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第44話「盤上の握手」

「――勝負は、ついた。俺の、負けだ」


 辺境伯アルフォンスの、あまりにも静かで、そして潔い敗北宣言は、切り裂かれた天幕の中に、奇妙な静寂をもたらした。

 衛兵団のリーダーと騎士の隊長は、その言葉の意味をすぐには理解できず、ただ武器を構えたまま、目の前の絶対的な支配者を凝視していた。彼らが想定していたのは、最後の抵抗か、あるいは怒号だった。だが、辺境伯の顔に浮かんでいたのは、悔しさではなく、むしろ良き遊戯を終えた後の、満足げな笑みだったのだから。


「……本気で、言っているのか?」


 衛兵団のリーダーが、訝しげに問う。

「戦いは、まだ終わっていない。あんたの軍勢は、まだほとんどが無傷だ。今からでも、俺たちをここで捻り潰すことだってできるはずだ」

「できるだろうな」


 辺境伯は、あっさりと頷いた。


「だが、それでは意味がない。この遊戯ゲームは、軍勢の数を競うものではない。互いの頭脳と戦略、その全てを賭けて、相手の王を詰ませるゲームだ。そして、俺は、ユウマという男に、見事に詰まされた。――盤上のルールにおいて、俺は完全に敗北したのだ」


 辺境伯は、天幕の外で未だに続く混沌の音に耳を澄ませた。

「俺の“目”は、彼の霧によって塞がれ、俺の“足”は、彼の罠によって砕かれた。そして、俺の“懐刀”であるゲオルグと近衛騎士団は、彼の幻影に気を取られ、その間に、本物の刃が俺の喉元まで届いていた。……見事なものよ。俺の騎士団が、まるで子供のように手玉に取られる様を、この目で見ることになるとはな」


 その言葉に、偽りはなかった。

 彼は、この戦いの本質を、誰よりも正確に理解していたのだ。



 やがて、天幕の外の喧騒が、少しずつ収まっていくのが分かった。

 辺境伯が、近くに控えていた伝令兵に、静かに命じたのだ。


「全軍に伝えよ。演習は終了した、と。勝者は、ユウマ殿の特別自治部隊である、と」


 その言葉が、この戦いの本当の終わりを告げていた。

 しばらくして、天幕に一人の男が、静かに入ってきた。

 僕だ。

 僕の姿を認めると、辺境伯は、初めて心の底から楽しそうな、獰猛な笑みを浮かべた。


「――来たか、“勝者”よ。その顔が見たかった」


 僕は、衛兵団のリーダーと騎士の隊長に目配せして武器を収めさせると、辺境伯の前に進み出て、深く、しかし堂々と頭を下げた。


「ええ、お待たせしました、辺境伯様。――最高のゲームでした」


「ふ、ふはははは!」


 辺境伯は、腹を抱えて笑った。

「やはり、そなたは面白い! 最高のプレイヤーだ! まさか、この俺が、これほどまでに心を沸き立たされる戦いを経験することになるとはな!」


 彼は笑うのをやめると、真剣な眼差しで僕を見つめた。

「約束通り、賭けはそなたの勝ちだ。そなたの提案、全てを呑もう。この街――いや、“ユートピア”は、今日この時より、我が領内における、完全なる特別自治区とする。最大限の自由と、交易の権利、そして、軍事的な自治権、その全てを認めよう」



 それは、僕たちが勝ち取った、最高の報酬だった。

 だが、辺境伯の“ゲーム”は、まだ終わっていなかった。


「だが、ユウマよ。そなたは、一つ勘違いをしている」

「……と、言いますと?」


「俺は、そなたと敵対したいのではない。むしろ、その逆だ」


 辺境伯は、部屋の中央に置かれた巨大な遊戯盤を指さした。


「俺とそなたは、似た者同士だ。この世界という盤の上で、駒を動かし、より面白い未来を創り出すことを何よりも好む。ならば、俺たちは敵として盤を挟むのではなく、同じ側に座り、共にこの盤を攻略する“パートナー”となるべきだとは思わんか?」


 それは、僕の想像を遥かに超えた、驚くべき提案だった。

 彼は、僕を支配するのではなく、対等な同盟者として、迎え入れようとしているのだ。


「そなたの自由交易都市構想、共同調査団、そして、その常識外れの軍隊。その全てを、この辺境伯領の、いや、この国全体の力とするのだ。俺の権力と、そなたの知恵があれば、我々はこの退屈な世界を、どこまでも面白く作り変えることができる。――どうだ? この俺と、新たな“ゲーム”を始めてみる気はないか?」


『……おいおい、ユウマ。とんでもないことになったぞ。ラスボスを倒したら、仲間になって、一緒に世界征服を目指すルートに入っちまった』


 神様の興奮した声が、僕の脳内に響く。

 僕の答えは、もちろん、決まっていた。


「――ええ、喜んで」


 僕は、目の前の最強のプレイヤーに向かって、右手を差し出した。

「あなたとなら、最高のゲームがでそうですね」


 辺境伯アルフォンスは、その手を、力強く握り返した。

 それは、この辺境の地に、新たな時代の夜明けを告げる、固い、固い握手だった。

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