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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第一章「起」
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2037年2月19日、AM8:55、新潟県魚沼市・西名新田、私立会津高校・西名新田仮設分校、仮設寮118号

「ただいまー」

「おかえりー」


 引き戸をガラガラと開けて室内に入ると(開き戸だと、屋根から雪が落ちてドアの前に積もっちゃうと開かなくなっちゃうんだ!)、玄関に見慣れない小さな雪上ブーツがあった。お客さんかい? 私も氷上にも対応するごつい靴を脱いで、座敷に上がった。女子高生とは言え、この状況で靴底がツルツルのローファーは無理だ(ただし、たくし上げスカート+太股丸出しと言う勇者は、震災前の会津には少なからず存在していた)。


 コートとブレザーも脱いで、制服のリボンをズラしてワイシャツの第一ボタンを外しながら、暖房の効いた室内に入った。


「葉子先輩、お邪魔してまーす!」


 すると、私よりちっちゃなチーちゃんがこたつに入っていた。あ、ミカンだ。持ってきてくれたの? ヘッドギアを付けて顔が半分隠れているけれど、私よりちっちゃい()は彼女しかいないから間違いない。


「元日以来ね。震災は大丈夫だった?」

「はい。ちょうど金山の方で身体に入れたマイクロマシンの誘導してたんです。だから、被害は誘導灯が落ちて来て頭にこぶを作っただけで済みました」


 チーちゃんがヘッドセットを取り外す。この()は中等部の後輩。年末年始にいっしょに背あぶり山で花火を見に行って以来、ほとんど会えていなかった。二年前から入院しながら、マイクロマシンによるDNA制御と身体素材の置き換え治療を受けているそうだ。


「私は転院処置でそのまますっと金山にいたんです。葉子先輩の噂はこっちにも流れてきましたよ。応援で首都圏から送られてきた擬体介護士よりも活躍してたって。あの怖い婦長さんが褒めてたって」

「やめてよ。今もその"カランドラの獄長"に呼び出されて帰って来たところなの」


 制服からジャージに着替えて、ナヲちゃんを見る。フルダイブ中。パソコンの前に腰掛けたままだ。


 今のナヲちゃんはパソコンの前の椅子に座ったまま、仮想現実世界に没頭している様だ。珍しい、というか現実の感覚を切り離して第二現実へと五感のすべてを『ダイブ』させているナヲちゃんの姿を初めて見た。私には知覚できない世界があって、そこに親友が没頭していると思うと胸にちくり何かで刺されたように感じた。擬似的に重量、圧力、遠心力、慣性重量、熱さ寒さまで感知できるなんて、ちょっと想像もできない。


 私にも第二小脳、せめてマイクロマシンの疑似プラグインがあれば、と思わずにはいられなかった。彼女がいる世界を一緒に体験しないなぁと少し背伸びしたい気分になった。ちょっと残念。まあ、ナヲちゃんは私のサイバー化を本気で嫌がるからやらないけど。


 複雑な想いに捕らわれていると、チーちゃんがVR(仮想現実)ヘッドセットを渡してくれた。掛けてみると、V字の峡谷を回転しながら通過しているらしい映像が見えた。多分、これナヲちゃんの視界だ。最後に視界全面が青空に転じてから、再びさっきと同じV字の峡谷へ凄い速度で、しかも急激な左曲がりに近付いて行く。目が回りそうだ。


 何が何だか分からない。と思っていると映像が停止して、古典アニメ『魔法使いサリー』のサリーちゃんのパパの様な天にそびえ立つ髪型のナヲちゃんが、ゆっくりと椅子を回転させてこっちを向いた。どうやらダイブを止めて現実の世界へ帰ってきたらしい。


「これすごいよ。私は空を飛べるんだよ!」


 なんのことやら? まあ、彼女が今はそれに夢中だということは良く分かった。しかし、溜まりに溜まった静電気のせいで天に向かってそびえ立つ髪型と言うのは、私が信仰しているナヲちゃん観音像には相応しくない。私はアース付きの磁気対策櫛を彼女の机の二番目の引き出しから取り出した。


 頭蓋骨の一部構造材の鉄や銅におびただしい磁気をため込んでしまったのだ。そう言えば、新しい擬体の髪の毛は、鉄粉濃度が少し減ったとか朝間先生が言ってたな、それでもこの有様だよ。きっと、生身の髪の毛でもナヲちゃんと同じくらい無線接続を使い続けたら、こんな風に帯電しちゃうのかも知れない。


 頭蓋骨まで擬体化した人の悩みは、通信機器の過度な使用によって、擬体のフレームや髪の毛に静電気が極限まで帯電されてしまうことだ。天然の髪の毛に比べれば素材的に対処はされているのだが、根本的な解決策は今のところ発見されていない。


 脳核を直接に覆うカプセルはチタン材、さらにそれを補強する頭蓋骨の構造材もほとんどが磁気を帯びないチタン材が使われている(ソ連とか言う昔あった国ではそのためにチタン外殻の潜水艦を作ったそうだ。荒川さんがそう言ってた)。しかし、技術的問題でチタン材100%だけでは作れないから、やっぱり磁気を帯びてしまうことは避けられない。


 だいたい、髪の毛などは無線アンテナの役目もしているので、磁気を帯びる素材を練り込まないわけにはいかない。昔は髪の毛で放熱もやろうと検討したそうだれど、誰かが火事になる可能性に気付いて、実験そのものが見送られたらしい。


 擬体の人は一般的に有線接続用のプラグが首または耳の下から露出している。しかし、ナヲちゃんの擬体は本人たっての希望で、肌素材で完全に覆われていて肌に埋没している。表向きはシャワーを浴びるときの防水対策としているが、実は本音は彼女は擬体のメンテなど必要不可欠な時以外は絶対に有線接続を許したくないのだ。


 相田さん達みたいなサイバーな人達とは違って、気軽な有線/無線同期を許す気は無いというできる最大限のジェスチャーの一つでもあるんだろうな。


 しかし、その代償が今目の前にある爆発頭だ。有線で繋げばそんなことにはならないのに。もっとも、彼女はそれを支払うに足りる代償と信じている様に見える。


 サリーちゃんのパパ擬きと化した女の子は、どうやらおとなくしく私のケアを受ける気らしい。椅子をクルリとまわして後頭部を私に向けた。そしてそのままやや興奮気味の彼女に茶々も突っ込みも入れずに一体全体、何が凄いのかを伝えてくれるレクチャーを受けることにした。


 なるほど、擬体換装前に仮想現実の中で相田さんからもらって、ずっと填まっているというゲームだな。チーちゃんもいっしょに遊んでたのか。つまり、昨日からずっと遊んでたってこと?


「相田さんは擬体制御と同じレベルで、人の意識が直接に飛行機を操縦するアプリを作ってるの!」

「ふんふん」

「合衆国が最初に作った統合型コアプロセッサーとパワー・バイ・ワイヤで動かす飛行機の仮想データなの。画像配信システム(EO-DAS)が標準で用意されてるから、ラダーやエルロンも義手や義足みたいに操縦できるの!」

「あれ飛行機だったんだ」

「ライトニングIIっていう古い飛行機だって」

「なるほど(よく分かんないけど)」

「最初は何度も墜落したり着陸失敗したけれどもう大丈夫。今はRAFの訓練空域として有名なマックループを飛んでたの!」

「RAF?」


 これはチーちゃんが教えてくれた。

「連合王国、英国の空軍です。私もやって見たんですけど離陸がやっとで、10回も谷に激突して落ちちゃいました」

 へー。チーちゃんそういうの詳しかったんだ。


「チーちゃん。私は宇都宮(・・・)でずっとやりこんでたからだよ。すぐに追いつけるって!」


 そうだ。ナヲちゃんは擬体が換装されるまで、チーちゃんには宇都宮の富士見重工で擬体修理中でいないっていう設定になってたっけ。この()はもしかしたら、将来的に全身擬態化するしか無いかも知れない。そんな女の子に脳核が水槽に浮かんでいる姿を見せるのは酷すぎる。ここは私も合わせておかないと(ゲームをやり込んでいたのは嘘じゃないだろうけどさ。病院のER(救急治療室)に徴用されていた私の責任もあるかな。相手してあげられなかったから、暇だったんだよね)。


「そうそう。宇都宮は楽しかったみたいね」


 ナヲちゃんが続ける。話題を元に戻す気だ。そう言えば、多分、チーちゃんはナヲちゃんの擬体が変わった事に気付いてない。どうやら上手に隠せているみたいね。

「それでね、もう低空飛行は突風(ガスト)とか低層ウィンドシアーが怖いけれど一番飛んでる気がするんだ!」


「そうなんだ。飛ばしてるのは英国の軍隊の飛行機なんだ」

「実は日本のなんだ。いつか私の操縦で葉子ちゃんも本物の空に連れて行ってあげるよ!」

「それは楽しみね」


 そう言えば、相田さんも地震で助けてくれた時、航空自衛軍の服を着てたな。あの人はそっちの人だったかな? 本当に不思議な人だよね。


 ナヲちゃんはディスプレイモニターに向き直して、数式だか英語だか分からない文字の羅列をチェックしながら、時々キーボードで何かを打ち直している。こういうのは仮想空間でやれば早いのだろうけれど、彼女は「そうすると自己完結過ぎて神様が関与する余地がなくなる」と言って嫌う。なんでもタイプミスや作業の中断中に降りてくる閃きこそ、ぶち当たった壁を越えるのに必要なインスピレーションの源なんだそうだ。


「相田さんは歩くより飛ぶ方が好きみたい」

「ふーん」

「でも飛ぶよりもっと好きなモノがあるみたい」

「へー」

「多分・・・わざわざ複雑な基準点を作って・・・コリオリまで考慮できる様に現在位置を割り出すのって・・・このアプリを惑星離脱用とか惑星航行用にまで発展させるつもりなのよ」

「はー」


 訳が分からないし、そんなことよりも私に重要なのはナヲちゃんの髪の毛だ。あんまり磁気が頑固なので三本も櫛を頭に刺しっぱなしで、アースで放電させながら髪をすいていく。


「葉子ちゃんは相田さんが何を考えてるのか興味ないの?」

「まったくない。ナヲちゃんがあるんでしょう?」


 本音で応えたらナヲちゃんは意外そうな顔をした。見ていないので正確にはわからないが、後ろ姿から感じられる気配からはそんな気がした。


「私、葉子ちゃんは相田さんに興味持ったのかと思ってた」

「ただの人間の男には興味ないかな。雄なら最低でも未来人とか宇宙人とか超能力者じゃなくちゃ」


 ちょっとした沈黙の時間が過ぎてから、ナヲちゃんはなんかモジモジしながら聞いていた。

「私は特別? 未来人とか宇宙人とか超能力者でもないけど」


 チーちゃんが興味津々で、瞳を輝かせてこっち見てる。チーちゃん、貴女にはまだ早いわ。ん。こういうのに早いも遅いもないのかな?


 だから、私は何馬鹿なこと言ってるんだと半分怒って応えた。

「ナヲちゃんはナヲちゃんじゃない。未来人とか宇宙人とか超能力者なんかよりも特別よ」

「ーーー!」


 私はチーちゃんにお茶を入れてあげようと、ナヲちゃんの髪の毛に櫛を刺したまま、台所へに向かった。放電には少し時間が掛かるからちょっと放置しないと。えっと、ナヲちゃん用の純水も冷蔵庫にあるか。


 確か、紙バッグの日本茶が備え付けられてたと思う。あ、カップも四つある。こういうのも揃えないといけないわね。


 ナヲちゃんはそれからずっと、妙に機嫌が良かった。何か良いことでもあったのかしら? ああ、例の飛ぶアプリで何か面白い設定でも見つけたんだね。きっと。

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