1-5 平和な朝にご用心
今朝の朝食も、いつも通りシンプルで、栄養バランスの取れた内容だった。焼きたての黒パンに、スープとスクランブルエッグ。新鮮な野菜サラダには、ルーディ特製のドレッシングがたっぷりとかかっている。
「ヴォルフ様! 今日のドレッシングはレモンと玉ねぎがベースです! 疲労回復と筋肉修復に、ばっちり効きますよ〜!」
鼻高々にそう語るのは、料理人のルーディ。まだ二十代と若いが、腕は確かだ。
「……お前な。毎朝毎晩、筋肉に効く食材ばかり……。俺は別に、筋肉バカを目指してるわけじゃないぞ」
フォークを置き、ヴォルフは淡々と言い放った。
「騎士として鍛えていただけで、筋肉がついたのは『結果』だ。『目的』じゃない」
「はっ……! その、『結果でこの筋肉』という事実が、また尊いんですよ!!」
どこか恍惚とした表情で、ルーディが両拳を握りしめる。
「俺の夢はですね、ヴォルフ様の筋肉に合う最強のメニューを作ることなんです! 朝昼晩、完璧に!」
「……ほどほどにしとけ。マチルダにまた怒られるぞ」
その言葉に応じるように、奥の扉がバンッと開いた。
「昨日の『たんぱく質5種入りスープ』の時点で、すでに怒ってますからね!」
拭き上げたカップを山のように積んだ銀盆を抱え、マチルダが怒り心頭といった顔で食堂に入ってくる。
「私はね、これ以上坊ちゃまに筋肉がついて、ますますモテなくなるのが心配なんです」
「えっ、でもヴォルフ様の筋肉、めちゃくちゃ理想的じゃ……」
「時代は華奢なんです!! 華奢な男がモテるんです!! この国では!」
マチルダの一喝に、ルーディは思わずひぃっと肩をすくめた。
そのすぐ横で、紅茶を静かに注ぐ男がひとり。
「ところでヴォルフ様、例の新しいメイドが来るのは今日でございましたね」
落ち着いた声でそう口にしたのは、執事のハロルドだ。銀糸混じりの髪をきっちりと撫でつけたこの老紳士は、口数こそ少ないが、屋敷のすべてを把握している頼れる存在である。
「ああ……昼前には着くそうだ」
「まあっ、ようやく来てくれるんですね! 楽しみですわ!」
マチルダが両手を胸の前でぎゅっと組み、ぱあっと顔を輝かせる。
「かわいい子だといいですねぇ……」
ルーディがニヤリと口角を上げる。こいつ、絶対に余計な妄想をしてるな。
「……メイドの対応はマチルダに任せる。ハロルドとルーディは、いつも通りの仕事をしていてくれ」
ヴォルフの一言に、ハロルドは静かに一礼する。ルーディは「了解です!」と元気よく敬礼するが、すぐさま、マチルダの刺すような視線に気づいて、ぴしっと背筋を伸ばした。
「……へんな目で見たら承知しませんよ?」
「み、見ませんってばーっ!」
ルーディの情けない声を聞きながら、俺はパンをちぎって口に運ぶ。
どうやら今日も、平和な一日になりそうだ。
*
ヒュッ……ヒュッ……
木剣が鋭く空を切る音が、中庭に響いていた。
朝食を済ませたあと、俺はふと手持ち無沙汰になって、庭に出て素振りを始めた。普段、休みなど滅多に取らないもんだから、こうして休みになると逆に困る。
今日は新しいメイドが来るって話だったから、念のため邸にいるようにしたんだが……よく考えたら、マチルダがいるんだから、俺が出るまでもない。
(くそ。こんなことなら、休みなんて取らなきゃよかった)
とは言え、いざ剣を振り始めれば、雑念はすっと消えていく。
俺は無心で木剣を振り続け、気づけば、そろそろ千回に差し掛かろうという頃だった。邸の前に、一台の馬車が停まった。
例のメイドが到着したのか? ……いや、待て、メイドが馬車で来るか? なら客か? まあ、どちらにせよ、マチルダに任せておけば問題ないだろう。
そんなことを考えながら、俺は剣を振り続けていたのだが。程なくして、邸の玄関先が何やら騒がしくなる。それと同時に、
「……な、なんですってえぇぇぇぇ!?」
「ちょ、ちょっと、こちらへ!」
マチルダの慌てふためく声が、思いきり響いてきた。
(……なんだ? 騒がしいな)
俺は素振りをする手を止め、汗を拭いながら、声のする方を見やる。
すると、その直後。赤い顔で、全速力でこちらに駆けてくるマチルダの姿が視界に飛び込んできた。
(なんだよ……腰が痛いとか言ってたくせに、走れるんじゃないか)
呑気にそんなことを考えていた俺だったが、駆け寄ってきたマチルダの様子が、どうにも尋常じゃない。
俺の前まで来ると、前かがみになって膝に手をつき、しばらくハァハァと荒い息を整えた。そのあと、ほとんど息も絶え絶えのまま、なんとか言葉を絞り出す。
「ぼ、坊ちゃまっ……!! メ、メ、メイドじゃございませんっ……! あれは……っ! お嬢様ですっ!! それも、とびきり上等なやつですっ!!!!」
「──は?」
一瞬、俺の言語処理能力がおかしくなってしまったのかと思った。聞こえてはいるのに、何を言っているのか全く理解できない。
(……お嬢様? 誰が?)
「とにかく!! とにかく一度、いらしてくださいませっ!!!」
マチルダは俺の返事も待たずに、勢いよく腕を掴むと、あれだけ息も絶え絶えだったとは思えぬ力強さで、俺の腕をぐいぐい引っ張っていく。
「ちょ、待て。説明くらい──」
「いいから来てください坊ちゃまっ!! とにかく一度、見てくださいませっ!!」
俺は木剣を持ったまま、訳もわからぬまま引きずられた。
こうして俺の、鍛錬日和な休日のはずだった一日は、予想だにしない方向へと急カーブを切ることになる。