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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第一章「起」
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2037年1月30日、天叢雲会病院・擬体作業棟0.1µm級クリーンルーム用マニピュレーター作業指揮室 〜その1

 無精髭にまみれた朝間・医学博士。しかし、両目に充血は見られない。どうやら仮眠を取る時間の捻出にだけは成功した様だ。


 ここは天叢雲会病院、擬体作業棟0.1µm級クリーンルーム内のマニピュレーター作業専用の指揮室。最後の一人が入室したのをドアを閉じる音で確認すると、ふんぞり返っていた、大きな背もたれのある椅子から身を起こす。


 続いて、「よっこらせ」と立ち上がる。そして目の前の作業台に両手を勢いよく叩き付けた。それと同時にバンと大きな音がした。


 辺りを見回すと、2035年に実施された"朝間ナヲミ・プロジェクト"に参加した、阿吽の呼吸で、朝間を目の前の作業に没頭させてくれる3人の腹心的な助手達が集まっている。


 助手達とは言っても、他の所に行けばそれぞれがプロジェクト・リーダーや組頭として活躍する逸材ばかりだ。彼らは擬体技術の興隆を、朝間の元で経験し、作業全般や哲学的な問に対してさえ価値観を共有できる共謀者(しんゆう)達でもあった。


 「腐れ縁」で結ばれた同志、というのが一番正しい表現なのかも知れない。


 朝間はリモコンで指揮室の鍵を掛ける。そして、盗聴防止装置を作動させる。これで指揮室と外界は音、熱、可視光、可視外光(電波含む)などの介在要素による連結が、完全に遮断されて"情報的な暗室状態"へと切り替わった。


 この施設は電源ですら、巨大な並列バッテリーシステムのバックアップが用意されている。ただし、病院らしくアナログな内線ビジネス電話網だけは外部と繋がっている。


 これで良い、と朝間は目を閉じる。オペレーターとして指示を受ける予定の腹心達は緊張して、ボスからの号令が下るのを待った。


 朝間は両目を開けた。そして、滑舌の良い声で宣言をする。


「まずは"X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体"の初起動テストを開始したいと思います。みなさん、よろしくお願いします」


 さほど広くない指揮室の中に、気合いの入った声が届き渡る。


「ブリーフィングで話しましたが、この擬体の正体は技本お手製の"試作擬体17番「かむなぎ」"です。しかし、それは今ここにいる4人の間だけの話とさせてください。また、今後、この擬体の呼び方は、"X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体"で統一します。その点だけご注意願います」


 生体パーツ面の調整を担当する自称20代後半の女性、宇留島(うるしま)が応える。

(りょう)、です。あの()からの催促頻度が二次方程式のグラフの後半なみに上昇しつつあります。今後はY軸に対する急上昇が見込まれるので、さっさと始めてしまいましょう」


 機械部のバランス取りを担当する40代後半の男性、津田沼も追随する。

「"X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体"、早く触らせてくださいよ。興奮しちゃって、昨夜はあんまり眠れてないんですよ」


 燃料電池機関師の初老の男性、荒川は何も言わないが、首を縦に振り続ける。


 実は、擬体の初起動でもっとも大切なのは搭載される燃料電池の火入れだ。擬体に搭載されるSMFSC(バイオ燃料二次電池)は、一度起動すると規定では5年間(閏年計算無しの365日×5年)はぶっ続けで発電を行う。連鎖反応(チェーンリアクション)室と二次電池で構成される組織であるだけに、一度停めたら本体寿命を大幅に縮めてしまう。また、しっかりと起動させてやれないとと悪い癖がついてしまい、搭載している擬体の活動効率そのものを低下させてしまう。


 その面倒さは製鉄所の巨大高炉に匹敵する。ただし、最初だけきちんとやってやれば、寿命を迎えるまでしっかりと奉公してくれると言われている。


 こうも言える。SMFSC(バイオ燃料二次電池)の最高出力、発電特性、復元特性、寿命は全て燃料電池機関師に握られている。幸運なことに、彼はこの道では横に並ぶ者がいないと言われている匠だ。


 実際、朝間ナヲミが軍事衛星をハッキングしている最中のSMFSC(バイオ燃料二次電池)の出力ログは、基本スペックからは想定できないほどに高効率で反応・出力していたことが判っている。具体的には最高出力は1.6倍。それは仮に1.0倍で出力した場合、反応継続時間を理論値の約2倍ほど延ばしたことに相当する快挙だ。その脅威のオーバー・スペックが擬体ユーザー・朝間ナヲミの生還をもたらしたと言っても過言ではない。


 朝間は、朝間ナヲミと森葉子の二人、そして会津の瓦礫の下から生還した約300人の人々の命を救った英雄的行為の立役者は彼。荒川だったのではないかとも考えていた。


「では、始めよう。起動試験に成功したら・・・60分アイドル状態を維持。それで問題が無いようなら、そのまま『患者/朝間ナヲミ』の脳核への換装作業に移りたいと考えています。よろしいでしょうか?」


 朝間の問に、生体パーツ面の調整を担当する女性が挙手した。


「すみません。患者の培養皮膚の移植作業時間の再検討願います。汗腺に限らず各種生体再現要素数が従来の仕様を大幅に凌駕しています。念のために、60分アイドル状態に入ったら即座に開始。総作業時間で180分ほどいただけないでしょうか? 全身の同時進行でなく、四肢などの細部を詰めながらインストールさせてください」


「解りました。180分、(りょう)です。もし、延長がありそうでしたら、遠慮無く宣言しちゃってください。他には?」


「・・・・・・」


「それでは・・・"X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体"の起動テストを開始!」


「わかりました」


 クリーンルームとマニピュレーター作業指揮室を隔てる、極低反射ガラスに電流が流れて電流式偏光フィルターがオンになる。クリーンルームの全方向の照明が付き、中央の擬体作業台付近から一切の影が消える。そして、偏光フィルターのおかげで反射光だけがあらぬ方向に屈折するので、とにかく観察物の細部の認識が楽になる。


 ここのクリーンルームは最高クラスの0.1µm級だ。基本、中に人は入らない。入る場合は、エアダスターなど数々の「試練」をくぐる必要がある。また、全身をクリーンルーム内の外気から区切る専用作業服に身を包む必要がある。


 脳核を弄る以上、どれほど気を使っても足りることはない。なお、朝間ナヲミの脳核を取り出してチタン外装へ入れるときはBSL(バイオセーフティーレベル)-3準拠の作業室で行われている(あくまで準拠。病原体などは取り扱わないのでオートクレーブなど滅菌機具は設置されていない)。


 擬体作業台の上に安置された"X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体"に、各種ケーブル類が接続される。クリーンルーム内は完全な電波暗室となっているため、指揮室との通信はすべて有線で行われるためだ。


 朝間から最初の指示が下された。


ーーーSMFSC(バイオ燃料二次電池)起動。タイミング、アジャスト、すべてお任せします。


 室内の全員が操作盤から解りやすい形でアピールしながら手を離す。燃料電池機関師はそれを視認する。


(りょう)。全制御受け取りを宣言。反応室内へ電解質投入開始」


 燃料電池機関師は自分の経験則から作り上げた段取りに従って、電池内に反応誘発液と酵素を入れて反応可能な状態を練り出そうとする。微妙なタイミングを図りながら、臨界予備状態を作り上げていく。


「アノード、カソード、両制御棒投入。投入20%」

「誘導用DC電源開始。7.2V/1Ah。投入40%。24V/10Ah」

「投入60%。12V/10Ahへ抑制」

「投入80%」

「臨界域へ到達」

「投入95%」

「6V/10Ahへ抑制」

「投入100%」

「臨界程度・満開」


 燃料電池機関師は制御盤から、擬体作業台の上に安置された"X-AK系かぐら式次世代技術検証用擬体"へと目を移す。


「よーし。いい子だ。そのままそのまま」


 手元をまさぐり、キャップ付きのコーヒー紙カップを手に取る。擬体作業台から目を離さずに、少し冷めたコーヒーに口を付ける。これは彼にとって儀式の様なものだった。擬体の火入れ式など、そうそうあるものではない。そして、患者にとって見れば生涯に何度も体験するものではない。


 つまり、彼が今やっているのは、そういう本当の「特別な事」なのだ。だから、決して失敗は許されない。そのプレッシャーを撥ね除けるためには、本当は神に頼りたいところなのだが、彼は残念ながら無神論者だった。だから、彼は自分の技術と経験と冷めて香りが飛びかけたコーヒーにすがるしかなかった。


 彼はコーヒーを飲み終えると、制御盤のグラフに視線を落とした。電力外部逃がしコードのセンサーが脈を打ち始めた。最初は不規則で、電圧と電流が二相に絡み合っていた。しかし、それも完全に、まるで一相の様に同調した。


「こいつはすげえ・・・こりゃあすげえぞ。をいっ!」


 全員が制御盤のグラフを見る。


「なんて出力だ。戦車でも動かす気なのかよ! AK系かぐら式の標準電源なんか目じゃねえ! 先生、こいつはちっとしぼるぜ。流石のお嬢ちゃんでもこいつは手に余る」


ーーー承認。


 それから10分格闘した後、燃料電池機関師はやっと口を開いた。


「SMFSC(バイオ燃料二次電池)、連鎖反応の無限化固定成功」


ーーー確認。


「DC750V、80kW。VVVFへ接続。キャパシタ温度正常。出力安定」


ーーー確認。


「DC120V、10kW」


ーーー確認。


「燃料電池表面温度、35度」


ーーー確認。


「SMFSC(バイオ燃料二次電池)、起動テスト成功。起動作業完了。制御完了を宣言」


ーーー制御、朝間が引き継ぎます。


 これで燃料電池機関師の役目は終わった。制御卓の椅子に身を投げ出す。そして、少し離れたところにあるゴミ箱目掛けて空になったコーヒー用の紙カップを投げる。一度もバウンドすることなく、見事に底へと吸い込まれていった。


ーーーさて、これから180分の経過見守りに入ります。培養皮膚の移植を開始してください。制御は引き続き朝間の手中にありますが、緊急急停止ボタンのみの預かりとします。


「何かありましたら宣言なしで緊急急停止ボタン使用。(りょう)。それでは培養皮膚の移植を始めます」


ーーー承認。


「擬体の防水性の最終確認を要求」


ーーー防水性を確認完了。人工頚髄(じんこうけいずい)以下の制御権を依託。


「頭部以外、制御権の借り受けを宣言」


ーーー(りょう)


「培養液(=電解質水溶液)を満たします。右足から始めます。『ちくわ』に誘導開始。固定、調整、開始。培養液への荷電開始。AC、電圧20V、周波数1Hzに固定」


『ちくわ』とは筒状に培養した、擬体への宿り主のDNAを組み込まれた皮膚になる生体ティッシューだ。擬体に事前に登録されたDNA情報(免疫情報、DNA書き換え前後情報、アポートシス用パスワードなど)とのマッチングを確認しながら、擬体機械部のジョイント部へIPS細胞を誘導して骨化させる。これによって接着部は分子的融合を果たす。


 ボディ表面には、生体ティッシューを使う処理を施すのが2037年現在の日本では一般的だ。この方式の利点は小さな傷であれば、ケア次第で自然回復が可能なこと。とくに日常生活で、常時起こっている皮膚と服の摩擦による軽損傷を考慮せずに済むことから、メインテナンス施設への通院の頻度を劇的に減らすことができる点で、擬体保持者の本当の意味での社会復帰を実現された技術でもある。なお、DNAを組み込むのは生身だった頃の皮膚の具合を再現するためだ。もちろん、皮膚の色は色素調整で変えることもできる。


 AK系かぐら式のデフォルト仕様では運動、過重、圧縮・膨張の大きな関節部へは採用されていない。それは、自然回復の速度が追いつかずに、不意に破れてしまうからだ。そのため、オプションで関節部へ従来のポリマー系の人工皮膚で覆うと言う選択が可能だ。擬体の現状では、この様に二系統の皮膚が擬体上で共存している。


 また、生体ティッシューを使用すると損傷時の換装に長い時間と専用の施設が必要なため、軍用には向かない。合衆国のサイボーグなどはボディ表面に生体ティッシューを使わず、むしろ外装として、複合カーボンや金属などの素材を使うケースも多い(それがユーザーの好みにもマッチする様だ)。日本のサイボーグの場合は、通常時は従来のポリマー系の人工皮膚を採用している(ただし、頸部から上は内部にチタン装甲を仕込んだ生体ティッシュー皮膚。擬体保持者にも私生活があると考慮されている)。


 なお、"試作擬体17番「かむなぎ」"へは生体ティッシューが、関節部も含む全身に採用されているが、これは生体ティッシュー系のシステムが格段に進歩しているからだ。この格差は、新型擬体が搭載する生体ティッシューの制御能力(特に補修能力)による所が大きい。生体ティッシューが制御能力を越える再生能力を持つと、容易に癌化してしまう(この技術も保険適用額で販売できる様になれば、AK系かぐら式への換装パーツとして供給されて民生品としてオプション・サービス欄に書き加えられることだろう。それも近い将来に)。無軌道な生体パーツの高機能化は現状では危険でさえある。


『ちくわ』、固定完了。液相/固相の各界面形成。共有結合を確認。ジョイント部骨化を確認。五指への吸着開始。コロイド形成を確認・・・」


 関節アームで目の前の寄せた、光学式の望遠顕微鏡を眺めながら生体パーツ面の状態に驚く。


「この新しい生体ティッシュー、実験の時よりも食い付きが良すぎる。だから、関節にも使えるってわけか。違うな・・・この()のDNAとの相性が良いんだ。まるでこのDNAを基準に最適化して開発されたみたい」


 制御盤のモニターによる数値データでも確認する。主観だけに基づく判断は、一番ヤバイ時に最強・最悪の結果をもたらす。だから、客観性をも重要視する。


「電気陰性度が高すぎるので、結合原子モーメント調整します。作用を四重極子相互から双極子へ適時変更します」


ーーー承認。


「液相吸着とかも試験しておけば良かったかな・・・。界面を弄って吸着反応を・・・よし、皺もなく付いた。収縮開始。アポトーシス制御。さあ、ぴっちぴちにしてあげる」


 制御盤を細かく走査しながら、すべて詳細にログを取る。そのログは擬体が搭載する治療歴(=整備手帳)へも作業終了後にコピーされる。"試作擬体17番「かむなぎ」"の様な特殊極まりないボディでなくても、緊急時に誰が処置してもなんとかなるような配慮が施される。


 緊急時に、「ここはこうやっていて、処置する点はこういう点に気をつけてください」と処置担当者が参照できる様に書き込む。迷子になった時のために両親が「ウチの子をよろしく」とお願い文を子供に常時携帯させるのと同じだ。そして、「お困りの際はこちらまでご連絡ください。24時間しっかりと対応します!」と言う意味でもある。


 今回の件に限ってだが・・・「こんなワンオフなXボディ(試作)、訳分かんないでしょ。だから、修復は後回しにして生体パーツの維持にだけ努めて、無理せずになる早でこちらへ回してください」と言うメッセージでもある。生体パーツ系はだけは、どの世代の擬体でもそう変わるものではないからだ。


 IDを参照すればAK系でも稀少なYまたはXボディと認識されるので、それだけでも処置者の負担となる。それでも、技本の試作擬体と認知されるよりはマシは筈ではあるが。


「右足、皮膚に定着完了。ログを整理して、段取りを修正した後に左足の作業にかかります」


ーーー承認。


「良い出来でしょう? オッサンならこの太股なんか齧り付きたくなるんじゃない?」


ーーーオバサン、ウチの娘に卑猥な言葉を投げかけるのは勘弁してください。


「あら、じゃあ、私は『姉』に名乗りを上げましょうか?」


ーーー私は自分よりも上の・・・いや、失礼。『自称』を許しましょう。


「あら、パパになってくれるのね。ありがとう」


 制御室にいる全員に楽観的な余裕が行き渡った。従来の擬体技術の延長とは言え、仕様書だけでまったく世代の異なる最先端技術ばかりで構成されたボディの起動にはそれなりの不安もあった。


 擬体の出所が技本であることから、あちら側が朝間チーム、しいては会津の擬体ソサエティーに対して送り付けた挑戦状であることは明らかだ。ここで何かの間違いでも犯して技本にサポートを頼むようでは、民間業界の面目が失墜するばかりか、この先の擬体社会における主導権の喪失にもつながりかねない。逆に、これを(こな)してみせれば、先日の震災の被害に喘ぐ会津にあってなお、中央で優遇される技本と充分に張り合えることの証明にもなる。


 しかし、今では緊張を解き、軽口を叩きながらお互いに作業が順調に進んでいることを確認し合う。そして、その中でも『(りょう)』『許可』『承認』『宣言』などの作業を支配できる専門用語は避けて会話を進める。


 その後、右手の作業を終えた後にもう一度だけ小さな修正を加えて、左手の作業は完全自動で行うことが出来た。それによって、朝間チームは新型生体ティッシューの取り扱いノウハウを確立できた。


「さて、色素の沈着部分とかは本人が宿ってから直接相談するか。とりあえず形状データ保存して・・・」


 皮膚の吸着はボディへの貼り付けまでで一旦停止された。頸部から上は脳核へ換装してから行うからだ。


「培養液(=電解質水溶液)の濾過を最大に。吸着剤滓の濾過終了。培養液の排出開始。排出完了。擬体の乾燥を極低速で開始」


 朝間医学博士の長女と自称する許可を得たせいか、女性体型の擬体の胸やウエスト周りの整形には極めて精密な誘導を行った。擬体の乾燥まで、作業時間は400分ほどかかったのも仕方ない。


「培養皮膚の移植作業、第一期の終了を宣言」


ーーー確認。


「制御解放済み」


ーーー制御、朝間が引き継ぎます。


 朝間は待ちかねたように、椅子から立ち上がり、伸びをして、サンダルを放って、作業用テーブルの上に登って、最後に胡座をかいた。そして、院内電話の受話器を取り合えて、プッシュボタンをブラインドタッチで押し切った。


「はい。ナヲミです」

 脳核だけの状態なので動き回れない。おかげで常に有線状態なので、即座に受話器を『上げた』。おそらく、バックグラウンドで何かの作業を継続中なんだろう。


ーーーさて、ナヲミちゃん。すまないけれど、しばらく眠ってくれるかな? これから脳核に擬体を換装する作業に入るんだ。


 制御室内のスピーカーから朝間ナヲミの声が聞こえてきた。脳核本体はクリーンルーム内の水槽の中だが、第二小脳を介して朝間側の声をインプットして、スピーカーへとアウトプットしている。電波を強制的に閑静(かんせい)してるから、フル・ダイブで制御室内を仮想現実で歩き回っているという事は無いだろう。


「解りました。すみません、その前に葉子ちゃんに伝えます。すこし時間ください」

ーーーいいよ。あの()にはこの後、ICUから院内の家族待機室へと移動してもらう手はずになってるよ。看護婦さんが誘導してくれるはずさ。それも念のため、キミからもそれを伝えてくれるかな?


「わかりました」

 制御室内のスピーカーがしばらく静かになった。


ーーー作業、小休止を宣言。制御は引き続き朝間が専有します。


 3人の助手はその間に、室内のサーバーからコーヒーやお茶を取り出す。中にはビスケットバーを囓り出す者もいる。


 誰かが朝間に蜂蜜入りのコーヒーを手渡した。ずずず、と音を立てて(すす)る。それは彼が考え事をしている証拠でもあった。何を悩んでいるのかは解らないが、おそらくこの作業が終わった後のことを思案しているのだろう。この擬体に触ることで、自分たちが業界の政治・派閥問題のホット・ポイントに落とし込まれることは、全員の間で既定事実となりつつあった。


 十分な小休止が取れた頃、朝間ナヲミが制御室内に帰って来た。

「お待たせしました。みなさん、いつもありがとうございます。またよろしくお願いします。先生、何時でも良いですよ」


ーーー(りょう)。それじゃ、おやすみ。

「おやすみなさい」


ーーー第二小脳、デプレッサント分泌開始。ナヲミちゃん、次に起きた時は新しい擬体の中だよ。

「はい。楽しみです」


 そして、制御室内のスピーカーがもう一度静かになった。朝間もそうだが、他の3人もどことなく寂しそうだった。

年始と年末は毎日投稿させていただきます。

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