第30話「辺境伯の逆提案」
辺境伯の紋章旗を掲げた一団が、街の門の前で馬を止めた。
街を包んでいた活気ある槌音は、今は完全に止んでいる。建設作業をしていた者も、市場の商人たちも、誰もが固唾をのんで、招かれざる客人の一挙手一投足を見守っていた。
今回の使者は、以前の文官ではなかった。
先頭に立つのは、見事な装飾が施された鎧をまとう、壮年の騎士。その顔には、幾多の戦場を潜り抜けてきたであろう深い皺が刻まれ、その鋭い眼光は、僕がこの街で出会った誰よりも、強い意志と圧を放っていた。以前の文官は、その騎士の後ろで、まるで従者のように控えている。
『……ほう。今度は、ただの伝令ではなく、全権大使を寄越してきたか。辺境伯も、いよいよ本腰を入れてきたな』
(ええ。最高の交渉相手ですよ。つまらない雑魚より、こういう知性のあるボスの方が、よっぽど攻略しがいがありますからね)
僕は、村長や商人ギルドの代表、そして衛兵団と騎士団のリーダーを伴って、門の前へと進み出た。
◇
「――私が、辺境伯アルフォンス様に仕える騎士団長、ゲオルグだ」
壮年の騎士は、馬から降りると、名乗りを上げた。その声は、戦場での号令を思わせる、腹の底に響くような力強さを持っていた。
「貴官が、この街の代表者であるユウマ殿か。噂以上の若さだな。そして……この街の活気、見事なものだ。我が主も、貴官のその手腕には、いたく感心しておられる」
それは、ただの賛辞ではなかった。この街の発展を正確に把握しているという、無言の圧力だった。
僕たちは、騎士団長ゲオルグを詰所の作戦司令室へと案内した。テーブルを挟んで向かい合うと、息が詰まるような緊張感が部屋を支配する。
「単刀直入に言おう」
ゲオルグは、前置きもなしに本題を切り出した。
「貴官が先日提示した代替案、我が主はそれを“飲む”と仰せだ。だが、このままでは、あまりにも貴殿らに都合が良すぎる。よって、我が主からも、いくつかの“修正案”を提示させていただく」
“修正案”という名の、事実上の“逆提案”だ。
◇
ゲオルグが淡々と語り始めた内容は、僕のカウンター提案の、さらに上を行く、巧妙で、そしてしたたかなものだった。
「第一に、特産品の“取引”について。我が主は、貴殿らの産品を適正な価格で買い付けることを約束しよう。だが、その代わり、この街が産出する全ての特産品の“独占交易権”を、辺境伯家が有するものとする。貴殿らは、この街の中で自由に商売をしても構わん。だが、一歩でも外へ売り出す際は、必ず我が主を通すのが条件だ」
商人ギルドの代表が、息を呑む。
それはつまり、僕たちの経済的な影響力を、完全に辺境伯のコントロール下に置く、という意味だった。
「第二に、ダンジョンの産出物について。これも買い取りで結構。しかし、その取引の公正を期すため、我が主の代理人として、専門の“資源管理官”をダンジョンに常駐させていただく。彼らが、産出される全ての資源を鑑定し、管理する」
衛兵団のリーダーが、ギリッと歯を食いしばる。
街の心臓部であるダンジョンに、辺境伯の息のかかった役人を置く。それは、内側から僕たちを監視し、いつでも介入できる足がかりを確保するための、見え透いた口実だった。
「そして最後に、軍事協力について。貴殿らの衛兵団を差し出す必要はない。むしろ、その練度の高さは、我が主も高く評価しておられる。そこで、だ」
ゲオルグは、僕の目を真っ直ぐに見据えて、言った。
「貴殿らの衛兵団を、辺境伯領の正規軍の一部として、正式に認可する。“特別自治部隊”として、指揮権は引き続きユウマ殿、貴官に委ねよう。だが、有事の際には、辺境伯の指揮下に入り、領土防衛の任についてもらう」
それは、僕たちに“名誉”を与えるという形で、その軍事力を、最終的には辺境伯の駒として組み込むという、あまりにも巧みな一手だった。
◇
部屋に、重い沈黙が落ちる。
村長も、商人も、衛兵団のリーダーも、怒りと屈辱に顔を歪めている。
これは、もはや交渉ではない。慈悲深い領主が、反抗的な臣下に与える、最後の“選択肢”だ。
ゲオルグは、その沈黙を破るように、最後の言葉を告げた。
「我が主は、寛大なお方だ。この条件を受け入れるならば、貴殿らの“自治区”としての地位は、永久に保証される。安全な交易路も、法的な庇護も、全てを与えよう。だが……」
彼の声が、わずかに低くなった。
「もし、この寛大なる提案を拒むというのなら、貴殿らの街は、辺境伯の統治に従わぬ“無法地帯”と見なされる。そうなれば、この街に通じる全ての街道は封鎖され、貴殿らは、誰の助けも得られぬまま、この地で朽ち果てることになるだろう」
飴と鞭。あまりにも古典的で、しかし、絶対的な力を持つ者が使うからこそ、抗いがたい脅迫だった。
『……ユウマ。これは、ただの支配じゃないな。辺境伯は、お前の力を削ぐのではなく、お前の力を、まるごと自分のものとして“利用”するつもりだ。イエスかノーか、どちらを選んでも、茨の道だぞ』
神様の冷静な分析が、僕の頭に響く。
部屋にいる誰もが、僕がこの不当な要求を、怒りと共に突っぱねるだろうと、固唾をのんで見守っていた。
だが、僕は。
絶体絶命の状況を前にして、笑っていた。
「……なるほど」
僕は、目の前の歴戦の騎士団長に向かって、不敵に、そして楽しそうに、こう言った。
「面白い。あなたの主人である辺境伯様は、どうやら僕と同じくらい、この“ゲーム”を楽しんでいるらしい」




