第八話 封じた爪と、実技の洗礼
昼食を終え、俺たちは午後の実技のため訓練場へ向かった。みんなの少し後ろを歩いていた俺の横に、エヴリンが歩調を合わせてくる。
「今日は、あなたにとっては初回の授業です。決して無理はなさらないでください」
俺はこくりと頷いた。エヴリンは周りに聞こえないくらいの声で続ける。
「それと――昨日の“爪”も、使わないようにしてください。あの力は多分、今のあなたには大きすぎるものですから」
真剣そのものの声音だった。一瞬ドキッとしつつ、苦笑いを浮かべながら返す。
「大丈夫だよ。何度か試してみたけど、もう出せなくなってるから」
「それなら少し安心しました。……ですが、たとえまた使えるようになったとしても、人前では決して使わないでください」
「わかった。約束するよ」
「これは、私と蓮くん、二人だけの秘密です」
さらりと言われて、今度は別の意味で心臓が跳ねた。
「何やってんだー! 授業始まるぞー!」
前の方から、テオののんきな声が飛んでくる。
「はい。今行きます!」
「では、急ぎましょう」
エヴリンが裾を翻して駆け出す。俺も遅れまいと後を追った。
――きっと、前の世界の体育や部活動とは比べものにならないはずだ。
走りながら、俺は静かに覚悟を決める。
* * *
学園裏手のグラウンドに訓練場はあった。砂地が広がり、一部は石畳になっている。遠くには木製の人形や的、低い壁や障害物が点々と並んでいた。
ふと空を見上げると、上空一帯に薄い膜のようなものが張られているのがわかる。きっとあれが、昨日聞いた“魔術が外に漏れないようにする結界”なのだろう。
訓練場の周囲には観覧用なのだろう、段差とベンチがいくつも設置されていて、そこにはすでに何人かの生徒が腰を下ろしていた。ざわめきと砂を踏む音が、熱気といっしょに広がっていく。
授業開始の鐘が鳴る。しんと空気が引き締まったところへ、訓練場に一人の男が入ってきた。
重たそうな鎧に身を包んだ、大柄な男だ。鍛え抜かれた腕や首元には、頑丈そうな筋肉の上からでもわかる古傷がいくつも走っている。片目には斜めに傷が刻まれ、無精髭に縁どられた顔は、まさに歴戦の戦士といった風貌――。
あれが、噂のガイウス先生か。
思わず背筋が伸びる。ほんの少し、身震いした。
男は片腕を組み、集まった生徒たちをぐるりと見渡した。
「……全員揃っているな」
低くよく通る声が、訓練場に響き渡る。
「では実技の授業を開始する。ここにいる生徒の多くは、将来、騎士として働くことになるだろう。これは、その時のための訓練だ」
一歩前に出て、砂を踏む音がやけに大きく聞こえた。
「戦場でのミスは許されない。間違いが許されるのは、この場だけだ。――間違いを恐れず、死ぬ気でやれ!」
腹の底に響くような激励に、思わず背中がゾクッとする。
この授業が“遊び”じゃないことを、声だけで思い知らされた。
「今日の授業も、班ごとの実戦形式だ。まずは班に分かれてウォーミングアップ。しっかり身体を温めろ!」
号令と同時に、生徒たちは一斉に散っていく。俺もノア班のみんなの後を追おうとしたところで――。
「おい」
背中に、低い声が突き刺さった。
「お前が、異世界から来たっていうやつか?」
振り向くと、さっきの男――ガイウス先生が、真っ直ぐ俺を見下ろしていた。
「は、はい。星宮蓮といいます」
驚きのあまり、声が少し裏返りかける。
「俺はガイウス・ロウド・バーンレイド。元々は王国の騎士だったが、今はここの戦闘実技を任されている」
名乗りながらも、その視線は獲物を値踏みするように俺を観察していた。
「星宮。まずはお前の動きを見なければならん。お前はこっちで別メニューだ」
別メニュー――嫌な響きだ。どんな地獄が待っているのかと身構えつつ付いていくと、連れてこられたのは訓練場の一角、小さく区切られたスペースだった。そこには、数体の木製の訓練用人形が、等間隔に立っている。
「まずは動きを見せろ。人形の間を抜けて、奥の壁まで走れ」
短く指示が飛ぶ。
それだけ? と一瞬思ったところで――人形の肩が、ぎぎ、と音を立てて動き出した。
「動かなければ面白くないからな。大丈夫だ、殴られても死にはしない」
死にはしない、って……。
人形たちはぶんぶんと腕を振り回し始める。木でできているとはいえ、当たれば相当痛そうだ。
「――はじめ!」
号令と同時に、俺は一拍遅れて地面を蹴った。
(攻撃してくる人形を避ける。大丈夫、やることはサッカーと同じだ。ディフェンスを抜いていく感覚を思い出せ)
一体目が迫る。ぎぎ、とぎこちない動きで腕を振り上げ、俺に向かって振り下ろそうとした瞬間――。
腕の下、わずかに空いたスペースに、自分の身体を滑り込ませる。重心を低く、足だけでなく腰ごとひねる。
風を切る音が耳元をかすめ、次の瞬間には、人形の左側をきれいに抜けていた。
「……おお」
背後で、ガイウス先生の感心したような声が聞こえた。
(よし! うまくいった)
調子に乗りすぎないよう言い聞かせながらも、胸が少しだけ高鳴る。
二体目、三体目も、右へ、左へとフェイントを入れてかわしていく。足が勝手に動くような感覚のまま走り抜け――気づけば俺は、奥の壁に手をついていた。
壁に手をついた向こうで、ノアたちのいる方から、小さく歓声が上がった気がした。
テオがひょいっと手を振っていて、エヴリンがほっとしたように胸に手を当てている。
「でっ……できた……」
肩で息をしながら、思わず呟く。
ガイウス先生がゆっくりと近づいてきて、ぱん、と手を叩いた。
「なかなかやるじゃないか、星宮。動きは悪くない」
ほっと胸を撫で下ろす。まずは一つクリア、ってところか。
「次は、武器を持って動いてもらう。準備をするから、そこで待っていろ」
「はい」
言われるまま少し離れた場所で息を整えながら、さっきの動きを思い返す。
(……俺、あんなに動けたか?)
ディフェンスを抜いた時の感覚に近い。でも、今のはもっと“軽い”。全力で走ったのに、もう息もだいぶ落ち着いている。
(なんか……体のキレ、増してないか?)
自分の身体じゃないみたいな違和感と、ちょっとした気味の悪さ。その両方を抱え込んだところで、先生の声が飛んできた。
「準備できたぞ。こい!」
呼ばれて向かうと、そこには先ほどの木人形よりもさらに巨大な、土でできた人型の魔術人形が鎮座していた。
「こいつはゴーレム。実戦用の魔術人形だ。訓練用に出力は抑えてあるが――当然、こいつも動く」
先生はそう言って、俺に何かを放ってよこす。
咄嗟に両手で受け止めると、それは木でできた模造の剣だった。
「初めてのやつに、本物を持たせるわけにはいかん。重さも軽い。……星宮」
ガイウス先生はにやりともせず、淡々と告げる。
「当然、倒せるとは思っちゃいねえ。だが、顔に一発当てられたら、今日は合格だ」
条件はシンプルだ。けれど、目の前のゴーレムは俺の身長の倍以上はある。
「では――はじめ!」
合図と同時に、ゴーレムの目が赤く光り、ぎしぎしと土が軋む音を立てて動き出した。
巨大な相手。真正面から正攻法でいっても、まず勝ち目はない。
俺はゴーレムの正面を外すように、円を描くような軌道で走り出す。ゴーレムもゆっくりとこちらに身体を向け、追いかけてくる。
(体が回り切る、その一瞬……!)
ゴーレムの上半身がこちらを捉えようとひねられ、足の動きが一瞬遅れる。そのタイミングで俺は一気に踏み込み、木剣を振り上げた――が。
(重っ――!)
慣れない重さに、一瞬だけ振りが遅れる。そのわずかな遅れを埋めるように、ゴーレムの右腕が持ち上がり、木剣の軌道をがつんと受け止めた。
「っ……!」
衝撃が腕に響いた瞬間、反対側の左手が、土くれとは思えない速度で俺の胴を薙ぎ払おうとしてくる。
(まずい!)
慌てて後ろに跳ぶ。かろうじて一撃は避けたものの、着地に失敗し、砂地に足を取られて体勢を崩した。
視界が揺れる。膝が落ち、重心が前に倒れ――。
(やばい、次は避けられない)
迫ってくる土の腕。瞬間、森での光景がフラッシュバックする。指先がじわりと熱くなった。爪の奥で、黒い何かが蠢くような感覚――森で暴れたときと同じ、あの感触。
――あの爪があれば。出せれば、こいつにも――。
脳裏をかすめた誘惑を、エヴリンの声が打ち消した。
『人前では、決して使わないでください』
(……だめだ)
ここであの力に頼ったら、きっと戻れなくなる。
歯を食いしばり、俺はがむしゃらに木剣を振り回した。
構えも何もなく、ただ腕の力任せに、手に握ったものを前へ前へと――。
(……あっ)
次の瞬間、手の中の感触がふっと消えた。
すっぽ抜けた木剣が、情けない放物線を描いて空を飛び――
――ごつん。
間の抜けた音を立てて、ゴーレムの顔面に綺麗に命中した。
赤く光っていた目から、すっと光が消える。
土の体がゆっくりと揺れ、その場に沈黙した。
「…………」
自分でも何が起きたのかわからず、ただその場で固まる。
沈黙を破ったのは、ガイウス先生のため息まじりの声だった。
「最後のは、見れたもんじゃなかったが……」
がしがしと頭をかきながら、こちらに歩いてくる。
「一発当てれば合格だって言ったのは俺だしな。――合格だ。一応な」
「は、はい……」
なんとか合格はもらえたらしい。膝から力が抜けそうになるのをこらえる。
「だが、今のままじゃ戦場では生き残れん。授業には、毎回全力で臨め」
「はいっ!」
思わず、声が裏返る勢いで返事をしていた。
「次は班同士の対抗戦だ。星宮、お前は今日は見学だが――よく見ておけ。そしてイメージしろ。いつかそこに立つ、お前自身の姿をな」
胸の奥で、なにかが小さく鳴った気がした。
班のみんなは、戻ってきた俺を温かく迎えてくれた。
「なかなか悪くない動きだった」
まず、ノアが素直に褒めてくる。
「最後のアレ、笑いこらえるの大変だったよ」
テオが少し笑いながら言った。やっぱり見られていたのか。顔が少し熱くなる。
「でも……ちゃんと頭に当たっていたので……よかったと、思います」
クララが、視線をさまよわせながらも優しくフォローしてくれる。
「……」
カイルも、小さく拍手をしてくれていた。
「次は、私たちが蓮くんに見せる番ですね」
エヴリンの声を聞いた瞬間、胸の奥で決意が固まる。
(そうだ。この異世界で生きていくって決めたんだ。
俺も、いっしょに戦えるようにならないと)
強くそう心に刻み込んだ。




