2037年1月30日、PM5:10、天叢雲会病院サイバネティクス研究病棟・一般病棟個室 -SideA
深い人工的な眠りの中にある、朝間ナヲミを呼ぶ者がいた。
『ーーー目覚めよ!』なんて、自他とも認める偉い誰かが、初登場の瞬間に誰かを呼び止めるテンプレみたいな・・・押し付けがましい上から目線の掛け声でなかった。むしろものすごく遠慮がちな催促みないな感じだった。
そのせいか、あまり嫌な感じはしなかった。だから、二度寝はしないであげよう。
「ーーーどちら様?」
億劫だな、と言う感じで目を開ける。しかし、視界情報を取り込んだ直後に気付く。そこは現実ではなく、AR(拡張現実)の空間みたいだと思えた。
何故かそう思ったかと言うと、自分の手を握っている森葉子と何かを話している朝間医師の姿が、自分の足下に見えたからだ。
こんな不自然な現実はありれない。もし、死後の世界とか臨死体験でもないのなら、だけど。
すぐに寝暈けていた頭が突然に冴えて来た。
ーーー違う。拡張現実なら、私の義眼が視線元の座標に固定されている筈!
ーーー自分で自分の姿を見れる筈ない!
ーーーでも仮想現実にしては描写が精細過ぎるし、動きが滑らか過ぎる!
ーーーだいたい、現実なら私が宙に浮いている訳ない!
(これから天使達が肉体が滅びた私の魂を迎えに来て、天国まで道案内してくれると言うのでない限りは・・・だけど)
それが仮想現実でも拡張現実でも現実でもない、と言う所まで推測した。それらの条件を踏まえて、朝間ナヲミはもう一度だけ視線の頼りに自分が居る位置情報の認識を修正した。
ーーー私は天井に張り付く形で、床を見下ろしているんだ。
それに気付くと、彼女は地球の中心方向への引力が徐々に発生しているのを感じ始めた。それなのに、不自然に、身体の中では比重が軽い足から落ちていって、天使のように床の上にふわりと舞い降りた。
床に降りると引力設定が1Gに固定されたらしく、もう一度浮かぼうと思っても出来なかった。
そこで誰かが自分を呼んだことを思い出した。辺りを見回す。誰も居ない。と思ったら、もう一度呼びかけられた。
ーーー呼び立ててしまってごめんなさい。朝間先生に設定された覚醒時間まで少し余裕があったので、その前にユーザーさんとちょっとだけお話をしておきたかったんです。
「誰なの?」
ーーー私は第二小脳。貴女の相棒ですよ。
「・・・本当に?」
ーーー私に嘘は言えません。実は今貴女が宿っている擬体について、お話しておきたいことがあるんです。
「先生からは富士見重工さんのX-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体だって聞いてるよ。試作ボディはやっぱりいろいろ難しいの?」
突然、森葉子が掌を握っていてくれてる擬体が、というか・・・重なっていた分身がベッドから不意に起き上がった。何だか・・・まるで、自分が幽体離脱するシーンを客観的に拝んだ気がする。マンガとかで頻繁に目にするそういうのって、あんまし、気分の良い物ではないことが判明した(覚えておこう)。
ベッドで横になっている擬体の方は、そのまま森葉子に掌を握られていて動きはない。一方、分離して立ち上がった方・・・第二小脳の方は、目前で自分に正対して何か言いたげにしている。
第二小脳は、朝間ナヲミの外観データを流用して、擬人化コミュニケーションを実行する気らしい。他人がそれをやったら許せないけれど、自分の分身に近い第二小脳のすることなら、「まあ大目に見てやろう」と言う気になった。
しかし、そんな些細な事は、次の一言を聞いたら、頭の中からすっかりと吹っ飛んでしまった。
ーーー実は、これ富士見重工製の擬体じゃないんです。
「え? どういうこと?」
擬体が片足でくるりと回って全身を見せてくれる。それを見ている朝間ナヲミは、自分が自分の目の前で勝手に動いているのは、やっぱりものすごい違和感があるんだ、と知った。
ーーー実はこれ、日本の政府機関が秘密裏に製作した、完全なワンオフ擬体なんです。本当に双子の姉妹や兄弟が存在しない、極めて珍しい試作品なんですよ。
「じゃあ、X-メン見たいに目からビームが出たり、鉄を自由に浮かせたり出来るの?」
擬体が「やれやれ」というジェスチャーで大げさに呆れてみせる。
ーーーそんなに俗なものじゃないんですよ。理想は高く持って下さい。これは『地球で現存するもっとも生身に近い擬体』というコンセプトでデザインされています。おかげで、触覚なんかものすごい情報量なんですよ。
「そうなの?」
ーーー関節のジョイント部の上の皮膚にも正確な触覚があるんです。すごいでしょう?
「嘘。本当に?」
ーーー私は第二小脳。貴女に嘘は言いません。ちょっと、試しに感じてみますか?
「うん。お願い」
その瞬間、朝間ナヲミはものすごいシャープな感覚に襲われた。背筋までゾクゾクと響き渡るような圧倒的な情報量が感覚器官の情報バッファーを満たし尽くす。
「ーーーひゃんっ!」
触覚器官の接続は一瞬で切れた。
「思わず変な声出しちゃった・・・」
興奮が止まらない。
「何! あのシーツのひんやりとした冷たさ! シーツの皺の感じが分かった。そして葉子ちゃんの指と掌の皺の感覚も分かった!」
擬体が満足そうに朝間ナヲミを見詰めている。
ーーーそうでしょう。そうでしょう。凄いんですよ。覚醒したら、今は触覚だけですけど、全五感の情報がいつでも感じられるようになるんですよ。
「うん。すごいね。目からビームが出せるより凄いよ」
ーーー話が早くて助かります。この擬体の正式名称は"先行試作擬体17番「かむなぎ」"でした。
「でした?」
ーーー公式にはすでに廃棄済みで、帳簿上に存在しないんですよ。だから無名です。先生達は17番とだけ呼んでいましたよ。
それを聞いて朝間ナヲミは心配になった。擬体の運用には数々の消耗品や交換パーツが不可欠だ。しかし、ワンオフ物の場合はそういった備品の確保が難しい。特にこれは本当に一体しか作られていないイレギュラー品と今さっき聞かされた。
場合によっては二度と手に入らないパーツもあるかも知れない。事故に遭わなくても、何かの拍子に不具合が発生しても修理不能になりかねない。製造ラインから外れた機械にはそう言った負の側面がある。
しかし、擬体は朝間ナヲミの心配を払拭した。
ーーーご心配には及びません。「かむなぎ」に双子体は存在しませんが、構造がほとんど変わらない年上の姉や兄は沢山いるんです。
「それは良かった!」
ーーー"先行試作擬体16番・巫/覡"と言います。姉の方が女性体の『巫』、兄の方が男性体の『覡』と言います。それぞれ、6体。合計で12体が製造されて、その内6体が密かに運用継続中です。実証実験でなく使用中ですので、最悪、予備擬体から部品をちょろまかす予定です。
朝間ナヲミには第二小脳による、説明が実は良く分からない。それでも似たようなボディがあるのは安心できる。しかし、12体も作る試作品なんて、もう試作レベルじゃない気がしてならない。
ーーー特に「かむなぎ」は姉や兄と違って、全く無理な造りをしていないので、相当な期間メインテナンス・フリーで使えると思います。消耗品もすべて普及品で間に合うように調整されてますので、買い置きなどがあればそれらも問題なくご利用いただけますよ。
ちょっと考え込む朝間ナヲミ。気が重そうに口を開いた。
「私は姉や兄の擬体に宿っている方達に会うような機会はあるのかな? その場合、お姉さんとかお兄さんと呼ぶべきなのか・・・どういう時はどうするの?」
意外な質問に擬体は微笑んで答えた。
ーーー観察はされているかも知れませんが、あちらから積極的に接触して来る事はないと思いますよ。
「でもね、政府が秘密に作った擬体に私なんかが宿っても大丈夫なの? だって私は日本の在留資格もないし・・・ガイジンだよ?」
ーーーそれは大丈夫ですよ。だって、書類上は存在しない擬体ですし、実は擬体IDはガッチリと「X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体」に偽装されていいます。どこかで中身をスキャンされてもバレないと思います。擬体IDの「X-AK系」そのものが「かむなぎ」と同じ補助動力筋肉を搭載してるので、もし富士見重工へ問い合わせが行っても大丈夫です。
「そんなもんなの?」
ーーーこの国では根回しさえしっかりとやっておけばそんなものです。
「ふーん・・・」
ーーーで、本題なんですが・・・この擬体を使いこなすのはちょっと難しいんですよ。
「そうなの?」
ーーー何で廃棄処分になったかと言うと、誰も扱い切れないほどに圧倒的な情報量が脳核に、次から次へと送り込まれるので、受け止めきれなくなってパニックになっちゃうユーザーさんが多いんです。
「・・・マジですか・・・」
ーーーものすごい寒さを感じる誤認識を起こしたり、変にハイになってしまったり・・・まあ、色々です。すべてシミュレートによる確認しかしてないんですけどね。
「大事な割に大雑把過ぎる・・・」
ーーーこの17番は16番と呼ばれる姉や兄とは違って、実は環境情報取得にスペックの全振りしてるんです。でもね、きちんと扱えれば生身に限りなく近い感覚で生きていけます。それと骨格などの構造もかなり生身に近いので、人間ぽく振る舞うには有利です。これももちろん、きちんとした擬体操縦者であれば問題ないんですが。
「"パペッティアー"って何?」
ーーー擬体を第二小脳の補助無しで自由に取り扱える特別な人を意味します。機会があったら、人形浄瑠璃でも見に行ってみてください。あれと同じレベルで擬体の取り扱いが出来る状態を指します。一目で意味がすんなりと理解出来ると思いますよ。
擬体がベッドの横に座る森葉子の背中を見詰めている。朝間はすでに部屋を退出している様だ。
ーーー貴女が救ったのはこの女の子ですね?
「うん。そうなの。あの時は貴方を無理矢理に私から切り離してしまってごめんなさい」
擬体は驚いた顔を朝間ナヲミに見せた。まったく予測していなかったらしい。機械に謝る人間なんて珍妙な人過ぎる。
朝間ナヲミとしては、第二小脳が使っている擬体の外観が自分の全身を模しているため、自分の顔がこんなに間抜けを的確に表現できる姿を客観的に認識させられて、少しばかり複雑な想いだった。
ーーー「かむなぎ」は本当に幸運な擬体ですよ。本当に。
「そうなの?」
擬体は、オリジナルの人格に対して変顔を見せては申し訳ない、とでも思ったのか、後ろを向いてしまっている。だから、今どんな表情をしているのか確認のしようがない。
ーーーそうですよ。今度は死んでしまったあの子よりも、もっと長く宿ってやってください。ずっと一緒に居てあげてください。極限に迫る人形遣いの技を期待してますよ。
「今度は耐用期限まで宿るよう努力する。そして、人形遣いの方は頑張ってみる」
朝間ナヲミは、擬体から不意に森葉子の方に注意を則された。
森葉子はキョロキョロと首を振りながら辺りを見回して、何か警戒している。周囲の様子を窺っている。彼女に自分が拡張現実から観察されている可能性がある、という知識はない。それでも何かが自分の近くにいることを感じているのかも知れない。
ーーーああ、長話し過ぎて・・・覚醒の設定時間を過ぎてしまいました。
スマートウオッチで時間を確認した森葉子が、何か重大な決意したかの様に、朝間ナヲミの擬体の手を離して、力を入れすぎて挙動不審とも取れる気配で椅子から立ち上がった。
そして、自分の顔を朝間ナヲミのそれにそーっと、不自然にそーっと近づけて行く。
ーーーそう言えば朝間先生が「寝たままだったら、キスすれば目覚める」とか何とか言ってましたよ。
「え、本当?」
ーーー大急ぎで覚醒シークエンスに入ります。お話しできて嬉しかったですよ。
「ええ、私も」
ーーーところで、この記憶は目覚めても生体脳の記憶野には記録されてしません。
「え?」
ーーーただの夢だったと言うことです。
「へ?」
ーーーそれでは幸運を。
朝間ナヲミは、それに応える余裕を与えられなかった。その直後に、今まで立っていた床が突然に崩壊したかの様な、壮大な眩暈に襲われた。その後で超弩級の津波に掠われて、水流に翻弄されてキリモミ状にシェイクされる様な感覚に襲われて・・・意識が完全にブラックアウトした。
そして、次の意識を取り戻した時、唇の上に柔らかな感触が乗っていた。ゆっくりと目を開けてみると、必死で目を閉じている森葉子の顔が目の前にあった。
朝間ナヲミは王子様に気付かれないように、ゆっくりと両手を動かした。そして、森葉子の身体を押さえ込んだ。背中に両腕を回してガッチリと捕まえた。
ビックリして目を開けて飛び起きようとする森葉子の表情を確認してから、朝間ナヲミはまだ口が良く動くかどうか確認できていなかったので、できるだけゆっくりと喋った。
「ただいま。帰って来た」
「良かった! ナヲちゃん、良かった! 帰って来た!」
森葉子も両手で朝間ナヲミを抱きしめる。ボロボロと涙が伝わって来て、一部が口の中へと入った。すると・・・かすかな塩っぱさと生暖かい優しげな味が知覚出来た。
確かにこの擬体の感覚が鋭いな。・・・の言った通り?
あれ????
全力で泣く森葉子をあやしながら、朝間ナヲミは「はて?」と思った。
そう言えばさっきまで誰かと大切な話してなかったっけ?
そう・・・懐かしい感じの知ってる人と・・・
誰だっけ? 何を話したんだっけ? 思い出せないなあ。
ま、いいか。葉子ちゃんもいることだし。
朝間ナヲミは、第二小脳が覚醒間際に伝えた通り、あの会話の内容をすべてを忘れてしまったようだ。だが、記憶の片隅では選択に干渉するレベルの印象として、強いメッセージをすり込まれている様でもあった。
第二小脳は会話が終わると、そのまま、意識の裏側という居るべき場所に戻った様だ。そう言えば、意図してか。伝えなかったことがあるようだ。嘘は言えないが、それは真実をすべて伝えない自由がないことでは絶対にない(商界において適応される民法運用と同様に)。
"先行試作擬体17番「かむなぎ」"には実は、16番と同じ様に愛称へは漢字による当て字も宛がわれていたのだ。
朝間ナヲミが、知る機会の無さそうな当て字とは『神和』であった。おそらく、この17番という擬体を作った人間は、それが神を和ませる力を発揮することを望んで、特別な名前を与えたのだろう。そして、今は挫折してそれを諦めてしまってもいる様だ。
でも。あくまでも「If」だが・・・。もしかしたらだが、それはまだ早計が過ぎたかも知れない・・・。




