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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第一章「起」
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2037年3月11日、AM10:00、松基7空団所属、軽機動装甲車(L.A.V.)の車内

 私とナヲちゃんは、名残惜しいけれどチーちゃんがこれかお世話になる私立松島高校、学生寮「石巻館」を後にした。別れ際、チーちゃんは最後まで可愛く泣いていたけれど、これからは一緒に居てくれるルームメイトの先輩が上手く導いてくれるだろう。


 考えてみれば、これまでのチーちゃんの周りには普通の人は少な過ぎた。


 普通でないというのは異様な変人ばかり、という訳ではない(少なからずいるけど)。チーちゃんの場合、会津では教室でも、病院でも、どこでも周りに居る同年代の子達は、みんな身体に何かしらの病気や障害を抱える子達ばかりだった。


 だから、人と人の距離が近過ぎて、時に優しすぎて、時に深く傷つけ合うとう、少し濃すぎる人間関係が常態化していた。


 人と人との距離感を測る事も時には必要だよ。どんな人とでも差別無く交流するのは時に危険でもある。


 困った事に、世の中には良い人と同じくらい悪い人もいる。そして、治療によって症状が消えたとしても、身体に障害の(みなもと)が残り続けるだろう貴女達を狙った事件報道は、減るどころか増えている。悪い人達は、貴女達が抱えている心の隙間を間違いなく突こうと近付いて来るだろうから。


 そして、普通の社会に参加すれば、ナヲちゃんや朝間先生達の様な、甘やかしてくれる人にばかり囲まれる訳ではない。


 今までは幼年期の終わりという、一種のモラトリアム期間を満喫していたんだ。しかし、会津の変容によって、実はもう、その"ゴールデン・タイム"は突然の強制終了を迎えちゃった。だって、今の会津からは貴女に以前と同じ優しさを送るだけの余力が失われてしまっているから。


 残酷だけど、それが事実。


 そして、会津への帰還後は、貴女がこれからやって来る病気の子供達を助ける側に回るという役目を担ってあげなければいけない。それは、今まで貴女がしてもらっていた事を、貴女がしてあげる側に回らなければならないという事。


 守ってもらっていた側が、今度は逆に守る側に回るって言う事。


 だから、ここ松本で出会ったルームメイトの先輩と言う、普通の人と初めて濃密に接して、そして4月から始まる高校生活では、普通の人の群れに埋没する(すべ)を覚えるのに備えて欲しい。その辺り、あの来月に3年生になる先輩は良く承知していた。もしかしたら、過去にチーちゃんみたいな子と接した経験があったのかも知れない。


 教科書には『普通』という常識なんか存在せず、多様な価値観、多様な能力、多様な有り様が美しく謳われている。しかし、それが許されるのはそれで罷り通る高い能力を持ち合わせたごく少数の人間だけ。私達凡人には決して手が届く事の無い、坂の上の雲みたいな理想なんだ。


 そんな現実を知ったら、あの子はきっと辛い思いをするだろうな。でも、耐えて欲しい。そして、厳しい現実に適応した自分なりの多様性=個性を磨いて欲しい。


 横線状の細くしか開いていない窓に顔を近づいて、片目のを(つぶ)って後方を覗くと、チーちゃんがまだ手を振ってくれている。こっちで手を振り返しても見えないよね。私はずっと貴女の側にいるからね。そんな、相手には絶対に伝わらない約束を胸に秘めておく事にした。あ、目から何か染み出して来た。目、赤く腫らしちゃったら嫌だな。


 私とナヲちゃんは、再び、松基7空団所属、軽機動装甲車(L.A.V.)の車内に戻って来た。運転は昨日の鴨田オジサン、助手席には相田さんが座っている。


 私達が午前中に松島を離れる事になったのは、朝間先生から火急の用件を頼まれたからだ。なんでも、急ぎで先生の旧友を訪ねて、荷物を受け取ってきて欲しいとか。どういうわけか、ナヲちゃんにでなく私のスマホに依頼の電話が掛かってきた。


 大急ぎなので、相田さんに最速の移動手段を整えていてくれるよう依頼済みそうだ。だから彼が迎えに来たら、そのまま後に付いて行けば旧友さんの所に連れて行ってもらえるって。


 ナヲちゃんの郡山での用事は、相田さんの後輩が郡山へ行く用事があるので、代行してくれる様にアレンジしてくれるって。寮の有志の使いとして、郡山名物の円盤餃子と玉羊羹を買い占めに行くんだってさ。


 念のために調べたところ、入国管理局出張所は今日は無人なので、必要書類をポストに投函するだけで事足りてしまうらしい。


義父(ちち)が大変お手数掛けます。今日はよろしくお願いします」


 ナヲちゃんは車が交差点を曲がってチーちゃんの姿が見えなくなってから、相田さんにお礼を伝えた。さっきまではチーちゃんを(あや)すのに精一杯だったのだ。


「いえ、街も学校は今日は3月11日の震災慰霊祭の真っ最中なので、毎年この時期は私の様な越境入学者は本音では手持ち無沙汰なんですよ」


 相田さんが松島どころか、宮城県の沿岸地域出身でない事を初めて知った。年齢的に被災者でない事は分かっていたけど。


 震災慰霊祭か。会津でも落ち着いたらそう言う事をして、無理矢理に区切りを付けて社会の前進を試みるんだろうな。


 そして、私もいつか、あの惨事を心の負担にならないくらいの事実としての記憶へと昇華させたい。さすがに忘れる事は出来そうにないけれど。


 戦車みたいな車は気が付くと飛行場の金網沿いを走っていた。あれ、線路を越えてから右じゃなくて左に曲がるの? ああ、飛行機が車の真上を飛んでる音がする。という事はこの飛行場は松島空港? 航空自衛軍の基地の滑走路近くなのかな。


 さらに状況の変化が進んだ事に気付いた。いつの間にか前後と右側を戦車みたいな車に三台に囲まれている。


「ちょっと車を振り回します。とても揺れますので注意してください」


 相田さんが楽しそうに、シートベルトをしっかりと締めてあるか再確認を則した。とても揺れる、か。ちょっと揺れるんじゃないんだ。


 私が何がなんだか解らない混乱していると、ナヲちゃんが私の手を握って言った。


「大丈夫。私が居るから」


 へっ? ナヲちゃんはこれから何が起こるか知ってるの?


 そこで突然にすごい轟音が真上から聞こえて来た。一瞬、髪の毛が多分静電気か何かで持ち上がった瞬間に、ものすごい急ハンドルが切られて車が傾く。きっと右側の車輪が接地してなかったのだろう。そのまま車は大きく弧を描きながら前進して、気が付くと前後に走っていた車のどちらかと走る順番が入れ替わった。


 狭い窓から斜め見して空に目をやると、迷彩色で、なーんか不格好な鼻先が目立つ飛行機が飛び去っていく。車は金網が途切れた隙間から空港に侵入した(!) そしてどうやら飛行場の内側を走っているみたいだよ! 外が良く見えない車内から外で起こっている事を想像してみると、そんなことになってるんじゃないかな? 多分。ちょっと自信ないけど。


 それからどうなるんだろう。ナヲちゃんの顔を見ると大丈夫、と瞳で語っていた。彼女が無言で語る事なんだから信じてみよう。って、それ、勘違いだったらどうしよーってレベルの話だよね。

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