第26話「死の大地に咲く花」
ピシリと。
静まり返った古戦場に、ガラスに亀裂が入るような甲高い音が響き渡った。
呪いの源泉であった漆黒の剣に走った亀裂は一本だけではなかった。まるで蜘蛛の巣のように、瞬く間に無数の亀裂が刀身全体を駆け巡っていく。
「――砕けろ」
僕がそう呟いた瞬間、街から届けられた祈りの力を一身に受けた浄化の水晶が、その輝きを最大にした。
もはやそれは光ではなかった。全てを洗い流す聖なる力の津波だ。
漆黒の剣はその光の奔流に耐えきれず、甲高い断末魔のような音を立ててついに砕け散った。
呪いの源泉が消滅したことで、嘆きの谷を支配していた法則が根底から覆る。
僕の足元から放たれた浄化の光は、この谷に満ちる全ての瘴気を、闇を払う夜明けの光のように優しく、しかし抗いがたい力で消滅させていく。
天を覆っていた紫色の瘴気の靄が晴れ、何百年、あるいは何千年ぶりに、この谷に太陽の光が差し込んだ。
「おお……!」
「空が……青い……!」
討伐隊のメンバーがマスクを外して空を見上げる。
奇跡はそれだけでは終わらなかった。
光が通り過ぎた後、僕たちの足元で信じられない変化が起きていた。
生命を拒絶していた灰色の死の大地に、緑の息吹が蘇っていく。乾ききっていた地面からは、まるで早送り映像を見ているかのように青々とした草の芽が次々と顔を出し、みるみるうちに谷全体を緑の絨毯で覆い尽くしていく。
『……まさか本当に呪いを解き、死の大地を楽園に変えてしまうとはな』
神様がどこか呆れたような、しかし心の底から楽しんでいるような声で呟いた。
『お前は、世界というゲームの仕様すら書き換える気か?』
(ええ。最高のゲームには最高のエンディングが相応しいでしょう?)
◇
やがて光が収まった時、僕たちの目の前には以前の面影など微塵も感じさせない穏やかで美しい緑の谷が広がっていた。
瘴気は完全に消え去り、澄んだ空気の中を心地よい風が吹き抜けていく。
「……我々は夢でも見ているのか……?」
騎士の隊長が目の前の光景を信じられないといった様子で呟く。
衛兵たちもただ呆然と、生まれ変わった谷の姿を眺めているだけだった。
彼らがこの数日間死闘を繰り広げた場所が、今や楽園へと変貌しているのだ。そのあまりに現実離れした光景に、彼らの理解が追いついていない。
僕はかつて漆黒の剣が突き刺さっていた場所へと、ゆっくりと歩み寄った。
そこに、それは咲いていた。
全ての呪いが浄化された最も清らかなその場所に、たった一本だけ。
穢れを知らぬ純白の百合の花が、まるで奇跡の訪れを祝福するかのように凛として咲いていた。
「……花が、咲いている……」
誰かのその一言で、討伐隊のメンバーは自分たちが見ているものが現実であることをようやく理解した。
司教が提示した試練、「呪われた谷に一輪でも花を咲かせること」。
その条件は今、完璧な形で達成されたのだ。
◇
(よし、クエストコンプリート! 最高のSランククリアだ!)
僕は心の中でガッツポーズをした。
僕が百合の花の隣に屈み込むと、地面の中から浄化の水晶が淡い光を放ちながら姿を現した。
だが、その様子は以前と少し違っていた。水晶の中心部には砕け散った漆黒の剣の核だろうか、凝縮された清らかな魔力の結晶――“生命の心水晶”とでも言うべきものが、まるで心臓のように宿っていた。
「――創造」
僕はその心水晶に手をかざし、最後の仕上げを行った。
僕の魔力に呼応するように、水晶が置かれた地面からこんこんと清らかな水が湧き出し始めた。水はあっという間に小さな泉を形成し、その水面は空の青を映してキラキラと輝いている。
「……泉だ」
「この谷に……水が……」
この泉は、この谷が完全に再生したことの証。そして、これからこの地を訪れる旅人たちの喉を潤す癒やしの泉となるだろう。
◇
僕が立ち上がって振り返ると、討伐隊の全員が僕に向かって膝をついていた。
衛兵も、そしてあの誇り高き騎士団の隊長さえも深く頭を垂れている。
「ユウマ殿……」
隊長が震える声で言った。
「我々が目にしたのは人の力を超えた、まさしく神の御業そのものです。あなたは我々が信じる神の使い……いや、あなた様こそがこの地に現れた“聖人”に違いありません」
その言葉に、他の者たちも力強く頷く。
彼らの目に、もはや僕はただの優れた指揮官としては映っていなかった。あるのは絶対的な信仰と畏敬の念だけだ。
(……うわあ、面倒なことになったな)
僕は内心で頭を抱えながらも、表面上は穏やかな笑みを浮かべていた。
「さあ、皆さん、顔を上げてください。街へ帰りましょう。僕たちの帰りを待っている人たちに、この奇跡の報告をしなければ」
僕の言葉に、彼らは「はっ!」と力強く返事をした。
僕たちは生まれ変わった谷を後にする。
僕の頭の中には、このSランククエストの報酬――街の完全な自治権と、教会に対する圧倒的な優位性――をどう活用していくかの計算がすでに始まっていた。
(さあ、司教様。あなたのターンですよ。この結果を見て次にどんな手を打ってきますか? 今から楽しみで仕方ありません)




