第38話「竜の顎、王の盤」
竜哭城の内部は、僕が創り上げた機能的な街とは、何もかもが正反対だった。
分厚い石壁に覆われた長い廊下、磨き上げられた床に響く僕たちの足音、壁に掛けられた歴代辺境伯の肖像画と、彼らが戦場で使ったであろう武具の数々。その全てが、この城の持つ長い歴史と、血塗られた権威を無言で物語っていた。
「……空気が重いな」
僕の隣を歩く衛兵団のリーダーが、誰に言うでもなく呟いた。
彼の額には、脂汗が滲んでいる。騎士の隊長も、古巣であるはずのこの城で、かつてないほど緊張した面持ちで、固く口を結んでいた。城の通路の至る所に立つ衛兵は、僕たちの街のそれとは比べ物にならないほどの練度と、そして冷たい殺気を放っていた。
『……ユウマよ。これは、ただの城ではないな。城そのものが、一つの巨大な生物のようだ。お前を、異物として、じっと値踏みしている』
(ええ。最高のダンジョンですよ。隅々まで探索したくなるような、素晴らしい造形美だ)
僕だけが、まるで観光客のように、落ち着き払って周囲の装飾を観察していた。
やがて、僕たちは巨大な両開きの扉の前で足を止める。騎士団長ゲオルグが、重々しく扉を押し開いた。
「――辺境伯アルフォンス様、ご入来にございます」
◇
謁見の間は、途方もなく広大だった。
天井は、僕が建設中の“みんなの家”のホールよりも高く、壁にはめ込まれた巨大なステンドグラスが、荘厳な光を床に落としている。長い絨毯が敷かれた道の先、遥か遠くの玉座に、一人の男が座っていた。
辺境伯アルフォンス。
この地を治める、絶対的な権力者。
僕たちがゆっくりと玉座の前まで進み、片膝をつく。僕も、郷に入っては郷に従えとばかりに、二人と同じように礼を取った。
「――面を上げよ」
聞こえてきたのは、想像していたような尊大な声ではなかった。
静かで、落ち着いていて、しかし、有無を言わせぬ絶対的な支配者の響きを持った、不思議な声だった。
僕が顔を上げると、玉座の主と、初めて目が合った。
年の頃は四十代半ばだろうか。整った顔立ちに、わずかに銀髪の混じった黒髪。その瞳は、底なしの湖のように深く、僕の全てを見透かしているかのようだった。
彼こそが、僕がこの世界で初めて対峙する、“王”というクラスのプレイヤーだった。
「……そなたが、ユウマか。噂に聞く“聖人”とは、随分と趣が違うな」
辺境伯は、僕の目を見て、楽しそうに言った。
「むしろ、俺と同じ種類の人間のように見える。――盤を挟み、駒を動かすことを、何よりも好む、ただの“遊戯者”の目だ」
◇
その言葉に、僕の背後にいた二人は息を呑んだ。
だが、僕は不敵に笑って返した。
「光栄です、辺境伯様。あなた様も、僕が想像していた“領主”とは、随分と違う。もっと、つまらない方かと思っていましたから」
「ほう?」
「僕が仕掛けた盤上の遊戯に、これほど見事な一手を返してくるとは。――正直、感服いたしました。あなた様は、最高のライバル(プレイヤー)です」
僕たちの会話は、もはや交渉や謁見ではなかった。
初めて出会った、互いの実力を認め合う、二人のゲーマーのそれだった。
辺境伯は、玉座の上で、心底楽しそうに笑った。
「……面白い。実に面白い男だ。ゲオルグが、貴様を“常識では測れぬ”と評した意味が、よく分かった」
彼は、すっと立ち上がると、玉座から降りて僕の目の前までやってきた。
その体から放たれる威圧感は、ホブゴブリン・ジェネラルなど比較にならない、本物の王者の風格に満ちていた。
「ユウマよ。そなたの逆提案、聞かせてもらった。自由交易都市、共同調査団、そして……合同軍事演習、か。どれも、実に突拍子もなく、そして、魅力的だ」
辺境伯は、僕の肩に、ポンと手を置いた。
「――よかろう。その“ゲーム”、乗ってやろうではないか」
◇
その言葉に、僕の背後から安堵のため息が漏れる。
だが、辺境伯は、獰猛な笑みを浮かべて続けた。
「だが、遊戯には“賭け金”が必要だ。そなたの提案した合同軍事演習、これを受諾する。三週間後、この城の前の平原で、そなたの“特別自治部隊”と、我が騎士団本隊、雌雄を決しようではないか」
彼の瞳が、鋭く光る。
「もし、そなたが勝利したならば、そなたの提案を全て受け入れよう。真の自治区として、我が領内における最大限の自由を約束する。だが……」
辺境伯の声が、絶対零度の冷たさを帯びた。
「もし、そなたが敗れたならば、そなたの街、そなたの持つ全ての技術、そして、そなた自身の命、その全てを、この俺に差し出してもらう。――この条件、呑めるか? “プレイヤー”よ」
それは、究極の選択。
勝てば全てを、負ければ全てを失う、ハイリスク・ハイリターンのギャンブル。
『……ユウマ。こいつ、本気だぞ。お前という駒を、喉から手が出るほど欲しがっている。だが、手に入らぬのなら、完全に破壊するつもりだ』
神様の警告が、僕の頭に響く。
だが、僕の答えは、最初から決まっていた。
「――ええ、もちろん」
僕は、目の前の絶対的な支配者に向かって、最高の笑みを浮かべてみせた。
「そのゲーム、謹んでお受けします」




