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第五話 男子寮で始まる、新しい日常

 

エヴリンは指先で火を消して言った。


「魔術は便利ですが、使い方を間違えると竜禍の原因にもなり得ます。だから、学園では正しい使い方と制御を、何よりも重視しているんです」


やはり竜禍というものは、魔術と切り離せない存在らしい。

そんなことを考えていると、訓練場のほうからひそひそ声が聞こえてきた。


「あれ、エヴリン先輩じゃない?」


「隣の男の人、誰?」


「なんか変な服着てる!」


一斉に向けられる視線。

人生でここまでじろじろ見られたのは初めてで、顔が熱くなる。


エヴリンは苦笑しながら、ちらっと手を振っていた。


「……エヴリン、目立ってきたから、次は別の場所案内してほしい」


俺の提案に、エヴリンは小さく笑った。


「では、次は図書館に行きましょう。あそこなら静かですし」


図書館へ向かう途中、エヴリンがふいに口を開いた。


「もう少し、気安く話してくれていいんですよ。私たち、年も近いようですし」


「でも、そっちこそ、ずっと固い喋り方じゃないですか?」


そう返すと、エヴリンの頬が、ほんの少しだけ赤くなった。


「私はこの喋り方に慣れてしまっているのです」


どこか拗ねたような、照れたような声音だった。


「わかったよ。これからはもう少し、ラフに話す」


そんなやりとりをしているうちに、目的地に着いた。


重厚な扉を押し開けると、視界いっぱいに本の「森」が広がる。

天井は高く、見上げると首が痛くなりそうだ。

窓から見えていた高い塔の正体が、図書館だったことをここで理解する。


「ここが学園図書館です。レグナリア国内でも、有数の魔導書の蔵書量を誇っています」


目録には、魔術理論書、竜禍研究、歴史書、他国の魔術研究──様々な分野の本が並んでいた。


館内を歩いていると、地下に続く階段が目に入る。

その前には「学生立入禁止」と書かれた札がぶら下がっていた。


「地下は学生立入禁止になっているんです。危険な魔術や、正当性の疑われる研究資料なんかが保管されているそうですよ」


「へぇ……」


さらに奥へ進むと、「竜滅の七星」「星環の七家」といった、聞き慣れない単語がタイトルになっている本も並んでいるのが見えた。

改めて本のタイトルを見て、ようやく気づいた。

そこに刻まれているのは、俺の世界では見たこともない文字だった。

……なのに、頭の中では当たり前みたいに「読み方」が浮かんでくる。

知らないはずの文字が読める。その事実が、妙に気持ち悪かった。

俺はわざと視線を本から外して、再び歩き出した。


ある程度見て回ったところで、エヴリンが口を開く。


「今日はここまでにしておきましょう。一度、救護室に戻りませんか。セシリア先生も待っているでしょうし」


「わかった」


俺は頷き、図書館をあとにした。


* * *


救護室に戻ると、セシリア先生と学園長が待っていた。

学園長の手には、制服と、薄い板状の魔道具──生徒証のようなものがある。


「星宮蓮。君の身分登録と入学の手続きが完了した。これが君の制服と生徒証だ」


学園長は生徒証を手渡しながら続ける。


「この生徒証があれば、学園内の施設の多くが利用できる。無くさないようにな」


「授業は基本、午前が座学、午後が実技だ。寮に入れば、生活の規則は寮長から改めて説明があるだろう」


俺は制服を受け取り、その場で袖を通した。

鏡はないが、布の感触と肩の重みが、自分が本当にこの学園の一員になったのだと静かに告げてくる。


「エヴリン君、悪いが、今日のところは彼を男子寮まで案内してやってくれ」


「はい。お任せください、学園長」


そんなやりとりのあと、俺たちは救護室をあとにした。


救護室の前で、再び二人きりになる。


「制服、似合ってますよ」


「そ、そうかな……まだ“着させられてる”って感じだけど」


まだ自分のものになりきっていない違和感に、思わず苦笑する。

エヴリンはくすっと笑って言った。


「これから慣れていけばいいんです。この学園で生きていく、自分の姿に」


そのまま、少しだけ言いづらそうに視線をそらしながら続ける。


「不安なことがあれば、私に相談してください。……私でよければ、ですけど」


「うん。たぶん、めっちゃ頼ると思う」


「歓迎します。私も、あなたに助けられていますから」


夕方の光の中、石畳の道を二人並んで歩き出す。

進む先に、男子寮の屋根が見えていた。


寮に着くと、そこには一人の男が壁にもたれて立っていた。


四十代くらいの男だった。

ぼさっと伸びた灰色の髪に無精ひげ。眠そうな細い目つきなのに、その視線だけは油断なく周りを見ている。

濃い色のロングコートは着古されているけど、裾まできっちり動きやすいように整えられていて、腰には使い込まれたポーチがひとつ。


だらしなく見えるのに、一目で「現場慣れしてる大人だ」とわかる雰囲気の人だった。


男もこちらに気づいたらしく、のそっと歩み寄ってくる。


「おー、お前か。噂の異世界から来たやつってのは」


「はい。星宮蓮っていいます。よろしくお願いします」


「俺はイルヴァン・ミストレイン。ここで男子寮の寮長をしている。女子寮の寮長のばあさんもいるんだが、今日は用事があるって言ってな、俺だけだ」


「イルヴァン寮長、彼に部屋を案内していただけますか?」


エヴリンが案内を頼むと、男は気まずそうに頭をかいた。


「悪いんだが、急な連絡だったもんでな。部屋の準備ができてねぇんだ。だから今日は俺の部屋で寝てくれねぇか」


仕方がないだろう。

見知らぬ異世界で、屋根とベッドがあるだけでも十分ありがたい。


「お願いします」


「よし、決まりだ」


寮長の部屋に案内される。

中にはベッドが一つと、作業机が置かれていた。


「悪いな。本来は俺一人用の部屋だからな。ベッドは使ってくれて構わない。今日一日だけ我慢してくれ」


「悪いが、食事も今日は用意できなかった。腹が空いたら、そこのパンを食ってくれ」


男はそう言うと、ひとまず部屋を出ていった。


俺はベッドに腰掛けた。

安心した途端、どっと疲れが押し寄せてくる。

今日一日、いろいろなことが起こりすぎた。謎の穴に吸い込まれ、怪物に襲われて、気づけば異世界の学園に入学だ。


「いったい、どうなってるんだよ……」


思わず、ぽつりとつぶやく。


「吸い込まれるときに、バッグも落としちゃったんだよな」


そんなことを言いながら、制服のポケットに手を突っ込んだ。


「ん?」


そこには、慣れた手触りのものがあった。

引っ張り出すと、竜のキーホルダーだった。


そうだ。部室で見つけて、そのままポケットに入れたんだった。


「お前だけか、ついてきてくれたのは」


不安だらけの異世界で、少しだけ心が落ち着くものだった。


安心すると、急にお腹が空いてくる。

俺は机の上に置いてあったパンを口に運んだ。

異世界の食べ物というだけで少し身構えたが、口に入れてみれば元の世界とよく似た味がした。


「おいしい」


夜になると、寮長イルヴァンが部屋に戻ってきた。


「今日は疲れただろう。明日から、お前の新しい生活が始まるんだ。今日は早めに寝るといい」


そうだ。

明日から、俺の「異世界での生活」が本格的に始まる。俺は布団に入って眠ることにした。

****

布団に入って目を閉じてみるものの、うまく寝付けない。

今日の出来事を思い返すたびに、かえって目が冴えてしまう。


頭の中で、訓練場で見た魔術の光景を何度も繰り返す。

あの中に、本当に自分も並んで立てるのだろうか。

考えれば考えるほど、不安が大きくなっていく。


目を開けて横を見ると、小さい火の魔術の明かりの中、イルヴァンはまだ机で何かの作業をしていた。


「なんだ、眠れないのか」


そう言うと、イルヴァンは一度部屋を出ていった。

しばらくして、手にカップを持って戻ってくる。


「ホットミルクだ。眠れないときにはこいつが一番効く」


カップからは、湯気と一緒にほのかな甘い匂いが立ちのぼっていた。


「いただきます」


一口飲むと、それは本当にただのホットミルクなのに、驚くほどやさしい味がした。


「明日からの生活が不安なんだろう」


イルヴァンは続ける。


「気持ちはよくわかる。俺もこの国の出身じゃないからな。初めてこの国に来たときは、不安で仕方なかったさ」


「寮長さん、この国の出身じゃないんですか?」


「ああ。お前と同じ“よそ者”だ。まぁ、異世界出身ってのとはだいぶ違うかもしれんがな」


イルヴァンは少しだけ笑った。


「なにか困ったことがあったら、その時は言ってくれ。お前の力になる。それが寮長としての俺の仕事だ」


「ありがとうございます」


そう答え、俺はホットミルクを飲み干した。


ベッドに戻ると、さっきまで冴えていた頭が少しずつ重くなっていく。

ホットミルクが効いてきたのか、まぶたが自然と落ちてきた。


(何も知らない異世界を知るために。元の世界に戻るためにも、頑張るしかないんだ)


そんなことを考えながら、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。


いよいよ、明日からが本当の意味での「新しい生活」の始まりなんだ。


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