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第一五話 甘い街と導かれた風

 エヴリンに案内されて角を曲がると、さっきまでよりも甘い匂いが、ふわっと一気に濃くなる。


「ここが“甘味通り”と、学生たちが勝手に呼んでいる一角です。学園からも近いので、よく利用されています」


 石畳の両側には、小さな屋台や店先がぎゅっと詰まっていた。油でこんがり揚がった生地に蜜をたらしている屋台、果物を細かく刻んで冷たいゼリーに閉じ込めた露店、氷の入ったグラスをかき混ぜながら、きらきら光る飲み物を売っている店──見ているだけで、もう糖分が体に入ってきそうだ。


(すご……)


 テンションが勝手に上がっていくのが、自分でもわかる。が、その直後に、ふっと現実に引き戻される。


「あ。……俺、お金持ってないや」


「大丈夫ですよ。今日は私たちがお小遣いをあげますから」


「誘ったのは俺たちだしね〜」


そう言って、みんなはそれぞれ銀貨を一枚ずつ、俺の手のひらに乗せてきた。

 小さな銀色の円盤が三枚。じゃらりと重みが伝わる


「30ヴェルも……さすがに多すぎないか?」


「いいって〜。今日くらいは気にせず食べて飲んで、レグナリアを味わっときなよ」


 テオはそう言うと、さっそく次の獲物をロックオンしたらしい。


「まずはあそこ!」


 勢いよく指さした先には、星の形をした一口サイズの揚げ菓子を山積みにしている屋台があった。


「いらっしゃい! 揚げたて星揚げパンだよ〜!一つ1ヴェルだよ!」


 店主のおばちゃんが、油からすくい上げたばかりの星形の生地に、とろりと飴色の蜜をかけていく。仕上げに粉砂糖をぱらり。


(間違いない。あれは絶対うまいやつだ)


 すでに俺は確信していた。


「四つください」


 ノアが迷いなく注文する。


「はいよ〜、四つで4ヴェルね」


 おばちゃんは慣れた手つきで、星揚げパンを紙袋に詰めていく。


「あれ? ノア、意外と甘党?」


「体力を使う訓練が多いからな。糖分の補給は大事だ」


 真面目な顔でそう答えたくせに、渡された星揚げパンをひとかじりした瞬間、わずかに目を細める表情は、どう見てもただの“美味しい顔”だった。


 揚げたての生地は、外がさくっとしていて、中はふわふわ。噛むたびに、蜜がじゅわっと染み出してくる。噛みきった端から、熱と甘さがじわじわ口の中に広がって、飲み込んだあとも、喉の奥にほのかに甘い香りが残る。


(ドーナツとも違うし、かりんとうとも違うけど……やばいなこれ)


「どうですか?」


 エヴリンに尋ねられて、思わず素直に答えてしまう。


「……危険な味がする。止まらなくなりそうって意味で」


 エヴリンがくすりと笑った。


「私も、食べ過ぎはいけないとわかっているのですが……」


 そう言いながらも、彼女の手はすでに動いていた。エヴリンは一口かじると、ほんのわずかに目を細めてから、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻る。


「俺もつい、食べすぎちゃうよね〜」


 そう言うテオの紙袋は、すでに底が見え始めていた。早い。


 星揚げパンを食べ歩きながら通りを進んでいくと、次に目に入ったのは、透明なガラス瓶をずらりと並べている小さな店だった。瓶の中では、青や紫や薄い金色の液体が、ゆっくりと渦を巻いている。


「ここは、“星雫ソーダ”のお店です」


 エヴリンが教えてくれる。


「星雫ソーダ?」


「魔素をほんの少しだけ閉じ込めた飲み物だ。一本、2ヴェル。刺激はあるが、害はない」


 ノアが補足を入れた。


 瓶の中の液体は、光を受けて星屑みたいにきらきらと瞬いていた。


「星雫ソーダ、一つ2ヴェルになります〜」


 店主の青年がそう告げると、テオが銅貨を二枚カウンターに滑らせた。


 栓を抜いた途端、小さなぱちぱちという音と一緒に、冷たい香りが立ち上る。


 一口飲んだ瞬間、舌の上で細かい泡が弾けた。普通の炭酸よりも、ほんの少しだけしびれるような感覚があって、喉を通るときに、胸のあたりがふわっと軽くなる。鼻に抜ける香りは柑橘ともハーブともつかなくて、飲み終わったあとも、口の中に冷たい星屑をひと粒残されたみたいな感覚が続いた。


「おお……なんか、体の中までシャキッとするな」


「魔術の流れを“整える”効果が、少しだけあるらしいですよ。疲れたときに飲むとすっきりします」


 エヴリンは自分の瓶を、両手で大事そうに抱えている。


(向こうの世界の炭酸飲料とも、エナドリとも違う……“異世界版のエナドリ”ってところか)


 星の形をした揚げ菓子と、星屑みたいな飲み物。


 さっきまで教科書と板書でしか知らなかった「竜滅の七星」とは違う、もう少しだけ穏やかな“星”の世界が、ここには広がっている気がした。


 気づけば、さっきまで「帰る方法」のことを考えていたのを、すっかり忘れていた。


(……こうやって、この世界に慣れていくのが、ちょっと怖いな)


 元の世界に帰らなければいけないのに、この世界を楽しんでしまっている。


星揚げパンと星雫ソーダのほかにも、果物ゼリーや焼き菓子の屋台を周りながら、甘い匂いの中をあちこち渡り歩いた。


 いつの間にか甘い匂いは少しずつ薄れ、代わりに、油と鉄と薬品の混じったような、独特の匂いが鼻をかすめる。


「……そろそろ、こっちの出番だな」


 ノアが少し真面目な顔に戻り、通りの少し奥を顎で示した。


 視線の先には、分厚い扉と、歯車や結晶のマークが彫られた看板。

 さっきまでの“甘味通り”とは違う、どこか無骨な雰囲気をまとった店が、一軒だけそこに構えている。


「あそこが、魔道具屋、蒼灯舎さんだよ〜」


 テオの声にうながされて、俺たちは星雫ソーダの瓶を飲み干し、それぞれ一度だけ息を整えてから、店の扉へと向かった。


重そうな扉の取っ手をノアが押し下げると、カラン、と小さな鈴の音が鳴った。


 外のざわめきとは切り離された、ひんやりした空気がふわっと肌を撫でる。


 中は、思っていたよりもずっと広かった。


 壁一面に棚が並び、瓶詰めの薬品、金属のリング、宝石のはめ込まれた杖、歯車むき出しの箱──形も大きさもばらばらな“何か”が、所狭しと並んでいる。天井からは淡く光る球がいくつも吊るされ、その光がガラスや金属に反射して、店内を不思議な色で満たしていた。


(これは、RPGで見た光景だ……)


 胸のあたりが、また少しだけ高鳴る。


「おう、いらっしゃい」


 カウンターの奥から顔を出したのは、がっしりした体つきの中年の男だった。茶色の髪には白髪が混じり始めていて、片方の袖はまくり上げられ、傷だらけの手首には古い革の腕輪が巻かれている。


 目つきは鋭いが、どこか寝不足の学者にも見えなくはない。


「今日は見物か、買う気はあるのか?見るだけならベタベタ触んなよ」


 ぶっきらぼうな第一声に、思わず背筋が伸びる。


「どちらかと言えば、後者だ」


 ノアが一歩前に出て、簡潔に頭を下げた。


「こちらの蓮に、初心者向けの魔道具を探しておりまして」


「ふん……新入りか。見ねぇ顔だと思ったら」


 店主の視線が、じろりと俺を舐めるように走る。

 値踏みされているような感覚に、思わず背筋がさらに伸びた。


「まずはそっちから見ときな」


 店主が顎で示した方向には、比較的小ぶりな魔道具が並んでいる棚があった。


 指輪やブレスレット、ペンダント、カード状の板など、装飾品にも見えるものが多い。値札には『15ヴェル』『23ヴェル』と、数字が並んでいる。


(この世界での物価はまだよくわからないけど……一応、学生の小遣いで手が届くライン、なのかな?)


「その辺が“一般向け”だ。魔力の補助とか、簡単な防御とか、生活の手間を省く類いのもんだな」


 そう言ってから、今度は反対側の壁を親指で指した。


 そこには、さっきの棚とは明らかに空気の違うコーナーがあった。


 深い青や黒を基調にした箱に入った杖、繊細な紋様が刻まれた水晶球、黒い金属で編まれた細い鎖。棚の上の札には、見慣れない紋章と、桁の増えた数字がずらり。


「で、あっちが“サハリエ製”だ」


「サハリエ……?」


 聞き慣れない地名に、思わず聞き返す。


「レグナリアの砂漠を渡った先のオアシスにある国です。魔道具の技術に優れていて、高い評価を得ているんですよ」


 エヴリンが、いつもの教科書的な口調で教えてくれる。


「ああ。細工も性能もいいが、そのぶん値も張る。あっちは見て楽しむくらいにしときな、坊主」


 店主が鼻を鳴らす。


 サハリエ製の箱に刻まれた紋章は、どれも統一された意匠で、まるで向こうの世界の高級ブランドロゴみたいだった。


(俺の手が届くことはないな、あれは……)


 視線を、現実的な値札が並ぶほうへ戻す。


「えっと……俺、まだ魔術もまともに出せてない初心者なんですけど。そういうやつ向けの、練習に使える道具とかって、ありますか?」


 思い切って口を開いた。


 店主は「ふん」と短く息を吐き出すと、カウンターからぐいっと身を乗り出す。


「魔術も出せねぇくせに、いきなりサハリエ製に手ぇ出そうとしねぇだけマシだな」


 ぼそっと毒を吐きつつも、どこか面白そうに口角が上がっている。


「“初心者向け”ねぇ……」


 棚のあいだを、ぶつぶつ言いながら歩いていく。いくつかの箱を手に取っては戻し、ふたたび棚の奥を探る。


 しばらくしてから、店主はため息まじりに呟いた。


「派手なもんは勧めねぇ。まずは自分の魔力がどんだけ流れてるか、知るところからだな」


 そう言って、カウンターへ戻ってくる。


 そして、ごそごそと引き出しをあさってから、小さな金属の輪を取り出した。


「ほれ、こんなのはどうだ?」


 そう言いながら、店主が差し出してきたのは、細い金属のブレスレットだった。


「初心者向けの安物だ。“導流環どうりゅうかん”ってな。魔力が流れりゃ光る──それだけだ。

 余計な機能はねえが、そのぶん誤魔化しも利かねえ」


「自分の魔力が、目に見える形になるわけか」


 ノアが短くまとめるように言う。その口調から、この道具の有用性が自然と伝わってくる。


「どうです、蓮くん。習った魔術で構いませんから、試してみては?」


 エヴリンがそっと背中を押してくれた。


「じゃ……じゃあ」


 我ながら情けない声だと思いながら、俺はおそるおそる導流環を右手首にはめた。一瞬、冷たい金属の感触に肌がびくりと反応する。けれど、その冷たさは次第にじわりとした熱へと変わっていった。


「やってみな」


 店主の気負いのない一言を合図に、俺はゆっくりと詠唱を始めた。


 今までの授業を思い出しながら、意識を体の内側へ沈めていく。ベアトリス先生の説明、アイリスの言葉。


『龍なら、存在していますよ。……形を変えて、ですけど』


 あの言葉と、森の中で暴れ出した右腕の記憶が、また頭の中によみがえろうとしていた。


(……またか)


 その光景を追い出そうとした瞬間、集中がぷつりと切れる。

 右手にはめた導流環は、ただの飾りみたいに沈黙を保ったままだ。


「やっぱりダメか……」


 思わず漏れた声を、すぐそばののんきな声が上書きする。


「まだ諦めるには早いぞ〜」


 テオの軽い調子が、今はありがたかった。


「そうだ。一発でうまくいくやつなんざ、そうはいねぇよ」

「もう一回やれ。今度は“できねえ前提”でビビってる頭から直せ」


 

 俺はもう一度、目を閉じて詠唱に入る。


 少しずつ、意識を右腕へ集めていく。

 自分の体を、一本の大きな筒だと思い込む。その中央に、細い一本の芯──魔力の通り道を通すようなイメージを、ゆっくりと強めていく。


「おぉ……」


 誰かの小さな感嘆が聞こえた。

 瞼の裏が、ほんの少しだけ明るくなる。どうやら、導流環にうっすらと光が灯ったらしい。


(っ……!?)


 その瞬間、右腕の奥を熱が駆け抜けた。


 痛み、というよりも灼けるような熱。森の中で黒い爪が生えたときに感じた、あのどうしようもない熱が、一瞬だけ右腕を走り抜ける。


 反射的に詠唱が途切れた。


 かすかに光っていた導流環は、すぐに元の鈍い色へと戻ってしまう。当然、魔術も発動していない。


「……もう一歩、ってところだな」


 ノアの静かな声が落ちる。それを合図にするように、俺はもう一度深く息を吸い込んだ。


 三度目の詠唱に入る。


 自分自身を大きな筒だと思う。その中を通る一本の線をイメージする。

 その線は、右腕まで伸びている。あの黒い爪であっても、今は“俺の腕”の一部だ。


この熱は“あいつのもの”じゃない。……今は、俺のものだ。


 そう決めつけるみたいに、無理やり区切りをつける。


 そう決めて、意識をさらに細く、深く絞り込む。


 

 その時、俺の前髪が、ふわりと揺れた。

 本当に小さな揺れ。さっきまでなら、ただの隙間風だと笑い飛ばしていたかもしれない。

 でも──今だけはわかった。

 これは、俺の中を通った“線”が、外にあふれた風だ。


「おおっ! ちゃんと風、出たじゃん!」


 俺が声を出すより先に、テオが歓声を上げる。


「初めの一歩としては、上々だな」


 ノアもわずかに口元を緩める。


 エヴリンは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐにいつもの落ち着いた微笑みに戻った。


「おめでとうございます」


 小さな拍手の音が、店の中に静かに響く。


 怖くないと言えば、嘘になる。

 さっきまで、すぐそばまであの黒い爪が迫ってきているような感覚があった。右腕のどこかで、いつでもあの熱が燻っているようで……。


 でも、それでも。


 今の“本当に小さな一歩”が、俺にはとても大きく思えて、胸の奥からじわっと嬉しさが湧き上がってきた。


「ふん……まあ、今のは“風”って呼んでやってもいいな」

「どうだ坊主、初めて魔術ひねり出せた記念だ。そいつ、置いてくだけか?」


店主が口の端だけで笑いながら言う。


「えっと……いくらなんですか?」


「三十ヴェルだ。安くはねぇが、ボッタクリでもねえ」


小さな札には、たしかに『導流環 30ヴェル』と書かれていた。


「三十か……」


甘味通りで使った銀貨の感触が、指先によみがえる。


「いや、でも俺、今はちょっと……」


そう言いかけたところで──


 戸惑う俺の言葉を、横から割り込んだ声がかき消した。


「ねぇ、俺たちで買おうよ、それ! ノア班の“共同投資”ってことでさ!」


 テオが一際大きな声で提案する。


「……勝手に決めるな。だが、異論はない」


 ノアが小さく息を吐いてから、肯定する。


「私も賛成です。蓮くんの今後に、さらに期待ということで」


 エヴリンも穏やかに頷いた。


 胸の奥が、じんと熱くなる。


「いい仲間に恵まれたじゃねぇか。……しゃあねぇな」


 店主はそう言って、何かをぽいっとこちらに放ってよこした。


 慌てて両手で受け止める。

 掌の上で、透明なキューブ状の物体がころりと転がった。


「これは?」



「こいつも持ってけ。この前店に来た変わりもんが、“試供品ですぅ〜”って置いてったやつだ。俺の懐は痛まねぇ」

「礼なんざいらん。その代わり、変な壊し方したら、今度来たとき話聞かせろよ。参考にさせてもらう」


「効果は〜?」


 テオがすかさず食いつく。


「知らん。ただ渡されただけだからな。……そういう“よくわからんもん”を試すのは、若いもんの仕事だろ?」


 店主がニヤリと笑い、肩をすくめる。


 導流環と、謎のキューブ型魔道具。

 両手にそれらを抱えながら、俺たちは店主の笑顔に見送られて、蒼灯舎をあとにした。



 * * *


 店から出ると、街はすっかり夕焼け色に染まっていた。


 昼の熱気は少し落ち着き、どこか柔らかい空気が通りを満たしている。店仕舞いを始めた露店と、灯りを灯し始めた酒場。そのコントラストが、レグナリアの一日の終わりを告げていた。


「今日は良い一日だったな。……特に、蓮の成長が見られたことが」


 ノアが、どこか満足げに言う。


「次は実技で、あの風をもっと派手に飛ばそうぜ!」


 テオが楽しそうに拳を振る。


「焦らなくていいですよ。けれど、今日の感覚は忘れないでくださいね」


 エヴリンの言葉に、俺は思わずうなずいた。


「ありがとう、みんな。……俺、これからも頑張るよ」


 そんな他愛ない会話を交わしながら、俺たちは寮へと戻っていった。


 * * *


 部屋に戻り、ベッドの縁に腰を下ろす。


 手の中には、二つの魔道具。

 右手首にはめた導流環と、掌の上でひんやりとした光を反射するキューブ。



「……たった一度の、かすかな風でもさ」


 小さく呟きながら、導流環にそっと指先を添える。


窓の外では、無数の星が静かに瞬いている。

 あの七つの星には、きっとまだ追いつけない。

 でも──


「ちゃんと、前には進めてるよな」


 そう自分に言い聞かせるように呟いて、もう一度右手を握った。右手はまだ熱を帯びているような気がした。


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