第27話「聖人の凱旋」
嘆きの谷からの帰路は行きとは比べ物にならないほど穏やかなものだった。
呪いが浄化された谷はもはや死の大地ではない。僕たちが創造した泉から溢れ出た清らかな水はせせらぎとなって谷を潤し、そのほとりには僕たちが目にした純白の百合以外にも色とりどりの小さな花々が健気に咲き始めていた。
「……信じられんな。数日前までここは地獄だったというのに」
衛兵団のリーダーが生まれ変わった谷の風景を感慨深げに見つめている。
彼の言葉に討伐隊の誰もが頷いた。
僕たちはただの討伐任務をこなしたのではない。神話の時代から続く呪いを解き、死んだ大地を再生させたのだ。その事実は彼らの胸にかつてないほどの誇りと自信を刻み込んでいた。
僕の手にはあの純白の百合の花が一本。衛兵が運ぶ水筒には浄化の泉から汲んだ清らかな水が満たされている。これらが僕たちが“神の試練”を乗り越えた何よりの証拠となるだろう。
◇
三日後、僕たちが街の門にたどり着くと、そこには遠征の時を遥かに上回る熱狂的な歓迎が待っていた。
僕たちが谷の中心で“祈りの道”を発動させたあの日、街の広場では祭壇の水晶が太陽のように輝き、その光が天へと昇っていくという奇跡が起きていた。街の住人たちは自分たちの祈りが僕の元へ届き、そして奇跡の一端を担ったことを肌で感じていたのだ。
僕の姿を認めるや否や、集まっていた人々は歓声を上げるよりも先にその場に膝をついた。
村人も商人も冒険者も。誰もがまるで神を迎えるかのように深く、深くこうべを垂れている。
(……うわあ、これは……完全に予想以上だ)
僕はその異様な光景に思わず足を止めてしまった。
僕は英雄として迎えられることを想定していた。だが、彼らが僕に向けているのは英雄への称賛ではない。それはまさしく“聖人”に対する絶対的な信仰そのものだった。
『だから言っただろう。人の信仰ほど恐ろしくて厄介なものはないぞ。お前はもはやただの街の指導者ではいられなくなったな』
神様のどこか楽しんでいるような声が僕の脳内に響いた。
◇
その群衆をかき分けるようにして司教が純白のローブをまとった聖職者たちと共に僕の前へと進み出た。
彼の表情はいつも通りの穏やかなものだった。だが、その瞳の奥には僕の力の底を見極めようとする鋭い光が宿っている。
「――聖人様。ご無事のご帰還、心よりお慶び申し上げます」
司教は僕の前で恭しく片膝をついた。
その行為は僕と教会の力関係がこの瞬間に決定的に変わったことを、街の全ての住人に見せつけるための計算され尽くしたパフォーマンスだった。
「司教様、顔を上げてください。僕は聖人などでは……」
「いいえ」
僕の言葉を司教は強い口調で遮った。
「我々も、この街の皆も全て見ました。我々の祈りが天に届き、この街から巨大な光の柱が天へと昇っていくのを。そして今、あなたの帰還と共にこの街には聖なる気配が満ち満ちております。これが神の御業でなくて一体何だというのですか?」
司教は立ち上がると、僕が手にしている純白の百合の花と衛兵が持つ水筒に目をやった。
「……その花は死の大地に咲いたという奇跡の証。その水は呪いを浄化したという癒やしの泉の水ですな?」
「ええ、その通りです。試練は完了しました」
僕がそう言って百合の花を差し出すと、司教はそれをまるで聖遺物でも扱うかのように震える手で恭しく受け取った。
そして彼はその花を高く掲げ、集まった群衆に向かって朗々と宣言した。
「皆の者、聞きなさい! 神は我々の祈りをお聞き届けになられた! 聖人ユウマ様は我らが課した“神の試練”を見事乗り越え、死の大地を浄化するという前代未聞の奇跡を成し遂げられたのです!」
その言葉に群衆から割れんばかりの歓声が上がる。
「これで神がこの地を祝福しておられることは誰の目にも明らかとなりました! 我ら光明教は聖人ユウマ様と共に、この地に神の栄光を示す壮麗なる大聖堂を建立することをここに誓います!」
司教の完璧なまでの“勝利宣言”。
彼は僕が成し遂げた奇跡を全て「自分たちの信仰と導きがあったからこそ」という物語にすり替え、その上で僕を神輿として担ぎ上げることで、この街の精神的な支柱の座を完全に手中に収めようとしていた。
◇
(……なるほどな。そう来ましたか)
僕は歓喜に沸く群衆と満足げな表情を浮かべる司教を冷静に観察していた。
僕が試練をクリアした場合、彼がこう動くであろうことはある程度予測していた。
『どうする、ユウマ? このままではお前は教会のための奇跡製造マシーンにされてしまうぞ』
(ええ、分かっていますよ。だからこそ、ここからが僕のターンなんです)
僕は歓声が少しだけ収まるのを待って、静かに口を開いた。
「司教様。そして街の皆さん。僕がこの試練を乗り越えられたのは僕一人の力ではありません。この街にいる皆さんの純粋な祈りの力があったからです」
僕の言葉に人々は静まり返る。
「ですから、この街に建てるべきは特定の誰かを崇めるためのものではない。この街の皆の祈りと未来を象徴するような……そんな“みんなの家”であるべきだと、僕は思います」
僕の言葉に司教の眉がわずかにピクリと動いた。
僕と教会の、この街の未来を賭けた第二ラウンドのゴングが今、静かに鳴らされたのだ。




