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地雷原に住む少女(一)

峠をいくつか越えて、だだっ広い草原に出た。杉木立の陰から飛び出したばかりで、照りつける直射の日光に眼が慣れるまで、時間がかかる。

 三秒ほどを数えるうちに、やがて視界のホワイトアウトは消え去り、抜けるような高い青空が、遠く綿雲を浮かせていっぱいに広がる。その下にはさわさわと、初夏の風を受けてそよぐ背の低い草が茂り、地平線まではぽつりぽつりと、点在する灌木の林のほかにはなにもなかった。

俺は少しだけ息を飲み、そして深呼吸をする。ここ最近は山の中ばかり走っていたので、こういう景色は久しぶりだ。峠と違ってアップダウンも、切れ込むコーナーもない。視線の奥まで、ずっと一直線の舗装道路が伸びていて、気分がやや楽になった。

しかしそうやって気を抜いた途端に、突然フロントタイヤが跳ねる。サスペンションがぎしぎし唸って、反射的にハンドルを立てなおした。遅れてシートの上の尻に激しい突き上げ。荷台の荷物が落っこちそうな衝撃だ。

「なんだぁ今のは……?」

 俺はまたがっていたオートバイを路肩に寄せて停まった。満載の荷物のむこうに首を伸ばして、今しがたのショックの原因を確かめる。

「うわ、コケなくてよかった」

 それは巨大な穴だった。十五センチほどであろうか、アスファルトの路面がえぐられたかのように陥没している。突っ込むまで気付かなかったのは、その外縁部分にも雑草がびっしり生えていたせいだ。

「……あんだけデカい穴だと、下手したらパンクしたかも」

 ややぞっとして、俺はエンジンを切った。スタンドを立てて、タンクをまたいで降りる。エンジンの排気音が止まったせいで、一瞬、周囲から音が消えたような錯覚に陥った。

「やれやれ……」

 歩き回ってホイールを眺めたが、特に異常はない。念のためにタイヤを蹴りつけてみたが、別段問題はないようだ。

 気を取り直してシートに戻ろうとしたが、しかしどうせこんな場所で停まってしまったのだ。いったん休憩にしよう、と思う。

 ポケットから取り出した煙草に火をつけて、すうっと煙を吸い込んだ。

「……ぷはぁ、うめえなー」

 独り言が多いのは、シングルライダーの癖である。もともと他人連れの旅は嫌いだが、それでも走り続けて一カ月以上が経つと、どうしても喉を動かしたくなるものだ。

 遠くでヒバリが高く鳴いている。

 それ以外には、吹きわたる風の穏やかな音しかしない。

「平和だなぁ……」

 一人ごちて、ふと気付いた。

 路面の向こうに、同じような穴が空いているのだ。

「うわ、あれもでかいな……っと、あそこにもある」

 道路の穴はひとつふたつではなかった。気付けば反対車線にも、大小無数の陥没が存在している。

「……」

 この道路は、現在ほとんど使われていない。この先にはまた別の街があるが、そこへ行く人間は南にある山道を行く。そうなったのは十数年前のことらしい。

「なるほど、こりゃ廃道だわな」

 峠を越える前の集落で、燃料補給に立ち寄ったガソリンスタンドの店主が、この道を行くのをひどくとがめたのだった。

「あの道はもう使われとらん。行かんでもいい」

 温厚な老人であったが、なぜか語気が強い。しかし俺はこの先に用があるわけで、その旨を説明してもなお、店主は頑なに行くなと言った。

「……あそこは人間の行く場所じゃない。解らんだろうがな」

「解らんな。平和なとこなのに」

 老人の言葉を思い返しながら、俺は煙を吐きつつ周囲を見回した。人工物は道路のほかにまったく見えないが、しかしよく観察してみると、道端に腐った木材のようなものが落ちている。

 何気なく近寄って確かめると、それはどうやら看板のなれの果てのようで、平たい板にうっすらと文字が読めた。

「じ、ら、い、げん――地雷原。ほほう」

 そこでようやく合点がいった。ここは戦場だったのだ。

「するとあの穴ぼこは、ただの陥没じゃねえな……」

 よくよく見れば、道路の穴はただのひび割れという風でもない。綺麗な同心円を描いた、それはまさしく砲弾の跡である。

「このサイズだと戦車砲か? それとも迫撃砲かしら――どっちにしろすげえ数だな。何人死んだことやら」

 恐らくは、この草原の中に戦車やトーチカの残骸も残っているのだろう。今は植物に覆い隠されて、小山のようにしか見えなくとも。

「ま、しかし関係はないわな」

 道路が舗装されたのは、ここが戦場になった要因であろう、あの大戦争のはるか前。すなわち恐るべき対人地雷も、アスファルトの下には埋まっておるまい。道路からはずれずに走ればいいだけの話。

 すっかり短くなった煙草を投げ捨てると、俺はオートバイにまたがって、エンジンをかけた。ごろごろと鳴るシリンダーは、今日も調子がいい。

 滑るように走り出した。

 しばらくは穴を避けつつも、ゆったりとした旅が続く。相変わらず空は晴れ渡り、ぽかぽかした陽気が心地よい。

 いい加減上着の皮ジャケットを脱ごうか、などと考えていた、休憩から三十分後。視界に何かが横切った。撥ねてしまうような距離ではない。もっと遠くに。

 最初はウサギかなにかの小動物かとも思った。だが、その影がふたたび道端に現れると、そんな認識は吹き飛んでしまう。

「ありゃ、人間だ……」

 俺が姿を認めたことに気付いたのか、人影はぷいと後ろを向いて、草原の中へ入っていった。アクセルを開けて追いついてみれば、道路から草原の中へ、草を倒したような細い道が続いている。さほど遠くないところに、見間違いではなく、やはり背の低い人間が歩いてゆくのが見えた。

「おーい!」

 声をかけてみる。返事はない。

 一瞬迷った。が、俺はハンドルを切って道路から離れると、ギアを落として小道を進む。がたがたと不穏当に車体が揺れるたびに、すわ地雷かと身構えた。しかし前方の背中はぐんぐんと近づいてきて、彼の足音が聞こえるまでの位置にたどりつく。

「おーい、そこの――」

 再度、声をかけた。と同時に、彼はこちらを振り向いた。

 ――黒髪をひとつにまとめ、オリーブ色の作業服のような服を着ている。腰には拳銃のホルスターとボウイーナイフを提げ、重そうな黒革のブーツを履いていた。顔は――切れ長の眼は大きく、細いあごの中の口もとは引きしめられている。しかし、そんなことよりも驚くべきは――。

「……なんか用か?」

 高くはない声。だが、けっして男の声ではない。

「驚いた。こんなところに女の子がいる」

 思わず声に出すと、彼――彼女は不審げに眉を上げた。

「確かに私でも驚くよ。こんなところで女に会ったら」

 そうしてはにかんだように笑った。

「人に会ったのは久しぶりだ。旅人さんかな? よければ珈琲くらい出してやるけど」

 この草原のど真ん中で? とは考えたが、まずは好奇心が先に立つ。

「……そうさせてもらうよ」

「よし、じゃあまずはそのバイクのエンジンを切ってくれ。先に行かれたんじゃかなわない」

 素直に従って、俺はシートを降りた。重いが仕方ないので、オートバイを押して歩く。

「大丈夫、すぐそこだから」

 跳ねるように歩きだす、彼女の歩調は軽やかである。

 ここがどんなところかなど、気にもせずに。

 ――彼女の家は、舗装道路が背後に見えなくなったころ、ぽつりと現れた雑木の茂みの中にあった。

「……家か? これは」

 スタンドを出してオートバイを停め、しげしげと俺はそれを見つめる。ツタや低い樹木に半分以上の面積をおおわれているが、そうでない部分には灰褐色のコンクリート地が覗いている。

 全体は伏せたお椀のようで、腕がようやく入るかといった横長の細い窓から、太い金属棒が飛び出していた。どうやら対戦車砲らしい。

「一応、今はそうなんだ。見ての通り、もとはトーチカだけどな。トーチカって知ってるか? 簡単な要塞みたいなものだけど」

 もちろんトーチカが何かは知っていたが、トーチカに住む女の話というのは、聞いたことがない。

「どうぞ、ここが玄関」

 案内されたのは、重い鉄扉のついた横穴。そこに身をかがめて潜り込む。

「おお、こりゃすごいな」

 感嘆の声を上げたのは、内部がもともと軍用施設だったとは思えないほどに、小奇麗な雰囲気の居間だったからだ。壁こそは打ち放しのコンクリートだが、天井までの大きな棚に、ちいさなテーブルと椅子。隅にはベッドが据えてあり、対戦車砲の機関部は作業机になっているらしい。木くずやノコギリが乗っていた。

「お客さん第一号だよ。よろしく。あんたの名前は?」

「サイジョウ。見ての通りの、何だろうな……旅人かな?」

「私はクシハラ。どうぞ、座って――ありゃ椅子が足りないな。ちょっと待ってね」

 クシハラと名乗る彼女は物陰をごそごそと漁って、おそらくは弾薬箱を引きずりだすと、埃を払ってにっこり笑った。


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