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第十一話 寮の夜と、エバーナイトの覚悟

夕日に照らされた寮へと続く石畳の道を、俺たちは歩いて行った。

「では、私たちはこれで」


 エヴリンが軽く会釈する。その横で、アイリスは胸の前で手を揃えて丁寧にお辞儀し、クララは胸元でそっと手を振ってくれた。


 俺たちも手を振り返し、女子寮とは別方向に伸びる道をたどって男子寮へ向かう。


 男子寮の前に着くと、昨日と同じく、イルヴァン寮長が寮の壁にもたれていた。服の上から羽織ったコートの襟を少し開いて、だらしなく見えるのに、不思議と板についている。


「おっ、帰ってきたな」


 イルヴァンがこちらに気づき、頭をかきながらのっそりと近づいてくる。


「どうだった、学園は。うまくいったか?」


「はい。それなりには……うまくいったんじゃないかと」


 一日をざっと振り返って答える。異世界での初日としては、上出来なほうだろう。


「それなりってもんじゃないだろ。ちゃんとゴーレムに一発当ててたじゃないか」


 テオがくくっと笑いながら言う。


「いや、あれはたまたま。ほんとに適当に振ってただけだから」


 慌てて訂正するが、テオの笑いはまるで収まる気配がない。


「そんなに面白かったなら、俺も見てみたかったな」


 イルヴァンが興味ありげに片眉を上げる。


「寮長も絶対見た方が良かったですよ、あれは。忘れられない光景でしたからね〜」


 まだ思い出し笑いしているテオが、楽しそうに話を盛る。


 笑いが起きるたびに、あの瞬間の記憶が鮮やかによみがえってくる。同時に、胸のあたりがじわじわ熱くなってきて、頬が少し火照るのが自分でもわかった。


「でも、蓮の動きは実際悪くはなかったぞ。初めてで、あれだけ動ければ上出来だ」


 ノアが静かにフォローを入れてくれる。その言葉が、じんわりと胸に染みた。


「だが、最後のあれは、要改善だな」


「……ですよね」


 やっぱりか。あの出来事は、この先もしばらくネタにされそうだ。


 みんなの笑い声が弾ける。その中で、ふとカイルのほうを見ると、彼だけは笑うでもなく、どこか遠くを眺めていた。


「ところで、なぜわざわざ寮長がここに?」


 ノアが笑いを収めて問いかける。


「そうだったそうだった。星宮、お前の部屋が準備できたんでな。知らせに来た」


 イルヴァンは俺のほうへ顎をしゃくる。


「ついてこい」


 ひらひらと手を振って合図し、寮の中へ入っていく。俺がそれに続くと、背後からテオたちの「またなー」という声が聞こえてきた。


「ここだ」


 案内された扉の前で立ち止まり、イルヴァンがドアノブをひねる。


 開いた先にあったのは――


 ひどく傷んだベッド。壊れていて使い物にならなそうな魔道具の残骸。やけに鋭そうなバネやら、用途不明の木箱やら。とりあえず「生活空間」とは呼べなさそうな、雑多なガラクタの山だった。


(こ、これは……)


 凄まじい光景に、思わず一歩後ずさる。足を踏み入れる勇気がなかなか出てこない。

 もしかして、よそ者の俺にはこれくらいが「ちょうどいい」ってことか――と一瞬よぎったところで、イルヴァンも部屋の中を見回した。


「あ、悪い。部屋を間違えた」


 若干気まずそうに言いながら、勢いよく戸を閉める。


「あっこはただの物置だ。お前の部屋はこっちだ」


 そう言って、隣の扉を今度は慎重に開けた。


 中は、机と棚、窓際にベッドがひとつ。必要なものは揃っていて、余計なものはない、こぢんまりとした部屋だった。簡素だが、暮らすぶんには何の不自由もなさそうだ。


「本来は二人で一部屋ってのが規則だがな。特別に個室だ」


「ありがとうございます」


 思わず頭を下げる。


「悪くない部屋だろう? だが、一人だからって気を抜くなよ。規則正しい生活を心がけろ」


「はい」


「荷物を置いたら、寮の食堂に来い。そろそろ夕飯の時間だからな」


「わかりました」


「じゃあな」


 イルヴァンは軽く手を振ると、肩を回しながら廊下の奥へ消えていった。


 ――ここが、俺の部屋か。


 机の上に荷物を置き、ベッドに倒れ込むように横たわる。


(……疲れた)


 身体を横にした途端、今日一日の疲労が一気に押し寄せてきた。

 異世界での初日。情報量も、緊張も、全部が重なって、頭がじんじんする。


 いつか、この生活に「慣れた」と思える日は来るんだろうか。


 そんなことを考えているうちに、まぶたがじわじわと重くなってくる。


 ――夕食。


 イルヴァンの言葉を思い出して、慌てて上半身を起こした。軽く顔を叩いて眠気を追い払い、俺は朝にも訪れた共同寮の食堂へ向かった。


* * *


 食堂には、朝と同じように多くの生徒たちが集まっていた。

 班ごと、友達同士ごとにテーブルを囲み、あちこちで笑い声と食器の音が混じり合っている。


 視線を巡らせると、ノア班のみんなの姿もすでに見つかった。


「エヴリンたちも一緒なんだな」


 近づいてみると、男子寮で別れたはずのエヴリンとクララも席についている。


「ここは共同寮ですから」


「二十時まで、共同寮は解放されています。班の打ち合わせなども、ここで行えるんですよ」


 エヴリンが丁寧に説明してくれる。そういえば、朝もイルヴァンが「共同寮の食堂」と言っていた気がする。


 食堂は二十時に閉まるのか――頭の片隅で、地球との時間感覚をなんとなく比較してみる。今日一日過ごしてみて、特に違和感は感じなかった。この世界も、地球と同じような時間の流れらしい。少なくとも、その点に関してはだいぶ助かる。


「全員揃ったようだし、俺たちも取りに行こうか」


 ノアの一言で、俺たちは列に並び、夕食のトレーを受け取りに向かった。


 今日のメニューは、パンと具だくさんのシチュー。


(……俺、昼もシチューだったんだよな)


 思わず心の中でツッコミを入れながら、同じメニューを食べているエヴリンのほうをそっと盗み見る。


 ちょうど同じタイミングで、向こうもこちらを見ていたらしい。目が合った瞬間、お互い「しまった」という顔になり、慌てて視線を逸らした。


 昼の魔猪シチューと、今目の前の普通のシチュー。

 味も、匂いも違うはずなのに、どこか「同じ一日の続き」だと感じさせる温かさがあった。



夕食を食べ終えると、ノアがトレイを片付けながら口を開いた。


「今日は反省会はなしにしよう。蓮も初日で疲れているだろう。みんな、今日は早めに休んで英気を養ってくれ」


「りょーかい!」


 テオがいつもの調子で威勢よく返事をする。


「テオさんは、反省会がめんどくさいだけ……では、ないですか?」


 クララがじとっと疑いの視線を向けると、テオが「ひどい!」と大げさに肩をすくめ、テーブルの周りに小さな笑いが広がった。


 そのまま食堂を出て、それぞれ一度自分の部屋へ荷物を置いたあと、俺たちは男子寮と女子寮、それぞれの大浴場へ向かった。


* * *


 男子寮の大浴場の扉を開けると、すでに他班の生徒たちも入浴に来ていた。

 広い湯船と洗い場が並ぶ様子は、大きめの銭湯といった雰囲気だ。


 中には、ノアとテオ、カイルの姿もあった。


 体を洗い、かけ湯をしてから、そっと湯船に浸かる。


「……っ、はぁ〜……」


 身を包む湯の温かさに、固まっていた体の力が一気に抜けていく。思わず、情けない声が漏れた。

 部活帰りに家の風呂へ飛び込んだときと同じ、あの「全身が溶ける」感覚だ。


 風呂に入る気持ちよさは、日本でも異世界でも変わらないらしい。

 慣れない一日分の疲れが、余計に沁み込んでくる。


「俺の、とーちゃんみたいだ」


 隣で湯に浸かっていたテオが、くすっと笑う。


「どういう意味だよ、それ」


「いやさ、うちのとーちゃんも疲れてる日は、風呂入った瞬間、今の蓮みたいな声出すんだよ。“生き返る〜”ってやつ」


「あー……今日はマジでそんな感じかも。なんか、ずっと初めてのことばっかりで。あんなに動き回ったのも久しぶりだし」


 今日のことが、ひとつずつ頭に浮かぶ。

 魔術の授業、異世界の昼飯、ガイウス先生の実技――

 どれも、日本での生活では想像もしなかった一日だ。


「やっぱり、ゴーレムの時のは……」


 喉の奥まで出かかった言葉が、そこで引っかかる。

 “情けなかった”とか、“やらかした”とか。そういう言葉。


 ノアは肩まで湯に沈み、ふぅと小さく息を吐いてから口を開いた。


「ああ。最後のは、蓮の“改善点”だな」


 俺の言いたかったことを汲むように、ノアが静かに続ける。


「追い込まれてからどうするかが、大事だからな。だが、その前の動きは間違いなく良いものだった」


 湯気の向こうで、ノアの横顔がゆっくりとこちらを見る。


「敵の動きをかわす身のこなしはなかなかのものだった。相手の背後に回り込むスピードも悪くない。このまま鍛えれば、すぐ戦場にも立てるようになる」


「そうそう。俺なんて初日は、ゴーレムにコテンパンにやられたからね?」


 テオが会話に割り込んでくる。


「マジで、“もう二度とやりたくない”って思ったもん。だからさ、最後がまぐれでも、ちゃんと一発入れた蓮のことは、俺けっこうすごいと思ってるんだぜ?」


「初日としては、十分だ」


 カイルも短く言葉を添える。その声にだけ、ほんのわずかだが熱が宿っていた。


 ここまで立て続けに褒められると、むしろ居心地が悪くなってくる。

 湯の温度とは別の熱さが、じわじわと耳のあたりまで上がってきた。


「……俺、この先も頑張るよ。いつか、みんなと一緒に戦えるように」


 気付けば、自然とそんな言葉が口から出ていた。


「すぐ戦えるようになるさ」


 ノアが、それを当たり前のことのように断言する。


 その一言を合図にしたみたいに、そこから先はのんびりとした世間話に変わり、

 男だけの小さな“風呂場反省会”は、湯気の中で静かに幕を閉じた。


* * *


扉の向こうで、女の子たちの笑い声が遠くに響いている。ここだけ、昼間の教室とは別世界みたいだ。


私が女子寮の大浴場の扉を開けると、湯気の向こうに見慣れた後ろ姿が見えた。


すでに湯船に浸かっていたのは、妹――アイリスだった。


こちらに気づいたアイリスが、ぱしゃっと湯を揺らして顔を上げる。


「姉さん。クララさんとは一緒じゃないの?」


「クララは、まだ読みたい魔導書があるって言って部屋に残ったわ。閉まるギリギリに、慌てて入ってくるんじゃないかしら」


一人で来た理由を答えながら体を洗い、私も湯船へと浸かる。


アイリスが同じ側へと近づいてくる。

けれど、しばらくの間は湯の音だけが続いた。湯気の向こうで、互いの視線が何度か交差しては逸れる。


その沈黙を破ったのは、アイリスのほうだった。


「姉さんは、どう思っているのですか?」


不意の問いかけに、胸がどきりと鳴る。

何のことを言っているのか、わかってしまう自分がいて、あえて誤魔化すように聞き返した。


「どうって……誰のことかしら?」


「異世界から来た、あの人のことです」


やはり、蓮くんのことだった。


ここで曖昧な答えを返しても、アイリスは納得しないだろう。

湯の中で組んだ小さな手が、私の横顔をじっと見つめている。


「学園長に命じられたからには、しっかりと守ってあげないといけない人だと思っているわ」


これは、間違いなく本音だ。

私の「役目」としての答えでもある。


――けれど、少しだけ目が泳いでしまったかもしれない。


そう思った瞬間、向かい側で湯に浸かっていたアイリスの表情が、わずかに強張った。

さっきまでぼんやりしていた視線が、するどくこちらに向けられる。湯の中に沈めていた指先が、きゅっと握られて、小さな波紋が広がった。


「……それだけですか?」


静かな声。責めているわけではないのに、どこか探るような調子。


(ああ、この子には、やっぱりごまかしが利かない)


胸の内で小さく嘆息する私を、アイリスの瞳が真正面から射抜いた。


「……何か隠してませんか。姉さん」


アイリスの視線が、刺すように強くなる。


森で見た、黒い竜の爪。

意識が朦朧とする中でも、あの爪の主が蓮くんだったことだけははっきりとわかっていた。


あの爪はきっと――。


「私を、信じられないの? アイリスは」


少しだけ、意地悪く返してしまう。

今はまだ、話すべき時ではない。彼のためにも、この国のためにも。今はただ、見守る段階だと信じたい。


「姉さんを信じてないわけでは……ありませんけど」


アイリスはそう言いながら、口元まで湯の中に沈んだ。


しばらく黙って湯面を見つめていたかと思うと、小さく息を吐いて顔を上げる。


「……でも、もし本当に“何か”があるなら、ちゃんと言ってください」


伏せられていたまつ毛が、真っ直ぐこちらを捉える。


「姉さんが全部ひとりで抱え込もうとしないでください。

 姉さんのことを支えるのが、私の役目だと思っていますから」


その言葉に、胸の奥が一瞬だけちくりと痛んだ。

――だって私は、今まさに隠しごとをしているのだから。


しばらくして、アイリスは湯船から上がり、タオルで軽く髪を拭きながら出口へと向かう。

その途中でふと振り返り、こちらを見た。


「好きなんですか? あの男が」


唐突な一言に、心臓が大きく跳ねた。


「……馬鹿ね。ただ、任された人を見守っているだけよ」


できるだけ興味のないふりをして答える。

けれどそう言った自分の頬が、さっきよりもさらに熱くなっている気がした。


アイリスが出ていったあと、湯気だけが静かに漂う大浴場で、私はひとり目を閉じる。


「姉さんのことを支えるのが、私の役目だと思っていますから」


さっきのアイリスの言葉が、湯気の向こうでまだ消えずに残っている。


――それでも私は、この秘密だけは誰にも渡せない。


今はただ、見守るだけ。あの爪のことは、私だけの秘密。


その時が訪れたなら――私が対処する。この手で蓮くんの首を――。


それが、エバーナイトの娘としての、私の覚悟だ。


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