(3)
ある地方出身の女子大生は晴れて都会の大学に進学が決まり、一人暮らしをする事となった。
念願の都会、念願の一人暮らし。
これから始まるであろう煌びやかな新生活に思いを馳せ、彼女は住み慣れた故郷を離れた。
そして彼女はとあるマンションを住居として決めた。
生活は順調だった。
マンションは大学から一駅離れてはいるが、決して苦になる距離ではない。さすが都会ともあって家賃は少々値は張るが、親からの仕送りに支えられている事もあって、新たに始めた近くの書店でのバイトとも合わせれば、生活していく上での苦しさはまるでなく、それなりに自分の趣味にも講じる事が出来る範囲での自由も得られた。
都会での同年代の人達に馴染めるかという不安もあったが、お陰様で友達にも恵まれた。遊びに行ったり、自分の部屋にも度々呼んでお泊り会をしたりもした。
順風満帆。
自分が正しい道に進めた事に、彼女は満足していた。
それに気付いたのは、ふとした時だった。
リビングの隅っこにぽっかり空いていた小さな穴。
――こんな穴、最初からあったかな……?
不思議に思いながらも、彼女はその穴を覗いてみる事にした。
どうやら穴は隣の部屋に続いているようだったが、穴の先に見える景色はシンプルであり、奇妙だった。
――赤?
穴の先に見えるのは、一面の赤だった。
何なのだろうかと不思議ではあったが、考えた結果何かのポスターか壁紙のような物が貼られていて、その色が見えているのだろうという事に落ち着いた。
自分の部屋と隣の部屋がこの小さな穴を通じて繋がっているというのはあまり気持ちの良いものではなかったが、向こうからこちらの生活が見えているわけでもなさそうだと思い、あまり彼女はその穴について考えないように努めた。
だが、そんな物を見つけてしまった手前、なかなか気にしないようにするのも難しく、彼女は度々その穴を覗いた。
が、結局見える光景はいつもと同じ赤色だったので、その度彼女は考え過ぎだなと安堵した。
しかし、彼女はもう少し安心を得たかった。
――隣に住む人物は一体どんな人なのだろう?
彼女は大家さんに隣の人物に関して聞いてみる事にした。
「すみません」
「ん? どうかしましたかい?」
齢70程だろうか。ここの大家であるその老婆は彼女の姿を確認すると、眉間に更に皺を寄せ、面倒くさそうな表情を隠す事なくこちらに向けた。
「あの、私の隣に住んでいる人の事をちょっと教えて欲しいんですけど」
「隣? あんたの隣っていや、203号室かい。ああーあのグラサンかけた派手な女性がいるとこか」
そういえばそんな女性を何度か見掛けたことがある。
普段いつもそうなのかは知らないが、確かにサングラスをかけていた記憶はある。
「ああでも、彼女はここの住人じゃないよ。よくここには来るけど、住んでるのは別の人間だ」
「別の?」
「ああ、至って普通の真面目そうな男だよ」
「へえー、そうなんですね」
彼女自身はその存在を見たことはなかった。
という事はつまり、あのグラサン女は男と親しい仲で通い婚のようによくここを訪れているという事か。
男という点で少し不安を覚えたが、大家の言う通りだとすれば害はない人物のようだ。
「そうですか。ありがとうございました」
――気にしすぎだったか。
そう思い、背を向け歩き出した。
「ああー、そういえばね」
背中で大家の大きな声が聞こえ、彼女は振り向いた。
「何です?」
「そういえば、一つだけ」
あまり大っぴらには言えない事なのだろう。大家がこちらに手招きをするので彼女は再び大家の元に近寄る。
「もっと近くに」
十分に声が聞こえる距離まで来ているのに大家は更に距離をつめるように求める。
そんなにも言いにくい事なのだろうか。
「これは、あんまり人には言わんで欲しいんだがね。本人も嫌がっているし」
「はい、それで?」
「病気なんだよ」
「病気?」
病気。一瞬本当に聞いてよい内容なのかと不安になるが、ここまで来て聞かずに帰るのも後味が悪い。彼女は大家の言葉を待った。
「目がね。普通と違うんだよ」
「目?」
「真っ赤なんだよ。目が。充血してるとかそんなんじゃないよ。本当に真っ赤なんだ」
「……真っ赤」
「ああ、唯一それぐらいかね。特徴的なのは」
――真っ赤。真っ赤。真っ赤……。
彼女の頭を赤が支配していく。
それと共に、信じたくない事実が口を開き始めている事に気付いた。
――ちょっと待って……じゃあ……。
部屋に空いた小さな穴。
こんな事を聞いた事がある。
ダムは僅かな針の穴程度でも決壊してしまう。
大量の水が壁を壊し、全てを飲み込んでいく。
開いた真実の口は、すでにずっと前から彼女を頭からつま先まで飲み込んでいたのだ。
いつも見ていたあの赤色。
あれは、隣の住人の瞳そのものだったのだ