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短編小説

『本日の死亡確率です』

作者: うわの空

 あなたは、自分の『死亡確率』を御存知だろうか。

 あるいは自分の些細な行動によって、他の誰かが死んでいるかもしれないと意識したことがあるだろうか。



 中学一年の朝、俺はテレビを見ながら学校へ行く準備をしていた。窓の向こうに見える空はどんよりとした鉛色で、今にも雨が降りそうだ。ただ、昨夜見たニュースでは、今日の天気は曇りのち晴れだと言っていた。降らないかもしれないが、降ったら相当寒くなるだろうなと思う。最近、本格的に寒くなったせいか、風邪をひいている同級生も多い。

 俺が見ている番組では、七時五十分から天気予報が始まる。俺は毎日それを観て、その後に続く占いコーナーを何の気なしに観てから、八時ちょうどに家を出ていた。その日も勿論そのつもりで、更に言うと傘が必要かどうかをチェックしたくて、天気予報のコーナーを待っていた。


「それでは、お天気のコーナーです」


 ――始まった。俺がテレビに集中しようとした、その時だった。


『本日の死亡確率です』


 テレビの声に重なって、聞き覚えのない女の声が降ってきた。


「え?」


 思わずテレビ画面から目をそらし、あたりを見渡した。が、リビングには俺以外誰もいなかったし、テレビの方は問題なく天気予報を続けていた。……午前中は小雨が降るが、午後からは晴れるでしょう。


『あなたがいつも通りの時刻に家を出れば、本日のあなたの死亡確率は1%です。

 ただしその場合、他の人間が100%死ぬでしょう。

 いつも通りの時刻に家を出なければ、あなたの死亡確率は90%にまで跳ねあがります。ご注意ください』


 天気予報と同時に聞こえなくなった声に、俺は首をかしげた。時刻はちょうど七時五十五分。いつもはこの五分後に家を出るが、今日に限って出発準備が整っていた。


『――いつも通りの時刻に家を出なければ、あなたの死亡確率は90%にまで跳ねあがります。ご注意ください』


 テレビの天気予報と同時に、ぷつりと途切れる声。何も知らないテレビは番組を続ける。――それでは、本日の占いです。


「…………」


 なんの気なしに見ていた占いを少し注意深く見てから、俺はいつも通りの時刻に家を出た。



 近所のおじさんが事故で亡くなったと知ったのは、それから数時間後。亡くなった場所は、俺も使っている通学路。居眠り運転をしていた対向車に撥ねられ、即死だった。

 ――もしかしたら、俺が事故に遭っていた可能性もある。いや、


「……嘘だろ」


 俺は耳をふさぐ。あの時、誰かが言ったんだ。


『あなたがいつも通りの時刻に家を出れば、本日のあなたの死亡確率は1%です。

 ただしその場合、他の人間が100%死ぬでしょう』


 そしてあの時、俺が、選んだ。




「――それで?」


 俺の話を静かに聴いていた彼女が、続きを促した。濡れた植物と、水を吸い込んだ土のにおいが、辺りを覆っている。大学の食堂にあるテラスは、こういう雨の日には誰もいない。だからこそ、内緒の話をする時にはうってつけだった。

 俺は小雨が屋根を叩く音を聞きながら、ゆっくりと息を吐き出す。


「……こんな話、信じるのか? 大学生にもなって」

「じゃあ、嘘なの?」


 すっかり冷めたホットコーヒーをすすりながら、彼女は首をかしげた。俺はすぐさま否定する。


「嘘じゃない。そういう意味じゃない。……けど知ってるだろ、俺は精神科に通ってる。今のは全部、ただの妄想かもしれないじゃないか」

「精神科に通ってる人は、妄想ばっかり話すの?」

「ちがっ……いや、分からない」

「じゃあ、私にも分からない。でもあなたが本当の話だというのなら、私はそれを信じる」


 コーヒーの入っていた紙コップをぺこりと凹ませると、彼女は微笑んだ。そして続けた。


「それに、そのおじさんが亡くなったのは、あなたのせいじゃない」

「けど、」

「そうやって自分を責めないで。何度でも言うよ、あなたのせいじゃない。だってそれは」

「違うんだ!」


 思わず声を荒げると、彼女はきょとんとしたような、それでいてどこか寂しそうな顔をした。その顔を直視できなくて、俺は俯く。雨にあたる植物が、身体を震わせてこちらを見ている。まるで、俺を嘲るかのように。


「誰かが俺の死亡確率を言ってきて、俺はそれを回避し続けて。……何度かそういうことが続いて、だから俺は、その予報が『本物』だと知っていたんだ。なのに俺は」


 彼女は待っている。俺の言葉を。彼女は、嗤わない。


「俺は、家族も殺したんだ」 




『本日の死亡確率です』


 中学三年の秋。部室へと向けて歩いていた俺に、突如それは訪れた。俺は足を止めて、目を見開く。女の声は淡々とした口調でそれを続けた。



『あなたの家が、間もなく火事になるでしょう。

 あなたの家族の死亡確率は、100%です。


 あなたが今すぐ帰宅した場合、10%の確率で家族は助かります。

 ただし90%の確率で、あなたも一緒に死ぬ事になるでしょう。


 あなたがこのまま部活に参加した場合、家族の死亡確率は100%、あなたの死亡確率は2%です。


 どちらを選ぶかは、あなた次第です。家に戻る場合は、くれぐれもご注意ください……』




「――10%もあったのに」


 部活の途中で顧問に呼ばれ、大急ぎで家に帰った。本当は全て知っていたくせに。


「なのに俺は、それに賭けなかった! 自分を守るために家族を捨てたんだよ! 自分だけ助かりたくて、当たらない天気予報みたいにその『予報』を無視した! その予報は絶対だって、本当は知ってたくせに!!」


 手術室から無念の表情で出てきた医師に、家族は助からないのかと縋りついた。――助からないと、知っていたくせに。


「家に帰ればよかったんだ! 死んでしまってもいいから、10%に賭けるべきだった! いや、いっそのこと一緒に死んでしまえば」

「そうしてたら!」


 俺の言葉を遮って、彼女が叫んだ。痛々しいくらいにひび割れた、泣き叫ぶよな声で。彼女の両の手の中で紙コップはぐちゃぐちゃに潰れ、けれども彼女はそれをとても大切そうに握っていた。

 

「……そうしてたら、私はあなたと出会えてなかった」 


 それから小さな声で、こんな言い方しかできなくてごめん、と付け加えた。




 彼女の言葉を頭の中で反芻しながら自宅の天井を、そこにあるシミをぼんやりと眺める。引っ越してきた当初は小さかった灰色のシミは、だんだんと大きくなり始めていた。


 ――そうしてたら、私はあなたと出会えてなかった。


 それでも。


「……ごめんな」


 俺のためにそこまで言ってくれる人がいても、その人の言葉よりも予報ばかりを聞いてしまうんだ。

 

「ごめん」


 1%でも可能性があるのなら……なんてよく言うけれど、『10%の確率で雨が降る』と言われて、傘を持っていける人間はどれくらいいるのだろう。


『本日の死亡確率です』

「うるせえよ」


 もう気付いてるんだよ。


 自ら死ねば、死亡確率も選ぶ必要も何もないんだって。





「……返事こないねー」


 私の携帯を見ながら、友人がため息をついた。私にとって彼女は唯一、小学生の頃から付き合っている人間なので、親友と言ってもいいかもしれない。

 私は送信したまま何の反応もない携帯をつつきながら、首をかしげた。


「んー。まだ寝てるのかなあ」

「ちぇっ。せっかくあんたの彼氏に会ってみたかったのに。彼の家、ここから結構近いんでしょ?」


 友人はぶつぶつと文句を言っていたが、すぐに頭を切り替えたらしく「で、彼氏ってどんな人?」と訊いてきた。私は先ほどと同じように「んー」と間延びした返事をしてから、


「なんて言うか、ちょっと不思議ちゃん?」


 不思議な言葉を返した。


「どういうところが」

「天気予報に敏感なとこ?」

「なにそれどういう趣味」


 けらけらと笑う友人の横を、車が一台通り過ぎた。その車が珍しく感じられるくらい、昼過ぎのこの時間、ここら辺はしんと静まり返る。朝と夕方には学生やサラリーマンが行き交う道でも、昼や夜だと表情が変わるものだ。私は苦笑しながら、友人にどう説明しようかと考えた。


「えっとね。なんか、確率とかそういう言葉が嫌いみたいで」

「数学が嫌いってこと?」

「そうじゃなくて……」



『本日の死亡確率です』



 聞き覚えのない声と同時に、聞き慣れた声の甲高い悲鳴。叫ぶようなブレーキ音と、何かを強く叩いたような鈍い音。急ブレーキをかけたかと思えば、怯えたかのように走り去る車。

 ――私の隣にいたはずなのに、数メートル先に飛ばされ、血まみれになっている友人。

 その中で淡々と話を続ける、女の声。


『あなたの大切なひとが本日、自殺を図りました。

 放置した場合の死亡確率は100%ですが、今すぐ救急車を呼び応急処置を施した場合、死亡確率は10%にまで低減するでしょう。


 また、本日同刻、あなたの大切な友人が事故に遭いました。

 こちらも放置した場合の死亡確率は100%ですが、今すぐ救急車を呼び応急処置を施した場合、死亡確率は10%となります。


 ただ、現在その地区で出動できる救急車は、一台しかありません。

 また、救急車を呼べるのは現在、あなたしかいません。

 どちらに救急車を要請するかは、あなた次第です。


 あなたが彼を選んだ場合は友人の、友人を選んだ場合は彼の死亡が確定します。ご注意ください』



 ――はね飛ばされた瞬間の悲鳴は呻き声になって、私の耳に届く。痛い、痛い、たすけて。死にたくない。



『繰り返します。あなたの彼が、自殺を図りました。同刻、あなたの友人が事故に遭いました。出動できる救急車は現在、一台しかありません。死亡確率は現在、両者とも100%ですが、今後はあなた次第です』


 繰り返される予報と、彼の、言葉。


 ――その予報が『本物』だと俺は知っていたんだ。その予報は絶対だって、本当は知ってたくせに。


「あなたのせいじゃない。あなたの……」

『あなたの判断によって両者、あるいはどちらかが確実に死にます。ご注意ください』



 けれどこれから起こる事は、私の選んだ、――――。




  

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[良い点] 短編として濃縮された深い作品。 連載でもイケるが、救いが無い作品となるだろうから、バッドエンド確定になりそう。 視点が彼から彼女へ、伝染病のような恐ろしさを感じました。彼女の判断が気に…
[一言] この世の未来はすでに確定している人は確定した未来を進み続けている。 全ては必然であり偶然など存在しない。 私はこの予報とってもありがたいものだと思いますけどね。 だって教えてくれなければ彼…
[一言] 続きが想像できなくて、ハラハラドキドキしながら、読みました! おかげで睡眠じかんが……。 とても面白かったです!
2013/01/18 02:44 退会済み
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