されたりするという最悪の事態は避けられたのだから。


 張上尉のピンチに気付いた僚機が、その時に始めて動揺を見せた。さすがの御曹司様(おうじさまのひとり)でも、今まで自分をガートしてくれていた張上尉にここで死なれたら寝覚めが悪いとでも思ったのだろう。いや、同僚の事故死がパパを心配させてしまって、そのとばっちりを食らって、自分自身が飛行任務を外されて地上に降ろされる事を案じていた可能性の方がよっぽど高そうだ。何故なら、同じ任務に就いていても、組織内での二人の身分の差はあまりに歴然としていたからだ。


 張上尉が機体を強引に揺すった直後、事態は急激に悪化した。カナード翼の作動不良サインが出た。フライバイワイアーが不具合を修正しようとするが、おそらく致命的なバグがあったのだろう。力任せに補正をかけた。すると、ほぼ同時に、二本ある機体に対しては小さ過ぎる垂直尾翼の片方が、急激に増した空圧に耐えきれずにへし折られて、機体後方に吹っ飛んで行った。その様はコックピットの左右に取り付けられているバックミラーを通じて張上尉にも見えた。


ーーーもう駄目だ。


 目を瞑る。


ーーーばしゅっ!


 張上尉は反射的に射出席のイジェクトレバーに手を掛けた。


ーーーばあああ。


 崖から転げ落ちるような、訳の分からない衝撃に、全身が無茶苦茶に襲われた。最後に上から引っ張られるような痛みが腰椎から胸部にかけてに走った。


 どうやらパラシュートは無事に開いてくれた様だ。すぐに四肢を確認する。どこかに引っかけて欠損するという悲劇は避けた事が確認出来た。よし! これなら、また飛べる。そして、あの野郎に復讐してやれる。


 張上尉は視界の片隅で海上に落下して、表面張力で弾かれて転がりながらバラバラに砕けて行く、さっきまで自分の手足として働いていた戦闘機の惨状を捉えた。


ーーーすまない。この報復は必ず!


 その機体は人民解放軍・空軍が誇るステルス戦闘機「瀋陽・J-20_12」だった。彼らが始めて実用化した戦闘機、ステルス機だった。人民共和国ではその機の発展作業を繰り返し、多系統に渡るバリエーションを展開していた。


 機種名の末尾にある「_12」とは、彼の祖国が鬼子と蔑視する倭国征伐専用に開発した機体である事を示している。その特徴は、本来なら兵器を内蔵すべき機体内ペイロード・スペースをすべて燃料タンクに差し替え事だ。それによって失われた機体バランスはフライバイワイアーと運用継続時間を犠牲にして実現した大推力エンジンにカバーするコンセプトだ。それによって、"朝鮮人民共和国"の上空から日本海に侵入して、倭国の新潟県沖をかすめて浙江省温州市平陽県、南ジ列島、人民解放軍・空軍・南ジ基地までに作戦計画をほぼ無給油で行える。


 ベイル・アウト後に墜落した瀋陽・J-20_12の機体が完全に水没した時、張上尉は始めて冷静になれた。そして、自覚した。これほどの失態を犯した自分には、五体満足であろうとも・・・おそらく二度と飛べる機会は与えられないだろうと。機体を持ち帰って検証させられれば浮かぶ瀬もあったかも知れない。しかし、証拠はすべて破壊されて海の中へと消えてしまった。今後、ブラックボックスから取得されるかも知れない記録は、おそらく張上尉の立場の弁護には利用できないと覚悟していた。


 風に流されながら海中に落下するまでの間、張上尉はこの顛末を思い出そうと努めた。おそらく、間もなく始まる余生、すべてのキャリアを失って惨めに生きるしかない屈辱の中で、ひたすら繰り返すだろう事になる後悔の予行練習として、だ。


 その日も、張上尉は、倭国を恐怖に震え上がらせるために、いつもの「東京和諧号(とうきょうエクスプレス)」作戦に従事していた。作戦内容は独立国"朝鮮国"の領空を通過して、能登半島沖・接続空域から新潟沖へ一直線で目指し、西へ転進して壱岐島沖から人民共和国・南キ列島へと帰還するという単純なものだった。


 過去に何度も繰り返されていたため、倭国もすでに珍しい示威行動ではなく、海洋進出する母国を容認するジェスチャーを示すために受け入れている、と小競り合いの現場で英雄的行動に励む烈士達の間では一方的に認識されていた。


 具体的には「我が国の覇道の行く手には微塵の障害も無し!」と、隣国を舐め切っていた。


 今日の任務は、張上尉にとっても過去に幾度となく繰り返したコース上の飛行であり、緊張感をもって作戦に従事していた、とは言いがたかった。


 瀋陽・J-20_12はステルス機なので、決してレーダーで発見されない筈の機体だ。だが、張上尉とその同僚達は、倭国の小ずるい奴らは何故か毎回、彼らの行動を確実に把握していた事に憤慨していた。


 倭国は不敵な事に彼らが自らの防空識別圏(ADIZ)に入るやいなや、政府や軍に飛行計画の提出を求め始める。ものすごい常時防空監視能力だとは思う。しかし、領空侵犯をしたところで、いつもの「遺憾」を示すだけの軟弱な反撃しかしてこない事は、成功体験の有り余る蓄積によって証明済みであると考えていた。


 だから、張上尉は瀋陽・J-20_12で、幾度となく、本来は禁止されている射撃/ミサイル管制レーダーを倭国空軍機に対して浴びせてやった。すると、いつも奴らはチャフを蒔いたり、フレアーを炊くなどの醜態を曝しながら、急旋回して逃げて行った。その様を見るのは何にも代え(がた)い快感だった。


 だが、今日だけは違っていた。張上尉は歯ぎしりをした。


 どういうわけか、今日のインターセプトに出てきた敵対勢力はたった一機のF-35Aだった。原則的に二機ペアで当たるはずだったのだが、エンジントラブルなどの整備不良で一機が脱落したのだと判断してしまった。


 張上尉は、暗に太子党出身のパイロットのお守りも任されていた。紅色貴族様(ノーメン・クラトゥーラ)を戦いの前面立てる行動はできない。だから、僚機に上空監視に徹して欲しいと依頼して、一機でF-35Aへと襲いかかった。もちろん、殺す気は無かった。ただ愚かな鴨を少し揉んで自らの実力の限界を思い知らせてやろうと思っただけだった。


「鬼子よ、あまりいきり立ってくれるなヨ。誤って殺してしまうかも知れないからな」


 そう呟くのは、彼なりの優しさの表れだった。何故なら強い彼には弱いパイロットを一握りに潰してしまう大いなる力がありながら、毎回溢れる才能の発揮を自制して、わざわざ逃がしてやっていると考えていた。これは自らが慈愛に満ちていると確信している男が、努力では才能の足らない弱者に対して施してやる、処世術のレッスンと言えなくも無かった。少なくとも彼の頭の中では。


 ここで張上尉が行う英雄的な行為はすべて、僚機の手柄となり、それらがその後の昇進の推進力源となるからだ。言い方を変えれば、武勇伝は太子達(おうじたち)が軍を引退して政治活動を行う場では、とても大切な経歴となる。その頃には、太子達(おうじたち)の多くは軍務を体験していない、純精神的(くちさきだけの)愛国者となっている筈だからである。


 彼も現在の年齢からすれば、空軍パイロットとしては最高齢の部類に属した。そう遠くない未来に戦闘機から降ろされる事は避けられない。しかし、恩を売った太子(おうじ)が出世すれば、彼もそのおこぼれに授かり、地上勤務に転じた後でも多少の昇進はさせてもらえるだろう。もしかしたら、片腕に任命されて共産党員になれるかも知れない。そうなれば四川省に住む家族を大都市への呼び寄せられる。弟一家にも都市戸籍を与えられる。


 彼のアグレッシブな行動は、そういう野心に支えられる挑戦の結果だった。


 張上尉は、ステルス性を発揮している瀋陽・J-20_12の位置を今ひとつ把握できていないらしい、F-35Aの背後にそっと近付いて行った。そして、いつものように突然に射撃管制レーダーを浴びせた。すると、F-35Aは予想以上に慌てる素振りを見せた。それが面白かった。


 普段はそこで遊びを終わらせるところだったが、彼はそのまま追尾を続けながらレーダーを浴びせ続けた。彼は、猫が食べもしないネズミを捕獲した後、死ぬまで爪で(もてあそ)ぶ動機に対して生まれて初めて共感した。強い物が弱い物をいたぶるのは実に文化的な楽しみであると、確信した。


 おそらくF-35Aのパイロットは後方警戒レーダーの警告音と攻撃用レーダー検知信号が鳴りっぱなしで肝を冷やしている事だろう。こちらの機体には燃料積載量を確保するために、ミサイルどころか、機銃(ガン)すら搭載されていないというのに、だ。


 張上尉はヘルメットの中で、口元に笑みを浮かべた。その時、無線を通じて僚機の悲鳴が聞こえた。状況を確認すると、瀋陽・J-20_12に向かってほぼ垂直に距離を積めていく機体が確認出来た。どうやら、もう一機が近くに潜んで居たらしい。彼が遊びに熱中している隙に僚機に牙を剥いたのだ。


 小癪(こしゃく)な。張上尉はそこで鴨との遊技の継続を諦めて、僚機の救出に向かった。


 だが、それは性急過ぎた。張上尉が無事に僚機へ寄って行けたのは、F-35Aが反転せずにそのまま成層圏まで上昇するコースに乗ったからだった。彼には今なら分かるが、頭に血が上っている状態の時はそれに想い至らなかった。思えば、遊んでいるつもりで遊ばれていたのだ。


 張上尉は目を瞑って、ついさっきその身を襲った悲劇を細部まで把握し直そうと努める。独り言を口の中で続ける。


 その形式不明の機体はすぐに僚機から離れて、張上尉の機体を視認した。何故分かったかと言えば、敵はまったくアクティブレーダーを使用してなかったからだ。恐ろしく目の良い奴だ! それともAWACS(早期警戒管制機)か?


 そのまま情けない事に巴戦に持ち込まれてしまった。何故なら、こちらのレーダーの有効範囲内にどうしても持ち込めないのだ。入っても、ロックする前にするりと逃げられてしまう。こんな経験は初めてだった(ロックしても撃てる火力は自機には搭載されていないのだが)。


 考えれば考えるほど際どかった事が、優秀だった彼にだからこそ自覚出来た。


 それでも、長い時間を掛けて行く間に、敵の機体の正体だけは判明した。彼の乗る瀋陽・J-20_12もF-35Aも真っ黒と言って良い色合いで、そうでない機種は教練用だったり、飛行展示用の限られた機体だけだった。しかし、敵の機体は海や青空に溶け込むような青色だった。そして日本国所属を示す真っ赤な丸がキャノピーの左右に記されていた。


 真っ青な下地がベースの「洋上迷彩」を施されたその機体は、2030年代の日本海周辺に現れる軍用機としては珍しい。彼は記憶を総動員して、三菱・F-2という古式な戦闘機の存在を思い出した。


 それは彼の認識では、米帝の犬、倭国の航空自衛隊がご主人様から賜ったお情け技術で造った三菱・F-2。外観は米帝のベストセラー機・F-16に近いが、あり得ない事に対艦ミサイル4発を吊して、人民共和国・人民解放軍・海軍の神盾システム搭載艦船の脅威となった旧式機だ。


 装備している武装は、短射程空対空ミサイルが二本。胴体下にある兵装ステーションは既に空だったので、向こうからこちらに仕掛ける前に、自慢の300ガロン級増槽はドロップしてしまった様だ。


 瀋陽・J-20_12に対して圧倒的に能力的に劣る機体を、どうしても追い詰められない、と認識した時彼は慌てた。


ーーーオレは敵が推力が劣ると分かって、大推力を活かして距離を取ろうとした。確かに直線勝負では明らかにこちらで分があった。しかし、少しでも曲がり始めるとどういうわけが円軌道の内側に入られてしまう。どんな魔術(マジック)を使ったんだ!


 彼が本当に慌てるのは、更にその先だった。気が付くと彼は三菱・F-2に背後を取られていた。8Gの旋回を続けると、大型で重量のある瀋陽・J-20_12への過重がキツい。公表値では9Gまで耐えるこの機体は、本当の設計限界は7.5Gだ(初期型は5Gまでしか耐えられなかった。ソ連崩壊時に入手出来た"1.44フレーム"を参考(ベース)にしたせいだ)。


 だが、三菱・F-2は8Gを超えようとすると、するりと推力を弱めて瀋陽・J-20_12を崩壊させない配慮を示した。しかし、そこから再び攻撃しようとポジション取りにかかると、すぐに追廻を再開した。おそらく、三菱・F-2のヘッドアップディスプレイ(HUD)には瀋陽・J-20_12の背中が写りっぱなしだろう(確か電子光学分散開口システム(EO DAS)とヘッドマウントディスプレイ(HMD)は搭載されていなかったはずだ)。


 その彼にとっては死闘であり、敵にとっては遊技だった取っ組み合いの最中(さなか)、彼は思わぬ事に気付いた。


 敵の機体が単座でなく副座であること。

 副座形のF-2Bは戦闘用ではなく、教練用の機体である事。

 そして、後部座席には誰も乗っていない事。

 さらに、前部座席に座っているのは小柄な女性である事。

 どういうわけか、そのパイロットが長い黒髪な事。

 何より許せないのは、パイロットが笑みを浮かべていた事!


 気が付くとF-2Bが視界から忽然と姿を消えていた。張上尉が機体を水平に戻して、キャノピーに張り付いて後方を視認すると、完全にコックピットの死角に隠れる位置に、何と敵は自機と並んで飛んでいた。彼は馬鹿にされていると認識した。自分から仕掛けた汚い遊びであったにも拘わらず、憤慨した。


 張上尉は瀋陽・J-20_12を、F-2Bにぶつけて罰を与えてやろうと思った。小癪(こしゃく)な女に鉄拳で教育してやろうと反射的に行動に移った。


ーーーなに?


 だが、その試みは完全に失敗した。F-2Bはものすごい失速をして、スティックに力を加えたときにはすでに瀋陽・J-20_12は高速で敵から離れてしまった。


 今なら分かる。F-2Bのパイロットは全てこちらの動きを読んでいたのだ。そして、こちらの脊髄反射的な機動(マニューバ)にも慌てる事も無く、精神的な余裕を持ちながら、大迎角とエアブレーキ併用で大減速を掛けたのだ。当然、エンジン・ストールは承知していたのだろう。その証拠に、あの女は慌てる素振りも見せず、その直後に機体を自由落下させる事で、エア・インテークへの圧縮空気の流入量を確保してエンジンを再点火させたからだ。まるで何事も無かったかの様にだ。


 続けて、あの女は石川島播磨製のF110-IHI-129ターボファンエンジンのAugmentor(アフターバーナー)を点火してダッシュを掛けた。何と言ってもF-2は機体重量が軽い。カタログ値で約131kNの大推力は、極短距離で音速を突破させて一直線=最短距離で、こちらが無理な機動の結果として速度と位置エネルギーの両方を完全に使い切ったタイミングを見計らって向かって来た。こちらの動きを三次元レベルで完全に把握されていた様だ。


 本当に恐ろしい。我々は、最初から最後まであの女の手の内で踊らされていた事が判明した。しかし、それを悟った時、勝負は完全に決まっていた。こちらは既にまな板の上の鯉状態だ。どうにかしようにも、出来るだけのエネルギーの蓄えがない。下手すれば主翼が大気を掴めなくなって、今よりさらに高度を失う恐れすらある、ギリギリの所まで追い詰められていた。

 

 突然、奴の機体表面が一瞬だけ靄に包まれた様に見えた。興奮とGで視界がレッドアウトかブラックアウト気味だったのだろうか? ともかく、その靄が晴れた後のF-2Bの加速は、さっきまでとは明らかに違った。言うなれば、物理的にあり得ないほど鋭かった。鋭過ぎた。


 パキスタン空軍が保有するF-16後期型(ただし、アップグレード処置は施されていない)と比べても、この空域にはまるで空気抵抗がないのかと思えるほどにヌルヌルと突進して来た。


ーーー殺されるっ!


 為す術を全てはぎ取られた状態の張上尉は、無意識の中に瀋陽・J-20_12のアフターバーナーに点火していた。咄嗟に最大急旋回を行おうとした様だ。しかし、それは高度に訓練されたパイロットにはあるまじき浅はかな行為だった。中型攻撃機並のサイズを誇る大型戦闘機のフレームが推力変更によって乱れた慣性力の暴発を御せる筈も無かった。


 推力が増加した瞬間に、機体をスピンさせかけたが、上尉は適切な対処をしてそれだけは避けた。だが、幸運はそれ以上続かなかった。


 瀋陽・J-20_12にコミュニケーション表示は警告サインだらけになった。どうやら、G(遠心力)の掛けすぎで機体フレームがひしゃげてしまったらしい。これ以上大きな荷重をかけると、深刻な事故となりそうだ。皺が寄った所ならくの字に折れ曲がり、ヒビが入った所なら断絶するかも知れない。


 すでにフライバイワイアーの補正が入っても真っ直ぐ飛行するのが難しい。何故なら機能を失いかけたフレームの状態が、受けている空気抵抗が増減する度に変化し続けているからだ。


 気が付くと、さっきまで姿を消していた、彼が最初に追いかけていたF-35Aまでは同じ空域に戻って来ていて、F-2Bと平行して飛んでいた。


 そこで全周波数での音声通信が入って来た。


「こちらは日本国航空自衛軍。貴機らは我国の領空を侵犯中である。速やかに退去せよ」


 それは女の声だった。おそらく、F-2Bのパイロットのものだろう。こんな事が起こるはずがない! この世界は間違っている! と、他人から理不尽な不正結果を想定外のタイミングで突き付けられたかの様に強烈な不満を持った張上尉は、奥歯を砕きかねないほどに強く噛みしめた。視界が真っ赤になるほどに、恥辱に対する怒りに興奮していた。しかし、残念な事に、彼にはこの世界が示した重大なエラーを修正するほどの力量はなかった。


 とは言え、彼にはまだ、自らの力量不足を自覚する程度の判断力なら、辛うじて残されていた。それだけが不幸中の幸いとなった。おかげで、彼は家族の待つ祖国の土をもう一度その足で踏める幸運をギリギリの所で掴み取れたのだから。


 小競り合いに勝利した迎撃機(インターセプター)が放ったアナウンスは、日本海周辺国すべての"耳"に向けられた、明らかな勝利宣言でもあった。そして、敗者となった闖入者の側に残された選択は、このまま尾羽(おばね)()()らして逃げ帰る事しかなかった。


 もし、これ以上抵抗して一段上の防衛行動を発動されれば、彼らが直ちに撃墜されてしまうだろう。逃げ帰る現状(ルート)と、撃墜される終幕(バッドエンド)との隔たりは、彼らにとっては薄皮一枚程度の厚みしかなかった。あまりに薄くて、目を凝らせば向こう側が透けて見えてしまいそうなくらいに身近なIF(可能性)だった。相手の気分次第で自分の運命が決まる。正直、背筋が凍る想いをしたに違いない。


 張上尉が恭順(ひくつな)姿勢(たいど)を見せて、母国へと撤退を開始するのを確認すると、F-2Bは度胸試(いなか)しの若達(ヤンキー)をこれ以上追い詰めない様にと、意図的に彼の視界の中で転進して見せると言う配慮(おもいやり)を示しながら、穏やかに日本海側と推測される基地への帰途に付いた。


 張上尉は、その時に、垂直尾翼の根元に「63-8101」と機体番号が描かれていた事実に、やっと気付いた。彼は、その番号を生涯を通して忘れられそうにないと感じていた。


 それは、自分達から仕掛けておきながら、そんな重要な事に気付く余裕がなかった「人を殺す機体のパイロット」としての未熟(あま)さを否定しなかったと言う事でもある。


 機体に深刻なトラブルを負った張上尉は、親愛なる僚機に導かれて、南ジ列島基地への帰投する事にした。そして、その後で南ジ列島基地からの暗号通信で、張上尉達を上空から見守っていた監視衛星が機能停止していたと伝えられた。どうやら、一度消えたF-35Aはオゾン積層による減衰を避けるために成層圏中層まで昇って、俗称「江青(ウイッチ)(エンヴィー)」として知られる低軌道監視衛星鎖(すぱいえいせいぐん)を電磁パルス攻撃で次々と迎撃していたらしい。


 ステルス戦闘機二機による上空侵犯、さらに同時に極低軌道への監視衛星網の同時投入。とどめに、射撃/ミサイル管制レーダーの照射。もし、彼の国の子鬼達が今日起こった事をすべて世界に開示してしまったら、どうやっても面子が立たない。国境で(せめ)ぎ合いをしている西方の後進国達にこの先数年は(あなど)りのネタにされてしまう。


 何故なら今回の勝負は完敗であるからだ。これほどの恥は、1970年代に行ったベトナム懲罰で、一方的な後方転進を余儀なくされて以来の大敗だったかも知れない。しかも、それを一方的に仕掛けたのはこちらの側なのだ。


 しかし・・・張上尉は考えた。F-2Bの様な時代遅れの戦闘機を運用し続ける日本という国の奇妙さ。そして、絶対的な有利な勝負に完敗した事に、恐ろしさを覚えた。


 張上尉は海面に着水した。そして、多分来てくれるだろうヘリコプターか小舟による救助を待つ事にした。


 なお、僚機は、上空旋回して彼を見守ったりする事なく、そのまま何も無かったかのように基地の滑走路へと着陸して行った。

これは前回の話に対して、時系列ではちょうど10年後にあたる、2047年の話です。次回(第53部分/予約中 2018/03/09 19時)は2037年の日常の話へと復帰します。ただし、次回は前書きがちょっとだけ長いです(読むのは面倒臭いのでしょうから、本文まで飛ばしてしまって問題ありません)。

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