第十四話 星石街と竜禍の掲示
あれから数日が経った。
相変わらず、俺の掌に魔術が握られることはなく、ひたすら基礎練習を繰り返す日々が続いていた。
剣の素振り、回避のステップ、魔力の流れを感じるための呼吸法──。やるべきことは山ほどあるのに、目に見える成果はなかなか出てこない。
そんな、“ちょっとだけ息が詰まりかけていた頃”。
「やっと、休みの日か〜」
のんきな声が、すぐ近くで響いた気がした。
次の瞬間、足元の感覚がふっと消える。地面が抜けたような、変な浮遊感。
と思ったときには、俺の体はベッドの端からずるっと落ちかけていた。
「うおっ──」
がくん、と現実に引き戻される。
(……夢、か)
寝ぼけた頭で、昨日までのことを一つずつ確認していく。
ここはアストレギアの男子寮、自分の部屋。ここ数日と同じように、ちゃんと朝は来る。
(今日は学園、休みだったよな……たしか)
ぼさっとした頭で時間割を思い出す。
この国の学園も、基本は「五日登校+二日休み」のサイクルだ。
元の世界と同じ感覚で過ごせるのはありがたいけど、その「似ているところ」が増えるたびに、逆にこの世界の“おかしさ”も、じわじわと気になってくる。
顔を洗って、いつもの共同寮の食堂に向かう。
今日も、変わらず美味しい朝食。焼いた白パンとスープ、卵料理、それから香草の効いたソーセージ。
ふと、味噌汁とか焼き魚とか、そんなものが頭をよぎる。
(……そろそろ日本食恋しくなってきたな)
そんなことを考えていると、向かいでパンをかじっていたテオが、口を開いた。
「今日は休みだしさ、みんなで街へ出かけない?」
「街へ?」
思わず聞き返す。
「そ、街。この王都レグナリアの“城下町ツアー”だよ。この前は蓮に断られちゃったからさ。今日こそは俺が案内してあげようと思ってね」
そういえば、実技初日にもそんな話を振られていた気がする。
あのときは体力が限界で、丁重にお断りしたんだった。
「それには、俺も賛成だ」
横から静かな声が入り、ノアが会話に加わる。
「街には、この学園の中だけでは見られないものも多い。それに──蓮が元の世界へ帰るための手がかりも得られるかもしれないからな」
たしかに、学園長も言っていた。
この世界を知ること。それが、元の世界へ帰る方法に繋がるかもしれない、と。
教室と訓練場だけ往復していても、きっと見えてこないものがある。
「……じゃあ、案内してもらおうかな」
腹を決めてそう告げると、テオが椅子をがたんと鳴らして立ち上がる。
「よしっ! 決まりだね!」
テオの弾んだ声が、ちょうど朝食の終わりを告げるざわめきと重なった。
* * *
「あれ、なんか少ない?」
思わずあたりを見回す。
「カイルは用事があるってさ〜。出かける直前に言われちゃった」
テオがいつもののんきな口調のまま、少しだけ残念そうに言う。
「クララも、今日は読みたい魔術書があると言って、一人で部屋に残りました」
エヴリンが落ち着いた声で告げる。
「街へ行くのは、俺たち四人になったというわけだ」
ノアが短くまとめる。
「四人か……まあ、これはこれで動きやすそうだな」
そう口にすると、テオが胸を張って親指を立てた。
「任せなさい! 生まれも育ちもレグナリア王都! 案内役のテオ・ランバート様が、最高の“城下町ツアー”をお届けします!」
「……俺とエヴリンも、生まれも育ちも王都だが」
ノアがぼそりと突っ込む。
「細かいことはいいの! 案内役はノリが大事だから!」
テオがむきになって言い返す。
「……はぁ。変なところばかり案内されないといいのですけど」
エヴリンが小さくため息をつきながらも、どこか楽しそうに微笑んだ。
こうして俺たちは、学園の丘を下り、王都レグナリアの城下町へと向かって歩き出した。
寮を出て、学園の門をくぐる。
門を抜けた瞬間、ふわっと鼻をくすぐる匂いが一気に変わった。
焼きたてのパンの匂い、刻んだ香草の匂い、鉄と油の焦げた匂い――いくつもの匂いが、一本の通りの空気の中でごちゃまぜになっている。
行商人の声と子どもの笑い声、どこかの店先から聞こえる鍋の音まで混ざり合って、通り全体がひとつの生き物みたいにざわめいていた。
「ここが、レグナリアの城下町のメイン通り、“星石街”だよ〜」
テオが胸を張って、両手を広げた。
石畳の両側には、ずらりと店が並んでいる。
果物を山積みにした露店、革鎧を吊るした武具屋、店先で小さな光の玉を空中に浮かべて見せている魔道具屋。
ゲームやアニメでしか見たことのなかった「異世界の街」が、今まさに目の前で動いている。思わず、その場でくるりと見回してしまった。
「いや〜、やっぱいいよね街は。この熱気が最高だよ」
テンションの上がったテオが、隣で一人ご満悦に感嘆の声を上げている。
「ここはこの国でいちばんの市場通りだ。これだけの熱気を持つのも当然だろう」
ノアが解説を添えたちょうどその時、通りの向こうから男の声が飛んできた。
「おいおい、ちょっと安くしてくれよ!」
服装も荷物も、周りの市民とは少し雰囲気が違う。どこか遠くから来た旅人なのだろう。
その旅人風の男が、野菜売りに食い下がっていた。
だが店主は、苦笑いを浮かべるだけで首を横に振る。
「値切りはご遠慮くださいませ。価格はすべて、シルヴェール家が定めた公定価格でございますので」
すかさず、近くに立っていた腕章付きの役人が一歩前に出る。
「はいはい、交渉は“量”だけにしてくださいね。値段そのものをいじるのは規則違反です」
口調は柔らかいが、その言葉の端には逆らえない“ルール”の匂いが混じっていた。
(値切りひとつで注意されるのか……。
俺のいた世界と似ているようで、決定権を握っている“誰か”の顔がはっきりしている分、よっぽど厳しいのかもしれない)
「この通りの商品は、全部シルヴェール家の管理下なんだ。
ここは国の中心だ。大きく値段が動くと、他の街まで困るからな」
ノアが小声で補足してくれる。
「シルヴェール家ってのは?」
「星環の七家のうちの一つです。この国の“経済”を担っています」
エヴリンが落ち着いた声で説明を足した。
「星環の……この前の授業で習ったやつか」
「はい。この国の基盤をそれぞれ分担している、七つの貴族の家系です」
「ちょっと〜、案内役は俺の仕事なんだけどなぁ」
テオがわざとらしく拗ねて見せる。
「俺とエヴリンも、この国には詳しいつもりだが」
ノアが、少し笑いを含ませて返す。
「そうなんだけどさ〜… ほら、蓮。あの丘の上」
テオが胸を張り直しながら、指さした先へ視線を向ける。
屋敷というより、ほとんど小さな城のようなシルエットがいくつも並んでいる。
石壁は日差しを弾き返すように白く、尖塔は空に突き刺さるみたいに細く伸びていた。
「あちらに見えるのが、星環の七家のお屋敷が集まっている区画です。
一般の者が入るには、王宮か貴族側の許可が必要ですけれど」
エヴリンが、少しだけ言葉を選ぶようにしながら説明する。
そう説明するエヴリンの横顔は、どこか他人事のようで、どこか近づきがたいものに触れているようにも見えた
その横顔を見ていると、このまえまでは教科書の文字だった「七貴族」が、急に立体感を持って胸の中に浮かび上がってきた。
「……俺の仕事〜……」
テオのぼやきと、俺たちの笑い声が通りに溶けていく。
星石街をしばらく進むと、ひときわ大きな建物が見えてきた。
分厚い扉に重そうな看板。壁には、交差した剣と盾のマーク。
「あそこが、冒険者ギルドの本部。正式名称は“王都ギルド レグナリア本部”だな」
ノアが、少しだけ誇らしげに言う。
ギルドの入り口横には、大きな掲示板が据え付けられていた。
依頼書らしき紙が、びっしりと貼られている。
魔物討伐依頼、物資調達、街の掃除まで。ざっと見ただけでも、内容はさまざまだ。
「いろんな種類の依頼が出てるんだな」
「ああ。街の困りごとは、だいたい一度ここに集まるからな」
ノアの説明に、
「学生でもできる簡単なやつもあってさ。小遣い稼ぎに使ってるやつもいるんだよね」
「……学園からの許可は必要ですけどね」
テオとエヴリンが、当然のように情報を追加していく。
「なるほど」
(……もし、元の世界に帰れなかったら。
いつか俺も、あの掲示板の前で依頼を選ぶ日が来るのかもしれない)
そんな未来が一瞬頭に浮かんだが、あまりの似合わなさに思わず笑みを浮かべそうになる。
みんなの話を聞きながら、もう少し近づいて掲示板を眺める。
依頼書の群れの一角に、目立つ色のポスターが数枚、重なるように貼られていた。
「……あれ?」
近寄ってよく見ると、その一枚にはアストレギアの紋章が大きく印刷されている。
『王立魔法学園アストレギア
班対抗・公開模擬戦大会 陽炎の月開催予定』
「今年もやるんだね〜、公開模擬戦。街の人にも人気のイベントなんだよ。
“どの班が将来有望か”って、賭けの対象にもなってるって噂〜」
テオが楽しそうに、ポスターの端を指でつつく。
「ソラリス?」
見慣れない月の名前に思わず首を傾げる。
「季節の名称ですね。今は花霞の月ですので、新緑の月を挟んで……あと二月ほど先になります」
「一つの月は三十日で、それが十二か月ぶんだ」
「十二か月が終わると、どの月にも属さない五日間を過ごして、その年を締めくくるのですよ」
「ありがとう」
カレンダーの仕組みを説明されながら、頭の中では自然と地球の暦と照らし合わせていた。
(一か月は三十日で、それが十二回……。こんなところまで、向こうの世界と似てるのか)
そう考えた瞬間、また一つ、胸の奥に小さな疑問が増える。
「ま、どうせ今年の模擬戦も、王子たちの班が優勝するんだろうけどな〜」
テオがいつもの調子で言うと、ノアが今日いちばん真面目な声で返した。
「……いや、わからないさ」
爽やかな言い方なのに、その拳にはわずかに力がこもっているように見えた。
ポスターの横に、もう一枚。少し異様な雰囲気を放つ紙が目に入る。
太い黒い文字で、こう書かれていた。
『竜禍への備えを忘れるな
夜間の一人歩きは避けること
魔素の濃い地域には近づかないこと ──王都警備隊』
隅には、簡略化された黒い龍と、崩れかけた街のシルエット。
(神話の中の「黒龍」と、街角のポスターの「竜禍」。
昔話のはずの単語が、今も普通に貼り紙になってるのが、なんだか妙に怖い)
「……物騒なポスターだな」
思わず漏らすと、エヴリンが短く頷いた。
「ですが、これも“この国の今”ですから」
そう言ったあとで、彼女はわざと明るい声を作るように続ける。
「さあ、暗い話はここまでにしましょう。
この先の角を曲がると、とても美味しいお店が並ぶ通りがあるんです。
蓮くんには、まずレグナリアの“甘いところ”から知ってもらわないと」
「賛成〜! まずは食べ歩きからだよね!」
テオが両手を上げる。
竜禍だの七家だの、さっきまで胸を重くしていた単語は、完全に消えたわけじゃない。
けれど、甘い匂いと、楽しそうに先を歩く三人の背中を見ていると、少しだけ肩の力が抜けていくのを感じた。
……それでも、ギルドの掲示板に貼られた“竜禍”の黒い文字と、遠くの丘に並ぶ七家の屋敷は、頭のどこかでずっと光り続けていた。




