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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

先生の水たまり

掲載日:2026/08/17

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 物語は人生の縮図である。

 むかし、うちの先生が言っていたことだ。先生もこーちゃんみたいに物を書くのが好きだったんだが、特に人の生き様と死に様をよくテーマとしていた。

 生まれてからどのように生き、そして死んでいくか。どんないいやつでも、死ぬときはぽっくり死ぬ。唾棄すべき悪党でも、脅威の悪運で最後の最後まで生き延びることがある。

 読む人によって受け取り方は異なるだろうが、先生は生き死にとは、往々にして美しいものばかりとは限らない……と、言いたかったんじゃないかと思う。

 なんでこんな話をしたかというと、今日が先生の命日でね。ちょっとお墓参りにいくとともに、先生のおうちにも顔を出してきた。先生の奥さんとは、先生が健在のうちからいくらかお話をする機会があってね、今回もちょっとだけおしゃべりをしたんだ。

 生前の先生は、先に話したように「縮図」という言葉を何かとたとえに使いがちだったんだけど、どうやら仕事場である自分の部屋に対しても「世界の縮図」という表現をたびたび用いていたらしいんだ。

 奥さんも、旦那である先生が突飛な発言をするのには慣れている。でも縮図というのも、あながち妄言ではないかも……と思った体験があったとか。

 こーちゃんも、ちょっと耳に入れてみないかい?


 奥さんいわく、特に回数が多かったのが水たまりの存在だ。

 雨漏りがそこそこある家ではあったが、先生の部屋はややもすると、部屋の四隅にうっすらと池ができていたとか。

 しかし、それらの処理を奥さんがしようとすると、止められる。先生いわく、まだ観察段階だから、とのこと。


「ここの水たまりにも、生きているものがいる。彼らにとっては、すでに住処だ。一方的につぶされることも世の中ではあろうが、観察目的によって長らえることもある。いまはその観察のときだから、しばし待て」


 そういって、何日もそのままにしておくことがあった。ときおり、虫メガネで水たまりを注視している場合もあったらしい。


 必要ないと先生が判断したら、奥さんの手をわずらわせることなく片付けてしまう。

 奥さんとしては、すぐになくなるものもあれば、ネットのようなものをかけて長期間とっておこうとするものもあり、どのような基準があるのかは、いささか気になっていたらしい。

 そこで先生が出かけたおり、空いた部屋の中で、いまだ健在だった水たまりのひとつを調べてみようと思ったらしい。特に先生は、余人が近寄れないほどガードを固めていたわけではなかった。

 奥さんは、先生が普段からしていたように虫眼鏡を手に取り、そこを通して水たまりを眺めてみた。


 てっきり、視界いっぱいにミカヅキモやボルボックスみたいな微生物たちがうつるものと、奥さんは思っていたそうだ。

 しかし予想に反して、より拡大された水たまりとその下の床材と、無難な拡大風景が映される。でも、それだけならば夫がとっておくこともないだろうと、水たまりのあちらこちらへ虫眼鏡を向けてみた。

 すると、ときどき指でふさがれたかのように、目の前が真っ暗になってしまうタイミングがある。「ん?」と、虫眼鏡から眼を離して水たまりを見ても、やはり目立つ物体の姿はない。自分の指が虫眼鏡に当たっている感じでもない。

 そこからも奥さんは、何度も虫眼鏡をのぞいては、目の前をふさがれる……ということが幾度かあったそうだ。それでも正体はつかめず。


 やがて先生が帰ってきてから、奥さんは水たまりで見たものについて尋ねてみたそうだ。

 こだわりの強い旦那だから、怒られる可能性も考えていたそうだけど、特に機嫌を悪くするでもなく説明してくれたらしい。

 この部屋は世界の縮図となりはじめていると。そしていま、この水たまりたちの中で世界第二位に君臨するものたちが、生まれているのだとも。もちろん、第一位は先生たち部屋にいる人間のことらしいのだが。


「まだ観察途中だが、あいつがいる限りこの部屋にいる、私たち以外の生き物は存在を許されないように思えている。私たちのいない空間であったなら、あいつこそが頂点になるだろう。そこで何が起こるか確かめたいのだ」


 実際、例年なら蚊とその羽音に悩まされる夏場だというのに、この部屋のみは他の部屋と違い、静けさに包まれている。部屋の内外で世界が変わったかと思うほどの黙り具合だったとか。

 それだけなら、ただの偶然という線もなくもない。でも先生がためしに、ひもでしばったトンボを外から部屋の中へ持ってきたのだそうだ。

 トンボが部屋の中へ入ってきてから数秒。奥さんの目の前で、ぱっと姿を消してしまうとともに、小さな水音がした。

 トンボが例の水たまりに浮かんでいたんだ。先生の手元からの距離は数メートルあるうえに、しばったひもを解いた様子もない。

 トンボは水たまりの中で、いくらか暴れていたものの長続きしなかった。

 ひもの縛めから抜けたときと同じように、ひゅっといっぺんに姿を消してしまったからだ。ただ水たまりの中へ、透き通った羽の何片かが散り、それも後を追うタイミングでなくなっていってしまったのは見たのだとか。

 先生がなくなるまでの間、その水たまりはずっとキープされていたそうだ。けれども、いざ先生の葬儀が終わったとき、奥さんは何も手をくわえていないにもかかわらず、水たまりもなくなっていたらしい。

 先生がいなくなり、天敵のいた空間から消えた、水たまりの影。

 そいつはいま、どこにいるかは分からないが、より成長をとげたとき。今度はそいつの描いた縮図の中へ、人類が落とし込まれるのかもしれないな。

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― 新着の感想 ―
水たまりを「世界の縮図」として観察する先生の発想が不気味で面白かったです。最後に先生がいなくなった後の水たまりまで繋がる余韻も怖かったです。
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