2037年1月15日(木)、AM11時51分、私立会津高校の保健室
「ナヲちゃん、大丈夫?」
「うん・・・平気」
「天叢雲会病院からすぐに救急車が来る。アサマ先生も柳津から病院に駆けつけてくれるって!」
「ありがと・・・」
何と言うことだ。私は教室で気を失って、倒れて、そのまま保健室へと担ぎ込まれたらしい。今はどうやら保健室のベッドの上に寝かされているらしい。擬体の活動を記録するログも損傷しているらしく、現状認識が上手く出来ないらしい。そういう訳で「らしい」の連続なのだ。ちょっと「らしい」が続き過ぎたので、違う言葉を選ぼう。
今ベッドの上で手足や腰を伸ばして寝ていられているのは、たぶん、葉子ちゃんが教えてあるパスワードを使って、全身の制御を一時的に解除して姿勢を整えてくれた御陰だろう(擬体は正常手順を踏まずに脳核の制御下から離れると、次の命令が来るまで全身を硬直させる仕様になっている)。ありがとう。持つべきものは擬体介護士資格を保有する親友だ。
昨夜から何かが変だったのだ。脳裏で電気の様なフラッシュが立て続けて起こって、しばしば気が遠くなっていたのだ。まるで生身の人の貧血のような症状。簡易バイタルチェックでも、擬体の自己診断プログラムでも、全く異常が検出されなかった。だからそのまま登校してしまったのだけれど・・・やっぱり大事を取って、病院に検診に行っておくべきだったか。
「今、保健の先生が念のために擬体用カプセルを取りに行ってる。必要ないと思うけど、一時的な擬体の機能停止にも備えておきたいって」
"擬体用カプセル"とは擬体が完全に機能を停止しても、掛け替えのない生体部位の生命活動を維持できるように設計された水槽だ。基本的には私がタイから日本へ運ばれてくるときに入っていたタンクと同じものだ(あれがあれば脳核から擬体を強制パージするなどの手段で大事を執れる)。まさかとは思うが・・・学校側としては万が一の事態にも備えたいのだろう。
葉子ちゃんが私の手を握ってくれる。いいな。こういうの。胸の閊えがすぅーっと退いていく様だ。家族ってそういうものなのかな。
「葉子ちゃんも私の診断してくれた?」
「うん」
「どうだった?」
「まったく異常なしなんだよ。でもね、過去の平均値以上の緊張がグラフに出てる。アドレナリンの分泌が微量だけと昨夜からずっと止まってないんだ」
「そう・・・」
確かに擬体側の問題ではなさそうだ。まるで処理回路に直接的に電磁波に当てられるような・・・センサーでなく基幹システムその物の機能不全、またはマル・ファンクションの様な気がする。でも、そんな電波源なんて思い当たらない。
成層圏を飛ぶ旅客機のアクティブ・レーダーに当てられたってこんなことにはならないはず。まさか、ミリタリー・パワーでイタズラできるような電波施設が会津にあるとも思えないし。
そう言えば今日は空気も変だ。妙に肌の表面に・・・何かが突き刺さるような刺激を感じる。ログに数値として残るほどではないけれど、何かが違う。説明できないけれど強い違和感に苛まれている。
私の髪の毛も妙に絡まって櫛を通らなかった。何かのデータを受信中で、アンテナとして使用中なのかな? そう・・まるで第二小脳でネットワークにダイブするための無線接続を使いすぎて、擬体が全身で静電気を取り込みすぎた時にみたいだ。
「ねえ、葉子ちゃんーーー」ベッドの横に座る葉子ちゃんにそう声を掛けた瞬間だった。
脳裏に今までで一番強いフラッシュを見舞われた。
「ーーー何っ!」気が遠くなる。正確には薄くなる。電撃の様なフラッシュが脳外郭で反射を繰り返し脳を揺さぶっている様だ。脳に痛覚センサーなんか無いはずなのに痛い。もしかしたら痛みじゃなくて凄い痺れなのかも知れない。とにかく、ちょっとでも気を緩めるとそのまま意識をどこかに持って行かれそうになる。
「大丈夫!?」
葉子ちゃんが椅子から跳ね上がる様に立ち上がって、私の顔を間近から心配そうに見つめている。その様を不明瞭な視界を通して感知できた。ああ、もし私が死ぬときはこうでありたい。もし、今このまま死ぬならそれはそれで幸せだ。
しかし、幸せとやらは長く続かない。
ーーーがんっ!
ものすごい何かがベッドの下から突き上げて来た。私たちはそのまま宙に浮いた。そして、葉子ちゃんが私の上に浮いている。
「きゃっ!」
すぐに私の上に落ちて来た。私は葉子ちゃんの身体を全力で、というか四肢を全部使って、さらに全身で掴み止める。それが終わると同時に、私たちは次は重力に従って下方に叩き付けられた。痛い。けれど、何とか大切な葉子ちゃんの身体だけは護れた(擬体の内殻にはクラッシャブル・バンパーの役目もあるから、規定以上の衝撃で亀裂を入れて衝撃を分散してくれる。だから、彼女の身体が被る打撲はかなり低減されるはず)。しかしそれにタイミングを合わせるかの様に、真下から新しい衝撃が上に向かって突き上げてくる。
ベッドの鉄製パイプ・フレームは、それら上下二方向からの衝撃に挟み撃ちに耐えきれずに真ん中から真っ二つに折れた。私は葉子ちゃんを抱えて守りながら、意図的に床へ転がり落ちた。叩き付けられるなら角や突起のありそうな不整地よりも平らな床の方が幾分ましだ。
私の擬体なんかは壊れても取り返しが付く。だって、ただ新品と交換すれば良いのだから。でもこの娘だけは交換が効かない。この世界でただ一つだけの掛け替えのない魂なんだ。
その時、何が起こっているのか直感で理解した。地震だ。それも直下型の。それも相当に大きい。これじゃ、校舎が崩れる! これじゃ耐震設計なんか何の役にも立たない。
とにかく、葉子ちゃんを連れて屋外へ避難しないと!
第二小脳、屋外へ通じる安全な移動ルートを検索!
だが、それは無駄だった。
ばきばき!
ぴんぴんぴん!
複数の何かが断裂する音が聞こえた。本当に耐震設計は役に立たなかった。確か、耐震基準は2次設計で"震度6の横揺れに崩壊しない"だったかな? え? 地震加速度600ガル※を突破? 嘘っ!
そこから先は電脳における第二小脳とのコミュニケーションに移行していた。特殊なホルモンを脳内で分泌することで、たった1秒の間に、実感で1分以上の経過速度まで思考が加速できる。だたし、これは生体脳への負担がとても激しいので、本当の非常時にしか発動しないシステムだ。
つまり、第二小脳は絶体絶命のピンチと認識して、私の表面意識に干渉して来たのだ。
ーーー緊急事態。初期設定に基づき、加速モードへの自動切り替えが実行されました。ユーザーの生命維持の危機と判定されました。
二人で野外へ脱出します。最適な移動ルートを検索、表示。
ーーー視覚、聴覚、加速度センサーから取得した情報を用いた未来予測によれば、95%の確率で直ちに天井が落下します。落下前に同伴者一人を伴う屋外への脱出は不可能。
では、屋内周辺移動可能な範囲で、二名が避難可能な安全地帯を検索。屋内で救助を待ちます。
ーーー二名が入り込める安全地帯は見当たりません。瓦礫に押しつぶされる可能性が大きいです。
どうすれば良い?
ーーーナヲミ様一人なら、全動力リミッターの解除によって屋外への脱出は可能です。ガイドしますか?
二人なら?
ーーー移動行程20%でタスク終了が予測されます。原因は重量過多の負担による擬体の腰と膝の関節の脱落。四歩目で擱座する可能性90%。
1名が入り込める安全地帯はある?
ーーー1カ所検出しました。座標提示。天井と床の間に25cmのクリアランスが期待できます。
そこで生身の人間は生命を維持できるか?
ーーークリアランスは25cmです。成人の平気的な頭蓋骨の大きさの保持者であれば頭蓋骨が骨折する可能性が高いと思われます。
天井から加わる圧力は推定できるか?
ーーー3〜4tと思われます。
何と言うことだ。第二小脳は葉子ちゃんを捨て置いて、私一人で脱出すれば助かると言っている。逃げるか?
否!
第二小脳へ命令。先ほど提示された安全地帯の指定座標へ同伴者を伴って移動。同伴者を下に、私を上に。できるだけ指定体位の通りに。私は同伴者の上で四つん這いになって落下する天井を支えて守る。そのために各部アクチュエーターの出力リミットを解除。関節サスペション機能を床から70cmのクリアランスでロック。
ーーーその場合、擬体が深刻なダメージを受けます。
すべてを許容。それから同伴者の保護と安全を最重要目的に固定。その為にこの擬体の破壊を厭わない。
ーーーその場合、生体部位に深刻なダメージを受ける可能性があります。よろしいですか?
直ちに実行。私の全身の制御を第二小脳に依託。
ーーー了解しました。新定義で擬体運用の実行を開始します。
そこから先は良く分からない。第二小脳って奴は私よりも擬体を速く、正確に動かしてみせた。葉子ちゃんを物の様に掴んで、指定座標まですごい勢いで投げた。たぶん打撲は受けてる。運が良くてもお尻とかアザになってるな(ごめんね)。
そして、気が付くと私は全身で葉子ちゃんを庇う姿勢で、四つん這いになって掌を膝を床に付けていた。
この間も地震の揺れはまったく止まらない。ものすごい上下揺れだ。間違いなく震源地は直下だな。
そして、3〜4tと予想される天井から加えられる圧力の到達を待った。もし、この圧力を受け損なえば葉子ちゃんは死ぬ(私もだけど)。こんなことなら非合法だけど通販で入手できるとか言う、軍用フレームとアクチュエーターに換装しておけば良かった!
明日の投稿分へ続く。
※2011年の東日本大震災で最大加速度記録は2933ガルです(宮城県栗原市築館町で計測。震度は7)。地球の地軸にズレが生じたと言われています。1995年の兵庫県南部地震で最大加速度記録は818ガルです。1923年の関東大震災だと330ガルとされています。ガルの大きさ以上に地震の揺れのパルス(周期)も建物被害の多少に影響します。建物の持ち合わせる固有振動周波数との相性で決まるようです。
ガルはこの公式で求められます。「 1ガル = 1cm/s^2 」。重力加速度(= 9.80665m/s^2= 980.665ガル)もこれで解が求められます。sに代入するのはSecond=秒です。
過去に地球上で観測された世界最大加速度記録は2008年の岩手・宮城内陸地震で4022ガル(岩手県一関市厳美町祭畤)です。
二次設計とは「建物の耐用年限中に1回発生するかもしれない地震」を対象とした耐震性です。大地震への対策を意味します。これは震度階Ⅵとして、300〜400ガルが想定されています。ガル以外にもカインという速度の単位が使用されます。




