2037年3月11日、早朝、私立松島高校、学生寮「石巻館」ゲストルーム
今日は水曜日。その朝、私をナヲちゃんは私立松島高校、第一学生寮、通称「石巻館」のゲストルームのベッドの上で目覚めた。
私立松島高校に於いて、"ゲストルーム"とは、在学生を訪ねてきた家族や知人が利用できる宿泊施設だ。これは特に僻地に建てられた全寮制の学校では珍しくないシステムだ。例えば、交流試合で訪れた他校生達、短期出張で派遣されて来た教師、なども利用可能だ。
そして、現在の松島エリアに於いて"ゲストルーム"とは、来訪者が宿泊するべき唯一のシステムを表す、極めてローカルな固有名詞でもある。これ、重要。テストに出るから覚えといてっ!
"ゲストルーム"は、私立会津高校にも用意されていたが、会津の場合は山の上には温泉宿街があったり、会津盆地内ならどこにでも出張者用ビジネスホテルがあったので、利用する人はほとんどいなかった(そして、この度の地震のせいで倒壊してしまったので、永遠に使用不能となってしまいました、とさ。やれやれ)。
私立松島高校の場合、会津と違ってゲストルームはフル稼働している。それには理由がある。どういうわけか、松島市内では公共の宿泊施設を見掛けない。それでも問題にならないのは、他の地域では見られない、この松島ならではの特殊な文化の御陰だ。
私はここに来るまで知らなかったけれど、この周辺では、どんな組織でも大抵は利用中の建屋内にゲストルームを併設しているんだそうだ。もし、一時期に大量の来客があって自前のゲストルームから客が溢れてしまう場合は、それぞれが属する組合や互助会などのゲストルームを借り受けられるバックアップ・システムもあるとか。
だから、複数ある大手のビジネスホテル・チェーンも、松島周辺への進出は二の足を踏んでいるらしい。曰く、赤字経営確定。実際、過去に極少数のチャレンジャーも存在したらしいが、一社の例外もなく松島からの完全撤退を余儀なくされた。
理由は誰も宿泊しなかったからだ。どう言うわけか、新規建設の宿泊施設には例外なく閑古鳥が住み着いた。そのあから様な寂れっぷりを見せ付けられた投資家達は、自分達の判断ミスを素直に認めて綺麗に店を畳んで新天地へ去る決断を下した。まあ、営利活動だからね。資本の無駄使いは彼ら的には罪悪なんだ。
松島の地元組合も、チャレンジャーな投資家達が建設した宿泊施設などをそこそこの値段で買い取るなど、大人の対応を見せた様だ。まあ彼らも一応、面子だけは保てたってわけだ。円満撤退。それは良い事だ。
そう言う事情でここにはビジネス・ホテルがない。だから、ビジネスの出張や学会への参加などの用事で松島を訪れる人達は、来訪前にそれぞれの受け入れ組織に対してゲストルームの予約を依頼するのが慣わしになっている。
そうでなければ、仙台などから普通電車やタクシーなどで通う必要があるんだって。何か理不尽。
それらの事情を考慮すると、松島とは・・・どういう訳か滞在に足りる明確な目的、と言うか松島側から受け入れが表明されないと、かなり居心地が悪い街である様だ。意外だ。
JR東日本・仙山線に幹線からの相互乗り入れ列車を走らせるどころか、急行や快速の設定すらない。何故なんだろう? 何が何だかさっぱり解らないよ。東北線の方も、松島付近の駅に停車するのは普通列車だけだ。ちと不便過ぎやしないだろうか?
昨夜は、今月から私立松島中等部に転校するチーちゃんをここまで送って来た。そして、来年を一緒に過ごす寮のルームメイトを紹介してもらった。彼女は来年度は三年生になる生徒で、完全な生身の女の子だ(私立松島高校にもそう言う人いるとは考えてなかった)。
今が学年度末の時期と言う事で、高校側も配慮してチーちゃんが最初に出会うルームメイトと新年度もそのまま一緒に生活出来る様に調整してくれた。
通常の処置なら、中等部の寮に入寮してしばらく一人部屋で過ごし、新年度直前に高等部の寮へと引っ越して初めてルームメイトと出会うというスケジュールになっただろう。ここら辺、チーちゃんの主治医の朝間先生または、来年度には三年生になる相田さんが絶対に裏で何か調整しているに違いない。
その相田さんは、同じ石巻館の男子サイドに住んでいるというので少し安心した。石巻館は6Fの高層寮で、エレベーターを挟んで右が男子スペース、左が女子スペースとなっている。一階ごとの男女のスペースとまとめて一つのグループを作っている。チーちゃんと相田さんは同じ5Fのグループだ。
チーちゃんのルームメイトは、成績優秀なメガネ女子だった。自宅では男兄弟ばかりでずっと妹が欲しかった、と私達のチーちゃんを歓迎してくれた。夜に一緒に食事をしながら、二人を見ていて安心した。何事に不慣れで、少し我を張って頑張り過ぎてるチーちゃんに、共感を示しながらしっかりとリードしてくれている。
本当なら、私達がそうしてあげなければいけなかったんだけれど、会津の現状を上空から一望した者としては無い袖は振れないとしか言えない。だから、余裕と善意のある誰かにお願いするしかない。悔しいけれど、これが現実だ。認めるしかない。
会津の救急医療室(ER)で半強制労働した経験で分かる。おそらく、夏休みまでにマイクロマシンによる疑似プラグイン処置を受けて、病状の進行具合やマイクロマシンの稼働状態を本当に24時間把握できるような治療体制が採られるだろう。
それが実現すれば、松島だけでなく、会津の朝間先生も同じデータを把握できる様になる。そうすれば、物理的に離れていても、朝間先生が常に彼女を裏から支えてあげられるはずだ。
目を擦りながら眠そうなナヲちゃんが聞いてきた。
「ねえ、チーちゃん大丈夫だよね」
「大丈夫だよ。あの先輩ならきっとチーちゃんを可愛がってくれる」
ナヲちゃん、まだ目を擦ってる。新しい擬体はあまりに人間の摸倣し過ぎているのか、それとも調整不足なのか、朝起きると目頭付近などに目脂まで結晶しているのだ! 彼女はしばらくそういうのを忘れていたので、すごく新鮮に感じているらしい。まるで、自慢するみたいに、私に見せつけるように目を擦り続ける。
「あんまり擦ると義眼の保護レンズに傷入っちゃうよ」
「うん。やめる」
ナヲちゃん、顔を洗いにトイレに消えた。ナヲちゃんと一緒に生活するのは、新しい擬体になってからの事だけれど、以前の擬体だったらここまで生々しくなかったんじゃないかと思う。少なくとも私が救急医療室(ER)でお世話させてもらった擬体や義肢の人達は、もっとプラスチックな感じだった。
でもね、以前のナヲちゃんの擬体が質感で劣っていたとか言う訳じゃないんだよ。何度も手を握ったし、最初のキスもあの娘だった。ん? あの娘? どの? でも何か、あの擬体にもしっかりとした、独立した・・・固有の魂を感じるんだよ。付喪神とか言う霊的な何かが宿っていたのかな?
スマホにメッセージが着信したみたい。メッセージを確認すると、チーちゃんから。30分後に下の食堂で待ち合わせのリクエスト。OKと即座に答えた。先輩も一緒だろうから待たせるのも何だしね。
ナヲちゃんがトイレから帰還した。
「チーちゃんから。30分後に下の食堂で待ち合わせね。着替え始めといて」
「はーい」
私もトイレに籠もる事にした。ナヲちゃんがTVのスイッチを入れたらしい。とりあえず、天気だけ見といてくれると助かるな。残り時間28分。さあ、急げ!




