第七話 魔猪シチューと、戦いの前ぶれ
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「では、食堂へ行きましょう」
アイリスに促されて、俺たちは教室を出る。
扉を開けて中へ入った瞬間、その光景に思わず目を見張った。
さっきまでいた寮の食堂よりも、さらに広くて賑やかだ。
高い天井からは魔道具の明かりがいくつも吊るされていて、昼間だというのに室内は不思議なあたたかさで満ちている。
厨房の奥では、火の魔術で鍋がぐつぐつと煮え、香ばしい匂いが一帯に漂っていた。
皿と皿がぶつかる音、笑い声、スパイスの利いた肉の匂い。
日本の学校にも食堂はあったけど、ここは「学食」というより、小さな食堂街みたいだ。
カレーのような匂いと、嗅いだことのない香草の匂いが混ざり合って、胸の奥が少しそわそわする。
長テーブルには、班ごとらしき塊で生徒たちが座っている。
食堂のカウンターの前には、トレーを持った生徒たちの列ができていた。
「私たちも並びましょう」
アイリスに言われて、俺もトレーを手に取り、列に加わる。
順番を待ちながら、カウンター上のメニュー表に目をやった。
獣肉の香草ローストプレート
魔猪シチューとパンのセット
蒼鱗魚のグリル・柑橘ソース添え
学園特製・冒険者風プレート
見慣れた単語と、見慣れない単語が半々でくっついている感じだ。
どれもそれっぽい名前はしているけど、「魔猪」とか「蒼鱗魚」とか、いちばん大事な部分がまるごと未知だ。
たぶん肉と魚なんだろう。……ドラゴンとかは混ざってないよな?
とりあえず、“魔”って付けないでほしい。
料理名の横には、「5ヴェル」「6ヴェル」と見慣れない文字が並んでいた。
「アイリス、この“ヴェル”ってやつは……」
恐る恐るたずねると、アイリスは首をかしげもせずに答えた。
「ヴェルというのは、この国の通貨です」
なるほど、金額か。……ってことは──。
「アイリス、俺、お金持ってないんだけど」
小声でそう付け足すと、アイリスは一瞬だけ目を瞬かせてから、首を横に振った。
「大丈夫です。生徒証があれば、食堂は無料で利用できます。この食堂は一般の方にも開放されているので、値段表示があるだけですよ」
「な、なるほど……よかった……」
ほっと胸をなで下ろして、周りを見回す。
言われてみれば、制服じゃない服装の人も何人か混じっていた。学園関係者か、外部からの客か、そのあたりなのだろう。
そんなことを考えているうちに、俺たちの番が回ってきた。
さて、どうするか。
異世界に来て、初めての「ちゃんとしたご飯」だ。
あまり攻める勇気はない。ここは無難に、魔猪シチューとパンのセットあたりか……。
意を決して、それを注文する。
トレーの上に乗せられたのは、見覚えのあるクリーム色のシチューに丸いパンが一つ。
小さなサラダと、みかんによく似た皮付きの果物がひとつ添えられている。
(なんだ、見た目はほとんど普通のシチューじゃん)
思わず肩の力が抜けた。
「では、私は自分の班に戻ります」
アイリスはぺこりと頭を下げ、そのまま人の波に紛れていった。
一人になった俺はトレーを持ったまま辺りを見回す。すると――
「おい、蓮。こっちだ」
少し低めの落ち着いた声が聞こえた。
声の主はノアだった。手を軽く上げて合図している。
俺は急いでそちらへ向かい、ノアたちのいる席に腰を下ろした。
「お、魔猪シチューのセットか。いいセンスしてるじゃん」
俺のトレーを見て、真っ先に反応したのはテオだった。
「一番馴染みありそうなのが、これかなって」
そう答えながら、ほかのみんなのトレーにも目を向ける。
「みんなのは、なんてメニューなんだ?」
「オレのは《冒険者風プレート》!」
テオが威勢よく胸を張る。
「このままサボってダンジョン行けるくらい、保存きくやつばっかだぜ!」
彼のトレーには、干し肉、固そうなハードパン、豆の煮込み、チーズがきれいに並べられていた。
まさに「旅の途中の食事」って感じの一皿だ。
「サボりは感心しないぞ」
ノアが静かにツッコミを入れる。
「俺のは、獣肉の香草ローストだ」
ノアのトレーの上には、鳥とも豚ともつかない肉のローストに、じゃがいもと温野菜が添えられていた。
香草の匂いがかなり食欲をそそる。見た目からしてスタミナがつきそうだ。
「私は、蓮くんと同じメニューです。そこにスープをつけました」
エヴリンのトレーには、俺と同じ魔猪シチューのセットに、透明なスープが一つ追加されていた。
「薬草のスープで、飲むと落ち着くんですよ」
「あ、サイドメニューとかもあるんだな……」
「……わ、わたしは……パン一つだけ、です。……少食で……すみません……」
クララは、少し申し訳なさそうな顔で言った。
「魔導書を読んでいると……つい、食べるのを忘れてしまって……」
「集中することはいいことですけど、ちゃんと食べないと倒れてしまいますよ」
エヴリンは、ほんの少し眉を下げながら優しくクララを心配していた。
その隣のカイルのトレーには、パンとソーセージが乗っている。
見た目は普通のソーセージだけど……何の肉なんだろう。
「……それ、何の肉なんだ?」
つい気になって聞いてしまうと、カイルはこちらをちらりと見た。
少しだけ沈黙したあと、ぼそっと一言だけ返ってくる。
「聞かないほうがいい」
聞かないほうがいい肉!?
ヘビか、カエルか、竜か? ろくな想像が浮かばない。
「いやいや、ただの豚肉だよ」
テオが笑いながら、肉の正体を教えてくれた。
なんだ、普通の肉じゃないか。
変に緊張していたのがバカみたいだ。
気が緩んだ俺の顔は、よほど間抜けだったのだろう。みんなが少しずつ笑っていた。
その中で、カイルだけは相変わらず表情ひとつ変えていなかったが。
改めて、自分のトレーに視線を戻す。
魔猪のシチュー。
見た目は、今まで食べてきたビーフシチューとほとんど変わらない。
(魔猪ってなんだ……やっぱ、あの森で襲ってきたやつなのか?)
頭に、あの禍々しい怪物の姿が一瞬よぎる。
そのイメージを振り払うように、恐る恐るスプーンをひと口すくって口に運んだ。
「……う、うまい」
思わず声が漏れる。
とろりとしたシチューは、少しスパイスが効いていて、けれどどこか懐かしい味がした。
魔猪の肉は、牛肉より少し歯ごたえがあるけれど、嫌な臭みはなく、噛めば噛むほど旨みが滲み出てくる。
異世界の食事だからと、無意識に構えていた心を、その一口がふわっとほぐしてくれた気がした。
気づいたときには、パンもシチューもサラダも、驚くほどきれいに皿から消えていた。
「お口に合ったようで、よかったです」
エヴリンが、少し安心したように笑う。
「午後の実技がもうすぐ始まる。蓮にとっては初めての訓練だ。気合を入れていけ」
ノアがそう言うと、テオが「しかも今日、担当ガイウス先生だしな」と肩をすくめた。
「そんなにすごい人なの?」
「すごいっていうか……まぁ、やってみりゃわかるよ」
はぐらかすような笑い方に、期待と不安が半々で胸の中に広がる。
俺たちは席を立ち、午後の実技授業が行われる訓練場へ向かった。
――異世界の「戦い方」を、実際に目にするために。




