2037年2月1日、深夜、天叢雲会病院サイバネティクス研究病棟・医学博士朝間の研究室
天叢雲会病院サイバネティクス研究病棟にある自分の研究室で、医学博士・朝間は一本の通話を受け取った。知り合いのカメラマンが土産に置いていった紅茶、ダージリンのセカンドフラッシュ、アーリア茶園産の茶葉を硝子のポットの中でジャンピングさせている真っ最中だった。
通話元の相手が誰であるかを確認すると、部屋内のスピーカーとマイクではなく、ヘッドセットの方で受信した。
「やあ、宇留島さん。電話、してくれると思ってたよ」
朝間は紅茶専用の硝子ポットを持ち上げて、ライトの透過光を利用して広がった茶葉を確認した。クローナルと言う、チャイナ種とアッサム種の合いの子(接ぎ木)の葉っぱが、お湯を吸って見事に開き、それが茶園の人の手で千切られたことによる不規則な形状で、それぞれが疎らな大きさであることが判る。どうやら、このロットはハンドロールという手法が採られているようだ。
彼の個人的な好みでは、カルシャンの尾根にあるキャッスルトン茶園が世界に誇る、白いお茶のマスカティア・フレイバーなどの繊細な風味には大した価値を見いだしてはいなかった。むしろ、ファースト・フラッシュの様な、風味が強すぎて品が無いと言われる紅茶を好んだ。
「残念だね。今、ここに居れば良いお茶を提供できたんだけれど」
朝間はポットからカップに紅茶を注いだ。鮮やかな琥珀色の液体からは、豊満な香りが立ち上り、鼻孔を確実に刺激する。一口だけ口に含んで、舌の上で転がせてから、彼は名残惜しそうにカップとポットを手放した。
電波暗室装置にスイッチを入れて、有線電話の受話器を右手で取り上げた。これで外部からの盗聴などの良からぬ干渉は出来なくなった。
「それではお話、聞かせてください」
一瞬の沈黙。部屋の中の空気が入れ替わった。
ーーーさすがにあの二人に伝える訳には行かなかったので・・・
「いや、それは正しい判断だよ。感謝する」
ーーーで、確認が取れました。先生の予想は大当たりです。
「やっぱり変化してるのか・・・」
ーーーMHC(主要組織適合遺伝子複合体)としても、HLA(主要組織適合性抗原)としても、まったく別物に変化しています。
「放射線治療とセットの骨髄移植で起こると聞いてはいるが・・・」
ーーー免疫系だけでなく遺伝子レベルの書き換えの痕跡があります。数値は近似でなく、完全一致です。おそらく、何かの移植を相互に行ったとしても、互いに「非自己」と識別できません。いずれも「自己」と判断されるでしょう。
「で・・・近似でなく、完全一致と言うことは・・・コピー元があるという事かな? やっぱり・・・」
ーーーはい。森葉子の数値がオリジナルと推測されます。
「震災直後の輸血か・・・。Aマイナスの血液のストックが全滅してたからなぁ・・・」
ーーーおそらく。関与は一方通行ですので、逆の可能性はないかと。
「朝間ナヲミ側がそれを解析して『変身』したわけだな」
ーーー何が原因と思われますか?
「ウチのナヲミが・・・強力にそれを祈ったんだと思う。そしてその祈りが『通じて』しまったんだろう」
ーーー神通力ですか?
「人通力だよ。擬体換装の前に、ナヲミはやたらに眠いと言っていた、マイクロ・マシンが働き過ぎだとも」
ーーー彼女がマイクロ・マシンを使ってやり遂げたわけですか?
「いや、おそらくは無意識だ。瓦礫の下で脳核と擬体の接続を切った時に、無意識で『一体化』としか言いようのない将来を望んだんだろう。死を覚悟した直後だ、我々だって持ち合わせている『本音』、自分にも知り様のない究極の望みが深層意識から漏れ出してきたのかも知れない」
ーーーどうされます? 復元に努めますか? 朝間ナヲミのオリジナル・データはありますが。
朝間は少し考えた。しかし、悩むまでもなかった。
「宇留島さんの直感で良い。答えてくれ。それは命の危険や、健康上の害となるのかい?」
ーーーいえ。放置しても問題ありません。あくまでアイデンティティーのマターです。
「それなら・・・放置だ。それと、オリジナル・データをサーバーから切り離して保存。そして、サーバー内のデータを現有の物に形跡を残さないように書き換えてしまってくれ・・・それから・・・」
ーーー森葉子のデータの破棄ですか?
「その通り。技本・・・いや、とにかく朝霧和紗氏には気付かれないようにしたい」
ーーー分かりました。
「朝霧和紗氏は、おそらく自分で確認する気だ。あの二人をセットにして見舞いに寄越せと言ってきたんだ」
ーーー思った以上に複雑な事態になりそうですね。
「申し訳ない。それでもよろしくお願いします」
そう言ってから朝間は通話を切った。そして、この目前で起こった『奇跡』をどう評価して良い物かを思案し始めた。
果たして、あの朝霧和紗とそのアバターがどこまでこの事態を想定、または把握しているのか、それを知りたいと思った。




