第36話「封鎖網の崩壊」
希望号が街へと帰還した日、辺境伯による静かなる包囲網は、音を立てて崩壊した。
僕たちが川岸に船を着けると、そこには街の全ての住人が集まっているのではないかと思うほどの、黒山の人だかりができていた。彼らは、船倉から次々と運び出される、山のような小麦の袋や、塩の樽、そして武具の材料となる鉄の塊を、ただ呆然と、夢でも見ているかのような顔で眺めていた。
「……本当に……帰ってきた……」
「食料だ……! これで、もう飢えなくて済むんだ……!」
誰かのその一言を皮切りに、それまで張り詰めていた緊張の糸が切れたかのように、広場は割れんばかりの歓声と、安堵の涙に包まれた。
衛兵団のリーダーが、船の上から誇らしげに胸を張り、高らかに叫ぶ。
「野郎ども、見たか! これが俺たちの街の力だ! 陸が駄目なら川を行く! 道がなけりゃ、ユウマが創る! 俺たちに、不可能はねえんだよ!」
その言葉に、人々は熱狂的に応えた。
僕が成し遂げた奇跡は、もはや僕一人のものではない。それは、この街に住む全ての者たちの、不屈の意志の象徴となっていた。
◇
その熱狂の輪から少し離れた場所で、光明教会の司教が、苦虫を噛み潰したような顔で僕たちの凱旋を眺めていた。
彼は、この経済封鎖という絶好の機会を利用し、街の住人たちの心を、確実に教会へと傾けさせていたはずだった。飢えと不安に喘ぐ民衆に、「神の救い」という名の支援をちらつかせることで、この街の精神的な支配権を、完全に手中に収めるつもりだったのだろう。
だが、その計画は、僕が創造した一隻の船によって、木っ端微塵に打ち砕かれた。
僕が司教の前に進み出ると、彼はすぐに完璧な聖職者の笑みを浮かべた。
「……聖人様。実に見事な奇跡です。我々の祈りが天に通じ、神があなた様に新たなる道を指し示されたのですな」
この状況ですら、手柄を自分たちのものとしてすり替えようとする、見事なまでの厚顔さ。
僕は、そんな彼ににっこりと微笑み返した。
「ええ、司教様。これも、皆の祈りの力があったからこそです。ですが、神は、ただ祈るだけの者ではなく、自らの手で道を切り拓こうとする者にこそ、微笑んでくださるようですね」
僕の言葉は、穏やかだが、明確な“勝利宣言”だった。
司教は何も言えず、ただ唇を固く結ぶだけだった。彼の背後で、他の聖職者たちが動揺しているのが見て取れた。
◇
その報せは、風よりも速く、辺境伯の居城にも届いていた。
騎士団長ゲオルグは、荘厳な謁見の間で、主君である辺境伯アルフォンスの前に片膝をついていた。
「――以上が、かの街の現状です。我々が敷いた陸路の封鎖網は、彼が創造したという“魔導蒸気船”と、新たに開拓した水路によって、完全に無力化されました。南の交易都市リリアンとの間に、独自の交易路を確立した模様です」
ゲオルグの淡々とした報告を聞きながら、玉座に座る辺境伯アルフォンスは、表情一つ変えなかった。
彼は、長い沈黙の後、静かに、しかし威厳に満ちた声で、問うた。
「……ゲオルグよ。そなたは、そのユウマという男を、どう見る?」
「はっ。……常識では測れぬ男、としか。彼の頭脳は、熟練の軍師のようであり、その発想は、狂った発明家のようでもあります。そして何より、彼の周りには、彼を信じて疑わぬ、異様なまでに結束した民がおります。もはや、ただの村の指導者として扱うべき存在ではございません」
「……そうか」
辺境伯は、玉座から立ち上がると、窓の外に広がる自分の領地を見下ろした。
「経済封鎖が駄目となれば、次の手は一つ。――軍による、完全な殲滅だ。だが……」
彼は、初めて楽しそうな、獰猛な笑みを浮かべた。
「……その前に、一度会ってみるのも面白い。この盤を動かしているプレイヤーが、一体どんな顔をしているのか、この目で見てみたいとは思わんか?」
「……と、申しますと?」
「使者を送れ。辺境伯アルフォンスが、街の代表ユウマとの会談を望んでいる、と。場所は、ここ、俺の城でだ」
◇
街が、新たな交易路の確保による祝賀ムードに包まれていた、数日後のことだった。
一本の矢文が、城壁の上の見張り台へと、音もなく突き刺さった。
そこに書かれていたのは、あまりにも簡潔で、しかし、拒否権のない“招待状”だった。
『……おいおい、ユウマ。いよいよ、ラスボスのお出ましか? 敵の本拠地に、たった一人で乗り込むつもりか?』
神様の、どこか楽しそうな声が聞こえる。
僕は、その招待状を手に取り、不敵に笑った。
「ええ。最高のゲームには、最高のボスとの直接対決が、必要不可欠ですからね」
僕の街づくりは、領主との直接交渉という、新たな、そして最も危険なイベントフェーズへと、ついに突入しようとしていた。




