第六話 ノア班と、最初の授業
「おい、起きろ。初日から遅刻は洒落にならんぞ」
寮長イルヴァンの声で、俺は目を覚ました。
「……もう朝か」
そうだ。今日から本当に、異世界での“いつもの日常”を始めなきゃいけない。
初日から遅刻なんて、笑えないにもほどがある。
「今日は、お前が世話になる班への挨拶があるからな。このまま共同寮に行くぞ。そこの食堂にいるはずだ」
簡単なパンとスープの朝食をたいらげると、俺と寮長は男子寮を出て、共同寮へ向かった。
共同寮の大きな扉の前に着く。
「じゃ、頑張れよ。おっさんは仕事があるからな」
そう言い残して、イルヴァンはひらひらと手を振り、あっさりと去っていった。
置いていかれた俺は、頼りになる大人の背中が見えなくなった瞬間、胸の奥にじわっと不安が広がるのを感じた。それでも覚悟を決めて、共同寮の扉を押し開ける。
中は朝からにぎやかだった。
長テーブルと椅子が並んだ広い食堂に、生徒たちの話し声が渦を巻いている。ところどころから、好奇心に満ちた視線がこちらに向けられているのがわかった。
(……やっぱ、もう“異世界から来たやつ”って噂になってるのか?)
そう思うと急に恥ずかしくなって、自然と歩く速度が早くなる。
ここにいるはずの班員を探して、きょろきょろと視線をさまよわせていると――。
「こちらです、蓮くん」
聞き覚えのある声に振り向く。
そこには、手を軽く振っているエヴリンの姿があった。その周りには、数人の生徒たちが集まっている。
俺はほっとして、急いでそちらへ向かった。
「おはようございます、蓮くん」
「おはよう、エヴリン」
「今日から、あなたの学園生活が本格的に始まります。蓮くんには、私たちの班に入ってもらうことになりました」
エヴリンがそう言うと、一人の男子生徒が一歩前に出た。
「君が星宮蓮か。話はエヴリンから聞いている」
落ち着いた低めの声だった。
「俺はノア・セドリック・グレンフォード。この学園の二年生で、班長をしている」
淡い金色の髪に、澄んだ青い瞳。
姿勢は真っすぐで、同じ制服のはずなのに、やけにきちんとして見える。
「オレはテオ・ランバート。回復だけなら自信があるから、怪我したら遠慮なく頼ってくれ!」
隣で笑いながらそう言ったのは、太陽みたいな雰囲気の少年だった。
明るい金髪をくしゃっとさせた笑顔が、こっちまで元気にしてくる。
「わ、わたしは……クララ・ハートレイ……です。魔術には、少し……詳しい、つもりで……」
胸の前で本を抱きしめた少女が、おどおどしながら名乗る。
ふわっとした栗色の髪と眼鏡が、いかにも本が似合うタイプだ。
「…………」
そしてもう一人。
真っ黒なローブに身を包んだ少年がいたが、無言のままこちらを見ているだけだった。代わりに口を開いたのは、さっきのテオだ。
「こいつはカイル。カイル・ナイトレイ。見ての通り、超クールで無口。でも実力は本物だから、安心していいよ」
なるほど、と俺は内心でうなずく。
「あらためて、私がエヴリン・ロウェナ・エバーナイトです。副班長を務めさせていただいています」
エヴリンは胸の前で手を重ね、きちんと頭を下げた。
俺もつられて、慌てて頭を下げる。
相変わらず、ちゃんとしてる人だな……と感心していると、エヴリンが続けた。
「それから、もう一人。班のメンバーではありませんが、紹介させてください。私の妹です」
「アイリスです。よろしくお願いします」
エヴリンとは対照的な、雪みたいに白い髪と澄んだ青い瞳。
どこか儚げな雰囲気をまとった少女が、胸の前で両手をそろえてぺこりとお辞儀をした。
「蓮くんは、実技は私たちの班と一緒に受けてもらうことになっていますが、座学は一年生の内容から受けていただくので、アイリスと同じクラスにしてもらいました」
エヴリンが補足してくれる。
(実技は二年生、座学は一年生……頭こんがらがりそうだな)
「学園長が、『任せられるのは優秀な君たちの班しかいない』とおっしゃいまして。魔術は基礎からのほうが良いと私が提案しました。一年生には妹もいますし、と」
エヴリンは少し照れたように苦笑する。
「君のことは、俺たちの班でしっかり面倒を見よう。困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれて構わない」
ノアがそう言って、右手を差し出してきた。
「よろしくお願いします」
俺もその手をしっかり握り返す。
「さあ、そろそろ授業が始まります。行きましょう」
エヴリンの一言で、俺たちは朝のざわめきに満ちた食堂をあとにした。
* * *
一年生と二年生では教室が違うため、俺と班のみんなは途中で別れた。
最後まで一緒に歩いていたのは、エヴリンの妹・アイリスだった。
しばらく、並んで歩きながら沈黙が続く。
先に口を開いたのは、アイリスのほうだった。
「姉さんから聞きました。あなたは異世界から来た人なのだと。そして……姉さんに傷を負わせた人だということも」
ドキッと心臓が跳ねる。
「それは……本当に申し訳ないと思ってます」
情けない声で、俺は素直に頭を下げた。
「私としては、まだ許していません。けれど、姉さんにあなたのことを“頼む”と言われました。……だから、仕方なくです」
そう言うと、アイリスは抱えていた本を一冊こちらに差し出してくる。
それは、この世界の文字でびっしり書かれた教科書だった。
「座学のほうは、私が面倒を見ます。わからないところがあったら、聞いてください」
「……あ、ありがとう」
素直じゃないけれど、確かにそこには優しさがあった。
その複雑な好意を、俺はちゃんと受け取ることにした。
* * *
教室に入ると、すでに多くの生徒が席についていた。
半円形に並んだ机の前方には黒板ではなく、淡く光を放つ板のようなものが壁に埋め込まれている。
俺とアイリスは空いている席を見つけて腰を下ろした。
程なくして、教壇にひとりの女性が姿を現す。
ゆるく波打つ黒に近い焦げ茶色の長い髪を背中まで流した、落ち着いた雰囲気の先生だった。
大人びた紫の瞳が教室を見渡しただけで、空気がきゅっと引き締まる。
黒地に金の刺繍が入ったローブは体のラインに沿っていて、胸元は思わず目をそらしたくなるくらい大胆だ。
けれど、その微笑みにはどこか近寄りがたい鋭さも混じっている。
(多分、怒らせたらいちばん怖いタイプだ……)
俺はそう直感した。
「入学式はもう終わったけど、今日は新しい生徒がいるわね。なので、改めて自己紹介をしておきましょう」
女性はゆっくりと視線を巡らせながら、涼しい声で続ける。
「私はベアトリス・モルガーナ。この学園では、魔術を教えているわ」
簡単な自己紹介のあと、ベアトリス先生の視線がまっすぐこちらに向いた。
「じゃあ、新しく入った子も」
促されて、俺は立ち上がる。
「星宮蓮です。よろしくお願いします」
それだけの短い自己紹介だったのに、教室のあちこちから小さなざわめきが上がった。
「あれが噂の……」
「異世界から来たっていう……」
どうやら一日で、噂はかなり広がってしまったらしい。
顔が熱くなるのをごまかすように、俺は慌てて席に戻る。
「蓮さん、けっこう有名人なんですね」
隣でアイリスが、少しだけからかうような声色でささやいた。
表情だけは、相変わらず冷たいままだったけれど。
* * *
「新しい子もいるし、おさらいも兼ねて説明するわね」
ベアトリス先生は教壇に肘をつきながら、指先で軽く空中をなぞった。
「魔術は、この世界に流れる力を、自分の中の魔力と結びつけて形にする技術よ」
教室の全員の視線が、自然と先生の指先に集まる。
「ここで質問。この世界に流れているその力を、何と言うか。……わかる人?」
「魔素、です」
アイリスが、躊躇なく手を挙げて答えた。
「そう、正解。魔素。じゃあ次。詠唱の重要性について、おさらいしましょうか」
ベアトリス先生は軽く笑ってから、言葉を続ける。
「魔術を使用する際には、基本的に“詠唱”が必要になります。
魔術には、使用者の“イメージ”が欠かせないからよ。火、水、風、雷、土……それぞれの属性の魔術がどう発動し、どんなふうに振る舞うのか。それを具体的にイメージできて、初めて魔術は形になるの」
先生が指を鳴らす。
「そのイメージを手助けしてくれるのが、詠唱というわけ」
一呼吸置いて、ベアトリス先生が軽く片手を上げた瞬間──
教室の天井に、ぱっと火花が散った。
夜空に瞬く星みたいな小さな光が、いくつも、いくつも広がっていく。
「イメージを掴めれば、詠唱を省いて即座に術を発動させることも可能になるわ。……まあ、先生としては、いきなりここまでやれとは言わないけれどね」
ほんの一瞬の出来事だった。
だが天井一面に広がった“擬似的な夜空”は、生徒全員の息を呑ませるには十分すぎた。
「じゃあ今日は、みんなにも実際に魔術を使ってもらいましょう。簡単な詠唱を教えるから、ちゃんとメモしてね」
ベアトリス先生が指先を動かすと、教壇の後ろにある光る板──魔導板の上に、淡い光の文字が浮かび上がる。
まただ。
見たこともないはずの文字なのに、頭の中には自然と読み方が浮かんでくる。
(やっぱり、読めるんだよな。……思えば、言葉も普通に通じてるし。困ってはいないけど、なんか気味が悪い)
自分だけが違うルールで動いているような、妙な居心地の悪さを抱えながら、俺はノートに文字を書き写した。
「これは自分の掌に、小さな火を灯すための魔術よ。
イメージしながら、詠唱してみて」
昨日、エヴリンが見せてくれたのと同じ魔術だ。
あのときの炎を思い浮かべる。掌の温度、光の大きさ。できるだけ細かく。
隣では、アイリスが淡々と詠唱を終え、あっさりと成功させていた。
彼女の掌に、小さな炎が静かに揺れる。
「……さすがだな」
思わず見とれていると、アイリスがこちらを向いた。
「あなたも、やってみせてください」
促されて、俺も詠唱を口にする。
頭の中で何度もなぞったイメージを、そのまま言葉に乗せる。
……が、俺の掌に火が現れることはなかった。
「ダメですね」
アイリスは、特に責めるでもなく、ただ事実だけを告げる声で言った。
その表情には、ほんの少しだけ失望が混じっているようにも見えた。
「いつか、ちゃんと使えるようになるさ」
自分に言い聞かせるように、俺は小さく反論する。
そのあとも授業は続いた。
正直、聞き慣れない単語も多い。隣のアイリスは、そんなことはお構いなしに、魔導板の内容を一字一句漏らさない勢いでノートに写していく。
「最後に。魔術の制御を誤れば、竜禍の引き金にもなり得ます。
だからこそ、基礎がいちばん大切なんですよ。……今日やったことは、必ず復習しておくように」
ベアトリス先生の言葉と同時に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「ちゃんと理解できましたか?」
教室を出る前、アイリスが横目でこちらをうかがいながら尋ねてくる。
俺は、誤魔化してもバレると思い、正直に答えた。
「いや、わからないところも多かった」
「……ですよね」
アイリスは小さくため息をつき、それから、諦めたような、それでもどこか覚悟を決めたような声で続ける。
「頼ってくれと言ったのは私です。わからないところは、一緒に復習しましょう」
そう言って、きれいに整えられた自分のノートを俺のほうへ差し出してくれた。
「ありがとう。助かる」
心強さに、思わず笑みがこぼれる。
「このあとは食堂に向かいます。午後の実技に向けて、皆さんが待っているはずです」
「わかった」
俺とアイリスは、並んで教室を出て、食堂へ向かった。




