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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第一章「起」
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2037年1月30日、PM5:10、天叢雲会病院サイバネティクス研究病棟・一般病棟個室 -SideB

 ここは天叢雲会病院、サイバネティクス研究病棟に併設された一般病棟個室。森葉子は、朝間ナヲミが脳核に新しい擬体を換装されて、以前と変わらぬ姿で帰って来るのを心待ちにしていた。


 彼女が最後に朝間ナヲミと言葉を交わしてから、すでに8時間以上が経過している。4時間が経過した時に、施術中患者の家族用待合室に病院総務部からの使いがやって来た。


 朝間ナヲミが施術後に滞在する個人用の病室が用意が終わったので、そちらへ移っても良いと伝えてくれた。その代わり、携帯電話の電源を切らない様に気を配っていて欲しいと言う。


 おそらく、患者が『万が一』という専門用語が示す事態に陥った時に、家族に連絡が付かないのは避けたいという管理側の気配りだろう。


 森葉子は個室へ移動させてもらう事にした。誰も居ない待合室で一人で待ち続けるより、朝間ナヲミが身を休めるために用意されているベッドでも眺めている方が、多少は気が紛れるだろうと思ったからだっだ。


 今思えば、特殊水槽の中であっても、魂が感じられる本人が視界に確実に居てくれた方がよっぽど気が休まった。もちろん、あのICUへ戻るのは嫌だ。しかし、朝間ナヲミという魂の源が自分の手が届かない所へ行ってしまう状況が、自分にとってこれほど大きなストレスになるとは想定もしていなかった。


 何というか、魂の半分がもがれている様な、片翼がもがれて飛べない鳥の惨めさの様な、あって当然の何かを不当に奪われている様な錯覚に陥っている自分自身にも戸惑いを感じていた。


 何か嫌だなあ、と思いながら森葉子は朝間ナヲミの為に用意された空のベッドの端に腕枕で伏せた。


「早く帰ってこないかなあ」


 帰ってきたら何をしようか、などと考えていると、うとうとして来る。誰かが夢の中から森葉子を呼んでいる様な気がした。


ーーー森葉子さん・・・

「誰?」


 まるで実体の無い何かに心の中に直接語りかけてきている様な気がした。


ーーー以前は大変お世話になりました。最後にどうしても挨拶させていただきたくて、朝間ナヲミさんの第二小脳に無理なお願いをして参った次第です。

「ナヲちゃんの?」


 実体がないと流石にコミュニケションが難しい。語りがける側もそれには同感だったらしい。


ーーーこちらをご覧下さい。

「・・・・・・・あ、ナヲちゃん? 違うよね」


 何も無い空間の真ん中に、霧が現れて、霧がやがて朝間ナヲミの形を作り出した。しかし、気配が微妙に違う。森葉子は、それを朝間ナヲミの外観と寸分の狂いも無い『人形』として認識した。


ーーー私は「AK系かぐら式擬体Gen.10・朝間Made Ver. 17」、以前はお友達の朝間ナヲミの身体として働いていた『物』です。

「擬体さん・・・か。いえいえ、何度も手を握らせて戴きました。ありがとうございました」


 森葉子には、何故か擬体の言うことを素直に信じることが出来た。そして、朝間ナヲミと瓜二つどころか、同一の形状をしながら、その気配が微妙(・・)に異なる事実も不思議と納得出来た。


ーーーええ。あんなことも、こんなことも。女の子同士のそういうのは(やさ)()で・・・

「あれはっ! そのっ! うん・・・まあ・・・そうっ! キスしただけだもんっ!」


 森葉子は擬体と言えは誰かに(?)見られていたと知って、顔を真っ赤にして狼狽した。


ーーー私も、貴女に優しく接して貰えて嬉しかったです。

「え? そうなの?」


ーーーええ。そして、もうそうして貰えないのがとっても残念です。映画を見に行った時に、貴女が『私に宿る』って言ってくれた時は本当に嬉しかった。

「あの時か・・・変なこと言ってごめんね」


ーーーそんな未来もあるかと思っていましたが、残念です。

「どうして?」


ーーー私は完全に壊れてしまいました。これ以上、朝間ナヲミにお仕えすることが出来ないのです。

「直せないの?」


ーーーはい。実証実験用のパーツばかりで形成されていた私は、細部のパーツの部品取り用ジャンク品としても役に立ちません。

「そうなんだ。残念だね」


ーーーですが、地震調査研究推進本部が私を丸ごと引き取ってくれる事になりました。何でも、(あずま)レーヨンが試調合した炭素繊維強化炭素複合材料練り込み鋼材で作った試作フレームが、地震の何かと共振した可能性が高いとか。だから、この身体を流用して地震の前兆観測装置を試作するそうなんです。

「貴方は・・・いなくなっちゃうの?」


ーーーいえ、居なくなるわけではありませんが、有り様を転生させます。おそらく、次ぎに会ったとしても、貴女はそれが私とは気付けないでしょう。

「そうか。お別れなんだね」


ーーーはい。そこで一つだけお願いがあるんです。

「何でも言って!」


 そこで朝間ナヲミそっくりの擬体は、モジモジしながら身体を左右に振る。それでも意を決したらしく、少しばかり上擦った声で言い切った。


ーーー最後に私をキスしてあちら側へと送り出して欲しいんですっ!

「え?」


ーーーいえっ! 口でなく()っぺで良いんですっ! 本当にごめんなさいっ!


 その様子を見ていて、仲良くなったばかりの頃の朝間ナヲミそっくりだと感じた。神社で友だちになれた直後の朝間ナヲミそのものでもあった。


 最初はツンツンしてた。ただ、デレ方を知らなかっただけだったみたい。それでも、頑張って前に進もうとする姿勢には萌えたなあ。この擬体さんの仕草には本当に・・・デジャブを感じるよ。


 違和感が不愉快に感じられなかったのは、きっとそのせいだ。森葉子は目の前にいる『朝間ナヲミ』も分岐の可能性として、最初から無意識でその様に受け止めていたのだ。


 それを自覚して、森葉子は何となく悟った。この"擬体"を名乗る『何か』もまた、どんどん『朝間ナヲミ』になる途上にあったんだ、と。多面性の一つであって、おそらくもう少し長く朝間ナヲミが宿っていれば、完全に一体化とか統合されていたに違いない、とも。


 今、森葉子の前にいる『何か』は擬体なんかじゃない。どうやら、たった今、そぎ落とされようとしている、愛する人の半身でもあるらしい。


 それならば、そのリクエストを断る理由は無い。


「いいよ。キスしてあげる。でも、それは擬体にじゃない。ナヲちゃんから分岐した新しいナヲちゃんにするんだよ。私には貴女が単なる擬体とは思えない。ナヲちゃんじゃないんだけど、それでも貴女はやっぱりナヲちゃんでもあるんだよ」


 森葉子は擬体と名乗った『何か』をそっと引き寄せて、強く抱きしめた。引き寄せられる朝間ナヲミの分身は素直に従った。


 どうやら、森葉子は一段上の台の上に乗っていた様だ。約15cmの身長差という大きな障害に遮られることも無く、容易く「AK系かぐら式擬体Gen.10・朝間Made Ver. 17」を射程圏内に収めた。


「今までどうもありがとう。私達を守ってくれてありがとう。いつかまた会おうね」


 そして、そのままキスをした。


 しばらく時が止まった。そしてゆっくりと動き出した。


 すると・・・やがてさっきまで確実に認識出来ていた、朝間ナヲミの分身の存在が、急激に希薄になって行く。最後に霧に戻って、そこに居た形跡すらかき消されていた。


「行っちゃったか・・・」


 森葉子は、まるで最初から独り切りだったかの様な不思議な錯覚に襲われた。


 しかし、ふと、右手を見ると、何か光る物が絡まっていた。彼女にはそれが何なのかは全く見当が付かなかったが、とても大切な想いが詰められていることだけは分かった。どういう訳か知っていた。


 だから、胸の一番奥の方にしまい込むことにした。将来、大切な人だけがそれを取り出せるようにと。


 そこで夢は終わった。朝間ナヲミの個室のドアをノックする音がする。


「葉子ちゃん、ナヲミを連れてきたよ」という待ち構えていた声が聞こえた。


 当然、それは朝間ナヲミの保護者、医学博士・朝間の声だった。森葉子は反射的に立ち上がって、ドアを目指して走ろうとした。しかし、長く同じポジションで固定していた膝が上手く動かずに、途中でバランスを崩して見事にすっ()けた。


 それでも必死にドアにたどり着くと、そこにはベッドに横たわる朝間ナヲミと、朝間が待っていた。


「遅くなってごめんね。でも、換装は上手く行ったよ」


 これが一番聞きたい言葉だった。森葉子は感激した。今入手したばかりの幸福を逃さないように、両手で口を押さえた。それは、何か・・・もし一言でも発してしまったら、その言霊がたった今確定してばかりの"現実"に干渉して、大切な何かが壊れてしまう様な気がしていたからだ。


「ナヲミを部屋の中に入れるから、ドアを少し開けて押さえていてくれるかい?」


 森葉子は素直に朝間に従った。朝間ナヲミが室内に入ると、室内に設えられたモニターやセンサーが可動を開始した。彼女はそれを前にも経験したことがあった。以前、朝間ナヲミの自宅(朝間の本宅)へ彼女が入ると、第二小脳が勝手にいろいろな機械を稼働させ始めたのだ。


 朝間ナヲミの話では、バイタル/メカニカル・データの病院への送信、それから病院やメーカーからの擬体に関する情報の受信などを行っているらしい。


 森葉子は、朝間が養女を横幅の狭い移動用ストレッチャーから、快適に寝られる幅のある病室用ベッドへ移し替えるのを邪魔しないように眺めていた。


 そして、自分でも早く朝間ナヲミに触れたい、と思い始めていることに気が付いた。


 朝間と目が合った。森葉子は意を決して切実な質問を渾身で投げかけた。


「あの、ナヲちゃんに触っても良いですか?」


 朝間は、そんなことか・・・と言う気軽な口調で応えた。


「良いよ。もちろんだよ」


 葉子はおずおずと、毛布の下に手を差し込んで、朝間ナヲミの右手を握った。心配そうにごそごそと掌をまさぐっていたようだが、すぐに動きを止めた。


 朝間には詳細はよく理由は分からなかったが、彼女は何か安心できる根拠を発見出来たようだった。


「良かった。本物のナヲちゃんです」

「分かるのかい?」

「はい。確かにこの手は以前に繋いでいた手とは違います。それでも、この手には今、一瞬だけナヲちゃんが宿りました。今はまた・・・寝ちゃった? かな。そう感じます」


 葉子は自信に溢れた口調で言い切った。しかし、言い切った直後から喋っている内容がただの思い込みなのではないかと、不安になり始めた。もしかしたら、馬鹿なことを口走ったのではないかと不安になった。


 しかし不安は的中しなかった。朝間は普通にうなずいて共感を示した。そして、養女の現状を説明し始めた。


「予定ではあと20分程度で目を覚ます予定だ。しかし、この()寝坊助(ねぼすけ)なんでね、もう少し掛かるかも知れない。なんせ、最初に目を覚ますのにもかなり長い時間が掛かって、我々を慌てさせてくれた前科があるんだ」


 葉子は「それって大丈夫なの?」とばかりに尋ねた。


「目を覚まさなかったらどうするんですか?」


 朝間は、暗くなったのに開けられたままだった窓のカーテンを閉めてから、両手を白衣のポケットに突っ込んだ。


「その時は王子様のキスかな。寝坊助(ねぼすけ)が眠り姫へとジョブ・チェンジする最初で最後の機会になるんじゃないかな?」


「ーーー!」


 葉子は突然に、顔を真っ赤にした。


 ーーーあれ?

 ーーーついさっき・・・ナヲちゃんとしたばかりのような?

 ーーーあれ、夢の中だったかな?

 ーーーよく思い出せないや。


 その後、葉子は養父から、朝間ナヲミの身を託された。そして、彼女が退院するまで一緒の部屋で過ごして欲しいと頼まれた。病院内では会津大震災の被災患者が溢れているから、今彼女が寝起きしているベッドを開放したいのだという話だった(葉子自身もまだ被災患者として入院中の身だ)。


 それは朝間ナヲミの元から一時も離れたくない葉子としては、願ったり叶ったりな申し出だったので、即答で了承を伝えた。すると朝間は満足そうに頷いて、ポケットの中からスマート・ウオッチを取り出して葉子に渡した。なんでも院内での連絡用らしい。


 朝間がいなくなってから、個室内で葉子は朝間ナヲミと二人切りになった。朝間ナヲミはずっと眠り続けている。あと10分もしない中に覚醒する設定らしい。だから、この部屋の中でお喋りしている人なんかいない筈なのに、さきほどから見えない誰かがそこに居るような気配を感じる。そして、それが朝間ナヲミの気配な様な気がしてならない。


 それは考え過ぎだろうと思うしか無かった。だから、朝間ナヲミを眺めることに専念しようとした。しかし、さっきの、朝間が現れる前に見ていたかも知れない夢の内容が気になる。葉子は何かとても大切なことを、誰かと話していた筈なのに、それがいったい誰だったのかも思い出せない。


「寝起きの直後に転んだからかな?」


 気が付くと朝間ナヲミの覚醒予定時間を5分も経過していた。大丈夫かなを顔を覗き込む。呼吸しているのが分かるだけで、それ以上は分からない。


 葉子は考える。


 ーーー本当にキスしないと目覚めないのから?

 ーーーキスして目覚めたら、朝間先生も言っていたけど、本当に眠り姫だよね。


 葉子は視線をキョロキョロさせながら辺りを見回した。


 ーーー誰も見てないよね?


 何かを警戒している。周囲の様子を窺っている。葉子には、どうしても、見えない何かが近くに居るような気がしてならなかった。


 スマートウオッチでもう一度時間を確認する。森葉子は重大な決意をした。


 ーーー私が愛の力、発揮して見せる時!


 毛布の下で繋いでいた朝間ナヲミ手を離して、力を入れすぎて挙動不審とも取れる気配で椅子から立ち上がった。


 自分の顔を朝間ナヲミのそれにそーっと、不自然にそーっと近づけた。


 そして、できるだけそっと唇を重ねた。


 ーーーお願い。目覚めてっ!


 唇を重ねたまま、祈りを繰り返す。


 気が付くと、何かが自分の背中に両腕を回してガッチリと捕まえている。


 ビックリして目を開けて飛び起きようとすると、朝間ナヲミの両目が開いていた。そして、とてもゆっくりとした口調で、それでもハッキリとした声で喋ってくれた。


「ただいま。帰って来た」


「良かった! ナヲちゃん、良かった! 帰って来た!」


 葉子は、やっと心の平穏を手に入れた。最愛の人が帰ってきたと安心した。すると、ずっと支え続けていた支え棒が突然に外れてしまったように、心のバランスが崩れて行くのを自覚した。その直後、今まで押さえていた涙が(あふ)れ出て来てしまった。


 その後のことは葉子は良く覚えていない。ただ、大声で激しく泣きながら、診察に来た朝間を大変に困らせた。朝間ナヲミにあやされて、何とか自分のベッドに()もったのは午前0時を回っていた。


 これで、少なくとも朝間ナヲミと森葉子の二人だけは"日常"を完全に取り戻したことになる。不謹慎かも知れないが、地震被害で壊滅した会津地方で、その夜に最も幸福感に包まれていたのはこの二人である事は間違いなかった。


 ちょうとどその頃、只見線の復旧作業を確認する試運転車両、軌道検測車の「East-i D_e」が、柳津町を通過して行った。軌道検測の結果次第では、会津と魚沼を結ぶ鉄路は明後日にも再開できるだろう。会津は復興に向けて確実に前進しつつあった。

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